明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズにおける「復讐」の系譜 ①「ゴレンジャー」〜「タイムレンジャー」まで

昨日書いた「ドンブラザーズ」8話の感想が中々好評だったこともあったのと、最近実写版「金田一」を見直したこともあり、「復讐」について改めて向き合い考える時間が多くなっています。
なぜかというと、そもそも「復讐」というものを単なる「物語を盛り上げる要素の一部」として安易に捉えすぎていると思ったからであり、私自身もどこかそういうところがありました。
しかし、スーパー戦隊シリーズに限らずあらゆる創作の中で「復讐」は古今東西使われるテーマにしてモチーフの1つですし、「戦いの動機」という観点から考えても「復讐」はかなり大きな比重を占めています。
今回はスーパー戦隊シリーズにおける「復讐」という要素について、改めて語源を確認しつつ再定義し、それがシリーズの流れとしてどのような歴史を辿ってきたのかを考えてみましょう。

 

 

(1)復讐の定義


まず「復讐」という漢字の成り立ちとその意味を考えてみましょう。まず復は「ふたたび」「また」という意味、讐は「かたき」「あだ」といった意味があり、2つの意味が合わさったものです。
元々は「再び敵対する」であり、類語としては「仇討ち」「報復」「仕返し」といった単語がありますが、こと「復讐」に関してはどこかそれらと違ったニュアンスで用いられている気がします。
どう違うのかというと感覚の問題となってしまいますが、「復讐」というと他の漢字に比べていわゆるネガティブな感情、それも極端に尖った負の感情がそこに伴っているということです。
単に相手にやり返すのであれば「仕返し」「報復」「仇討ち」でもいいのでしょうが、これらの場合はそこまで強い負の感情がなく単なるちょっとした反撃程度の意味合いでも使えます。


しかし、そういうちょっとした反撃や形成逆転の意味で「復讐」という言葉を使うかというとそうではなく、やはりそこにはどこか禍々しい怨念が渦巻いている印象があるでしょう。
「復讐」をテーマにした作品は全部が全部ではないにしてもそこに薄暗く深い闇の情念が漂っていて、人々はそれを見た時決して覗いてはならない深淵を覗いた気分になるのです。
そしてそれはスーパー戦隊シリーズにおいても同じで、歴代でも「復讐」が目立つ作品はいずれもが単なる仇討ちや報復・仕返しの領域を超えたどす黒いものとして描かれています。
「復讐」とは詰まるところ「凄まじい負の怨念を戦う力に昇華して仇討ちを行うこと」を意味しており、ちょっとやそっとの反撃程度では「復讐」とはいえません。


また、「復讐」はその裏に「執着」「執念」といった「相手を地獄の果てまで追い詰める」といったイメージがあり、単なる「やり返す」という類ではないでしょう。
だからこそ物語のテーマにまでなり得るわけですし、またそれが根源的な人間の感情に基づくものとして古今東西使えるだけの普遍性がある題材でもあるのです。
ことスーパー戦隊シリーズにおいて「復讐」という要素を盛り込んでいる作品は印象に残りやすいのですが、その分再現の難しいテーマでもあります。
作劇として盛り上げやすい反面、扱い方のさじ加減を間違えると作品そのものを台無しにしてしまう諸刃の剣、それが「復讐」ではないでしょうか。


(2)復讐は公的動機か私的動機か?


次に「復讐」という要素がいわゆる「公的動機(=人類は今何をすべきなのか?)」か「私的動機(=自分は今何をすべきなのか?)」かという問題ですが、ここでは「私的動機」と定義します。
何故ならば上にも書いたように復讐とは単なる仇討ち・仕返し・報復ではなく強烈な負の感情が伴っており、そこには執念深さや怨念といったものが込められているからです。
少なくとも世間一般が公に認めていない全くの個人的感情が出発点にある以上、公的か私的かということで言ったら間違いなく「私的」なものであることには違いありません。
因みに「公的私的」ということに関して、「戦隊史学基礎」というサイトでは以下のように触れられています。

 

 

ただ、「戦い」とはいっても、それが使命感・正義感に基づいたものであるとは限らない。たとえば、自分の両親を悪の組織に殺されている人間が登場する作品がある。そして、悪の組織と戦っているものの、それはあくまでも自分の復讐感情を満足させるためであり、本懐を遂げる過程で無関係な人間に巻き添えを食わせることになっても知ったことではない、と考えているということはありうる。そうであれば、これは公度私度に入れられるようなものではない。


引用元:http://hccweb.bai.ne.jp/~hci59301/sheroine/map/map2.htm


何故えの氏がこのように述べているのかというと、氏が定義する公的動機と私的動機の基準になっているのが「使命感」、もっといえば「善の正義」として定義されているものだからです。
しかし、そのように考えれば復讐もまた作品によっては「悪の正義」の一種ともいえるわけであって、公私でいえば「私」の方に分類される要素ではないでしょうか。
これに際して、昨日のスペースで頂いた質問として「組織全体で「復讐」という要素を抱えている場合は公的動機なのか?」がありましたが、これも答えは「私的動機」となります。
何故ならば組織全体での復讐も、だいたいは中心にいる人物が何かしらの復讐心を抱えていて、他のメンバーも共感するか、あるいは個々のメンバー全員が復讐心を抱えていることもあるからです。


そしてそのように設定されている作品は大体において自発的に結成された戦隊である確率が高く(あくまで傾向であって絶対ではない)、公度はあまり高くありません。
そういう事情のため、ここであくまで復讐は「私的動機」の1つとして等価値に扱わせていただきます。


(3)歴代戦隊における復讐の歴史(「ゴレンジャー」〜「タイムレンジャー」)


それでは具体的に歴代戦隊における復讐のケースについて見ていきましょう。
表の見方ですが、まずNo.と戦隊名はそのままで、復讐の有無は作品の中で「復讐」と呼べるケースがあるかないかを判別するもので、なければ「復讐の対象」「作品内での扱い」は「-」です。
復讐がある場合には「有」と書いた上で、「復讐の構図」、すなわち誰が誰に対して復讐をなそうとしているのかを復讐者→復讐の対象という形で書き、更に「作品内での扱い」で「大中小」で判定します。
「小」は一話単位、あるいは少しだけ触れている場合、「中」は物語全体に影響を及ぼすわけではないもののしっかり描かれている場合、そして「大」は物語のメインテーマにまで影響を及ぼす場合です。
作品数が多いので今回は20世紀戦隊、すなわち「ゴレンジャー」〜「タイムレンジャー」までとし、「ガオレンジャー」以降はまた次の項目で述べます。

 

No. 戦隊名 復讐の有無 復讐の構図 作品内での扱い
1 秘密戦隊ゴレンジャー - -
2 ジャッカー電撃隊 ハートクイン/カレン水木→クライム
3 バトルフィーバーJ 2代目バトルコサック/神誠→エゴス
4 電子戦隊デンジマン - -
5 太陽戦隊サンバルカン - -
6 大戦隊ゴーグルV - -
7 科学戦隊ダイナマン ダークナイト(メギド王子)→ジャシンカ
8 超電子バイオマン - -
9 電撃戦隊チェンジマン - -
10 超新星フラッシュマン フラッシュマン5人→メス
11 光戦隊マスクマン - -
12 超獣戦隊ライブマン 初期ライブマン3人→ボルト、ライブボクサー2人→ボルト
13 高速戦隊ターボレンジャー - -
14 地球戦隊ファイブマン ファイブマン5人→ゾーン
15 鳥人戦隊ジェットマン レッドホーク/天堂竜→バイラム(ラディゲ)
16 恐竜戦隊ジュウレンジャー ドラゴンレンジャー/ブライ→ティラノレンジャー/ゲキ
17 五星戦隊ダイレンジャー 孔雀→ガラ
18 忍者戦隊カクレンジャー - -
19 超力戦隊オーレンジャー - -
20 激走戦隊カーレンジャー ダップ→ボーゾック
21 電磁戦隊メガレンジャー Dr.ヒネラー→人類全体
22 星獣戦隊ギンガマン 黒騎士ブルブラック→バルバン、ブクラテス→ゼイハブ
23 救急戦隊ゴーゴーファイブ ジーク→ゴルモア
24 未来未来戦隊タイムレンジャー タイムピンク/ユウリ→ドルネロ

 

(4)全体の傾向


全体の傾向として、「復讐そのもの」を大々的に描いた戦隊は少なく、物語全体に影響を及ぼしたのはダイナマン」「ジェットマン」「ギンガマン」の3作しかありません。
あとはほとんどないか、あったとしても本筋や作品全体に影響を及ぼすわけではない添え物・枝葉末節として扱われているものがほとんどです。
個人の因縁が強い「フラッシュマン」「ライブマン」「ファイブマン」といった戦隊ですらも物語全体に食い込むほどの要素として扱われていません。
逆にいえば、個人の因縁などがなくても作劇が成立するのがスーパー戦隊シリーズの作劇の自由度というか幅の広さの所以だなあと思うところです。


中でも特異的なのは「ダイナマン」で、メギド王子がジャシンカ全体に復讐を行い、更にダイナマンまで圧倒せんばかりの勢いだったのは見事でした。
いわゆる敵組織の幹部だったやつが離反して第三勢力になるというパターン自体は「デンジマン」のバンリキ魔王が原点となっていますが、明確な「復讐鬼」として描かれたのはメギド王子とブクラテス位でしょう。
他にもジュウオウやスーパーギルークなどの例はありますが、物語全体に影響を及ぼす復讐鬼というと殆どいないのであり、それだけ扱いが難しくそう何度も使える手ではありません。
強いて挙げるなら他にも「カーレンジャー」のダップや「メガレンジャー」のDr.ヒネラーなど主要キャラが復讐を動機としていることはあっても、物語全体のテーマとなるほどではないのです。


このように見ていくと、我ながら思うのは「復讐」という点において「ギンガマン」がいかに歴代で異色の構成だったかということにあります。
ギンガマン」の面白い点は元ヒーロー側→敵組織という古典的なダークヒーロー系と敵組織幹部の裏切り者→敵組織首領という形で二重の「復讐」の構造が存在していることです。
そして、ブルブラックとブクラテスがそれぞれ2クール目と4クール目で己の復讐を果たすためにリョウマの兄・ヒュウガを利用しています。
ヒュウガを媒介することによって単なる「復讐」ではなく疑似的な形でヒュウガがブルブラックの痛みや悲しみを追体験する構造になっているのです。


また、「ジェットマン」のレッドホーク/天堂竜も最初は復讐の対象が「バイラム」という組織全体だったのが、最終話手前の「それぞれの死闘」で復讐の対象がラディゲ1人となっています。
ラディゲ自身がバイラムの象徴だから当然ではあるのですが、主人公が復讐する対象がマクロなものからミクロなものへと矮小化されていくのも当時としてはかなり珍しいでしょうか。
竜の復讐は恋人・葵リエを失ったことが原因ですが、それが単なる痴情のもつれというだけではなく、ジェットマンというチーム全体にも影響を及ぼすという点でも殆ど例がありません。
それくらいメインテーマに「復讐」という要素が関わること自体が珍しく、ほとんどがどうしても「山場を盛り上げるための1イベント」としてしか扱えないのではないでしょうか。


20世紀最後の戦隊となった「タイムレンジャー」のユウリとドルネロの関係は天堂竜→ラディゲの復讐の女版ともいえそうですが、やはり「物語の一部」としてしか扱っていません。
タイムレンジャー」自体があくまで「明日を変える」ことに軸足を置いた戦隊であり、ユウリにとってのそれはあくまで「ドルネロを逮捕すること」だけだったのです。
きちんと消化はされたものの本筋に与えた影響は極めて少なく、最後の大消滅を食い止めに戻ってきたのはあくまで「竜也との思い出」があったからでした。
総じて20世紀スーパー戦隊シリーズにおいて「復讐」という要素を「盛り込む」ことはできても「メインテーマに組み込んでガッツリ格闘する」という作品はほとんどありません。


今回はとりあえずここまでで、残りの「ガオレンジャー」〜「ゼンカイジャー」はまた後ほど。

 

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