明日の伝説

好きな特撮・アニメ・漫画などに関する思いを書き綴る場所。更新停止

ドラゴンボール(Z)レビュー番外編③〜超サイヤ人と限界効用逓減の法則〜

本日は「ドンブラザーズ」の感想を投稿しようと思ったのですが、その前にまず「ドラゴンボール」の考察について……ドラゴンボールで必ず議論の的になるのが「戦闘力=強さのインフレ」です。
現在「Vジャンプ」で連載中の「ドラゴンボール超」でも強さ議論が度々行われているのですが、はっきり言って無謀であると言わざるを得ません。

 

前回の記事でなぜ「ドラゴンボール」はフリーザ編までで終わりにするべきであったのかを限界効用逓減の法則を元に、ストーリーとキャラクターの関係性を絡めて述べました。
今回はこの点に関して細かく突っ込んだ考察として「超サイヤ人」と限界効用逓減の法則の関係性について具体的に書いていきます。

 


(1)戦闘力とは経済力のメタファーである


まず大前提として戦闘力とは経済力のメタファーであることをしっかり押さえておく必要があり、これが意外とわかっているようでわかっていない人が多いのです。
「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉があるように、作品とは時代を映す鏡ですが、中でも実はその時代の経済状況は多かれ少なかれ作品の世界観に影響を与えます。
当然「ドラゴンボール」とて例外ではなく、「ドラゴンボール」が連載されたのは時代背景から見ていくと1984年〜1995年、丁度昭和の終焉と平成の胎動を跨いでいるわけです。
そのせいなのか、実は現実に起こった出来事と「ドラゴンボール」の劇中の出来事が妙にリンクしており、その中でも特に戦闘力のインフレは他の漫画作品と比較しても類を見ないものになっています。


わけても大きなインフレはサイヤ人編〜ナメック星編までで起こったのですが、この時は正に日本が高度経済成長で世界のトップまで上り詰めたことのメタファーといえるかもしれません。
バブル絶頂期の日本という経済状況が時代背景としてあったからこそ、「ドラゴンボール」のサイヤ人編〜ナメック星編における急激な戦闘力のインフレにも説得力があるのです。
超サイヤ人が黄金色なのも、経済学で考えれば純金=金持ちという風に連想でき、例えるなら孫悟空クリリンを失い自己破産寸前に陥るのと引き換えに巨万の富を手にしたともいえます。
また、それに伴うフリーザ軍の崩壊は正に冷戦の崩壊や日本の昭和天皇崩御のメタファーであるともいえ、フリーザの死は現実に置き換えると昭和の終焉を象徴していたのではないでしょうか。


そもそも「インフレ」「デフレ」という言葉や概念自体が経済学から出てきたものですし、鳥山先生はフリーザを現実の地上げ屋をモデルに作ったそうですが、やはりこれも経済状況が絡んでのことだといえます。
鳥山先生自身は経済に詳しくないそうですし、実際「超サイヤ人は50倍パワーアップするというけど、10倍の感覚で描いていた」という言葉があるように、実際は数字の扱いがかなり適当です。
しかし、適当に描いたにしては当時の日本の経済状況を的確に写しているともいえ、孫悟空を「急成長していく日本」の象徴と捉えると、正にあの時代の日本に求められていた理想の主人公だったのでしょう。
そして人造人間編以降に心臓病で落ちぶれていき、どんどん時代に取り残されていく様はそのままバブル崩壊によって衰退していき時代に取り残されていく日本の凋落とも重なっています。


実際、昭和〜平成にかけて、日本の経済力や生活水準は劇的に向上したものの、それがかえって大量生産・大量消費という大きなデメリットを発生させることになってしまいました。
それは「ドラゴンボール」においては正に人造人間編以降の悪しき風習となってしまう超サイヤ人の大量生産・大量消費として表現されており、超サイヤ人でなければ戦いに参加することすらできないのです。
ベジータ魔人ブウ編でそれを「超サイヤ人のバーゲンセール」と言っていましたが、個人的には「何を今更」というのが正直なところで、魔人ブウ編を待つまでもなく超サイヤ人の安売りは起こっていました。
まるで金をドブに投げ捨ててムダ遣いするかのごとく、何かあれば超サイヤ人に頼って戦うようになっていってしまい、それがかえって作品そのものを陳腐化させてしまったのです。


(2)超サイヤ人の登場頻度が増す一方で読者の興奮はかえって減っていく


(1)の前提をまず理解して頂いた上で、改めてここで「限界効用逓減の法則」と超サイヤ人について考察していきます。
超サイヤ人以上の段階に至ると、もはや強さ議論が意味をなさなくなってくるのですが、そのことは他のドラゴンボール考察のブログでも述べられていますので、引用してみます。

 

 

超サイヤ人以上の領域は、先に述べたとおり、戦闘力で考察を行うこと自体が無謀です。そもそも瞬間的にしか力を引き上げていないからですね。ただ、戦闘力を引き上げる=それに耐えられる身体を作るということで、超サイヤ人のパワーアップが更なる肉体強化→平常時でも超サイヤ人でいられるよう身体を慣らす→あの世で身体能力を無視したパワーアップを行う、という段階を踏んでいるのは非常に理に適っています。鳥山明氏は、それなりに考えてインフレを発生させていたと思いますね。


引用元:ドラゴンボールの戦闘力を真面目に考察


そう、このブログの著者・ルロイ氏が述べておられるように、超サイヤ人以降になると戦闘力を数値化しての考察自体が意味をなさなくなっていきます。
何故なのかというと、それこそが正に「限界効用逓減の法則」が読者の心理と作り手の表現力の双方に働いているからです。
鳥山先生はかつて「フリーザ編以上の強さの表現が思いつかなかった」というようなことをどこかで述懐しておられました。
そしてそれは作品そのものにも反映されており、ここで改めて超サイヤ人の登場段階と読者の興奮・衝撃の関係性をグラフにしてみましょう。

f:id:gingablack:20220324122414p:plain

超サイヤ人の登場頻度と読者の興奮・衝撃

変身しないノーマルサイヤ人を「0」とし、そこから物語の中で出てきた新たな超サイヤ人の登場に応じて数値化してみました。
項目としては以下の通りです。

 


人造人間編の未来トランクスとベジータの初超サイヤ人や現代トランクスと孫悟天超サイヤ人については省いています。
このように見ていくと、最初に孫悟空超サイヤ人に覚醒した時、読者は10の衝撃・興奮を味わっているのです。
何故これほどの衝撃を感じられたのかは前回の記事で物語の流れと絡めて説明したので、ここでは割愛させていただきます。

 

gingablack.hatenablog.com

 

そして「超サイヤ人を超えた超サイヤ人」として登場した超ベジータがその半分の5の衝撃を出すのですが、これがムキンクス、フルパワー孫親子と出るたびに読者の興奮は減っていくのです。


じゃあ超サイヤ人2の悟飯や超サイヤ人3の孫悟空はどうなのかという話ですが、これもビジュアルや戦闘力は強そうに見えますが、読者が感じる衝撃はそんなに大きくありません
何故ならば超サイヤ人2は悟空がブチギレて超サイヤ人に覚醒した時と似て日なるものであり、元々孫悟飯がブチギレるとパワーアップするのはサイヤ人編のラディッツ戦の時から悟飯の個性だったものです。
それが超サイヤ人を超えた超サイヤ人という物語の展開と絡んでそうなっただけであり、実は悟飯が超サイヤ人2に覚醒したのはフリーザ編と違って物語上の仕組みとして非常にロジカルにできています。
超サイヤ人3の孫悟空も同様に、あれは「出力を一時的に限界以上に上げる、あの世限定の形態」として、その燃費の悪さからファンには不人気の形態となってしまいました。


唯一例外的に興奮度が上がったのはアルティメット悟飯を吸収した魔人ブウを足一本でも圧倒した超ベジットですが、それでも読者の衝撃はそんなに大きいものではないのです。
そのことを鳥山先生も重々承知だったからこそ、魔人ブウを倒すときはまず中に吸収された悟飯たちと善のブウを分離させ、元気玉によって倒すことにしました。
そう、インフレが行くところまで極まったら、もうあとはデフレさせるしかなく、そこまで行くと物語を続けることもできなくなってしまいます。
このように、超サイヤ人が登場すればするほど読者の興奮はかえって減っていくわけであり、どんなに「強いですよ」と設定・描写したところで説得力を持ちにくいのです。


(3)魔人ブウ編で出た「キリ」という単位は「ユーロ」のメタファーである


(2)で述べた限界効用逓減の法則への対処法として、実は魔人ブウ編で対策として出されたのが「キリ」という単位です。
悟空とヤコンの戦いの時に、バビディは次のように述べているのです。

 

f:id:gingablack:20220324122508j:plain

「キリ」という新単位


ここで、サイヤ人編〜ナメック星編までで用いられていたスカウターに取って代わる戦闘力の数値化の単位として「キリ」を用いるようになりました。
これは現実の経済に置き換えれば、1999年に新たな国際通貨の単位として登場した「ユーロ」のメタファーだといえるのではないでしょうか。
実は欧州において、昔から秘密裏に進んでいた単一通貨を導入しようとする構想が20世紀末に来てようやく実現するようになったのです。
何故かといえば、国ごとに違う貨幣・紙幣の単位を万国共通で統一させることで経済を安定させようという試みによるものであります。


鳥山先生としても、超サイヤ人のバーゲンセールによって飽和状態になった戦闘力を新たな単位で統一し、数値の仕切り直しを図ったのでしょう。
上で述べた魔人ブウを最終的にデフレさせて倒すのもその一環だと言え、このことに関しても既に別の方がこのように述べておられます。

 

 

こうしてフリーザと戦う悟空の戦闘力は、『ジャンプ』の公式発表で(あくまで鳥山のではない)9万から300万と33倍以上のインフレとなり、10倍界王拳で3000万、超サイヤ人になって1億5000万と、マンガ史上最大のインフレ率となった。
 一方、鳥山はデフレも行うのである。 『復活のF』で復活したフリーザが、「四ヶ月もトレーニングすれば戦闘力を140万まで持っていける」というが観客はこれを第一形態が三倍近くになると考える。
 しかし本当は「最終形態のフリーザの戦闘力が140万になる」と言っているのである。少なくとも鳥山は、そう観客が騙されてくれることを望んでいる。 
もちろん騙されている人は一人もおらず、鳥山もわかってやっているのだが、鳥山がデフレをやる理由は、インフレが激しすぎてパワーアップが想像できないものになるのを防いでいるのである。


引用元:ドラゴンボールを考える②~悟空はギニューに10倍界王拳を使っていない


そう、数字が大きくなりすぎると、それはもはや読者の想像の範囲を超えたものとして抽象的になりすぎてしまうのです。
だから「3000キリ」という単位で仕切り直しを行った上で、読者に今の悟空がどれだけ強いのかを伝えようとしたのでしょう。
それに加えて、魔人ブウ編は全体的に物語が緩みっぱなしで締まりがないため、グダグダにならざるを得ません。
ドラゴンボール」という作品はよく「強さのインフレ」の代表作として挙げられるのですが、同時に「強さのデフレ」の代表作としても挙げられるのではないかと思います。