明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ15作目『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)47・48話感想

 

第47話「帝王トランザの栄光」


脚本:井上敏樹/演出:東條昭平


<あらすじ>
ジェットマン、貴様たちとのお遊び、なかなか楽しかった。」帝王トランザが戦いに終止符を打つべく、竜の目の前に現れる。雷太、アコ、香、凱を執拗に追いかけ、抵抗する間も与えず石板に変えていく。そのとき竜は人間化したラディゲに助けられる。そしてついにラディゲ、レッドホークとトランザとの対決の時が来た。


<感想>
ここから最終回まで怒涛の終盤戦ですが、その景気付けに帝王トランザの末路が描かれますが、改めて感じたのはこれ自体がそもそも女帝ジューザ編の焼き直しであるということ。
ただ、焼き直しといっても差別化はきっちりなされていて、女帝ジューザがジューザの最期→セミマル登場だったのに対して、似た立ち位置にあるトランザはその逆で魔人ロボベロニカ→トランザの末路という感じでしょうか。
当時はかなり問題作でしたが、今見直しても確かにこれは今じゃあ放送規制かかって無理だなあというレベルで、それこそリアルタイムで観た時も、そして今見直しても衝撃を受け続けます。


なんでそうなのかといえば、「生かさず殺さず」という結末になっているからであり、これはトランザの身から出た錆とはいえ、歴代戦隊でもこんな末路を迎えた幹部の例が他にないからでしょう。
偶然に生き延びてしまったとか行方をくらましたとか和解したとかならありますが、「生かさず殺さず精神崩壊」となると、もうすぐ最終回を迎える「ゼンカイジャー」まで見ても他に例がありません。
具体的な流れを説明すると、ジェットマンの竜以外の4人が剥製にされる→危うく死にかけた竜はラディゲの人間態と一時的に共闘し、トランザを追い詰める→レッドホークが4人を復活させてトドメです。
ここまでならばよくありがちな流れですが、問題はここから決してヒーロー側であるジェットマンの大団円とせず、ラディゲが37話でやられたことをそのまま仕返しているということ。


「馬鹿な、この俺が、帝王トランザが……」
「はあああああ!!」
「うわああああ!!」
「トランザ、俺の名を言ってみろ!」
「ぁぁぁぁ、うぁぁ、ら、ラディゲぇ」
「何ぃ?トランザ、俺の名を言ってみろ!」
「ラ……ディゲェ……」
「何?「ラディゲ」だとぉ?」
「うああああ!!ラディゲ様ぁぁぁぁぁぁ!!」
「そうだ!だが殺しはせん!人間として生きながら、一生俺の名を恐れるんだ!はははははははっ!!」


とりあえずセリフのやり取りを引用していますが、このセリフの流れ自体が神がかっていて、トランザがこれまでしてきたことへのツケがこの1点に凝縮される形で跳ね返ってきています。
これが普通の大人なら精神崩壊はしないのでしょうが、ここで生きてくるのが「トランザは子供だった」という設定であり、それが急成長して肉体だけが大人になってしまったのです。
いってみれば「体は大人、頭脳は子供」の逆コナンであり、広瀬匠氏の演技力で誤魔化してはいるものの、心が未成熟なまま強大な力を手にして暴走させてしまっていました。
だからこそ、ラディゲに自分がしたそっくりそのままのことを仕返された時、その幼き精神は諸共へし折られてしまい、簡単に崩壊してしまったことにも納得できます。


……そんな「ジェットマン」の隣でヒーロー側がリアルに「体は大人、頭脳は子供」の逆コナンだった「トッキュウジャー」が同時配信されているのは運命の悪戯か何かか?


さて、話題をラディゲとトランザに割いてしまいましたが、この回の見どころといえば何と言ってもレッドホークとラディゲの共闘からの反撃です。
前半からあれだけ追い詰めた割にはあっさり逆転した感じがありますが、そのラディゲ自体がベロニカのエネルギーを吸収してパワーアップしています。
それに加えて、龍にとってもトランザにとっても人間の正体がラディゲだったこと自体が驚きであることにより、トランザに揺さぶりをかけることに成功しました。


「ふふふふふふふふ!トランザ、しょせん貴様は流れ星!いかに輝こうと、墜ちる運命にあったのだ!」


ここからのレッドホークの大立ち回りが見事であり、まずはラディゲが放った光線をトランザを盾にしてガード→トランザを投げ飛ばし、振り向きざまにラディゲを斬る→返す刀でトランザの腹を貫き、更に両者をビークスマッシャーで追い詰める。
この流れが鮮やかであり、一見レッドホークが詰みなのかと思いきや、ここで唯一の正規戦士としての素晴らしい機転と判断力を見せます
まあこの流れで一番割りを食ったのはトランザよりもむしろあっさり撃退されたラディゲ様であり、めっちゃイキる→簡単に逆転されるという流れが兎にも角にもラディゲ様の芸風という感じ。
4人が復活したところでファイヤーバズーカなのですが、こんな状況になってもマリアとグレイが全く援助にやってこないところがらしいですね。


今回に関してはこの共闘からの形成逆転→ラディゲによるトランザ精神崩壊に全てが凝縮されていますが、そこに持って行くまでの追い詰め方のプロセスも見事でした。
雷太→アコ→香→凱という、恐らくは物語の重要度が低いやつから追い詰めたのだと思われますが、最初に選ばれてしまう雷太は何とも不憫な奴という印象です。
街中での追いかけっこはもう少し緊迫感が欲しかったところですが、あえて日常の雑踏の中に悪が紛れているという演出はなかなかの見所でした。
そして精神崩壊したトランザがどうなったかというと、城東脳神経外科病院で虚ろな目で涎を垂れ流しながら車椅子に乗って運ばれています。


「あの患者、まだ身元が分からないのか?」
「ああ、酷いもんだよ。脳神経がズタズタにやられてる。一生あのまんまだそうだ」


そして最後は「助けてくれえええええ!!」と叫びながらホワイトアウトして終わりですが、「人間のまま一生廃人で生きる」という凄まじいエンドでした。
正直ここまでする必要があったかどうかは疑問ですが、本作はそもそも「ヒーローの中に人間を描く」という試みをしっかりやっている作品です。
それならば翻って「ヴィランの中に人間を描く」ということもやっているわけであり、思えばマリア=リエとかトランザやラディゲの人間体とかも結構意識したのかもしれません。
そして逆に終始ロボットで人間ではないグレイを描くことでうまくアクセントとして機能しており、思えばバイラムもまた「ヴィランと人間」というテーマが貫かれているのですね。


本作の世界観はあくまで80年代戦隊の延長線上にあるのですが、その上で敵側も味方側もとにかく「人間臭い」という点をきちんと一貫して描いているのは見事です。
どちらも俗っぽい者同士の戦いであり、普通ヒーローとヴィランはヒーロー=聖、ヴィラン=俗とされがちですが、本作はどちらも俗という位置づけになっています。
ヒーロー性というか絶対的正義を掲げないようにヒーローという仮面というか幻想性を外したことによって逆説的に「ヒーローとは何か?」「ヴィランとは何か?」を描いているのです。
それを貫き通す為ならば、悪役の末路として生かさず殺さずがあってもいいのではないか、というのは時代がそれを可能にしたとはいえ、よくやれたなあと思います。


総合評価はもちろんS(傑作)、当時はラディゲの中の人が石をぶつけられたそうですが、意地でもきちっとやり切ったことに今回の意義があるのです。


第48話「死を呼ぶくちづけ」


脚本:井上敏樹/演出:蓑輪雅夫


<あらすじ>
最強の悪の女王となるために変貌を遂げるマリア。ラディゲの血から生まれたヒトデに寄生され、今やマリアは人間の血を求める魔女になってしまった。血を吸うごとに魔獣と化すマリアを見た竜はショックを受ける。竜のマリアにリエの心を取り戻させる闘いが始まった。そして謎の巨大獣とグレートイカロスとの戦いが始まった。


<感想>
さて、前回のトランザの末路に続いて、今回と次回はマリア=葵リエの前後編ですが、まず前半の見所は何と言っても竜の葵リエ誕生日パーティー(仮)の場面です。


「リエ、誕生日おめでとう。今日でお前も22歳」


…………このシーンを見たときは色々と衝撃で、何が凄いと言って竜の表情といい台詞回しといい、竜の愛があまりにも激重であるということ。
いやまあ確かにブレスレットに写真ベッタリ貼り付けている時点でだいぶアレな方でしたが、今回のこれはその領域をはるかに超えています。
流石に香をリエのお墓に連れていって痛い目を見たことから誕生日パーティーに香や凱を招待しないだけマシですが、マジでこれはもう見るに堪えません。
今風にいうならば「メンヘラ」「ヤンデレ」とでもいうのでしょうか……もちろんそんな簡単な言葉では片付きませんが、時代が時代ならそう言われてたでしょうね。


そしてこれはおそらく意図的でしょうが、ここでの竜の正装は42・43話の凱の正装との対比になっており、凱は正装を嫌うが竜は当たり前のように正装を着こなしています。
その着こなしの見事さからアコが言っていた「凱よりも竜の方が合っているのでは?」というのは間違いではないことがこのシーンからも伝わってくるのです。
思えば竜も香も歩んで着た道のりはエリートというか富裕層のそれであり、凱は所詮その日暮らしの一般市民ですから、こういうところでも細かく対比されています。
単なる竜の激重な愛を表現するだけならイマイチピンと来ないのですが、ここから最終回までの流れを踏まえると竜と香のフラグが既にここで立てられていたのです。


そして次回と最終回手前で発覚しますが、31話までの竜は「バイラムへの復讐」を「地球の平和を守る」という大義にすり替えただけの偽善者でした。
そのメッキが完全に剥がれて竜が本当はマリア=葵リエのために戦っていたことを仲間が受け入れた32話以降では「リエの救済」という私的動機で戦っているようにも見えます。
一見目標が具体化されて道がはっきりと定まったようでいて、それこそが実は竜の精神を蝕む毒になっており、それがより根深く抉りこんでいるのです。
この「大事な人を取り戻すために戦う」は「マスクマン」のレッドマスク/タケルや「ギンガマン」のギンガレッド/リョウマも持っていた部分でした。


しかし、タケルやリョウマはその私的動機を公的動機の中に矛盾なく併せ持つ形で消化しているため、むしろそれを強いヒーロー性へ転化しているのです。
それに対して天堂竜はその2人と比べて公的動機と私的動機のバランスがうまく整理されていないため、結局は私的動機に全てが囚われて視野狭窄になっています。
そして竜がそうなっている理由は「リエを失いたくない=もしリエを失ったら」という最悪の事態が既に頭の中で想定されていて、それを必死に回避したいからでしょう。
ガオレンジャー」のように奇跡のお裾分けで死人が復活するのなら別ですが、当然本作はそんな奇跡が肯定される世界観ではありません。


そしてその肝心要の葵リエ=マリアですが、ラディゲは遂にトップに立ったことで手段を選ばなくなったのか、ヒトデ型のものになります。


「見るがいい、グレイ。人間の血を吸い続けることによって、マリアは魔獣へと変貌していく。やがて完全に変貌を遂げた時、マリアは己の心を失い、俺の操り人形となる」
「!?」
「フッ、永遠に俺のものとなるがいい、マリア」


ここで今まであまりラディゲの害が直接向けられることがなかったグレイにまでラディゲの毒牙が及んでいるというのが凶悪です。
トランザを精神崩壊に追い込んでまともな政治なるかと思いきや、もっとトップとして無能なラディゲが組織を完全に破壊しています。
バイラム崩壊の序曲はトランザ登場によって既に鳴らされていましたが、その上でこの流れに持っていくとは全盛期の井上先生はマジモンの鬼才。
そんなマリアの毒牙にかかりかけたのは元のダメ男に戻った凱ですが、それでも一瞬で正体をマリアと見破るところに成長が感じられました。


一方でそのマリアとは対照的にラゲムと名乗る巨大怪獣が現れ…誰がどう見てもパワーアップしたラディゲです、ありがとうございます。
これ自体は誰でも予測できますが、決して唐突なパワーアップではなくベロニカを吸収したラディガンの進化系となっているので無理がありません。
要するにラディゲ→ラディガン→パワーアップラディゲ→ラゲムなので、デジモンに例えるとウォーグレイモンクラスの究極体です。
仲間たちは竜をマリア=リエの元にいかせて、仲間たちはラゲムに応戦するという流れがしっかりできていました。


「愛を取り戻せ!リエ!」


YouはShock!!愛で空が落ちて来る〜♪


ごめんなさい、「北斗の拳」ネタに走りました…まあそれは置いといて、マリアは一瞬だけリエの姿に戻ります。


「竜?あたし、あたしはいったい……」
「終わったんだ、リエ。もう二度と、何があってもお前を離さない」


いや何も終わってないよ竜!!仮にリエに戻ったとしてもグレイとラゲムが残っているよ!!


で、そんな甘ったれた竜を叩き直すかのように再びリエはマリアに戻り……まあこの流れは正直32話の流れと一緒です。


「愚かなこと、だが殺しはしない。私の奴隷となれ、天堂竜!」


そして多くの人の血を吸ったヒトデが竜に貼りつくと、竜は人ならざる存在へ……ああ!これリアタイで見たときの恐怖を思い出したじゃないかあ!!


ごめんなさい、前回のトランザの廃人姿と今回ラストの竜の人外化だけは原体験の記憶が脳に焼き付いていて、今見直しても昨日のことのようにフラッシュバックします。
ヒーローは決して悪に染まりはしないだろうというのを打ち崩した瞬間ですが、同時にその姿が竜の狂気の表面化とも受け取ることができる秀逸な演出です。
さらにグレートイカロスはバードメーザーまで全部の攻撃が防がれてしまい、ベロニカ戦の時同様あっさり腹を貫かれてしまいます。


単なる竜とマリア=リエの腫れた惚れただけではなく、今回の事件の元凶であるラゲム=ラディゲの脅威や後ろに控えているグレイにもしっかり存在感があり、バランスが取れています。
その上で凱と香の自然消滅、竜の葵リエ誕生日(仮)のワンシーンに暗喩されている複雑な心理描写などなどドラマとして盛り込むべきものは全て盛り込んでいるのです。
複数のものに1つのものを例えさせたり、逆に1つのものに複数のものを例えさせるという構造も機能しており、ここからラスト2話に向けて期待が膨らんできました。
評価はいうまでもなくS(傑作)ですが、現行の「ゼンカイジャー」よりもこっちの方が断然面白いのはどういうことなんだろう?
そして、来月から始まる同じ井上先生の「ドンブラザーズ」は本作のクオリティを超えることは…まあないだろうな、とオチをつけて次回へ。

 

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