明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズのチームカラー〜90年代戦隊編〜

スーパー戦隊シリーズのチームカラー分類、基礎的なルールを説明しますが、考えのベースにあるのはこちらです。

 

hccweb.bai.ne.jp

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以前紹介したえの氏という方がお作りになった「戦隊史学基礎」の「公的動機」と「私的動機」を大元の軸として用いています。
その上で更にプラスαで「力と技」を用いますが、これは要するにビジネスの自己分析で使われる「Want」「Must」「Can」のベン図です。

 

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Want・Can・Mustのベン図


「Want」は「自分がしたいこと」、「Must」は「社会から求められること」、そして「Can」は「自分ができること」を意味します。
この3つの円が綺麗に重なれば重なるほどいいビジネスパーソンであることの証明になりますが、これをスーパー戦隊シリーズのチームカラーに応用するのです。

 

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スーパー戦隊のWant・Must・Can


スーパー戦隊シリーズにおける「Want」は「私的動機」、「Must」は「公的動機」、そして「Can」は「力と技」になります。
評価基準はWantとMustを合計10とし、その割合の大小によって「組織の規律」が重んじられるのか「個人の意思」が重んじられるのかが決まるという形です。
そしてもう1つの要素であるCanを5点満点のうち0.5〜5で評価し、数字が低いほどアマチュア、そして数字が高いほどプロフェッショナルの戦隊となります。
この形式によって分類していき、歴代戦隊シリーズがどのような位置付けにあるのかをはっきりと数値で可視化、いわゆる「見える化」しようという試みです。


勿論完璧なものではなく、あくまでも「試み」かつ、数字は完全に私見なので、「ここはこうではないか?」「こうするともっと正確さが増す」という意見もあるでしょう。
そこはみなさんでお考えの上、更に論を深めるなりなんなりして頂ければなと…あくまでも「戦隊史学基礎」の更なる発展版として出してみようというものです。
今回は第二弾ということで90年代戦隊、すなわち「ジェットマン」〜「タイムレンジャー」までです。第一弾はこちら。

 

gingablack.hatenablog.com


それでは参ります。

 


<分布図の傾向>

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90年代戦隊の分布図


鳥人戦隊ジェットマン」を分岐点として、ここからはプロフェッショナルよりもアマチュア型の戦隊が増えてくるが、これは冷戦終結した平成初期の世相が反映されている。
冷戦が終結して世界的危機は去ったかのように思われるが、事実はそうではなく海外では紛争や内戦、テロリズムといった規模の小さな戦いが繰り広げられるようになった。
また、日本でも1995年にはオウム真理教が台頭したり阪神・淡路大震災が起こったり、バブルが弾けた反動で解雇されるものが増えたりとより複雑化したものになる。
悪の形も遠くからやってくる巨大な悪ではなく、身近なところから突然に立ち現れ、その悪の本質もまた目に見えない精神的なものへと抽象化され始めた。


このような時代においてはかつての国家戦争方式の戦い方も、そして学生運動のような「全共闘」といった戦い方も全く通用しないものとなってくる。
その証拠に70・80年代的なヒーロー像を持っている杉村升氏のジュウレンジャー」〜「オーレンジャー」までの戦い方は最終的に挫折して終わることが多くなった。
そして、井上敏樹氏の「ジェットマン浦沢義雄氏の「カーレンジャー」、武上純希氏の「メガレンジャー」「ゴーゴーファイブ」、そして小林靖子氏の「ギンガマン」「タイムレンジャー」に分類される。
これら7作品はいずれもが「ヒーローはなぜ戦うのか?」を一から再定義し、現代に即した平成戦隊のニュースタンダード像を作ろうという試みがなされていった。
当然「自己犠牲」「復讐」という旧来のヒーローの戦い方も通用しなくなるが、戦隊シリーズの激動期ということもあり、実に多種多様なチームが誕生している。


(15)鳥人戦隊ジェットマン

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ジェットマンのWant・Must・Can


(チームの特徴)
歴代戦隊の中でエポックメイキングと評される本作だが、正規メンバーが天堂竜と小田切綾のみ、その他4人はズブの素人という設定は「機動戦士ガンダム」のホワイトベース隊を彷彿させる。
本作におけるMustが竜と小田切長官、そしてWantが他の4人なのだが、実は肝心要の竜こそが「リエの喪失」から生じた復讐鬼という設定で始まっているのが実に興味深い。
序盤ではその弱点を覆い隠そうとMustを押し付ける竜だが、戦い続けていくうちに化けの皮が剝がれてしまい、31話ではとうとう脆さを露呈させ、精神的に壊れてしまう。
一方で元々素人だった凱、またメンバーで一番弱く足を引っ張っていた香は後半〜終盤に連れてどんどん強くなっていき、ヒーロー性を獲得するようになった。
そんな彼らの結末は最終回手前の「それぞれの死闘」ではっきりと出るのだが、竜は結局リエを失い復讐鬼に陥り一線を超えてしまうが、仲間たちによって止められる。
MustのためにWantを犠牲にするでも、そしてWantのためにMustを犠牲にするでもなく、その両方のバランスを取ることが大事だというのが本作が出した答えだ。
本作において初めてヒーローが自己犠牲と復讐への懐疑を出したが、完璧に否定するには至らず、WantもMustも完璧に満たせる戦隊は7年後に実現することになった。


(16)恐竜戦隊ジュウレンジャー

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ジュウレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ファンタジー戦隊第一弾ということもあり、表向きは非常にコミカルで楽しそうな雰囲気を醸成しているが、チームの特徴は「大獣神とその手駒たち」である。
ゲキたちは確かに選ばれた伝説の戦士だが、眠っている間に伝説の内容を忘れていたり、平和ボケしていたりするし、また伝説の戦士なのに自らアルバイトすらしていた。
5人中戦士としてプロに徹しているのが精々ゲキとブライくらいしか居ないのはチームとして相当に不味く、しかもそのゲキとブライがこれまた大問題だったのだ。
ブライは実は既に死んでおり、30時間という時間限定で現代に復活するが、なぜそんなことをしたのかというと、究極大獣神復活のために必要だからである。
つまり、究極大獣神復活のためにはブライがドラゴンシーザーとキングブラキオンを復活させる必要があり、それさえ済めばブライは大獣神にとってお払い箱となった。
だから終盤でブライが死のうがゲキたちはともかく大獣神がその死を悼むことはなかったし、魔女バンドーラたちの封印にしても最終的に大獣神の力によるものである。
世界に平和をもたらしたものの、結局またもや自己犠牲と上意下達方式の戦い方に戻ってしまい、これが「オーレンジャー」まで続いていく。


(17)五星戦隊ダイレンジャー

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ダイレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
気力と拳法の素質がある今時の若者を集めるのは「マスクマン」と同じ方式だが、大きく違うのは亮たちが結局導師の傀儡であることを抜けきれなかったことだ。
亮が陣というライバルに出会った時の「お前は天性の素質と気力によって戦ってきた。本格的な拳の修行を積んだわけではない」という導師の言葉が本作のチームカラーを如実に表している。
一対一の戦いが目立つダイレンジャーだが、終盤で導師がダイレンジャー解散した時にすっかり導師に依存して何をすればいいか方策が見つからない5人の右往左往する滑稽な姿が彼らの実態だ。
そこで亮たちは「なぜ自分たちは戦うのか?」という問いを突きつけられたわけだが、元々戦士としての強固なバックボーンもない素人の5人がそんな答えを自分たちで出せるわけもない。
しかもオーラチェンジャーが手元に戻ってきたことすら完全なる奇跡であり、しかも最終的に導師の亡霊が「戦いを止めろ」と言って中断し、戦いは孫たちに受け継がれることになる。
ゴーマ十五世が「このワシが操り人形!?」と言っていたが、亮たち5人も結局導師の操り人形であり、結局ダイレンジャーの5人は自分たちで世界の運命を変えることはできず惨敗したのだ。


(18)忍者戦隊カクレンジャー

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カクレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ややMustは下がるものの、基本的に本作のチームカラーも「ダイレンジャー」のそれに近いものであるが、大きな違いは前半の彼らがあまりにものんべんだらりとしていたことだろうか。
しかしそれもあくまで妖怪軍団が大したことない敵だったからに過ぎず、酒呑童子兄弟の前後編を皮切りに妖怪軍団が脅威を増すに連れて、サスケたちも単なるお気楽な連中でいられなくなる。
そして海坊主に無敵将軍が無様に負けた時、カクレンジャーは改めて忍びの巻の試練という形で成長ドラマが描かれるが、かといって前半のお気楽な雰囲気が完全になくなったわけでもない。
あくまで普段はクレープ屋を営んでいる呑気な若者であり、いくら忍者の使命を授かっているといえど、幼少の頃から鍛え上げてきたわけでもない彼らが自分たちで決断を下せるわけがないのだ。
最終的に妖怪大魔王が人間の負の感情の塊であり倒すことができないから封印しろというのだが、サスケたちは自分たちで考えてその答えにたどり着いたように見えて、実はそれこそが三神将の思惑通りである。
結局のところ、サスケたちも神様の言いなりの領域を抜け出ることはなかったのだが、猫丸で旅を続けたのが数少ない彼らの自由意志といえば自由意志であったのかもしれない。


(19)超力戦隊オーレンジャー

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オーレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
サンバルカン」以来となるMust10、Want0で戦う軍人戦隊であるが、これが70・80年代ならともかく90年代というポスト冷戦後の世相で通用するチームカラーではない。
彼らには超力という古代の超パワーと軍事の力というチェンジマンと似たような構造を持ちながら、初戦は三浦参謀長の傀儡の領域を抜け出ることなどなかったのだ。
この時代遅れの上意下達方式の問題は終盤で地球を半年間も支配された時に露呈し、彼らは逆転の方策が見つからないまま右顧左眄(うこさべん)して遠回りすることになる。
結果として、彼らはドリンの忠告通りに超力を信じて復活したのだが、問題は最終回でマルチーワとカイザーブルドントが遺した赤ん坊の命を助けてくれと言われた時に露呈した。
彼らはここで初めてバラノイアにも愛があったことに気づくが、これに対して最適解を出す判断力などまるでなく、所詮マニュアルにない想定外の事態への対応力が弱いのだ。
チェンジマン」「ジェットマン」であれだけ自主的な判断を下せるヒーローを描いた後にこれだから、結果としてテーマ的に大きく後退してしまったのである。
それは同時にもう70・80年代の旧来ヒーローの価値観がこの90年代においては何の意味も成さないことをも意味していたのであった。


(20)激走戦隊カーレンジャー

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カーレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
前作までとは大きく違い、非常に現代的なポスト冷戦の世界観となったのが本作のカーレンジャーであり、前作の逆を行くように強さが大きくデフレされている。
本作においては「ヒーロー」がMust、「一般人」がWantであることが第一話で示されており、恭介たちが会社の給料を盾にヒーローの使命を断ろうとするシーンはその表れだ。
RVマシンに乗れるようになった時彼らは嘘のようにボーゾックとの戦いにワクワクしていたたが、これは彼らの夢がRVロボという形で擬似的に実現したからにすぎない。
その後、規律の象徴であるシグナルマンが現れ、22話で市太郎君が拐われた段階でWantのみのボーゾック、Mustのみのシグナルマン、そしてその中間のカーレンジャーと色分けされる。
そんな彼らの真面目に不真面目な戦いも終盤で黒幕・エグゾスが現れたことで激化しそうになり、終盤では一度彼らの基地が職場ごと破壊され変身不能になり、無力な存在だと突きつけられた。
しかし「心はカーレンジャー」という言葉で一般人とヒーローが一体化を果たし、主体性をかけてクルマジックパワーを取り戻したカーレンジャーは最終回限定でクルマジックパワーをフルに引き出すことに成功する。
まさに「夢を追い越した時 僕らは光になるのさ」という言葉通り、夢というWantを追い越して「宇宙の平和を守る」というMustに目覚めた時、彼らは真のヒーローとなったのだ。


(21)電磁戦隊メガレンジャー

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メガレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
本作は歴代最後の「自己犠牲」を行った戦隊であり、序盤は100万倍の好奇心で始まったはずの戦いが後半のネジレンジャー登場から一気にその様相を大きく変えることになる。
耕一郎と千里がネジレジアとの戦いのために大学受験というWantを諦めざるを得なかったし、正体がバレて世間に忌み嫌われ迫害された彼らは私生活を根こそぎ失ってしまう。
かといって、自主的な判断を下して戦えるほどの強固なバックボーンや判断力、ヒーロー論などを持っていない彼らは復讐と自己犠牲にひた走るドクターヒネラーの言い分に反論できない。
「お前たちは幸せか?」と聞かれて健太たちが何も言い返せず詰まってしまったのだが、これもつまるところ彼らのCanが前作と並んで歴代最低クラスだったからである。
改めてヒーローにとって大切なものは何か?一般人はどうすればヒーローになれるのか?そんなことを1年かけて問うたのが本作の特徴だったのではないだろうか?
ここまで徹底して「弱さ」と向き合った本作があればこそ、次作の戦隊が平成戦隊のニュースタンダード像となったのである。


(22)星獣戦隊ギンガマン

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ギンガマンのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ジェットマンが示した変革から7年の試行錯誤を経た本作は「チェンジマン」以来となるWant、Must、そしてCanのバランスが非常に整った理想のプロフェッショナル戦隊である。
物語開始時点でリョウマたちはすでに4〜4.5のCanを持っており、何だったらギンガレッド・リョウマに至っては兄ヒュウガを地の底に沈めたゼイハブすら圧倒する力を示した。
力も技も卓越しており、幼少の頃から徹底した訓練を積み重ねてきた銀河戦士たちの3,000年もの間バルバンの襲来に備えて臨戦態勢で準備していたという設定は伊達ではない。
だが、そんな彼らが最も大事にしているのは個人の意志=Wantであり、本作では第四章のヒカルがそうであるように「力と心」の向き合い方を歴代でも徹底している。
どんなに力の強いものでもその力の使い方を間違え闇に呑まれてしまったら破滅の道を辿るしかなく、同じ星の力を使って戦っていたバルバンはまさにそういう存在だった。
そしてまた、Wan0Must10のヒュウガも、そしてWant10Must0のブルブラックもアプローチは違えど、何もかもを犠牲にして戦っているという点では変わらない。
そんな彼らがWantもMustも犠牲にせずに戦うことができるのかを問い、その答えをリョウマが最終章で示してみせたのであり、本作を持ってようやくWantとMustの双方満たす理想のヒーローが完成した。


(23)救急戦隊ゴーゴーファイブ

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ゴーゴーファイブのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ギンガマンとは対照的にMust優先で動く本作はファイブマン以来の兄妹戦隊となるが、大きな違いは戦いのために全てを投げ打つ自己犠牲や復讐といった精神がないことである。
彼らの中にあるのは「人の命は地球の未来」であり、またそれが巽家の血筋でもあったから、純粋に人を救いたいという使命感のもとに戦うことができた。
それでは彼らの命は大事にしないのかというとそうではなく、34話がそうであるように、彼らは自分たちの命を救うこともまた大切にするようになる。
そんな彼らも災魔一族との過酷な戦いの中で何度も折れそうになる瞬間があるが、それでも戦い続けることができたのはモンド博士の科学力とマトイの強固なリーダーシップがあってこそだ。
最終回、ベイエリア55が沈み、ビクトリーマーズもグランドライナーも破壊されて打つ手なしだった彼らを救ったのはマックスビクトリーロボのブラックバージョンである。
星の力を科学的に取り込んだ彼らはグランドクロスからの世界の破滅という運命を大きく変えるに至り、また失われた家族の絆も復活して個人の幸福も満たされた。
二作連続で理想的なヒーローを描いたスーパー戦隊シリーズはいよいよ次作で、80年代戦隊が唯一残した課題と格闘することになる。


(24)未来戦隊タイムレンジャー

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タイムレンジャーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
前作「ゴーゴーファイブ」とは対照的に、本作はWant10Must0の完全な「個人事業主の集まり」として描かれており、歴代でも全員で協力して何かを成そうという雰囲気が薄い。
第2話で竜也が「未来は変えられなくたって、自分たちの明日くらい変えようぜ」と言ってみせたように、彼らがタイムレンジャーとして戦うのはあくまで「明日を変えるため」である。
だから守っているものも遥かに小さいし、組織の規律や約束事があるわけでもないから、お互いのことには基本的に不干渉でプライベートはしっかりと守られていた。
そして面白いのはそんな5人の絆が強まると同時に終盤ではかえって「仲間」という空気が失われることになり、またリュウヤ隊長の登場と同時に何が正しい歴史で何が間違いの歴史かすらわからなくなる。
最終的に竜也たちの各自の判断と行動が歴史を変えるというパラダイムシフトが起きるのだが、かといってその5人が変えた明日の延長にある未来が本当にいい時代なのかは誰にもわからない。
本来なら食い止める必要がない大消滅を4人の未来人がわざわざ止めに来たのは単に各自がやり残したことがあったからであり、決して組織の規律で強制されたものではないのだ。
本作は80年代の曽田戦隊、そして90年代の杉村戦隊が失敗に終わった「自発的な闘争」を小林靖子の視点から俯瞰して再構築したものであり、だからこそ歴代でもWantが極度に高いのである。