明日の伝説

好きな特撮・アニメ・漫画などに関する思いを書き綴る場所。更新停止

少年ジャンプ漫画のチームカラー〜人気バトル漫画7本〜

さて、スーパー戦隊シリーズ、ロボアニメと書いてきたので、ここでジャンプ漫画のチームカラーを1つずつ分類していきます。
本格的に入る前に基礎的なルールを説明しますが、考えのベースにあるのはこちらです。

 

hccweb.bai.ne.jp

hccweb.bai.ne.jp

 


以前紹介したえの氏という方がお作りになった「戦隊史学基礎」の「公的動機」と「私的動機」を大元の軸として用いています。
その上で更にプラスαで「力と技」を用いますが、これは要するにビジネスの自己分析で使われる「Want」「Must」「Can」のベン図です。

 

f:id:gingablack:20220106155644j:plain

Want・Can・Mustのベン図


「Want」は「自分がしたいこと」、「Must」は「社会から求められること」、そして「Can」は「自分ができること」を意味します。
この3つの円が綺麗に重なれば重なるほどいいビジネスパーソンであることの証明になりますが、これをジャンプ漫画のチームカラーに応用するのです。

 

f:id:gingablack:20220106155820j:plain

ジャンプ漫画のWant・Must・Can


ジャンプ漫画における「Want」は「私的動機」、「Must」は「公的動機」、そして「Can」は「力と技」になります。
評価基準はWantとMustを合計10とし、その割合の大小によって「組織の規律」が重んじられるのか「個人の意思」が重んじられるのかが決まるという形です。
そしてもう1つの要素であるCanを5点満点のうち0.5〜5で評価し、数字が低いほどアマチュア、そして数字が高いほどプロフェッショナルチームとなります。
この形式によって分類していき、歴代ジャンプのバトル漫画がどのような位置付けにあるのかをはっきりと数値で可視化、いわゆる「見える化」しようという試みです。


勿論完璧なものではなく、あくまでも「試み」かつ、数字は完全に私見なので、「ここはこうではないか?」「こうするともっと正確さが増す」という意見もあるでしょう。
そこはみなさんでお考えの上、更に論を深めるなりなんなりして頂ければなと…あくまでも「戦隊史学基礎」の更なる発展版として出してみようというものです。
今回は第一弾ということで代表的なバトル漫画 7本に絞って集めてみましたので、それらを元に比較してみます。
ラインナップは「ドラゴンボール」「幽☆遊☆白書」「るろうに剣心」「ダイの大冒険」「ONE PIECE」「NARUTO」「鬼滅の刃」の7作品です。

 


<分布図の傾向>

f:id:gingablack:20220203163854p:plain

ジャンプ漫画の分布図


「努力」「友情」「勝利」がジャンプ漫画の三大原則と言われているが、これはあくまでも非公式なものであり、実際のところは作品によって違っていることがこの分布図からもわかる。
90年代以降にヒットした代表作9本を比べてみても、チームカラーや作風がまるで異なることが示されており、全ての要素が揃っていなければならないというわけではない。
傾向としてはやはり少年ジャンプは「強い主人公」が求められるから、プロフェッショナルとして設定される作品が多いというのが大きな特徴として挙げられるだろう。


中でも対照的なのは「ドラゴンボール」と「ダイの大冒険」、「ONE PIECE」と「NARUTO」、「るろうに剣心」と「鬼滅の刃」が同じくらいのCanを持ちながらもMustとWantが違うところだろうか。
意識したかどうかは別としても、Want(私的動機)とMust(公的動機)の割合を変えていくだけでも大きく異なるチームカラーになるのだということが分かるであろう。
個人の力を信じるのか仲間の力を信じるのか、それは作品によって異なるのだが、ジャンプ漫画に限っていえば「友情」という言葉が表すように、意外にも仲間の力の方が大きいのかもしれない。
しかし、2022年2月現在の大ヒット作と言われる「鬼滅の刃」が仲間の力ではなく個人の力を信じる作品であるというのはとても興味深いところであり、ジャンプ漫画も奥が深い世界だと痛感させられる。


(1)ドラゴンボール

f:id:gingablack:20220203163937p:plain

ドラゴンボールのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ジャンプ漫画の王道にして代表作として挙げられる本作だが、「努力」と「勝利」はともかく「友情」という雰囲気・空気がこれ程薄いバトル漫画も中々ないのではないだろうか。
人造人間〜セルゲームが顕著だが、天津飯が最初に餃子を戦力外通告し、悟空も「その方がいい」とごく当たり前のように言い放つなど、サラッとシビアな現実が盛り込まれている。
本作においては基礎戦闘力が敵より上回っていないければそもそも勝負の土俵にすら立てず、天津飯が何度も「次元が違いすぎる」と歯軋りして叫ぶ様はその現れだろう。
セルゲームにおいても、悟空は最初からセルに勝てるのは潜在能力を解放させた息子の孫悟飯しか居ないといい、ベジータやトランクス、ピッコロらは戦力外としか見ていなかった。
つまり本作においてはそもそも「自立した個人」であることが前提にあるわけであり、チームワークはほとんどなく、あるとすればそれは個々人の判断が偶然に重なった結果でしかない。
それは戦う動機にも言えることであり、悟空はただ「強い奴と戦いたい」から戦い、ベジータは「サイヤ人の王子としての誇り」という私的動機によって動いていた。
Z戦士の中で公的動機で動いていたのは孫悟飯、そして神様と合体したピッコロ位であり、しかしそんな2人もブウ編では最終的に戦力外となって活躍の場はほとんどない。
魔人ブウ元気玉で倒したのも悟空とベジータがそうしないとブウを倒せないから仕方なくその選択をしただけで、もし個人の力量でブウを上回っていたら最初からそうしていただろう。


(2)幽☆遊☆白書

f:id:gingablack:20220203164049p:plain

幽☆遊☆白書のWant・Must・Can


(チームの特徴)
浦飯幽助が最初死亡したところを救われ、霊界探偵として動くところから物語がスタートし、最後までそれが一貫していたことから基本的には組織の規律を重視して動くチームであることが示されている。
最初は飛影らと敵対するも後に仲間となるわけだが、それだって個人的感情で和解したのではなく、霊界の方からチームを組んで動くように求められたからそうしているというだけのことだ。
暗黒武術大会にしても仙水編にしても同じことであり、最後まで彼らは私的動機より公的動機として動いており、また終盤では幽助が妖怪の血を受け継ぐ者であることが発覚したことでその流れが変わった。
ただし、どれだけ強くなったとしてもあくまでも普段は普通の高校生でしかない彼らに私生活の全てを犠牲にするつもりなどさらさらなく、だからこそあくまでも探偵業に戻ったというわけだ。
それこそが彼らの中に残った数少ないWantであり、私的動機ではなく公的動機で動くものたちの物語であったからこそ、ラストのそれぞれの日常や未来がカタルシスとして映えるのである。
しかし、そこで手に入れた安寧の日々が彼らのゴールではなく、あくまでも妖怪の血をベースに戦いを最後まで続けるだけであり、恋人との日常は決して彼にとっての全てではない。
同時代の「ドラゴンボール」と似たような要素を持ちながらも、戦いの動機やプロアマといったものが逆の構成になっているのは差別化をかなり意識してのことだと読み取れる。


(3)るろうに剣心

f:id:gingablack:20220203164114p:plain

るろうに剣心のWant・Must・Can


(チームの特徴)
明治時代という時代設定に合わせて作られた本作は戦いの世界から足を洗いたいと思っているのにそれが出来ずにいる緋村剣心という男の悲哀を描いたものとなっている。
剣心は抜刀斎としての業から逃れるために世捨て人になったにもかかわらず、薫をはじめとして周囲の者がそれを許してくれず、またもや修羅の道に足を踏み入れることとなった。
そんな彼にも相良や弥彦などの仲間・弟子ができたのだが、それはあくまでも結果論に過ぎず、むしろそれこそが剣心の心の孤独を深めることになってしまうのである。
再び修羅の道に踏み込んでいった剣心を最も苦しめたのは志々雄真実であるが、ここで初めて剣心は奥義を全て出しても倒せない敵に出くわし、ついに力の限界が来てしまった。
そんな彼の末路は最終的に戦いの日々から足を洗い、弟子の弥彦に全てを託すことであったが、そう考えるとこの戦いは剣心にとって周りが望むから仕方なく戦っていたと言えるだろう。
しかし、そんな中で純粋な剣道としての楽しさを思い出させてくれ、癒しになってくれた薫の存在がいかに大きいものであったか、筆舌に尽くし難い。
ジャンプ黄金期の終焉を司った本作らしい静かな終わり方であるといえ、1つの時代が終わったことを象徴するものだったのではないだろうか。


(4)ダイの大冒険

f:id:gingablack:20220203164143p:plain

ダイ大のWant・Must・Can


(チームの特徴)
勇者として戦うことは最初から宿命づけられたものであり、ダイが竜の血を受け継ぐ者だからであって、そこに彼自身の意思が介在する余地はどこにもない。
一方で私的動機のようなもので戦っていたのがポップであったが、そのポップも最初はかなり情けないやつとして始まったが、次第に壮絶な覚悟を身にまとうようになる。
しかし、戦えば戦うほど大は自分が持つ力に溺れてしまうことを恐れ、また圧倒的な力を持って相手をねじ伏せることが必ずしも正しい戦い方ではないことに気付かされた。
そしてその結論は終盤で「こんなものが正義であってたまるか!」という涙ながらの叫びに集約されており、これこそが戦いの宿命に翻弄された勇者の答えだったのである。
最後の戦い、ダイは1人でバーンと決着をつけたようだが、そこに辿り着かせたのは仲間達の力、もっといえば人類の力があってこそであり、それがドラゴンボールとの大きな違いだった。
しかし、そんなダイは孫悟空と違って最後に我が身を犠牲にせざるを得ず、思えばジャンプ漫画で自己犠牲を行った主人公は彼が最後だったと言えるのかもしれない。
昭和ヒーローのような精神を持ちながら、その精神が陥ってしまう力のみを求め続けることの危険性を浮き彫りにし、真の戦う理由を浮き彫りにしたのが本作の特徴だろう。


(5)ONE PIECE

f:id:gingablack:20220203164213p:plain

ワンピのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ポスト黄金期のジャンプ漫画として描かれた本作は船長、戦闘員、料理人、航海士と役職別に秀でた才能を持つ個人事業主の集まりであり、決して「組織」と呼べるものではない。
それもそのはず、彼らはあくまでも「海賊王」「世界一の大剣豪」「オールブルー」など個々に叶えたい目標があるから集まったのであり、つまりは理念や目的が重なっただけだ。
組織として明確な規律があるわけでないというのが本作の対極に置かれる海軍との大きな違いであり、努力もするものの血筋や才能が大きく影響してくる世界である。
だがそれもあくまで序盤の話であり、グランドラインに入って戦いの苛烈さが増すにしたがって少しずつ「仲間」としての結束力も当たり前のように強くなって行く。
その大きなターニングポイントは2つあり、1つがウォーターセブンでのウソップ脱退時、そしてもう1つがルフィの精神的支柱であった兄・エースが死亡した時である。
この時初めてルフィたちは自分が何のために麦わらの一味として戦うのかを自問自答し、何度も心が折れかけるルフィの手綱をゾロたちがしっかりと握っていた。
そして2年後の新世界では一際強くなった彼らは個々の力も仲間としての力も強くなり、より目標へと近づける存在になっていったのではないだろうか。
そんな彼らは世界を大きく揺るがす存在になりながらも最強ではないのは四皇や七武海など彼らの上に相当する人間がいるからである。


(6)NARUTO

f:id:gingablack:20220203164237p:plain

NARUTOのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ONE PIECE」とは対照的に、組織の規律や家系のしがらみなどが個人を縛り付けるのが本作の特徴であり、そのことは立ち上がりのカカシ先生によって示される。
「忍びの世界でルールや掟を守れないやつはクズ呼ばわりされる。 けどな仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ」が本作の公的動機の根幹にあると言えるだろう。
ナルトが口にする「火影を超え、自分の存在を里に認めさせる」という目標も一見私的動機のようでいて、それ自体が己の抱えている九尾の力とそこから生じた差別・迫害に基づく公的動機だ。
本作で完全な私的動機で動いていたのは一家を皆殺しにした兄・イタチへの復讐を心に誓ったサスケであり、サスケは物語中盤でついに里抜けという忍びの掟を破ってしまう。
仲間がしょっちゅう抜けてもそんなに驚きではなかった「ONE PIECE」とは対照的に、本作において規律に背いた自主的行動は忍者としてあってはならないことなのである。
だからこそサスケの里抜けがあれだけ深刻な問題へと発展したわけだし、また四度目となる忍界大戦でサスケが戻ってきた時に他の班の者たちが難色を示したのだ。
そんなナルトとサスケが利害の一致によって共闘しながらも、「火影」であることへのスタンスの違いなどから壮絶な死闘へ発展するのは極めて珍しい事例だろうか。
しかし、それですらも実は彼らが銅像となっている先祖の転生者であることが判明した時点で、最後まで先祖が残した木の葉の業から逃れられない宿命だったのである。


(7)鬼滅の刃

f:id:gingablack:20220203164304p:plain

鬼滅のWant・Must・Can


(チームの特徴)
近年稀に見る大ヒット作となった本作だが、一見ジャンプ漫画の王道のようでいて、その実かなり異端な作品であると言えるのではないだろうか。
それは主人公の炭治郎や善逸を見ればわかるように、彼らの根底にあるのはあくまでも私的動機であり、決して公的動機や理念なんて崇高なものではない。
炭治郎が戦う理由は鬼にされてしまった妹を元に戻したいからだったし、善逸が戦ったのもコンプレックスから来る承認欲求であり、決して世のため人のためではないのだ。
またそれは彼らが所属する鬼殺隊にも言えることであり、鬼殺隊自体は政府非公認の私設組織であり、世間一般には認められていない非合法な武装集団である。
だから、そこに入隊した時点で彼らは決して人並みの価値観や幸せを望んでいないことが明らかだったし、鬼も社会の法律で裁ける存在などではない。
その行き着く先がどうなったかというと、無惨との戦いの中で「無惨、お前は存在してはいけない生き物だ」という憎しみに狩られて右目と左腕を失ってからの鬼化である。
つまり鬼殺隊に務めるものたちですらも一歩間違えると簡単に鬼になってしまうリスクが秘められており、だからこそ私的動機が本作においては大きな鍵を握る。
結果的に無惨を倒してめでたしめでたしではあるものの、そのために失うものも多かった本作は近年でも珍しく死による犠牲の多かった作品であった。