明日の伝説

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戦隊シリーズにおける「バカレッド」の個人的見解

さて、かねてよりいつか記事にしようと思っていたことですが、今回のトピックはスーパー戦隊シリーズにおける「バカレッド」について書きます。
このブログやTwitterをご覧の方は薄々気付いていると思いますが、私は「バカレッド」と呼ばれる00年代戦隊(「ガオレンジャー」〜「ゴーオンジャー」)のレッドが基本嫌いです。
ただ、それは肌感覚として「バカが伝染(うつ)る」から嫌いだったという意味合いが強く、改めて論理的に嫌いな理由を言語化したことは今までありませんでした。
そのため、今回は改めて「バカレッド」について私なりに定義しつつ、嫌いである理由を言語化して行こうという記事なので、バカレッドが好きな方は閲覧注意です。

 


(1)そもそも「バカレッド」の起源は何か?


まず大事なのはそもそも「バカレッド」といつの間にかファンが口にしているこの言葉がどこから来たものなのか?ということであり、意外とこの辺りを考えてもわかりにくいものです。
そこで私が調べてみたところ、「バカレッド」という言葉が最初に出てきたのは戦隊ファンの口からではなく、どうやら漫画『魔法先生ネギま!』の主役・神楽坂明日菜のことを指しているとのこと。
この漫画では麻帆良学園中等部2年A組の勉強ができない5人の底抜けに明るい5人のことを「バカレンジャー」と名付けられ、そのレッド担当が明日菜だったため、明日菜がバカレッドと呼ばれていたのです。
要するに「勉強ができない劣等生」という蔑称として付けられた不名誉な名前であり、決していい意味で付けられたものではないことは事実でしょう。


このバカレンジャー及びバカレッドという蔑称から転じて「頭が悪い」「底抜けに明るい熱血野郎」といった何となくの意味合いでファンが俗称として使うようになったのが今日ある「バカレッド」だと思われます。
そしてそのように名付けられるようになった理由は00年代の戦隊シリーズでそういう要素を持ったレッドが増え、明らかに「タイムレンジャー」までの戦隊レッドとは違う種類のレッドになったからです。
この辺りは戦隊レッドの系譜をまとめて見てもらうとわかるかと思いますが、昔の戦隊レッドは基本的に完璧超人型かそれに準ずる優等生気質のレッドが多く、バカレッドと呼ばれるようなレッドはあまりいませんでした。
そもそも90年代の「タイムレンジャー」辺りまではそのような「バカレッド」と名付けられるタイプの戦隊レッド自体があまりいなかったため、「バカレッド」という造語も概念もなかったのです。


「起源」と書きましたが、実際のところは徐々にそういう造形のレッドが主流になり、気がつけばファンが「バカレッド」と口にするようになっていたということかもしれません。
それに「バカレッド」と一言で言ってもその中身は作品ごとに異なるので、本当はシリーズ全体を通して見て初めて気づくことなので、それを次の項目で細かく見ていきます。
おそらく源流というか最初に言葉として出たのがそ「ネギま!」で、そこからもじってつけられた言葉だったのではないでしょうか。


(2)「バカレッド」の条件とは何か?


まず「バカレッド」の条件・定義について考えてみますが、一体どのような特徴が挙げられるのかを具体的に列挙してみましょう。

 

  • 直情径行(考えるよりも先に体が動く)
  • 知性が低い(成績不良、作戦立案や指揮能力が低い)
  • 想像力の欠如(他者への遠慮がなく無神経に踏み込んでくる)
  • 精神的に未熟(年齢よりも低く、幼い子供のような言行が目立つ)
  • 葛藤・苦悩をしない(そもそも考える能力がないから悩まない)


大体この辺りですが、細かく見ていくと、まず「直情径行」「知性が低い」に関してはバカレッドであることの「必要条件」ではあっても「十分条件」ではありません。
詳細は後述しますが、歴代では直情径行であってもバカではないタイプのレッドもいますし、知性が低くても相手への思いやりや遠慮があるレッドもいます。
問題は「想像力の欠如」「精神的に未熟」「葛藤・苦悩をしない」であり、悪い言い方をしてしまえばそもそも社会不適合者としか思えない要素が強いです。
そしてこの3つの特徴に当てはまる最たる例は『激走戦隊カーレンジャー』(1996)の敵組織・宇宙暴走族ボーゾックであり、彼らはバカレッドに通底するバカさがあります。


ボーゾックの連中は相手に対する想像力がまるで欠如しており、知性があるはずのグラッチですら人の命を奪ったり星を花火にしたりすることに何の迷いも躊躇いもありません。
そこがカーレンジャーの5人との決定的な違いとなっているのですが、この特徴をそのままヒーローっぽさとして正当化したのが「バカレッド」の特徴だと言えます。
最たる例はデカレッド/赤座番伴(『特捜戦隊デカレンジャー』)であり、彼は正に「想像力の欠如」「精神的に未熟」「葛藤・苦悩をしない」の3つを全て満たしているのです。
そのため品行だけならまだしも品性までもが下劣であり、私が歴代レッドの中で彼が一番嫌いなのもそういう理由によります。


まず「想像力の欠如」ですが、彼はアリエナイザーに対しても仲間に対してもまるで想像力がなく、平気で相手のパーソナルスペースにずかずかと踏み込んでしまうのです。
だから本来なら倒してはならない犯罪者の命を第1話でデリートしてしまうというとんでもないことをしてしまっており、そのことをメンバーからも責められています。
次に「精神的に未熟」ですが、これは特にボスやテツを相手にしたところで出たものであり、知性派の人たちをすると途端に幼さが目立ってしまうのです。
そして「葛藤・苦悩をしない」ですが、とにかく彼は劇中一回も自分が警察官としてどうなのかということに対して葛藤・苦悩する様がなく、自分は完全に正しいと思い込んでいます。


ここから導き出されるバンの姿はそのままボーゾックの連中を更に過激化したものといえ、彼が「バカレッド」のイメージそのものを良くも悪くも完成させたといえるでしょう。
そしてそれは後述するバカレッドたちにも継承されることになっていき、00年代戦隊といえば「バカレッド」というありがたくも何ともない不名誉なトレンドができてしまったのです。


(3)「バカレッド」はどのようにして形成されていったのか?


上記したように、「バカレッド」とは主に00年代の戦隊レッドに見受けられた熱血タイプの戦隊レッドを指すのですが、具体的なリストは以下の通りです。

 


大体この辺りでしょうか。
他にもボウケンレッド/明石暁(『轟轟戦隊ボウケンジャー』)・トッキュウ1号/ライト(『烈車戦隊トッキュウジャー』)・シシレッド/ラッキー(『宇宙戦隊キュウレンジャー』)があります。
ただ、チーフの場合は「冒険以外に何もできない」という「専門バカ」なのでちょっと違いますし、ライトやラッキーは知性こそ低いけど「バカ」かと言われると違うでしょう。
ライトは他者への想像力はあまりなさそうですが勝利の想像力と大人の覚悟を持っていましたし、ラッキーもあまり考えてなさそうですが、他者に対して無神経にズカズカ踏み込むタイプではありません。
戦隊シリーズで最後のバカレッドはおそらく伊賀崎天晴ことタカ兄だと思われますが、意外にも歴代で「バカレッド」に分類されるレッドは少ないのです。


ではこの「バカレッド」はいきなりできたのかと言うとそうではなく、「タイムレンジャー」まででも試行錯誤はなされており、それに近いと思しきレッドは以下の通りでしょうか。

 


いわゆる「直情径行」と呼ばれるタイプのレッドですが、原点はレッドマスク/タケル(『光戦隊マスクマン』)であり、それまでの完璧超人型と比べてかなり直情径行な側面が目立ちます。
またリストからは除外していますが、レッドホーク/天堂竜(『鳥人戦隊ジェットマン』)もこの系譜といえ、リエ絡みだと一気にエリートの皮がボロボロ剥がれてしまう辺りが見事です。
本格的に直情径行な面が目立ったレッドとなるとやはりリュウレンジャー/天火星・亮(『五星戦隊ダイレンジャー』)以降であり、戦闘力特化で知性や想像力その他が残念という造形になっています。
そしてその著しいヒーロー性の低さはそのままレッドレーサー/陣内恭介(『激走戦隊カーレンジャー』)、メガレッド/伊達健太(『電磁戦隊メガレンジャー』)に継承されました。


ただ、いわゆるその時代の直情径行なレッドは00年代以降目立ち始める「バカレッド」とは少し異なっており、葛藤・苦悩をきちんと抱えたり他者への想像力や社会的常識はそれなりにあったりします。
特にメガレッド/伊達健太は19話で仲のいいタケシ少年に入院させてしまうほどの怪我を負わせてしまい、一度メガレンジャーを辞めるかどうか葛藤・苦悩することがあるのです。
このような姿はのちのバカレッドには見られないものであり、また健太は自分が悪いと感じたら素直に自らの非を認めて謝罪することができる一般的常識というか良心があります。
だから愛嬌の持てる「おバカ」として見ていられるわけであり、このあたりの折り目正しさが備わっていたのが90年代までの戦隊レッドだったのではないでしょうか。


あとは候補としてゴーレッド/巽マトイ(『救急戦隊ゴーゴーファイブ』)、ガオレッド/獅子走(『百獣戦隊ガオレンジャー』)もありますが、これもやはりバカレッドではありません。
熱血属性が割と強いこの2人ですが、戦いとなると意外にも冷静沈着な部分や的確な判断力を備えており、直情径行ではあっても決して底なしのバカではないのです。
おそらくは「ガオレンジャー」でメンバー全員を一様に直情径行の熱血キャラにし、それが「ハリケンジャー」「アバレンジャー」までで続きました。
そしてその叫ぶ熱血キャラの要素とバカを一体化させて「バカレッド」として完成させたのがデカレッド/赤座番伴(『特捜戦隊デカレンジャー』)ではないでしょうか。


(4)なぜ「バカレッド」が00年代戦隊の主流となったのか?


最後に、これまで述べてきたことを総合した上で、なぜ「バカレッド」が00年代戦隊の主流となったのか?を説明しますが、理由としては2つ考えられます。
1つは同時期に始まった平成仮面ライダーシリーズとの差別化、そしてもう1つが商業的な方向にシリーズ自体が振り切ったために玩具販促を優先したためでしょう。
色々細かい事情はあるでしょうが、大まかに分けるとこの2つに集約させるのではないでしょうか。


まず平成仮面ライダーシリーズとの差別化ですが、これは特に「ガオレンジャー」〜「アバレンジャー」までを経て、「デカレンジャー」から特に意識したでしょう。
平成仮面ライダーシリーズ、特に「クウガ」〜「555」までは「正義とは何か?」「ヒーローとは何か?」という90年代戦隊が持っていたドラマ性・テーマ性を継承していました。
スタッフ的にも90年代戦隊に貢献した井上敏樹先生、小林靖子女史、荒川稔久さん、田崎竜太監督、長石多可男監督といった力のある面子が初期の平成ライダーに移行したのです。
そのため平成ライダーでは葛藤・苦悩を抱える主人公にするため、戦隊シリーズでは逆に被らないよう差別化を図る意図があったのかもしれません。


そして2つ目に「ガオレンジャー」以降のスーパー戦隊シリーズは商業的ヒットを狙うことに走り、玩具販促が中心となってきました。
毎回毎回何かしらの形でパワーアップ合戦を繰り返さなくてはならない以上、物語にそこまで大きな尺を割くことは難しくなります。
そうなると、シリーズとして取れる対策は2つあり、1つがドラマの尺を減らすこと、そしてもう1つが逆にドラマの情報量を圧倒的に増やすことです。
で、「ガオレンジャー」あたりの時期は後者をうまくやりこなせなかったから前者を選ぶのですが、そうなると複雑なドラマやキャラ造形はしにくくなります。


そうなると主人公たちが葛藤・苦悩する場面を減らして熱血要素を増やして感覚を麻痺させるしかなく、そこで生まれたのが「バカレッド」なのです。
しかし、それは「勇気ある前向きな選択」というよりは「後ろ向きの消極的な選択」であり、私に言わせればそれは「思考停止」でしかありません。
バカレッドとは「思考停止」と見つけたり、これが私の「バカレッド」に対する個人的見解であり、同時に途方もなくバカレッドが嫌いな理由であります。
長年言語化できずに苦しんでいましたが、こうして分析してみてようやく気づくことができスッキリしました。

 

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