明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ22作目『星獣戦隊ギンガマン』(1998)45・46話感想

 

第四十五章「妖精の涙」


脚本:荒川稔久/演出:田崎竜太


<あらすじ>
バルバンは新たに地球で誕生した地球魔獣を急成長させようと計画する。地中深くに潜む地球魔獣の存在ははモークの力でも察知するのが難しいらしいが、その頃バットバスが魔人ヂェンゾスを向かわせて急成長エキスを流し込もうとしていた。リョウマたちも現場に急行しようとすると、サヤはボックから不思議な少女がやってきたと伝えられる。少女は必死にサヤに何かを伝えようとするも、サヤは少女をボックに任せて現場へ急行してしまう。その後地球魔魔獣が地中からせり上がろうとしたところでギンガマンがバットバス特殊部隊と戦っていると、またもや少女が現れて、サヤに駆け寄ってくる。少女は何をサヤに伝えようとしたのだろうか?


<感想>
今回は本作最後の荒川脚本にして最後のサヤメイン回なのですが…うーん、結局のところサヤだけはうまくキャラが初期設定から膨らみませんでした
そもそもサヤとボックの関係性自体が第一章から今まで描かれた試しがないので(強いて言えば第二十七章の冒頭のシーンくらい)、どうにも積み重ねが足りていません。
また、少女の声を聞き逃した件ですごく落ち込んでいましたが、これもきちんと聞こうとした上でああなったのならまだしも、本当に無視してしまったのでマジで花の戦士失格です。
というか、そもそも「花を愛する」という要素自体をなぜか第三章でゴウキがやっちゃったのと、オカン属性をゴウキに持って行かれたためにサヤの「女」としての成分がほぼなくなりました


「今のボックに必要なのはね、とにかくなんでもいいから前を見ること。ほら、前見てごらん?」
「サヤ、ボックもサヤを信じているボック。だから、何でもいいから前を見るボック」


確かにこの2人のやり取りはコミカルで見ていて微笑ましいのですが、そのようなマスコットキャラクター同士として描くなら最初からそう方向性をつけておくべきでしょう
しかも第一章の段階でボックが喋っていたのはリョウマだったので、どうしてもサヤとの絡みが不足していた印象は否めず、どうせなら2人セットにすべきだったかと。
変にヒュウガへの憧れだのを持ってきてリョウマと被らせるくらいだったら、そのようにして差別化を図った方がギンガマンにとっては癒しになると思うんですよ。
本作は基本的にキャラクター造形には「物語による積み重ね」を重視しているので、どうしてもサヤに関しては作り手が扱いに困った結果変な要素をあれこれ盛って失敗したとしか見えません。


しかもサヤとボックがその末に選んだ結果が優しい路線なのかと思いきや、むしろボックの石頭とピンクのヤンチャさで特攻を決めるというのは幾ら何でも厳しい。
これならば冒頭で描かれた優しさの要素は何だったのかと思いますし、そもそもサヤ自体が「男勝り」なヒロインなのか「女らしい」ヒロインなのかがわかりません。
そもそも本作は表ヒロインとして青山勇太、裏ヒロインにヒュウガ、ヒーロー部門では正統派のリョウマにイケメンハヤテ、さらにゴウキとヒカルまでいるのです。
かっこいいもかわいいも、全部「男」できっちり表現しきっている(だから小林女史はBL作家と言われやすいのかも)本作でサヤ程度では物足りません。


それから、サヤが背中にボックを背負って突っ込む絵が小学生の遠足みたいでクソダサいので、ヒーローの絵としてカッコ良くないのです。
このダサさは「シンケンジャー」の源太に通ずるものがありますが、源太はそのダサさが面白さになっているのに対して、サヤはそれがキャラの面白さになっていません。
結局白い石に花のアースを浴びせて地球魔獣の成長を止めたという御都合主義のガジェットとしてしか機能せず、あまりカッコ良くなりませんでした。
むしろバルバンの追っ手から逃れるヒュウガとブクラテスの方はピンチにあるのでヒロイン力が高いのですが、とにかくサヤに関しては思い入れがないのです。


逆に言えばサヤの反省があるからこそ「タイムレンジャー」のユウリや「シンケンジャー」の茉子姐さん、ことは、薫姫のような男らしいヒロインができたと言えます。
特にことはは「シンケンジャー」の感想でも書きましたが、リョウマとサヤを融合させて関西弁の天然侍少女にしたら出来上がったようなキャラです。
またそれに合う森田涼花氏という奇跡のキャスティングだったことも大きく影響していたのではないでしょうか。
したがって総合評価はF(駄作)、荒川氏としても本作は相当消化不良に終わったことがこの回のクオリティから伺えます。


第四十六章「怒りの風」


脚本:小林靖子・村山桂/演出:辻野正人


<あらすじ>
ある日、勇太がリョウマたちの元に病気で倒れている子猫を拾い、リョウマたちに助けて欲しそうに提案する。ハヤテが和み草が効くのではないかと思い、それを採りに山に向かった。一方バルバンでは地球魔獣が前回の田t会のダメージを受けて、吹割谷の地中深くで眠っているとの報告を受けて、浸透剤と急成長エキスを併用する作戦に打って出る。しかし、シェリンダは居ても立っても居られず勝手に城を飛び出してしまった。ナイトアックスの修行に励むヒュウガはブクラテスから本格的に「星の命」というとんでもなく硬い石を渡される。森を訪れたハヤテはしばらくの間ミハルとの思い出に耽っていたが、そこにバルバン報告の襲撃を受ける。


<感想>
ギンガマンたちは相変わらず地球魔獣の厄介な出現の仕方に後手に回るしかないのですが、そんな中で勇太が家の前に捨てられていた子犬を拾ってギンガマンの元にやってきました。
ここでギンガマン5人に気を遣う勇太くんの成長もいいのですが、こんなにピリピリした中でも戦士として余裕と爽やかさを失わないギンガマンが強すぎます。


「勇太、俺たちが戦ってるのはこういう小さな命を助ける為だろ?」


これまでギンガマンはたとえどんなに小さな命でも、それこそ人形1つであっても決して物扱いしないというアニミズムの元に生きてきました。
「すべてのものに命は宿る」という考えの元大切にしてきたからこそ、このセリフがすごく重みと説得力のあるものとなるのです。
そんな中、ハヤテは和み草が効くと思うと勇太と一緒に薬草を取りに行くことに…第三十一章の交流があったのでここでの関係もスムーズになっています。
そして秋冬の紅葉が綺麗な山にくるのですが、このロケーションの美しさは第十章並みにすごく、改めて辻野演出のセンスを感じるところです。


ここで改めてハヤテは第十章以来の再登場となるミハルとの回想を思い出しますが、これがまだすごくいいシーンでした。


「お前のアースを笑うヤツは居ないよ。お前のアースは……」
「なに?」
「ま、大したことない」


そんな風にじゃれ合いながら、ハヤテの正統派イケメンとしてを叙情的に描くというところをしっかり押さえてきたのはよかったです。
ハヤテに関しては途中ギャグなどもありましたが、あくまでも頼れる二番手というベストポジションはキープしていました。
こんな中においてもギンガの森のことを忘れていないところがすごく良くできたところで、改めてギンガマンのヒロイズムが提示されています。


一方、バルバンではビズネラが新たな作戦を立案し、地下深くでじっと時を待つ魔獣に成長エキスを届かせる為、浸透剤を先に使用することになりました。
そして薬草を無事に取ったハヤテは勇太と子犬を先に行かせるのですが、ここでずっとストレスが溜まっていたシェリンダがハヤテを妨害しにきます。


「お前に構ってる暇はない!どけ!」
「貴様あ!あたしが相手をしてやろうというのに!」


ここで改めてハヤテとシェリンダの対応を通してギンガマンとバルバンの性質の違いが示されていて、因縁があると言ってもハヤテはここでシェリンダを一々相手にしません。
一方でシェリンダは第十章でハヤテに傷つけられて以来、操舵士としての役割よりもむしろハヤテとの因縁のために戦っていると言っても過言ではない状態です。
これを「シンケンジャー」風にいうなら「執着」なのですが、ハヤテにとってはあくまでも「倒すべきバルバンの一幹部」でしかありません。
本作が一貫して敵の総大将であるゼイハブ以外を個人名で呼ばない(ヒュウガとブクラテスを除く)のはあくまでギンガマンにとってバルバンを倒すのは平和を叶える「手段」にすぎないから。
しかし、ゼイハブに復讐という形で執着しているブクラテスもそうであるように、バルバンは負の波動で動いているが故に個人から相手にされないのが悔しいのでしょう。


そしてシェリンダはいつもの剣とともに斬りかかるのですが、ハヤテはそれを華麗にかわした上で空中で顔面パンチをお見舞いして走り去るというさらなる屈辱を与えました。
……まあ第十章からそうだったのですが、ハヤテってやっぱりチーマーの意識が強いのか、やられたら何倍にしてもやり返す人で、第十章の頃からずっとシェリンダに傷をつけています。


「ギンガグリーン!貴様はいつもそうだ!この私をまるで価値が無いかのように!宇宙中の誰もがあたしを恐れひざまづくというのに!許さん!お前のようなやつは絶対に許さない!」


これって今見ると余計に思うことですが、要するにシェリンダってプライドが高すぎる極度の構ってちゃんではないでしょうか。
今ならYouTubeに上がっている恋愛系漫画とかにありがちな「この絶世の美女である私がイケメンに振られるなんてありえない!」みたいな感じの。
で、ハヤテはハヤテでミハルという清楚系陰キャ女子が好きだから、シェリンダみたいに派手でけばけばしい女など最初からアウトオブ眼中と。
そう考えるとハヤテって歴代でもめちゃくちゃリア充ですが(婚約者も因縁の相手も美女ってのがすごい)、だからこそ男性陣ではリョウマやゴウキを除くと森川オーナーや晴彦さんなどおっさん率が高かったのかも。


まあもちろんヒーローとヴィランなのでそんな生ぬるい関係ではないでしょうが、ここで改めてハヤテとミハル、そしてシェリンダという特殊な三角関係はヒュウガとうまい差別化にも繋がっています。
そして同時にそんなシェリンダがハヤテに執着することによって、「自分の気に入らないものは粗雑に扱うが、手に入らない存在は思い通りに従わせたい」というバルバンの悪の本質が見えるのです。
しかもここで走り去ったハヤテが落とした小道具を見て、ミハルのお守りを発見したシェリンダがまた良からぬことを思いつきます。


「ふ、後悔させてやる、ギンガグリーン。そして嫌でもこのあたしと戦わせてみせる」


そしてリョウマたちはバットバス特殊部隊と戦うもあまりの装甲の固さに一度負けてしまうのですが、ここになってくるともはやデルザー軍団レベルの強さですね。
応援へ急ぐハヤテですが、ミハルの声がするので振り向くと、なんと今度はミハルが実態化して現れます。
ナイフを持って襲いかかってくるのですが、ここでシェリンダがやっていることは第十二章のサンバッシュ、そして第三十四章でイリエス遺影フォームが使ったのと同じ手段です。
つまりハヤテの「私」の部分における急所、精神的弱点にもなり得るミハルという婚約者の偽者をここで繰り出してきた形となります。


ここでミハルもまた風の戦士の候補だったのか凄まじくアクロバットなアクションを見せるのですが、本物のミハルもこれくらい余裕でできそうで怖いです。
戦闘民族のギンガマンが突出してすごいだけで、第二章がそうであるようにギンガの森の民はあくまで生粋の先頭集団ですからね。
喧嘩なぞした時にはもうそりゃ凄いんだろうなと思いつつ、なかなかハヤテは4人のところに合流できない状況がうまく緊張感をもたらしています。
そしてやっぱりその偽者のミハルを作ったのはシェリンダであり、ハヤテを嘲笑うのです。


「ははははははは!どうしたギンガグリーン、こんな小娘に苦戦しているとは!」
「やはりお前が作った偽物か!」
「そう思うならさっさと切り捨てたらどうだ?」
「貴様!」


ここでハヤテがかつてないほどの怒りを見せ始め、冒頭で見せた回想シーンが改めて挿入されます。


(ミハル、あの時言わなかったが、お前のアースは命を大切に想う暖かさに溢れていた)


ここでまたハヤテはシェリンダから盗まれた小道具を取り返そうとするのですが、それがバラバラに散らばってしまうのです。
そしてそれすらも嘲笑うシェリンダの高笑いがついにハヤテの怒りの導火線に火をつけてしまいました。
ある意味ギンガマンで怒らせたら一番怖いのは他ならぬハヤテなのではないか!?
ここからのハヤテの怒りの演技は不良役を数多くやっていただけあって、リョウマ以上に迫力があります。


「はははは、ははは、なかなか面白い見世物だったぞ」
「聞こうか、なぜこんなことをした?」
「お前はあたしを軽んじ侮辱しすぎた。多少の償いはしてもらわねなばな?」
「それだけか?その為だけにミハルを使ったのか?」
「そうだ」
「お前の名は?」
「バルバン!操舵士!シェリンダ!」


ここで初めてハヤテの意識がシェリンダ個人へと向かうのですが、ここから先はもうお互いに引き返せない領域の戦いです。
一対一の決闘という要素を本作は「星を守る」以外でことさらに強調はされませんでしたが、ここは初めてその一線を超えた瞬間となりました。

 

シェリンダ、お前は俺の大切なものを汚した。お前は俺が倒す!」

「その言葉を待っていた!来い!ギンガグリーン・ハヤテ!」


これで思ったのですが、シェリンダが見せるこの執着ってある意味では「ジェットマン」のラディゲや「シンケンジャー」の十臓、太夫に近い部分があるのでは?
何がひどいってこんな小狡い策を使ってハヤテの目を向けさせたことにあり、思ったのですけどシェリンダって「ドSの皮を被ったドM」なのではないでしょうか。
いやまあ確かに基本の性格はドSなのですが、気になる相手や好きな人に対しては割とストレートにデレを出すというか、「構ってよ」となるのです。
つまりハヤテに嫌われてでもいいから無視だけはやめてくれという、まさにこの2人の関係は「好きの反対は嫌いではなく無関心」を地でいくものとなりました。


ある意味ドSとドMで需要と供給は一致していますが、ハヤテには既にミハルという最高の婚約者がいるせいで、シェリンダは全く相手にされないのです。
相手にされたとしても「倒すべき敵」としか認識されず、まさに「怒りの風」となったのですが、そのあとは思いっきりシェリンダの顔面に蹴りを入れます。
そのあと激闘は白熱したのですが、最終的にはギンガルコンに救われる形でグリーンはレッドたち4人の元へ駆けつけました。
ここが素晴らしいところで、一対一で決着をつけたとしてもそれは完全な「私闘」であって「星を守る戦い」ではありません


だからこそそんなつまらない戦いをハヤテにさせるわけにはいかないという小林女史の判断で去ることになったのでしょう。
因みにハヤテとシェリンダの中の人はインタビューなどで思いっきり一対一で決着をつけたかったと言っていましたが、このような私怨で勝ってもそれは「ギンガマン」らしくないのです。
それこそ「シンケンジャー」の丈瑠と十臓のような戦う生物兵器としてのレッドゾーンを超えた部分を見せるのならまだしも、本作が目指すヒーローはそこにはありませんし。
あくまでも「公も私も守る正統派ヒーロー」がギンガマン及びギンガグリーンのキャラクターなのであって、だからシェリンダとの因縁はここで打ち切るのです。


しかし、その怒りのボルテージがここで消え去ったわけではなく、グリーンのボルテージはしっかり今回の魔人に発揮されていました。
ギンガの閃光すら効かないからまたもやガレオパルサーで倒すのかと思いきや、単身突っ込んだハヤテがミサイルの発射口に獣装の爪を突っ込みます。
ここで暴発させることによって、リョウマの真っ向勝負とも、そしてゴウキのパワーで勝負とも違う技と知略で戦うハヤテらしさが光ったのです。
うん、ハヤテを本気で怒らせたらあらゆる手段を使って潰されることになるので決して喧嘩は売らないようにしましょう。


そのあとは巨大ロボ戦をいつも通り消化して、ハヤテは小道具を回収し改めてセンチメンタルにミハルを思うのでした。
そこで犬を無事に回復させた勇太が一緒にやってきてハヤテが笑顔に戻り、ギンガの森に変えることを使うのです。
最後のシーンでは改めてヒュウガとブクラテスの特訓シーンが描かれています。


「リョウマ達は必ず勝つ。この星を守って、ギンガの森へ…」
「お前は帰れんがの」
「俺はゼイハブを倒す」


ここでゼイハブを倒す手段を持っている第三勢力とゼイハブを倒す手段を持たないギンガマンたちに別れていますが、ヒュウガはどんどんブルブラックじみていきます
ブクラテスと一緒に行動するうちに視野がどんどん狭くなり「ナイトアックスでしかゼイハブは倒せないんだ」と暗示をかけているようです。
本作が目指すヒーロー像からはどんどん遠のいているのですが、果たしてヒュウガとブクラテスの関係性、そしてゼイハブとの決着はどうなるのでしょうか?
ハヤテとシェリンダの関係性もここで一つの到達点を見て、残すはヒカルメイン回のみとなりましたが、本作は本当に構成が綺麗です。
評価はS(傑作)、色々あったハヤテですが最後は辻野監督がきっちり第十章と対になる形で叙情的に渋くカッコよく決めました。

 

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