明日の伝説

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ギア5「ニカ」とは何か?〜モンキー・D・ルフィという男の物語の到達点〜

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ギア5

最近ジャンプ漫画をはじめとするバトル漫画の1つの要素「覚醒」についてあれこれ考える機会が増えましたが、そんな今話題沸騰中なのが「ONE PIECE」のルフィのギア5です。
詳細はまだ明かされていませんが、個人的には孫悟空超サイヤ人、ナルトの(六道)仙人、そして越前リョーマの天衣無縫の極みへの覚醒に並ぶ名シーンとなるのではないかと思います。
単なるパワーアップではなく、最初から紡がれてきたモンキー・D・ルフィという1人の男の物語がこの覚醒には詰まっていて、カイドウ戦とのクライマックスでこれを持ってきたのがまた熱いですね。
散々考察されているように、「ニカ」の由来はおそらく「ニカッと笑う」でいいと思うのですが、大事なのはルフィがなぜこの覚醒に至ったのか?ということでしょう。


まず1つ目が「ルフィ自身が積み上げてきた能力の統合」で、ルフィは元々ゴムゴムの実の能力者という「強くてニューゲーム」の状態でスタートしており、そこから更に覚醒を重ねていきます。
エニエスロビー編でのギア覚醒、レイリーの元で2年間修行しての武装色の覇気と覇王色の覇気の覚醒、ドレスローザ編でのギア4、そしてこのワノクニ編での流桜習得……ここまでやった上でのゴムゴムの実の覚醒。
当初から見て行くと実にルフィの覚醒に関しては段階を踏まえて丁寧に描かれており、修行も含めてここぞというところで魂のステージが確実に高まるにつれてどんどん強くなっていくのです。
しかし、新世界に入る前からルフィ以上の化け物はゴロゴロ居て、ギアの出力を上げるだけでも覇気を習得するだけでも限界がありました、なぜならば新世界は覇気の使い手がゴロゴロいるからです。


四皇をはじめ、新世界ではいわゆる「覇気のバーゲンセール」が起こっていて、武装色だけでもかなり使い手はいますし、覇王色の覇気もそれ自体は四皇クラスなら持っていて当然の能力となっています。
だからルフィ自身は間違いなく段階的に強くなっており、船長としても個人としても強くはなっているのですが、いまいち「ルフィが最強」という決め手というか決定打に欠けていたのも事実です。
麦わらの一味の中では確かに最強ですが、世界全体で見ればルフィより上はいくらでもいる、そんな厳しい世界でどうやってルフィがそいつらを超えていくのか?というのはずっと読者が疑問に思っていたことでしょう。
だからこそ、四皇で間違いなく最強クラスのカイドウ・ビッグマムとの戦いはルフィにとって「真の海賊王」になれるかどうかという試練に相応しい相手だといえます。


そのカイドウとは圧倒的な力の差があり、正に「ドラゴンボール」のフリーザ様、「NARUTO」の暁クラスの異次元さと絶望感があり、新世界に入って負けなしだったルフィが久々に一撃で倒されたのです。
それをもがきながらも詰めていくという流れも熱いのですが、それでも力の差が埋まらない状況でどう突破口を切り開くかというところで、ずっと我々も忘れていた「悪魔の実の覚醒」というのは盲点でした。
ギアや覇気は言うなればルフィが「後天的に習得した技能」であり、覇王色は先天的なものではあれど、レイリーの元で修行を積めば開花可能な覇気だったために、そこまで驚きではありません。
しかし、ゴムゴムの実というのはルフィが物語を開始する段階から能力として持っていたものであり、それ自体を覚醒させてルフィの培ってきた能力を1つに統合させたのではないかと思うのです。


つまりギアの能力と2つの覇気、それらを結びつけつつルフィをカイドウを超える存在にするには悪魔の実を覚醒させてルフィを「太陽の神」という高みへ至らしめたのは凄まじい衝撃が走りました。
正にあれは1000年に1度しか出現しないと言われる超サイヤ人やナルトのみが辿り着くことができた六道仙人、そして全国大会決勝戦越前リョーマが到達した天衣無縫の極みにも匹敵する覚醒でしょう。
実はヒトヒトの実であり、人間がそれを食べた場合には人ならざる能力を与え、覚醒すると人を超えた存在へ至らしめるというのはルフィのキャラクターと相まってすごくよくできています。
やっとルフィも悟空やナルトが到達した高みへ登りつめることができた訳であり、ここまで来た以上物語そのものの終わりもそう遠くない時間の問題となってきました。


そしてもう1つ、太陽の神「ニカ」については原作漫画の1018話で「人を笑わせ苦悩から解放してくれる戦士」と言われており、これもまたルフィにぴったりだといえます。
ではなぜルフィが人を笑わせ苦悩から解放する戦士に覚醒する必要があったのかというと、これまでがそうであったようにルフィは仲間たちを始め様々な関わった人たちを隷属から解放しているのです。
それはゾロをはじめとする仲間たちがそうで、特にナミ・サンジ・ロビンはルフィに人生そのものを救ってもらった恩人でもある訳で、ルフィは仲間たちを苦悩から解放して笑わせ自由にしてくれました。
そしてまた、旅路の途中で関わった国々や衆生を苦難や隷属から解放する役割も果たしており、間接的とはいえど実は人々を自由にする救世主のような存在でもあったわけです。


その一方でルフィは「船長としての苦悩」という、自身が背負った役割から生じる苦悩からはなかなか解放されず、それがずっと長い間続いていました。
実際仲間たちは諸事情があったとはいえルフィを裏切る形で離脱したこともあり、その度にルフィが説得なり何なりして再び仲間として絆を結びなおしていたわけです。
そんなルフィにとって大きなターニングポイントが2つあり、1つがウソップとの決闘〜ギア習得(アイスバーグ・エニエスロビー編)、そして最愛の兄・エースの死(インペルダウン編)でした。
譲れない思想信条を賭けての決闘の末の仲間たちの離脱を踏まえ、ルフィは「俺が強くならなきゃ仲間たちを守れない」と更なる強さを求めていくようになっていきます。


しかし、その一方で最愛の兄・エースの死を防ぐことはできず、初めてそこでルフィは戦意喪失してアイデンティティが崩壊しかねないところまで行ったのです。
そこでルフィを助けたのは「仲間達との絆」であり、だからこそ今の自分ではとても海賊王への高みにはたどり着けず、2年後に再会することを誓いました。
そして2年後の新世界、覇王色の覇気と武装色の覇気という新世界で必要な強さを身につけ十分にパワーアップした力は一回り大きく成長して帰ってきたのです。
この頃になると「自分のため」というよりは「仲間のため」に動き強くなるという「他人のためが自分のため」という状態になっていました。


新世界に入ってから、やたらに本作が「仲間」「絆」を強調するようになり、それが一部の読者からは批判の対象にもなっていたようです。
ですが、物語の流れとしてルフィは何度も仲間を失いそうになり、更に最愛の兄の喪失という絶望も経験したのですから当然の流れではないでしょうか。
そして、「麦わらの一味の船長」という自覚が強くなってリーダーとして完成する一方で、「ルフィ個人」としてはイマイチ跳ねきれない状況が続いていました。
海賊王になるために必要なのが「仲間を守れるだけの能力を身につけること」ですが、逆にいえばそれがいつの間にかルフィの思考の枠というか枷にすらなっていたかもしれません。


だからこそ、ここでギア5という形で太陽神「ニカ」へと覚醒したのは何よりも「麦わらの一味の船長」という役割に苦悩していた自分を解放することを意味していたのではないでしょうか。
ルフィは「あっひゃっひゃ!」と笑うようになりましたが、この屈託のない笑みは正に初期のルフィが持っていた最大の特徴であり、言うなればルフィの精神は物語初期に回帰したともいえます。
いつの間にか仲間のため、船長してという建前がついていたのがルフィだっただけに、そこでもう一段階自分の殻を突き破ることが必須だったわけであり、それを超えたのかもしれません。
束縛から解放し、とにかく旅を楽しみ、心の底から笑うことこそがルフィに求められることだった訳であり、だからこそギア5「太陽の神「ニカ」」への覚醒はルフィ自身の原点回帰となるのでしょう。


孫悟空超サイヤ人に覚醒することで地球人・孫悟空から戦闘民族サイヤ人カカロットへ、そしてうずまきナルトは六道仙人に覚醒することで「波風ミナトの息子」としての天才性を発揮しました。
そして越前リョーマは天衣無縫の極みに覚醒することで、幼少の頃の「テニスをとことんまで楽しむ」という無邪気なテニスの天才少年へと回帰することができたのです。
そう考えていくと、実はジャンプ漫画のお約束の「覚醒」には共通するものがあり、それは「自分自身への本質へ回帰する」ということではないでしょうか。
ルフィもまたカイドウとの戦いの中で「海賊王を目指し冒険を目一杯楽しむ無邪気な少年」へと回帰したのではないかと思え、ここからルフィという男がどのような海賊王になるのかが楽しみです。