明日の伝説

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「鳥人戦隊ジェットマン」「激走戦隊カーレンジャー」が異色作としてしか語られてこなかった理由

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先日の記事の続きですが、「ギンガマン」はファンタジックな設定でありながら本質はとてもSF的なマインドに満ちた作品であることを述べました。
まさに「80年代戦隊の概念を90年代戦隊の技法で再構築した作品」、つまり「チェンジマン」〜「メガレンジャー」までの歴史の集約なのです。
そこでどうしても外せないのがその間にいわゆる「異色作」として評価されている「鳥人戦隊ジェットマン」「激走戦隊カーレンジャー」になります。
この2作は歴代戦隊の中でもコアなファンが多く評判も高いのですが、一方で風評被害のような歪んだ評価を長年され続けてきた作品でもあるのです。


たとえば「鳥人戦隊ジェットマン」は戦うトレンディードラマ、「激走戦隊カーレンジャー」は狂気の浦沢ワールドという評価が長い間定着していました。
なぜそんな偏った評価がされていたかというと、作風もさることながら90年代当時の視聴環境が今ほど充実していなかったことが挙げられます。
私が原体験を持った90年代は戦隊にしろライダーにしろ、今とは違って全ての作品がソフトビデオ化されていたというわけではありません。
また、当然インターネットやサブスクもない時代なので歴代戦隊の歴史を知らずにその1作だけを切り取った変な評価が罷り通っていた時代でした。

 

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そして何より、以前こちらの記事でも触れていますが、いわゆる「と学会」みたいな変な連中が特撮を色眼鏡で見て面白おかしく腐してやろうという風潮があったのです。
そのような人たちがのさばって幅を利かせている状態では真っ当な評価などされにくいもので、「ジェットマン」「カーレンジャー」のどちらも好きな私としては歯痒い思いをしました。
今はいろんな世代の方々に触れていただくことができるようになり、そのような歪んだ評価が是正されて少しずつスーパー戦隊シリーズの1作品」として再評価されているのです。
しかし、その一方でこの2作が未だに歴代の中でも奇異な作品として評価され続けている現状はまだ完全に是正されておらず、真っ当な批評の文脈はまだ十分に形成されてはいません。


その原因について考えてみたのですが、色々原因はあれど個人的に思うのはSF的なマインドで見た時にこの2作がそれぞれ設定をきちんち詰められていないことに気づいたのです。
もちろんSF的なマインドと作品としての面白さは別物ですが、どんな作品だって細かくパーツ毎に因数分解していくと設定の粗や弱点の1つや2つくらいあって当然でしょう。
ましてやスーパー戦隊シリーズのように戦いをテーマにした作品であればこの辺りのことをもっと掘り下げて語ることは避けられず、どうしてもきちんと考察してみる必要があります。
ということで、今回は前回の「ギンガマン」の記事から少し派生させて「ジェットマン」「カーレンジャー」の2作をSF的なマインドで語ってみましょう。

 


(1)「鳥人戦隊ジェットマン」のバードニックウェーブ


まず「鳥人戦隊ジェットマン」のバードニックウェーブですが、これは反物資惑星である太陽系十番惑星の調査で発見された新元素「バードニウム」から生まれたという設定になっています。
それをスカイフォースが現代の科学力によって人体に浴びせても大丈夫なように調整していますが、この設定に近いのは「超新星フラッシュマン」のプリズムでしょうか。
地球とはまるで異なる星のオーバーテクノロジーを受け取っている点は同じですが、プリズムと違うのはバードニックウェーブにはいわゆる「副作用」がありません。
40話で対バードニックウェーブ兵器としてやってきた隕石ベムによって1度バードニックウェーブを失効するまでは問題なく使うことができていました。


浴びる前と浴びた後でどう違うかというと飛躍的に身体能力が向上し、アコは走り棒高跳びをアクロバットで乗り切り、凱に至っては車を素手で受け止めてすらいたのです。
これだけ大きな力を与えておきながらリスクが一切ないというのは珍しいのですが、一方でSF的に見るといくつかの疑問が湧いて出てきます。
それはなぜこれだけ飛躍的な身体能力を得ていながら、小田切長官との訓練シーンでアコ・雷太・香の3人がコテンパンにやられていたのかです。
バードニックウェーブを浴びてない素の小田切長官に3人がなぎ倒されるのは少し疑問でしたが、ただこの3人は劇中だと「弱い戦士」として分類されています。


香は特に序盤が顕著でしたが、バードニックウェーブを浴びて身体能力が向上したはずなのに足が折れたり訓練で失敗したりということが多いのです。
一方で正規戦士の竜やアウトローの凱はそのようなシーンはほとんど散見されませんが、この2人は既に戦い慣れているというか力の使い方を知っているのでしょう。
竜は正規の軍人として訓練を受けているから当然として、その日暮らしの凱もチンピラやヤクザのような危ない連中とストリートファイトに明け暮れていたと想像できます。
変身後の凱の戦いって竜の正統派の動きとは違った喧嘩殺法みたいなチンピラの動き方で戦っていたので、竜とはまた違う戦闘センスを持っていたということでしょうか。


そして2つ目、これが最大の疑問ですがバードニックウェーブはプリズムと同じように「ほかの惑星の力」を使って戦っているということです。
以前Twitterのスペースで戦隊ファンの知人が「ゴセイジャージュウオウジャーって「星を守る」と言う割には地球の力を使って戦っていない」と批判していました。
確かにそれはその通りなのですが、実はプリズムやバードニックウェーブも厳密には地球の力ではないため、地球の力で戦っているとは言い難いのです。
だからこそか、この2作は「星を守る」「地球を守る」という言葉を安易に口にしてもいないしテーマにも掲げていません。


そしてまた、さらなる問題は上記の隕石ベムとの戦いでネオジェットマンのバードニック反応炉という完全な上位互換のエネルギーが出たことにありました。
どうやって一条総司令らがこんなものを開発したのかはわかりませんが、もしかすると裏でバードニックウェーブの弱点や問題点を分析していたのかもしれません。
バードニックウェーブは飛躍的な身体能力を与えるものの、決して永久保証ではないから、その力が失効した時にどうすればいいのかがわからないのです。
その問題点が完全に露見してしまったのが隕石ベムとの戦いであり、ここでジェットマンは一度飛躍的な身体能力と共に変身能力を失いました。


ネオジェットマンのバードニック反応炉はそうした問題をクリアしてずっと失われることのない永久機関、つまり「バードニックウェーブの完成版」として出てきたのです。
ピンと来ない人がいるかと思いますが、この「ずっと失われることのない無尽蔵のエネルギー」というのは「ドラゴンボール」の人造人間17号・18号、「エヴァ」のS2機関などがそれに近いでしょう。
スーパー戦隊シリーズでこの手の永久に尽きることのないオーバーテクノロジーを開発しただけでも凄いのですが、そんなものがあるのだったらもっと早く出せよとも突っ込みが来ます。
また、ネオジェットマンの5人は戦闘能力その他全てにおいて竜たちジェットマンよりも上なので、心構えに問題がなかったらずっと戦い続けられた可能性もあるのです。

 

そう、「ジェットマン」のバードニックウェーブやその上位互換のバードニック反応炉に焦点を絞って見た場合、実は結構設定に穴や欠陥があることが見えて来ます。
何よりも「プロの軍人ではなく未経験の素人が戦うべき理由」というのを「マインド」「経験値」以外に十分出すことができなかったのです。
ただ、そうしたSF的な設定の詰めの甘さを本作は複雑な人間関係や「真のヒーローになる物語」といったドラマ性によって補い傑作にしています。
だからこそ、最終回手前で5人の心が完全無欠のヒーローになった時、つまり魂のステージが上がった時にバードニック反応炉を己の体内に取り込むことに成功したのです。


最終回手前でジェットマンの5人がジェットフェニックスの等身大版を使うことができたのは5人の心が真のヒーローに昇華されたからではないでしょうか。
1話のバードニックウェーブも41話のバードニック反応炉も竜たちは「外的な力」としてそれを与えられる形となりましたが、自由自在に引き出す訓練はしていなかったと思われます。
またどうすればその力を引き出すことができるのかまで述べられていないため、最終的にはジェットマン5人のマインドが復讐やわだかまりを乗り越えて真の正義に目覚めることにしたのです。
つまり、「バイオマン」「チェンジマン」が中盤でやっていたオーバーテクノロジーを精神的昇華によって内側に取り込み自由自在に引き出す」というのを本作は最終回手前で行っています。


ジェットマン」はこうして分解してみると実に80年代戦隊の残滓が色濃い作品ですが、一方で上記の課題点は決してクリアできているとはいえない状況でした。
この辺りが長年「戦うトレンディドラマ」というレッテルを貼られて評価され続ける理由になっているのかもしれません。
そしてこれと似たような問題が後続の「激走戦隊カーレンジャー」のクルマジックパワーにおいても起こっているのです。


(2)「激走戦隊カーレンジャー」のクルマジックパワー


次に「激走戦隊カーレンジャー」のクルマジックパワーですが、これもまた一体どのような力なのか?ということに関しては明確に定義されていません。
わかっているのは宇宙にある5つの正義の車正座が源であること、そしてそれがカーレンジャーの変身能力やRVロボおよびダップの力の源になっているということです。
このことは序盤の立ち上がりの段階で実はサラッと描かれており、さらに終盤のクリスマス決戦編や暴走皇帝エグゾスとの最終決戦の部分でしっかり絡んで来ます。
だからこそ無視しようにもできない設定なのですが、これも結局は厳密に定義すると「星の力」ではあっても「地球の力」ではないのです。


恭介たちが第1話および最終回で自分たちが守るべきものを「星」でも「人」でも「地球の平和」でもなく「宇宙の平和」と言っているのもこのことと無縁ではないでしょう。
異星人の力を借りて戦っているのに地球だけを守るというのは身勝手な言い分なので、漠然とまずは「宇宙の平和」という風に設定したのだと思われます。
そして終盤でその宇宙の平和を悪の大宇宙ハイウェー計画という形でかき乱し我が物にせんと企むエグゾスという形で脅威を具体化させ、それを守るカーレンジャーというのに説得力を持たせています。
だから「カーレンジャー」は一見東京の下町にいるご当地ヒーローのように見せていながら、守っているものはかなりの広範囲であり、いうほど「狂気の浦沢ワールド」でも「等身大の正義」でもありません。


しかし、かといってこのクルマジックパワーやカーレンジャーというヒーローの設定が完璧だったのかというと決してそのようなことはなく、改めて見直してみると突っ込みどころ満載の設定です。
例えばカーレンジャーは伝説の戦士という設定ですが、ではその伝説が具体的にどんなものでどれくらいの歴史があって、いつの時代からどのように語り継がれて来たのかという説明はありません。
この設定はおそらく浦沢師匠よりも高寺プロデューサーが設定を固めることにこだわったためにこうなったのでしょうが、1作目ということもあってか詰めきれないままでした。
しかし、その割に終盤でカーレンジャーのクルマジックパワーが失われる理由を「伝説では数万年に一度星が乱れる」とかいう展開になっており、些か唐突なものになっているのです。


また、クルマジックパワーがいわゆる「星の力」なのか「思いの力」なのか、それともバードニックウェーブやプリズムみたいな結晶体のようなものなのか、よくわかりません。
荒川さんが描いたクリスマス決戦編ではクルマジックパワーをカーレンジャーから奪うだけではなく、その源であるダップまで拉致してアクマジックパワーに利用しようとしました。
この時にVRVロボのエネルギーが回復する展開などで具体的に可視化されているのですが、これまでそもそも「クルマジックパワーとは何か?」が定義されていないため、どうにもピンとこなかったのです。
そして終盤では車正座が酒に酔いつぶれたことによってクルマジックパワーが失効し、カーレンジャーは一度ボロボロの状態に追いやられてしまいます。


その後「心はカーレンジャー」であることに気づき、やはり「ジェットマン」と同じように精神的昇華を成すことで真のヒーローの心構えを描き、あぶり出すことに成功したのです。
最終回手前の生身での名乗りはそういう「真のカーレンジャー」になったからであり、ここをギャグながらも描き切ったところが本作のヒーローとしてよくできたところでした。
そして最終回ではそのクルマジックパワーを自ら取り戻しに行き、主体性をかけてクルマジックパワーを手に入れた彼らはそのクルマジックパワーを100%引き出すに至ります。
主題歌の歌詞にある「夢を追い越した時僕らは光になるのさ」という歌詞通り、彼らは一度夢を追い越すことによって宇宙の平和を守る真のヒーローへ覚醒しました。


そのことはRVソードを使ってのハイパークラッシャー、明らかに威力がアップしたオートバニッシャー、そしてカーレンジャークルマジックアタックに象徴されています。
最終回でのカーレンジャーは間違いなくクルマジックパワーを精神的昇華によって己の内側に取り込んだわけですが、一方で力の源に関しては100%詰めきれなかったのも事実です。
また、その辺が曖昧だったがためにボーゾックの持つ「悪」と向き合わずにギャグで有耶無耶にして和解してしまったことがどうしても批判点として残ってしまいます。
この辺りをもっとしっかり詰めておけばシリーズ屈指の大傑作になり得たでしょうに、どうにもこの辺の詰めの甘さで失敗してしまったことは否めません。


だから「激走戦隊カーレンジャー」自体は私も好きですし今でも見返しますが、結局「狂気の浦沢ワールド」という表面的なネタ要素だけが取り沙汰されるのはこの辺に理由があるのではないでしょうか。
浦沢師匠がこの辺に慣れていなかったから仕方ないのかもしれませんが、やはり「ジェットマン」同様「チェンジマン」以後のスーパー戦隊シリーズが行き詰まっていた壁を打ち壊すことはできなかったのです。


(3)SF的に見てもスーパー戦隊シリーズの歴史は奥深くて面白い


こうした例を見ていくと、最終的に「ギンガマン」が「ジェットマン」「カーレンジャー」がクリアできなかった課題を見事にクリアしたのはやはり小林靖子女史の参戦が大きかったと思います。
メタルヒーローでの育成期間を経て「星獣戦隊ギンガマン」でメインライターに抜擢された全盛期の小林靖子女史はまさに虎の子であり、この辺りの諸問題をしっかり分析していたのでしょう。
もちろん高寺プロデューサーや田崎監督、長石監督などのちに平成ライダーシリーズで大活躍するメンバーが揃っていたこともありますが、SF的に優れた作品を見事に作り上げてみせました。
ギンガマン」ではいわゆる「ジェットマン」「カーレンジャー」が最終回で辿り着いた境地にスタート地点で立っているわけですが、それは先達の試行錯誤があったからです。


このようにしてみると、スーパー戦隊シリーズの歴史、わけても「未来戦隊タイムレンジャー」までの歴史は凄く綺麗に繋がっており、着実に変化を積み重ねていることがわかります。
まずは上原正三先生が「ゴレンジャー」〜「サンバルカン」で土台を作り上げ、曽田博久先生が「ゴーグルV」〜「ファイブマン」で幅を広げて更なる飛躍を可能にしました。
そして井上敏樹先生が「ジェットマン」で80年代戦隊をバラバラに開拓した後杉村升先生が「ジュウレンジャー」〜「オーレンジャー」で「ファンタジー戦隊」という新ジャンルの開拓に挑戦。
それらの試行錯誤を踏まえて浦沢師匠が「カーレンジャー」で戦隊シリーズをもう一度解体して「メガレンジャー」「ギンガマン」で「ヒーローとは何か?」をもう一度突き詰めました。


それらの基盤の上にレスキューポリスの戦隊的再構成をやってのけた「ゴーゴーファイブ」「タイムレンジャー」によってスーパー戦隊シリーズの歴史は1つの到達点に達したというところでしょうか。
力の源というSF的な観点から見ると、一見トリッキーで凄まじいことをやってたように見える「ジェットマン」「カーレンジャー」もまだまだ発展途上であることが伺えて面白いところです。
そろそろこういった別の観点からこの2作を批評してみる動きが出ても面白いのではないでしょうか。

 

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