明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)感想前半2クール総括

各話評価を元に、前半2クールを軽く振り返ってみます。

 

 


<1クール目評価>

 

  • 第一幕「伊達姿五侍」…A(名作)
  • 第二幕「極付粋合体」…S(傑作)
  • 第三幕「腕退治腕比」…A(名作)
  • 第四幕「夜話情涙川」…A(名作)
  • 第五幕「兜折神」…B(良作)
  • 第六幕「悪口王」…A(名作)
  • 第七幕「舵木一本釣」…B(良作)
  • 第八幕「花嫁神隠」…C(佳作)
  • 第九幕「虎反抗期」…A(名作)
  • 第十幕「大天空合体」…S(傑作)
  • 第十一幕「三巴大騒動」…S(傑作)
  • 第十二幕「史上初超侍合体」…S(傑作)


<2クール目評価>

 

  • 第十三幕「重泣声」…A(名作)
  • 第十四幕「異国侍」…E(不作)
  • 第十五幕「偽物本物大捕物」…F(駄作)
  • 第十六幕「黒子力」…E(不作)
  • 第十七幕「寿司侍」…A(名作)
  • 第十八幕「侍襲名」」…B(良作)
  • 第十九幕「侍心手習中」…C(佳作)
  • 第二十幕「海老折神変化」…E(不作)
  • 第二十一幕「親子熊」…B(良作)
  • 第二十二幕「殿執事」…B(良作)
  • 第二十三幕「暴走外道衆」…S(傑作)
  • 第二十四幕「真侍合体」…E(不作)


<前半戦総括コメント>


本作は「チャンバラ時代劇の戦隊風リブート」であると同時に、それを通して「アンチ00年代戦隊」を描き出そうとしています。
具体的には「殿と家臣」という主従関係を丹念に描き出してハードな展開を繰り出すことによって、改めてスーパー戦隊シリーズにおいて「ヒーローであることを軽く考えるな」と訴えているのです。


第十二幕まではとにかく徹底して「命の重さ」を描こうとしており、それを肌身で実感しているのは志葉家当主である丈瑠とお目付役の彦馬爺さんのみでした。
4人の家臣たちは「やる気はあるけど実戦の厳しさを理解していない」「侍の使命に対して斜に構えている」といった感じで、丈瑠とは大きな価値観の隔たりがあります。
この辺りは同時進行で感想を書いている「ジェットマン」と似た構造といえますが、本作が違うのはそれをプロフェッショナル戦隊において描いているということ。
つまり、5人が幼少の頃から宿命を自覚して準備してきたのは「ファイブマン」「ギンガマン」と似ていますが、ずっと最前線で戦っていた丈瑠以外は実戦の重みを理解できていません


特にその態度が露骨に出ているのが千明であり、剣術もモヂカラも数段劣っていて、第六幕辺りまでは丈瑠たちの足を引っ張ることも少なからずあります。
また、流ノ介とことはに至っては丈瑠を守るためなら簡単に命を投げ出してしまうため、まるで命の重みというものを理解できていないのです。
その上でもっとすごいのは当主である丈瑠自身が「覚悟で決めろ」と言いながら、どこか殿様である自分の存在意義に揺れているところ。
そう、これは終盤の展開に向けての伏線なのですが、丈瑠はもっと堂々としてていいのに、どこか後ろめたさを抱えているのです。


本作はその意味で、とても前作「ゴーオンジャー」までが持っていた能天気さとは真逆のジメジメした暗い作風なのですが、そのくらい作風はいっそ上原・曽田戦隊へ先祖返りしているといえます。
丈瑠の完璧超人じみたヒーロー性と対照的な人間性の欠落は過去の昭和戦隊のリーダー像を00年代末期風にリブートしたものであり、その上でかなりとっつきにくいキャラになっているのです。
その上で丈瑠は初期1クール目は千明に「友達との関係を切れ」と言ったり「弱いやつは要らない」「一生懸命だけじゃ人は救えない」と言いますが、それは何より4人に侍の厳しさを教えるためでした。
そして、だからこそことはの「誰も守れへんかったら意味ないもん」という言葉が重たく響き、まさにそれこそが「ヒーローであることを軽く考えるな」というメッセージの意味なのです。


これは私見ですが、私はただ戦隊ヒーローに変身してその格好良さだけを描いたような作品は戦隊シリーズ以前に「ヒーロー作品」である資格すらないと思います。
ヒーローとは何を背負い何と戦うべきなのか、そこに置いて命はどのように扱われるべきなのか…そのことを本作はそれこそ「真剣に」向き合って描かれているのです。
その上で初期1クールはメンバー2人ずつで関係性を深めていきながら、うまくまとまりつつあるところで十臓とアヤカシとの三巴戦によって地獄へ突き落とします。
このままなあなあでまとめないようにして、一旦絶望的な展開で丈瑠たちに再度「侍としての覚悟」「人命の重さ」といった部分の再確認をさせるためです。


だからこそ、第十二幕での「お前たちの命、預かった」「俺の命、お前たちに預ける」という返しが上手に生きるのであり、通常の戦隊とは違う形での結束力につながっているのです。
そしてそれこそが他の戦隊と本作のチームワークとの違いであり、「横並びの仲間」ではなく「厳しいヒエラルキーに基づく殿と家臣」という点を重視しての結束となります。
しかし、初期1クール目はテーマに沿ったストーリーが形成されているのですが、問題は2クール目に入ってから全体的に構成力がグダグダでバランスを欠いていることです。
サブライターが今ひとつ小林女史の提唱する世界観やキャラ造形を理解できていないのもありますが、何よりも大きな縦糸としてのストーリーが存在しません。


本作の総合評価に書いていますが、2クール目と3クール目はグダグダ気味で微妙だと書いていますが、その大きな理由は「ストーリーが動かないから」なんですね。
もちろん源太が登場したり十臓と丈瑠との関係だったり、インロウマルでのパワーアップだったりとイベントはあるのですが、それが縦糸のストーリーラインにうまく繋がっていません
だから2クール目と3クール目には「シナリオ(各話の構成や登場人物のセリフ、動き)」はあっても「ストーリー(全体を俯瞰した時の大筋の動き)」がないんですよね。
何より寿司屋の源太が「丈瑠の幼馴染」「開発と居合術の天才」という便利なチート設定過ぎて、かえってシンケンジャーのシリアスな世界観から浮いてしまっています。


なんとか馴染ませようと努力している節は見受けられるのですが、どうしても1人だけ不思議コメディの世界からやってきたとしか思えない異物感があるのです。
それが悪い形で出てしまったのが流ノ介との衝突を描いた回やスーパーシンケンジャーへのパワーアップ回であり、あの辺りは小林女史と思えないほど雑な作りでした。
また、ことはが魂を吸われる回は小林脚本としては最悪の質であり、ものすごく重い選択を丈瑠たちにあっさり選択させている上、それを源太のギャグで上書きしているのです。
別にギャグを入れるのはいいのですが、どうにもそれがシリアスなストーリーとの食い合わせが悪く、大変後味の悪いものになってしまっています。


また、敵組織の外道衆も薄皮太夫や十臓、ドウコク、シタリなど個々の幹部連中は印象的なのですが、その下の一般怪人であるナナシとアヤカシが微妙です。
そのため、丈瑠たちヒーローサイドのドラマが面白くないと基本的に盛り上がらず、その点でどうしても厳しいのが源太の存在ということになります。
まあそもそも小林女史がメインを務めた戦隊でこういうはっちゃけた陽キャの追加戦士を描くのは初めてなので苦心したのでしょうが、もっと丁寧に扱って欲しいです。
そうでないと、他の戦隊や初期小林女史の「ギンガマン」「タイムレンジャー」との差別化も難しくなってしまいますしね。


やや辛口気味のコメントとなりましたが、ここから後半に向けてどう盛り返していくのか、楽しみにして見て行きましょう。

 

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