明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ39作目『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015)11・12話感想

 

忍びの11「シノビマル、カムバーック!」


脚本:下山健人/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
スターニンジャー・キンジは道場に住み込み天晴たちの身の回りの世話を始めたが、刺客でもあるわけで皆もペースを乱される始末。一方、蛾眉は「赤いの」との再戦の舞台を整えるよう十六夜に命じた。それが出来れば牙鬼復活に専念するというのだ。誕生した妖怪はエンラエンラ、ガシャドクロも登場しアカとアオはオトモ忍を召喚する。だか、何故かシノビマルは急にUターンしてどこかに消えてしまう……シノビマルに何が?


<感想>
「嘘だ!嘘くさいフォローなんか聞きたくないよ!」


このセリフというか、今回の展開そのものこそ私が見たくも聞きたきもなかったものなんですが、作り手は本気でこんなものを面白いと思っているのでしょうか?
確かに戦隊シリーズとかだと「このキャラ空気だなあ」とか「不遇な扱いを受けてるなあ」とか思うことはありますが、まさか挙ってこんなことを言い出すとは……。
何だろう、もはや作り手の「こういうダメなとこに切り込める俺たちすげえだろ(ドヤッ」しか見えなくて、好きとか嫌いとかを通り越してただただ意味不明。
扱いが不遇なキャラがいるんだったら、不遇さを自虐ネタにして突っ込ませるんじゃなく、「成長させて活躍の場を与える」ことでやっと最適解となるわけです。


今回でいえば存在感が希薄化していた風花と凪をネタにそれをやっているわけですが、この2人が目立たないのはそもそも「キャラ自体をまともに描けていないから」でしょう。
描写だけでいえば風花も凪もそれなりに出番はあるのに印象が薄いのは役者の演技が大根だから脚本・演出ともに2人をどういうキャラ付けで描くが不明瞭なまま描いているからです。
忍者ものの資格だったり天晴の妹だったり、そういう「属性」は盛り込んでいる割にそれがきちんとキャラクターのドラマとしての芯にまでなっていないから面白くないということになります。
それに2人がコンプレックスを感じている対象となった天晴やキンジにしてもきちんと立っているわけじゃなく、ただ自己主張が激しいだけのクソガキでしかないのですがね。


それから八雲とキンジの衝突ネタにしても「シンケンジャー」の流ノ介と源太の衝突ネタを安易にパロディしたものでしかなく、その衝突が物語としての面白さになっているわけでもありません。
何やらイギリス英語とアメリカ英語の対比を作っていましたが、問題はそれが「忍者」と何の関係もないただの枝葉末節なネタで物語に広がりがないということにあります。
流ノ介と源太が衝突することになったのは当主である丈瑠の幼馴染と剣術・モヂカラが使えるだけで贔屓されていることへの嫉妬と「侍としての心構え」ができていなかったことにありました。
だから根っからの純粋侍である流ノ介にとって源太の存在は不純物であり、源太も自分のやっていることが決して「ごっこ遊びではない」と認めてもらおうとして対立することになったのです。


しかし、八雲とキンジは別にそこで衝突するような要素がありませんし、イギリス英語とアメリカ英語の違いをどうこう言ったところで別にそれがキャラクターのバックボーンになっているわけでもありません。
自虐ネタを盛り込むなとは言いませんが、自虐を自虐で済ませるのではなくキャラクターのプラスに還元して成長へと繋げていかなければ単にマイナスのまま終わってしまうことになります。
この辺りの酷さが終盤の展開では余計に深刻化してしまうのですが、早くも作品全体を腐敗させる膿をここで作り手が自ら出してしまっているというのはいいことなのか悪いことなのか……。
どっちにしても全く面白みがなく、アクション自体は面白かったのですが、せっかく追加戦士が出てくることで起こるはずの化学反応が全く面白くなかったため評価はF(駄作)以外ありません。


忍びの12「最強決戦!奇跡の合体」


脚本:下山健人/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
コクピットで倒れてしまったアカニンジャ―。まさか、タカ兄が蛾眉雷蔵に負けてしまうとは……ショックを受ける八雲たち。「心してかかれ」と祖父・好天の指令に緊張が走る。すぐには戦えない天晴の代わりに、皆は今出来ることをやるだけだった。そんな様子をみていたスターニンジャー、キンジは?


<感想>
先生!家族愛とは無縁のところにある本作で、どうすれば作品としてたどり着くメッセージが「家族愛」になるのでしょうか!?


そんなツッコミを思わずしてしまった1クール最後の回ですが、結果的には所詮ここまでの土台構築すらまともに出来ていなかったことが判明しただけとなってしまいました。
蛾眉にフルボッコにされたところからの形勢逆転、天晴が倒れたことで強まるチームの絆とそれを受けてのキンジの心境の変化、そしてそれすら全て悪事に利用する久右衛門。
状況や題材としては非常に面白くなりそうなものが揃っているにも関わらず、全部がバラバラに空中分解したまま終わるというのは一周回って新境地ではないでしょうか。
まあこの際「家族愛」に関しては、「家族愛と見せかけた天晴マンセーということで解釈すれば、一応筋が通っていないこともありません……全く乗れませんけどね(^^;


そもそも前回の「強くなったな、赤いの!」というセリフからしてダメダメで、ジャンプ漫画でもそうですがこの手の「強さの格が描けてない奴が「強くなったな」と強敵認定するのはダメ」というジンクスにハマることに。
急に「正々堂々とした武士道ムーブ」でカッコよさを演出していますが、こういうのはそれこそキャラクターのバックボーンと積み重ねがしっかり描けているからこそ映えるのです。
しかし本作はそもそも蛾眉のやっていることって「己の力量と相手の力量の差もわからない三下」であって、それって要するに天晴と変わらないただの武力バカなのですよね。
要するにパワーバカの力自慢でしかなく、それを迎え撃つ天晴=アカニンジャーもただのパワーバカでしかないので、パワーバカVSパワーバカの力自慢という全く物語として締まらない展開になってしまいました。


しかも、表向き凄くかっこいい風の演出をしていたから今回はどうやって乗り切るのかと思いきや、単に4人の剣の力を天晴1人に集約させてトドメを刺すという、あまりにも身も蓋もなさすぎる刺し方です。
そんなことで解決できるんだったらわざわざ天晴をボコボコにさせる意味がありませんし、むしろ「仲間達がいながらそんなことにも気づけなかった天晴がバカ」ということの強調になってしまっています。
これが「高度な次元で戦える者同士の拮抗したぶつかり合い」ならこの展開にも唸るのですが、それならそれで技や知略を使っての駆け引きをもっと描かなければなりません。
逆転の必殺技によってカタルシスを演出するというのはそこまでの積み重ねや下地の整え方が完璧であればこそ可能なのであって、本作はその積み重ねや下地すらボロボロです。


何度でも言いますが、本作は家の建築に例えるなら、基礎土台の鉄筋コンクリートや基礎断熱・ミラフォームなどがボロボロな状態で上に掘っ建て小屋を建てようとして崩れています。
1クールめでここまでボロボロだと、よほど頑張らないと取り返すのは難しいのですが、本作は決して最後まで取り戻すことのないままボロボロで全てが終わるので覚悟しておいてください。
で、結局蛾眉に勝てた秘訣は家族愛でもチームワークでもなく「天晴=主役、他のメンバー=引き立て役」を忠実に貫いた結果でしかないため、総合評価は当然F(駄作)
何が気持ち悪いと言って、誰がどう見ても天晴マンセーにしかなっていない展開を表向きいい話風に見せて美談に仕立て上げようとしているところです。

 

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