明日の伝説

好きな特撮・アニメ・漫画などに関する思いを書き綴る場所

「特撮オタク」と「と学会」と「スーパー戦隊シリーズ」

えーっと、何だか「仮面ライダーOOO(オーズ)」みたいなタイトルになりましたが、またもや燃料を投下して頂いたので、是非取り上げようかと。

 

note.com


大変的を射た良質の記事であると同時に、同じ特撮ファン、戦隊ファンとして身につまされるところがありました。
私に限らず、特撮ファンの中には誰だって「自分が見た作品の知識自慢をしたい」という欲求はあるものですから。
私も過去にはそういう時期がありましたし、今思えば「若かったなあ」なんて思ってしまうのですが(苦笑)
以前書いた「ヒカルの碁」記事の第二段ではありますが、この記事を見ていて、私はふと嫌な思い出が蘇ってきました。

 

 


(1)「と学会」について


私、実は山本弘氏という作家がとても大嫌いだったのですが、それには大きな理由があります。
彼はかつて「と学会」という「世間のトンデモ本やトンデモ物件を品評することを目的としている」団体の会長でした。
特撮ファンや特撮オタクからは忌み嫌われている存在ですが、端的にいえばネットの2ちゃんねらー、もっといえばネットウォッチ板にいるヲチ民みたいな連中でした。
特撮をはじめとして世に出ているアニメ・漫画などを面白おかしく曲解し、ネタにしてゲラゲラ嘲笑うというファンの風上にも置けないような人たちです。


「学会」と名乗っていますが、正式な学会ではなく単なる私設団体であり、いってしまえば「曲学阿世(学を捻じ曲げて世に阿る)」を体現したようなとんでもない人たちでした。
特撮やアニメなどに関して有る事無い事ネタにしていて、中には特撮やアニメ・漫画のトンデモ現象を科学的に分析しているある方への誹謗中傷も平然と行っています。
そこの会長をしていた人が山本弘氏ですから、私はもう本当に彼のことがその頃から嫌いで嫌いで仕方ありません。
私が好きなスーパー戦隊シリーズのことについてすら、きちんとまともに作品を見ないで適当に書いているのではないかという論述が多かったのです。


(2)「山本弘のトワイライトTV」における「激走戦隊カーレンジャー」についての間違った記述


これはある特撮ファンの方も触れていらしたのですが(どこで見たか忘れた)、山本氏はこの本で「激走戦隊カーレンジャー」にて次のような記述をしていました。

 


「しかし、僕が驚いたのは、むしろゲストで書いている曽田博久と荒川稔久が、本家・浦沢以上にウラサワ的な脚本を書いていたことだ。」
「この番組の特徴はシュールなギャグ路線。それまでの戦隊ヒーローものの定石をおちょくるような、ふざけた設定とブッ飛びまくったストーリーがてんこ盛りなのだ。」


これらの記述を見たとき私は「はあ?」と開いた口が塞がらず、文章の前後を読んでいくと、どうやら曽田先生や荒川氏が浦沢先生以上のギャグ回を書くことについて言及しています。
ご覧になればわかると思いますが、「激走戦隊カーレンジャー」は決して異色作などではなく、むしろ初期のスーパー戦隊シリーズへの原点回帰となっているのです。
秘密戦隊ゴレンジャー」および「ジャッカー電撃隊」後半のギャグへの路線変更とか「バトルフィーバーJ」の緩い作風とかを見ていれば、もともとスーパー戦隊シリーズはギャグの多いシリーズだったことがわかります。
それに設定面で見ても、故郷が滅んだダップと地球人のカーレンジャー5人が力を合わせて戦うのは「デンジマン」「バイオマン」で見られた設定へのオマージュです。
5人が零細企業の自動車会社に勤めるやる気のない若者という設定も「バトルフィーバーJ」の「やる気のないサラリーマン戦隊」のパロディだったわけですし。

 

gingablack.hatenablog.com


カーレンジャーの評価にも書いていますが、「カーレンジャー」は確かに高度にひねったギャグが多く、しかしそれはあくまでも本家本元のスーパー戦隊やヒーローものの本質を理解しているからこそです。
ストーリーやキャラクター、設定周りなどはむしろとても王道的ですし、これほど年間の構成が綺麗な戦隊もなかなかなく、個人的には歴代でも上位に位置するほどのクオリティであると思います。
それに、ギャグだからといって全てを褒めているわけではなく、終盤の展開に関しては疑問が残る部分もありますし、未消化で終わった要素もあるのですから完璧な作品というわけでもありません。
しかし、この山本氏の記述はそうしたスーパー戦隊シリーズの歴史の流れと「カーレンジャー」という作品がギャグを通して何を描こうとしているのかという本質への理解が感じられないのです。
ただウケ狙いのためだけ、特撮ファンに媚びたかのような文章さえ書けばそれが大受けすると思い込んでいるような勘違いぶりが私は戦隊ファンとしてどうしても許せません。


(3)昔の特撮作品を貶し、最新の特撮作品を無条件に持ち上げる風潮


個人的にさらに引っかかったのが、氏が「侍戦隊シンケンジャー」について批評した以下の記事のことです。

 

hirorin0015.hatenablog.com


この記事の冒頭にはこのようなことが書かれていました。

 


80年代までの戦隊が、番組ごとのカラーの違いが明確ではなかったのに対し、ギャグ路線、恐竜、拳法、忍者、魔法、刑事、冒険といったように、その年ごとのコンセプトの違いをはっきり打ち出すようになったのも、90年代からだ。」
「また、戦隊ものに限らず、昔の特撮番組の脚本は、「子供向け番組なんかやりたくないけど、お仕事でしかたなく書いている」といった感の漂う、ぞんざいなものが多かった。それに対し、近年の脚本は、本当にこのジャンルを愛してるんだなあと感じさせるものが多い。」


この記事を見かけた時はびっくりしたと同時に失望しました…なんて特撮に対して理解や愛のない人なのであろうと…特に80年代までの戦隊云々のくだりは読んでいて腹が立ちます。
スーパー戦隊シリーズの面白いところは毎年に似たようなことを繰り返しているようでいて、その実一作ごとに着実な変化を繰り返しているところにあるのです。
シンプルそうでありながら、その実とても奥深いシリーズであり、だからこそ時代の流れとともに着実に変化を繰り返してここに至ったという流れがありました。
特に「ゴレンジャー」「チェンジマン」「ライブマン」あたりは今見直しても十分批評に耐えうる普遍性・一貫性がありますし、他の戦隊だって決していい加減に作っていたわけではありません。
この人が個性的な作品だと批評している作品群だって、そうした先人たちの血と汗と涙の結晶の上に積み重ねられらものであることを氏は失念しています。


それにスーパー戦隊シリーズに限りませんが、仮面ライダーシリーズもウルトラシリーズも、宇宙刑事シリーズも決して「子供向けだからお仕事で仕方なく」で作っていたわけではありません。
むしろ逆、子供向けだからこそ大人が真剣に「子供に何を伝えるべきか?」を考えて作っていたわけであり、本当にきちんと昔の特撮作品を視聴した上での愛ある評論とは思えない言葉なんですよね。
また、「シンケンジャー」の評価に関しても小林女史が書いた脚本に関しては褒めていますけど、他の脚本家が書いた回のことなどには触れられていませんし。
確かに「シンケンジャー」は仰るようにスーパー戦隊シリーズでも上位に位置する名作ですし私も好きですが、全てを褒めているわけではありませんし、2・3クール目はやや中だるみが目立ちます。


それに「アバレンジャー」「ゲキレンジャー」「ゴセイジャー」などについては批判も多かったし、「ゴーオンジャー」も私はあまり好みじゃないだけで、本来の視聴者層である子供には大受けでした。
なんというか、山本氏はどうもスーパー戦隊シリーズの「作家性」しか見ておらず「作品」そのものをきちんと俯瞰して総合で評価することはできない人なのかなと思ってしまいます。
浦沢氏が書いたから、荒川氏が書いたら、小林女史が書いたから、横手氏が書いたから…そういう風に「この作家が書けば間違いない」という行き過ぎた作家主義は逆に危険です。
たとえそのお気に入りの作家が書いてもダメなものはダメですし、あくまでも神様は「作品」に宿るのであって「作家」に宿るわけではありませんから。
まあ山本氏に限らず、戦隊ファン・特撮ファンにはこの手の「この作家が書いたから素晴らしい」という歪んだ作家主義に基づく感想・批評が多いのは事実ですが。


よく特撮ファン・特撮オタク同士で起こりやすい論争として、特に仮面ライダーシリーズに多いのが「昭和ライダーファン」と「平成ライダーファン」の論争でした。
これは未だに解決していない論争ですが、昭和と平成ではそもそも設定も作風もまるで異なるため、その点で論争が起こりやすいのは事実です。
そこでよく言われるのが「懐古厨」という層への批判ですが、一方で氏のように過去の特撮作品を貶して最新の特撮作品を持ち上げる風潮もどうなのでしょうか?
私はどちらも正しくない姿勢だと思っていて、あくまでも作品への評価はニュートラルに行わなければならず、好みはその後についてくるものだと思います。


ここで話を元に戻しますが、特撮ファン・特撮オタクが知識自慢に走るのは確かによろしいことではありません。
しかし、中にはと学会のように曲学阿世、すなわち真理や本質を捻じ曲げて受け狙いのためなら何を言ってもいいと思っている悪質な人がいるのも事実です。
そしてそういう人たちがいる限り、いつまでも特撮作品、特にスーパー戦隊シリーズのような子供向け番組への真っ当な批評の文脈が形成されることはないだろうと思います。
ごく一部の例だけをもって全体の風潮にすり替えるつもりはありませんが、こういう人たちがいるから特撮オタクが知識自慢に走りたがる部分もあるのです。
つくづく特撮ファン・特撮オタクであるためには何が大事なのかを今回私も色々と考えさせられました。