明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)25・26話感想

 

 

第二十五幕「夢世界」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
茉子が久々に手料理を準備したと知った丈瑠たち男性陣は倒れた時のための胃薬を用意していたが、全て茉子に知られてしまう。ショックを受けた茉子は料理本を買いに行くが、途中でドウコクに傷つけられた三味線を回復させるために人間を襲う薄皮太夫と出くした。丈瑠たちも参戦するが、アヤカシ・ユメバクラの能力「夢世界」により、人々は次々と夢の世界へ誘われるのだが…。


<感想>
ここからは3クール目の始まりにして、実質前回からの続きですが、今回と次回の方がとてもクオリティ高くまとまっていました
不思議コメディの世界からやってきたとしか思えないウザい源太を性格的欠点を理由に戦闘不能に陥らせ、「ミシュラン寿司」を開こうとするなどという夢を見てしまう描写はよかったです。
また、ここまでやや空気気味だった流ノ介と千明に夢の世界へ行かせたり、モヂカラを使いすぎて満身創痍になる丈瑠だったりと能力の高い面子をしっかりと追い込んでいます。
そしてその上で薄皮太夫の闇の深淵を覗き込んでしまい、それに魅入られてしまう茉子とそんな茉子を心配して追いかけることは、とそれぞれがそれぞれの役割を果たしていました。


演出もすごくナチュラルにできていて、やっぱり中澤監督の演出が本作で一番安定していて、シリアスにしてもコメディにしても違和感なく緩急のついたペースで安心して見られます。
また、ベテランの諸田監督や渡辺監督、竹本監督なども非常にいい仕上がりです…その反面、どうしても初参加の加藤監督の下手さが際立ってしまうのが難点ですが。
全体的にはコメディ調なのですが、ドラマとして一番の見どころはやはり薄皮太夫と茉子の夢世界のシーンで、茉子は太夫の過去を知ってしまうのです。

 


「新さん、ずっと待っていた。迎えに来ると言ったお前のことを……なぜだ?!わちきはまた、独りだ…死んでも結ばせるものか、たとえ、たとえ外道に堕ちようともお!!」


細かい事情が描かれていないので詳しい事情はまだ見えませんが、ここで大事なのはこれまで不気味な絶対悪っぽく見えていた薄皮太夫が「人間」として描かれたことにあります。
これははぐれ外道の十臓ともうまくリンクしており、茉子はまさか太夫にこんな壮絶な過去があって外道に堕ちたことを知らなかったのです。
夢の世界とはいえ、そんなものを覗き込んでしまった茉子は心の中で葛藤が生じてしまうのですが、これはいわゆる哲学者ニーチェのあの名言でしょうか。

 


「怪物と戦う者はその過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくてはならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」


そう、実は薄皮太夫も白石茉子も生きた時代は違えど、人を愛する心を持った女性であることに変わりはなく、しかしたった一瞬のことで闇落ちをしてしまったのです。
このシーンを見て初めて私は「ああ、そういうことか」と納得したのですが、要するに薄皮太夫や十臓はそれぞれ「アンチ白石茉子」「アンチ志葉丈瑠」として描かれているのだなと。
つまり、丈瑠も茉子も一瞬でも力の使い方や生き方を誤ると簡単に外道に堕ちてしまうことがこの段階で示されており、更にこれは終盤への重要な伏線になっています。
思えばヒーローとヴィランは常に対比で作られているというか、ヒーロー側の光が強ければ強いほどヴィラン側の闇もまた強くなっていくものです。


その上で本作が面白いのは丈瑠と茉子がそれぞれ「個人」として敵側を認識してしまっているということにあります。
これはねえ、本作が逆「ギンガマン」になっていることと合わせて是非「ギンガマン」の感想を書く時にでも語りたいのですが、「ギンガマン」では基本的にゼイハブ以外を個人名で呼ぶことはありません
強いていうならハヤテとシェリンダ、ブクラテスとヒュウガは「個」として認識し名前を呼びますが、共通の目的のためにある種の絆が芽生えたヒュウガとブクラテスはまた別として。
ハヤテはシェリンダを最終的に個人名で呼んだとしても、終始袖にしたままでハヤテの中ではあくまで「バルバンの一幹部」でしかなく、シェリンダとの因縁に執着しません。


そう、「人」として認識してしまうと途端に殺しにくいという考えが擡げてきてしまい、本作はその意味で「ギンガマン」がギリギリのところで踏み止まっていた一線を超えようとしているのかなと思います。
だから、正直私は第二十幕で丈瑠たちがことはを救うために外道を働こうとしたことを散々批判しましたが、この茉子と大夫の過去回想の闇を覗くシーンで茉子が太夫の深淵に覗かれている描写で納得できました。
シンケンジャーとは常に一歩間違えたら外道に堕ちかねない危ういところで戦っていて、だからこそ「個人」としての関係性に突っ込ませて現代のあやふやな正義を描こうとしているのかとも思います。
逆にいうと、丈瑠と茉子以外のメンバーはそういった「個人」としての関係性を特別に持たないから、純粋に侍として外道衆と戦い殺せるということなのですが。


気になったのは結局巨大戦をレッドとゴールドだけで乗り切ったことであり、これは流石にちょっとやり過ぎかなあと思うのですが、まあドラマが面白かったので今回はなしということで。
そしてその茉子と太夫の関係性をそこで完結させるだけではなく、丈瑠に執着する十臓というところと繋げているのも好印象であり、全体として非常にバランス良くまとまっていました。
これだけ暗いことをやってもギリギリのところで明るさを保っていられるのは源太の底なしの明るさに救われているところがあるからだと再認識です。
総合評価はA(名作)、前回が思いっきりこけてしまったところから大きく立ち直り軌道修正してみせました。


第二十六幕「決戦大一番」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
満身創痍となった丈瑠のもとに十臓が決闘をしに来たと息巻いて現れ、茉子は薄皮太夫の闇を覗いてしまったばかりに躊躇いが出てしまい、ことはを傷つけることになった。十臓は丈瑠と源太に向かって襲いかかるナナシ連中を撃退すると、翌日に全快の状態で丈瑠と決闘する約束をして帰った。そのことを知った流ノ介は死闘に走ろうとする丈瑠を諌め、逆に茉子は丈瑠に同情して何も言えなくなり、料理本を捨てようとするのだが…。


<感想>
さあ来ました、いよいよ丈瑠と十臓との一騎打ちですが、全体的にまさに「お見事」と言える内容にまとまっていました。
メインはもちろん丈瑠と十臓の一騎打ちであり、個人的にはギンガレッドとブドーの一騎打ちを彷彿させる名勝負だったと思います。
特に一度わざと切らせてゼロ距離でズバリと裏正ごと斬ってせたのはまさに「肉を切らせて骨を断つ」を表現していて、ここまでで最高の殺陣でした。


それから個人的にいいなあと思ったのが流ノ介バージョンのスーパーシンケンブルー、色合いといい正直スーパーシンケンレッドよりかっこいいです。
殿様が着るのが一番いいのですが、その次にこの強化モードが映えるのは流ノ介であり、丈瑠が不在の時にチームを纏め上げる副将がもうすっかり板についています。
そんな流ノ介が今回しっかりと丈瑠に諫言しているのが見事で、特にこの一言が良かったです。

 


「お守りしようとしているのに、肝心の殿がご自分の命に無頓着では正直頭に来ます」
「十臓と戦えるのは俺だけだ。それに、志波家当主じゃなくて、ただの侍としての俺が戦いたいと思っている」


なんだか丈瑠が段々と十臓に毒されて来ているというか、台詞回しが中二病っぽいのですが、ここで丈瑠の「私」を強調しつつ、それを「公」として諌める流ノ介がいいですね。
そう、流ノ介の役目はあくまでも家臣として殿の命を守り、そして共にこの世を守ること…しかし、その殿が自分の命を惜しまず私闘に走ってしまうのはまずいと言っています。
しかし、十臓を放置したら放置したでそれは問題なわけで、結局どこかグズグズの感じになってしまうのは戦隊シリーズというよりも平成ライダーっぽい感じですが。
小林女史が書いた中だと、それに最も近い構造だったのは「龍騎」ですが、「シンケンジャー」はいかにスーパー戦隊の世界に平成ライダー的な要素を持ち込めるか?に挑んでる感じはしますね。


で、本当なら茉子も反対するべきなのだろうけど、前回太夫の深淵を覗いてしまったせいで逆に深淵に心を覗かれてしまった茉子も反対できなくなっているというのは面白いところ。
この辺りで同じ年長組でも「個人」の因縁がある丈瑠と茉子、そしてそれが全くない純粋な侍の流ノ介という対比として描いて来たのは上手いコントラストになっています。
その分どうしてもこういう時に背後に追いやられがちなのが年少組の千明とことは、そして圧倒的陽キャの源太なのですが、そろそろ彼らにもまたメイン回が欲しいところです。
ユメバクラと家臣達の戦いはまあ前回思う存分に夢世界を描いたので完全な消化試合という感じで、この辺りはまあ思い切りがいいなと。


それからこれはカメラワークでかなり意識したのですが、どうして海岸で戦ったのかというと、おそらくお盆の風習と絡めて海=あの世、地上=この世のメタファーになっているのだなと。
海が「死」を意味する境界線というのは北野映画などでも使われるありがちな表現ですが、本作では「三途の川」という設定と併せて非常に効果的に用いられています。
こういう景色などで情感を表現しているのは本作がとてもこだわっているところであり、個人的には映像表現のセンスは歴代でもトップクラスですね。


ラストはお嫁さんの夢を諦めようとしたところで、彦馬爺さんが絶妙なフォローを入れました。

 


「覚悟をするのはいい。しかしな、少しぐらい余裕がなければ、外道衆と一緒だ。ははは」
「はい」


このまま行ったら、茉子は間違いなく外道堕ち一歩手前の状態になりかねなかったところで、きちんと軌道修正をしてみせたのが見事です。
同時に茉子がここで可愛らしさを出していることで、忠義心一徹の流ノ介、ことはとの差別化にも繋がっているし、また「侍としての宿命」の後に何をしたいか?も示しています。
評価はS(傑作)、一番メインで見せたい部分はしっかり見せ、そのために必要なサイドストーリーやプロセスも良く描けていました。
しかし、ここでうまく纏められるなら、どうしてインロウマル登場をもう少し丁寧に描けなかったのか気になりますが…。

 

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