明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズのチームカラー〜00年代戦隊編〜

スーパー戦隊シリーズのチームカラー分類、基礎的なルールを説明しますが、考えのベースにあるのはこちらです。

 

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以前紹介したえの氏という方がお作りになった「戦隊史学基礎」の「公的動機」と「私的動機」を大元の軸として用いています。
その上で更にプラスαで「力と技」を用いますが、これは要するにビジネスの自己分析で使われる「Want」「Must」「Can」のベン図です。

 

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Want・Can・Mustのベン図


「Want」は「自分がしたいこと」、「Must」は「社会から求められること」、そして「Can」は「自分ができること」を意味します。
この3つの円が綺麗に重なれば重なるほどいいビジネスパーソンであることの証明になりますが、これをスーパー戦隊シリーズのチームカラーに応用するのです。

 

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スーパー戦隊のWant・Must・Can


スーパー戦隊シリーズにおける「Want」は「私的動機」、「Must」は「公的動機」、そして「Can」は「力と技」になります。
評価基準はWantとMustを合計10とし、その割合の大小によって「組織の規律」が重んじられるのか「個人の意思」が重んじられるのかが決まるという形です。
そしてもう1つの要素であるCanを5点満点のうち0.5〜5で評価し、数字が低いほどアマチュア、そして数字が高いほどプロフェッショナルの戦隊となります。
この形式によって分類していき、歴代戦隊シリーズがどのような位置付けにあるのかをはっきりと数値で可視化、いわゆる「見える化」しようという試みです。


勿論完璧なものではなく、あくまでも「試み」かつ、数字は完全に私見なので、「ここはこうではないか?」「こうするともっと正確さが増す」という意見もあるでしょう。
そこはみなさんでお考えの上、更に論を深めるなりなんなりして頂ければなと…あくまでも「戦隊史学基礎」の更なる発展版として出してみようというものです。
今回は第三弾ということで00年代戦隊、すなわち「ガオレンジャー」〜「ゴセイジャー」までです。第一弾と第二弾はこちら。

 

gingablack.hatenablog.com

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それでは参ります。

 


<分布図の傾向>

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00年代戦隊の分布図


タイムレンジャー」までを経て、スーパー戦隊シリーズもいよいよ「偉大なるマンネリ」という領域に入り始めるが、その原点は間違いなく「ガオレンジャー」にある。
玩具売上を回復させるために徹底的に商業主義に阿るようになったスーパー戦隊シリーズは「タイムレンジャー」までで持っていたシリアスなドラマやストーリー性をお隣の平成仮面ライダーに譲った。
ヒーロー像の変化もそんなに大きいものではなく、少なくとも「ジェットマン」「タイムレンジャー」のようなシリーズ全体に再考を迫るほど迫力のあるドラマはゼロではないが少なくなる。
それはこの時代から始まる大量の玩具販促とそれに伴うパワーアップ合戦が始まったことと無関係ではなく、ここからスーパー戦隊シリーズは玩具販促に物語が圧迫されるようになった。


そういう事情のためか、プロフェッショナルよりもアマチュアの戦隊が多くなっていったし、戦いの動機としっかり向き合って描く戦隊も減少傾向にある。
いわゆる直情径行型の熱血レッド、俗称「バカレッド」と呼ばれるレッドが主流だったこともまたこの流れに拍車をかけるものだったと言ってもいい。
だが、そんな中で「ボウケンジャー」「シンケンジャー」のような尖った異色作が出たことはシリーズにとってある種の救いだったのではないだろうか。
新しいテーマに挑むことも許されず、かと言って既存のテーマと真正面から向き合うでもない、なんともとりとめのないチームカラーのヒーローが続いた10年である。


(25)百獣戦隊ガオレンジャー

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ガオレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
この戦いはあくまでもパワーアニマルとオルグの戦いであり、走たち人間はあくまでそれに参加を許してもらっているだけで、彼らがその戦いを自主的に挑もうが百獣たちにとってはどうでもいいことだ。
走が獣医、岳が自衛隊パイロットといったガオレンジャーになる前の過去は一切関係なく、あくまでも百獣召喚のための駒に過ぎないのだから、実質「ジャッカー」「サンバルカン」「オーレンジャー」と大差はない。
大きな違いはそれがアマチュア型のファンタジー戦隊になっただけであり、走たちはこの戦いがどういうものなのかを認識することはなかったし、実際そんなものがなくても勝ててしまう。
その証拠としてQuest31が挙げられ、あレッドとシルバー以外の4人は無策でウラ究極体に突っ込んで殺されたが、それでもガオゴッドは4人を見殺しにした…理由はガオファルコンを4人に復活させるためだ。
走たちガオレンジャーは自分たちの意思で世界の運命を変えられるだけのCanがなく、最終的に百獣たちさえいれば戦うことができることまでQuest40で証明されてしまった。
そんなWant0の自主性なき戦いの結末は最終回の百獣たちによる「THE 数の暴力」であり、大自然の前に人間の力などちっぽけであると証明してしまったのが本作の身も蓋もないチームカラーである。


(26)忍風戦隊ハリケンジャー

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ハリケンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
鷹介たちハリケンジャーは忍者学校の落ちこぼれとして生き残ったという設定だったが、ぶっちゃけそんなハードな設定が物語全体に影響したかというとそういうわけでもない。
普段はそれぞれに福祉介護のバイトやアイドル活動じみたことをしており、何ならハリケンジャーとしての活動よりも副業としてやっていることの方を優先している節があった。
物語序盤で彼らより圧倒的に強いはずのゴウライジャーに大敗を喫してもさほど悔しがる様子もなかったし、シュリケンジャーと一緒に戦うようになっても大きなチームカラーの変化があったわけじゃない。
終盤に入ると、鷹介たちは御前様の登場やジャカンジャの激化によって多少緊張感が走るが、それでも御前様を必死に守ったシュリケンジャーの死を見るまで自分たちが伝説の後継者という認識はなかった。
最終回でようやく彼らは自分たちが伝説の後継者だと口にするが、それでも最後まで精神的にも肉体的にもゴウライジャーとシュリケンジャーを超えられなかったのは事実である。
無事に忍者学校を卒業したはいいものの、それは伝説の戦士としての集大成ではなくあくまでも学校行事を順当にこなし卒業試験をただこなしただけに過ぎないのだ。


(27)爆竜戦隊アバレンジャー

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アバレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
アナザーアースからやってきた爆竜たちが選んだダイノガッツの持ち主という設定は「ガオレンジャー」のガオソウルと似ているが、大きく違うのはあくまで凌駕たちのWantで戦う決意をしたことである。
第2話で幸人は億単位の巨額という報酬を前提に断ろうとしたし、凌駕もらんるも個人的決意で戦おうと思ったに過ぎず、戦隊名に至っては一般人のえみポンが命名したものだった。
唯一の正規戦士にして司令官も兼任しているアバレブラックことアスカも圧倒的な力を持ちながら、組織の規律を振りかざしてまとめることもできず、結果として個人の力に依存として戦うことになる。
そしてその流れは終盤まで敵側であるエヴォリアンに回ったアバレキラーとそれに対抗するために登場したアバレマックスで決定的なものとなった。
終盤で仲代先生が味方として戦って自決したのは責任を取ったわけでも何でもなく単なる自己満足に過ぎないし、また凌駕たちもそんな彼の決意を止めることはできない。
表向き綺麗なチームとしてまとまっているように見える彼らだが、その実態は個人事業主の集まりでしかなく、爆竜が相棒というのも物語上でまともに機能していなかった。


(28)特捜戦隊デカレンジャー

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デカレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
宇宙警察という設定にしてはジャッジメントというとんでもないシステムを用いて犯罪者を始末しており、とても警察が持ちえないレベルのCanを持っていることがうかがえる。
それもそのはず、彼らはあくまで死刑執行を宇宙最高裁の権威を借りて行っているに過ぎず、やっていることはあくまでも「犯罪捜査」ではなく「宇宙戦争」ではないだろうか。
当然ながらそれだけ規律も厳しく、例えばウメコみたいに風呂に入っていたら怒られるし、非番の日でもアリエナイザーが事件を起こしたら休みを返上して駆けつけなければならない。
そしてそんな彼らがどうにもならない時にはデカマスターことドギー・クルーガーデカブレイクことテツが頼りだったが、そんな彼らもバンの品のないバカっぷりに染まってしまう。
結果として出来上がったのは「朱に交われば赤くなる」という諺が似合う、真のプロフェッショナルとは程遠いチームであり、それが作品全体にもブレを生んでしまった。
彼らが真の宇宙警察チームとしてまとまるのは最終回だけであり、このイメージと実態のギャップが良くも悪くも本作のチームカラーとなっている。


(29)魔法戦隊マジレンジャー

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マジレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
本作はあくまでも天空聖者マジトピアとインフェルシアとの戦いに小津一家が参加させてもらっているに過ぎないのだが、全くの無関係というわけでもない。
母親の深雪は来たるべき時が来たら息子たちをマジレンジャーにするつもりだったし、父親に至っては既に敵側にいたのだから、戦いは避けられない運命だった。
かといって、そんな事情を知らない魁たちがいきなり戦えるわけもなく、前半だけを見ればMustよりもWantの方が強かったが、それには2つの理由がある。
1つはインフェルシアがそこまで強い敵ではなかったこと、そしてもう1つには未熟な彼らをしっかり成長させてくれる指導者がいなかったことだ。
中盤以降どんどん敵側の脅威が増し、ヒカル先生などの天空聖者が小津兄妹のメンターとしてやって来てから、戦いはMustの方が強くなってくる。
そしてヒカル先生もまた麗との恋や魁、翼との中で人情味を知っていきWantが強くなり、最終的には横並びの関係性になり、だからこそ最終回の家族全員での名乗りが集大成として映えるのだ。


(30)轟轟戦隊ボウケンジャー

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ボウケンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
お仕事戦隊としての日常を1年間描いているという構造は「デカレンジャー」のそれと一緒だが、大きな違いはボウケンジャーの5人が民間企業所属だということである。
サージェスという企業の胡散臭さやブラック体質は歴代屈指なのだが、そんな会社の方針に文句を述べつつも冒険を続けるのは彼ら自身の中にある「プレシャス」があったからに過ぎない。
だから任務のためなら文化遺跡の破壊も辞さないし、正義の味方を標榜しているわけでもないから、1人1人の行動の責任は自分で負うしかなく、誰かが尻拭いをすることもないのだ。
その象徴が冒険バカのチーフこと明石暁であり、真墨たち4人は何度も彼の独断専行に置いてけぼりを食らっているが、そんな彼を殴って止めることが無駄だと後半に入ると悟っている。
終盤で真墨が闇堕ちして離脱するのも、そして戻って来たのも彼の自己責任だし、「冒険したい奴はここに来い!」と言った時に残りの4人が集まったのも各自の決断だった。
だから最終回でチーフとさくらが宇宙へ行ったとしても、さくらが宇宙に行ったことに驚きこそすれ寂しがるものなどおらず、サージェスで好きな冒険を続けるのみである。


(31)獣拳戦隊ゲキレンジャー

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ゲキレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
マスクマン、ダイレンジャーと続く3度目の拳法戦隊であるが、「一対一」に重きを置いているようだが、全体を通してみるとMustの方が強いのが特徴的だ。
序盤だけを見ればWant7Must3位だが、ジャンが徐々に人間社会の常識を覚えていくにしたがって、組織全体のチームワーク重視で戦うようになる。
そしてそれが1つのターニングポイントを中盤で迎え、過激気習得の際にジャンは理央を前にして「俺はみんなを守る」ということを宣言した。
この「みんな」が誰を指すのか、すなわち誰が含まれていて誰が含まれていないのかはわからないが、とにかくこれ以降のジャンは徐々に協調性を身につけて行く。
逆に敵側の理央はジャンとの因縁に固執するようになり、またメレもそんな理央に報われない献身的な愛を差し向け、それが終盤の拳断という展開に繋がった。
最終的に理央たちの力を借りたお陰でジャンたちはロンを封印することができたのだが、決して自分たちの力で成し遂げたわけではなくCanの部分はダイレンジャーと同じくらい低めであろう。


(32)炎神戦隊ゴーオンジャー

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ゴーオンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
車モチーフ+ギャグベースの戦隊ということでカーレンジャーと一見似た雰囲気が醸成されているが、その実態はあくまで炎神と蛮機族ガイアークの争いに参加させてもらっているヒューマンたちに過ぎない。
要はアメリカと中国の戦争が日本で行われているようなものであり、一度炎神戦隊のメンバーになったからには敬意はどうあれ自主的な判断で動くことは許されず、組織の規律が優先されることになる。
実際に範人が抜けようとした時に走輔が厳しくとがめ、蓮が説得して踏みとどまらせたのだが、もしあそこで女の子との楽しい日々に現を抜かしたまま範人が戻ってこなかったらどうするつもりだったのだろうか?
そして、そんな彼らの組織としての弱点はリーダーにしてメンバーの精神的支柱となっている走輔を失うことにあり、中盤で一度走輔がヨゴシタインの罠でブロンズ化した時、他のメンバーは狼狽えてしまった。
べアールに至ってはこの時「人間と炎神が手を組むなんて無理だった」などととんでもないことを言い出し、炎神は炎神であくまで走輔たちを戦いの駒としてしか奥底では思っていないことがよくわかる。
そんな温度差がありながらなぜ最後までお気楽なおバカチームの雰囲気を引きずったまま戦えたのかというと、ガイアークが歴代でもそこまで強くないおバカな敵組織だったからだ。
最終回、彼らはまたもや私生活を捨てて炎神たちとの戦いに出かけていったが、私生活を捨ててでもそんな選択をあっさりしてしまうところが良くも悪くも正義バカの彼ららしい特徴であろうか。


(33)侍戦隊シンケンジャー

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シンケンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
シンケンジャーとしての戦いはあくまで家系の宿命として決められており、そこに個人の意思が介在する余地はなく、流ノ介たちもそれぞれの私生活を捨ててシンケンジャーとして戦うことになる。
第二幕で流ノ介たちは志葉家当主である丈瑠の非情な態度に反発して自分たちだけで戦おうとするが、それは家臣=殿の手足となって戦うことの本質から外れることを意味し、無駄な足掻きに終わった。
後半になると、丈瑠との約束という私的動機で動いていた幼馴染の源太が現れたことで一見自主性を尊ぶようになったとも見えるが、その源太ですら丈瑠が許可しなければ戦列に加わることはできない。
要するに本作のチームカラーは「ジャッカー」「サンバルカン」「オーレンジャー」と大して変わらず、レッドである丈瑠が司令官の役割を兼任しているだけの話だから、個人の意思など戦いには何の影響もないのだ。
よく話題にされる終盤の丈瑠が影武者だったという展開だが、この「司令官が実は…」という設定は「ダイナマン」を含め、過去いくつかの戦隊で見られたものの焼き直しであり大した驚きはない。
それよりも、志葉家当主だと本気で家臣たちが思い込んでいた丈瑠が実はただの傀儡でしかなかったことであり、敵側ではなく味方側が内輪揉めというのも前代未聞である。
最後のドウコクとの決戦、丈瑠たちはまるで自分たちの意思でこの戦いを選んで勝利したように見えるが、穿った見方をするなら薫姫がそうしろと言ったからそれに従っただけと言えなくもない。
主題歌にある「立ちはだかる黒い闇」とは果たして外道衆のことなのか、それとも丈瑠たちを組織の駒として雁字搦めにしてしまう志葉家のシステムなのか、その結論が最後まで出ることはなかった。


(34)天装戦隊ゴセイジャー

 

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ゴセイジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
種族だと思われていた護星天使が実は職業であったことが判明し、また彼らが研修で地球にやって来た見習いであるということが終盤で明らかになっている。
ということは、彼らは自分たちの意思で地球に降りてきて地球を守っているのではなく、上にいるお偉方から「お前らが地球を守れ」と言われたからそうしているということだろう。
「星を護るは天使の使命!」「悪しき魂に天罰を下す!」も実に見下したような物言いだが、天使など元々そんなものだし会社から社訓として仕込まれ教育されていると考えれば筋は通る。
だが彼らは所詮見習いでしかないために自分たちの戦いが正しいのかどうか、そしてどうすれば最適解を導き出せるのかといった判断力、バックボーンを持っているわけではない。
だからシステム化された奇跡に依存することになってしまうのだし、10サイのロボゴーグという本地球人が相手でも話し合いが通用しないと見るや否や何の葛藤もなく殺そうとした。
彼らがブラジラに勝てた理由もそれと同じで、望少年をはじめとする地球人との交流でも、そして心の強さでも何でもなく、ただ機械的に奇跡を起こしただけであり、アラタの叫びも所詮綺麗事の領域を抜け出ない。
ある意味で悍ましいほど歪な存在だが、前作のシンケンジャーといい、敢えて規律に縛られたヒーローの歪みを描くことで軍人戦隊が抱えていた闇を2作連続で明らかにしたのではないだろうか。