明日の伝説

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金スマの中居正広と松本潤の対談に見るスーパー戦隊シリーズの問題点

先月、そして今月の金スマに出ていた中居正広松本潤の対談を見て、色々な思いがこみ上げて来た。
私は決してジャニヲタでもなければ両グループのファンというわけでもない、ごく普通の視聴者である。
しかし、そんな私ですらSMAPと嵐はやはり別格の存在として自分の中にいたのだなあとこの対談を見て感じた。
なんというか、いつもの金スマとは違い、ずっと第一線を走り続けて来た国民的アイドルの2人には凄まじいオーラがある。


解散した今でもずっとSMAPを背負い続けているであろう中居、そして活動休止した今でもグループのメンバーと交流を持っている松本。
グループの「顔」と言える2人が一対一で対談するとき、そこにはもう目には見えない凄まじいトップのオーラがバチバチ走っている感じがした。
もうね、何というか違うんだよ背負っているものが…2人の背後に歩んで来た道が、そしてともに歩んできた仲間たちの姿が見える。
そんなトップ同士の臨戦態勢バチバチの対談は近年のバラエティ番組の中でもトップクラスのクオリティだったと思う。


そして、2人の対談を見ていく中でスーパー戦隊シリーズが孕んでいる問題点が何かが見えてしまったのだ。
今回はこの点に関してしっかり論じていきたい次第で、ちょっと普通のSMAPファン、嵐ファンとは違う趣旨の記事になると思う。
そのことをご了承頂き、今回の記事をご覧ください。

 


(1)平成の30年間を「切り開いた」SMAPと「完成させた」嵐


改めて平成の30年を振り返ってみると、私にとってメインカルチャーの象徴は間違いなくSMAPと嵐であった。
既成のアイドル像を破壊し新たなアイドルの形を作り上げたSMAPと、そんなSMAPの革命を受けて平成アイドルのニュースタンダードを完成させた嵐
戦隊シリーズに例えるならさすずめSMAP鳥人戦隊ジェットマン、嵐が星獣戦隊ギンガマンと言ったところか。
どちらも日本を代表する国民的スターではあったが、そのグループのカラーや表現してきた世界観は全く異なるものである。


私が原体験で見てきたSMAPはヤンキー中居とチーマー木村の2TOPを中心にした不良文化バリバリのたたき上げのチームで、瞬間最大風速で150点〜200点を叩き出す。
96年までは森且行というメンバーもいたのだが、昭和アイドルの残滓が多分にありながらも、いわゆる「オレ流」のスタイルがそこに入っていた。
等身大の若者っぽさを全面に押し出した楽曲の数々、バラエティやお芝居、報道系など様々なジャンルへの挑戦と開拓を行ってきたグループだと思う。
そして何より大きかったのが96年の東京ドームでのライブ…それまでこんな大きな会場でコンサートをやったアーティストはいなかったのではないだろうか。


そんなSMAPが開拓した新境地、そしてTOKIO、V6、Kinki Kidsら平成ジャニーズの個性をハイブリッドに吸収しつつ新時代のニュースタンダードとして台頭したのが嵐だ。
嵐は瞬間最大風速では先輩方に負けるが、それでも1人1人が歌・ダンス・バラエティ・お芝居等々全てにおいて平均80〜90点台をコンスタントに叩き出す安定感がある。
SMAPと同じようにドームツアーまで7年かかり、5人の個性が確立されるとグループも一気に国民的スターへ上り詰め、10周年の2009年で初の紅白出場を果たした。
SMAP以降のアイドルが切り開いてきた平成ジャニーズの新機軸を受け継ぎつつ、とても爽やかで嫌味のない正統派アイドルとして完成させたのが嵐である。


平成の30年には様々なアイドル、アーティスト、役者が台頭してきたが、一時代を担うメインカルチャーの象徴にまでなり得たのはこの2グループだけだ。
女性アイドルならモー娘。やAKBなどもいたし、アーティストならB’z福山雅治などもいた、そして役者ならば小栗旬佐藤健松坂桃李などもこれに該当するだろう。
しかし、トップ of トップとしてその存在自体が国民に影響を与え、時代を牽引してきたと言える存在かと言われたらそれはやはり違うだろうなと。
新たな土台を築き上げ完成させたという意味でSMAPと嵐の2TOPを超えるグループは平成において現れてないし、おそらく令和以降でも現れないだろう。


(2)リーダー・大野智の葛藤に見る「才能がある者」の苦悩


さて、SMAPと嵐を立てるのはこの辺りにしておいて、いつものこのブログらしくここからスーパー戦隊シリーズへとつなげてみることにする。
私の中で衝撃だったのが中居が松本に「解散の可能性は?」としたと時の受け答えであり、このようなことが言われていた。


「最初大野が『抜ける、抜けたい』、『自分は脱退して仕事自体を辞めたい』という話を言って。それだったらグループを4人で続けるというのは僕らは感覚的にないというグループなので、だったら終わりかなと思っていて」


松本はさりげなく語っているけれど、大野智ファンのみならず嵐ファンの人たちは多かれ少なかれこの言葉に動揺したのではないだろうか。
嵐のリーダー・大野智は「やる気のないリーダー」「リーダーらしくない」と言われていたが、それは決して冗談ではなかったことがわかった。
嵐のみならず芸能界にいること自体を辞めたかったというのは私でさえ衝撃を受けたのだから、ファンの人たちはもっとそう思ったであろう。
こんなことを言っては何だが、大野智はおそらく「自分のやりたいこと」=Wantと「自分がなすべきこと」=Mustが一致しない人間なのかなと。


私はよくスーパー戦隊シリーズで公的動機と私的動機の話をするのだが、大野智はおそらく公的動機も私的動機も0だったのではないだろうか。
10周年間際でも嵐を抜けたいと考えていて、そしてやっぱりそれ以上活動を続けても気持ちを前向きに持ち続けることが難しかった。
彼を突き動かしていたのはメンバーの支えとファンが求めるからであって、強いて言えば公的動機10で動いていた人間と言える。
本人は絵や釣りなど趣味に没頭したいのに、才能があるからという理由でダンス・歌・バラエティなどで多才に活動せざるを得ない。


しかもそのいずれをとっても他の追随を許さないクオリティのものを作り上げる大野智「才能」に振り回され、「才能」故に苦悩してきた男だった。
他の人たちからすればそれは贅沢な悩みに映るかもしれないが、でも大きな才能を持つ者にしかわからない孤独・苦悩・葛藤といったものはある。
私も文章を書きながら常にずっと孤独の中で向き合っていたし、文章を書く時は常に「産みの苦しみ」というものを感じながら書いてきた。
だから、大野智がいったん何もかもを辞めにしたかったのはわかるし、私も実際に8年近くも連載していたサイトを辞めたことはあるから、その苦悩は全部ではないが少し理解できる。


そしてその大野智が抱える苦悩・葛藤・孤独からグループ解散に発想が行くところが実に嵐らしいなと思うし、またそれでよく活動休止まで行ったなと思うのだ。
SMAP解散しかり嵐の活動休止しかり、下手なスーパー戦隊シリーズよりもSMAPと嵐を見ている方が「戦隊とは何か?」「チームとは何か?」が学べるのではないか。
少なくとも既成のレールに乗っかって楽してばかりのここ数年の戦隊シリーズを見るよりもこちらの方が非常に興味深いし色々な考察ができる。
そしてこの2グループを見続けているうちに、私の中でスーパー戦隊シリーズが長年抱えてきた問題点が明らかになった気がしたのだ。


(3)スーパー戦隊シリーズが抱えている問題点


さて、ここからスーパー戦隊シリーズの話題に本格的に移行するが、大野智が辞めると言い出したところから活動休止に至るまでの話はまさにスーパー戦隊の本質を突いたお話である。
どういうことかというと、シリーズには何作か「俺はもう辞める」と言い出す戦士が出るが、中でも「ジェットマン」の香や凱は途中でのドロップアウトを実際にやった人間だ。
もっとも、本当に抜けてしまっては話が成立しないので何だかんだ使命を思い出して立ち直り、また竜たちと一緒に戦うようになるが、ここで凱たちが戻らなかったらどうするつもりなのだろうか?
強制的に連れ戻して戦わせるか、それかもう辞めさせるか…辞めさせた例なら「バトルフィーバー」の初代アメリカや「サンバルカン」のバルイーグルの例があるが、あれはただの人事異動だ。


そうではなく、戦いは自発的に行うものとされているチームで、主戦力であるレッドや二番手の戦士がもう戦いたくないとして戻って来ず、負けてしまったらどうするのか?
戦隊シリーズではSMAPの解散、嵐の活動休止のような選択はできない、「トッキュウジャー」でもライトたちを戦いの使命から下ろしてトッキュウジャー2を作ろうと思えばできた。
それでもライトたちはその話を蹴って自分たちで戦うことを選んだから良かったものの、もしトッキュウジャー2にした方が良かったとする場合どうなんだろうか?
ギンガマン」でも炎の兄弟ではリョウマがギンガレッドを続けるのかという葛藤があったし、「タイムレンジャー」の竜也もそういう葛藤を経験したことがある。


ちなみにそうした個人の自由意志での脱退を許さずに無理やり連れ戻したり、口封じのために処刑したりした学生運動では最終的に連合赤軍の総括という内ゲバに進んで滅びた。
スーパー戦隊シリーズの場合、内ゲバで滅ぶのは敵組織だが、正義の味方側であるヒーローが内ゲバによって滅ぶ可能性が無きにしも非ずである。
そういえば、嵐が活動休止を発表した時に、櫻井翔が次のようなコメントをしていた。


「一番最初はものすごく驚きましたけど、誰か一人の思いで嵐の将来のことを決めるのは難しいだろうな、という想いがあるのと同時に、他の何人かの思いで一人の人生を縛ることもできないと思いました」


さらっと言葉にしていたが、この櫻井翔のコメントこそスーパー戦隊シリーズが抱える「組織の規律」と「個人の自由意志」の問題点を浮き彫りにしている気がした。
「誰か一人の思いで嵐の将来のことを決める」とはまさに個人の自由意志が組織の規律を上回ることを意味し、「他の何人かの思いで一人の人生を縛る」ことはその逆で、組織の規律で個人の自由意志を縛ることを意味する。
このコメントを見ればわかるように、組織の規律を維持することと個人の自由意志を尊重することは決して両立し得ない要素であり、二律背反のものを抱えながら戦隊シリーズは45作も作ってきたことになる。
そしてまた、中居正広は嵐が出した活動休止という答えや昨年11月に4人で出たことに対してこのようなコメントを寄せていた。


「誰も歩いたことないし、教科書を自分たちで作っていくしかないから。賛否あったとしてもそのマウンドに上がった人間じゃないとわからない」


これは正に平成アイドルの新境地を次々と開拓したSMAPのリーダーだから言えるセリフだし、本当に一流のものにしかわからない苦悩があると思う。
そしてそれはスーパー戦隊シリーズにも言えることであり、少なくとも「タイムレンジャー」位までは教科書を自分たちで作っていくしかない時代だった。
色々賛否あったとしても孤独なマウンドで、シリーズがこれから先続いていくという保証もない状態で必死に臨戦態勢でテーマと格闘していたのである。
今は教科書となるものはたくさんある癖に、それをキチンと有効活用できていない下手な受験生の受験勉強を見ているようで、残念な思いが沢山だ。


スーパー戦隊シリーズをこよなく愛する人こそ、是非この金スマ中居正広松本潤の対談を見て欲しいし、そこから戦隊シリーズの問題点について考えて見て欲しい。
少なくとも、近年の駄作を連発しているシリーズ作品を見るより、SMAPと嵐を見ている方がよほどチームヒーローとは何かの勉強になるから。