明日の伝説

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『救急戦隊ゴーゴーファイブ 激突!新たなる超戦士』感想

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ギンガマン」の次は何書こうかと思ったのですが、Twitterである方と「ゴーゴーファイブ」の話をしてたら「ゴーゴーファイブ」について書きたくなったので、これからは「ゴーゴーファイブ」について書きます。
一応本編自体は何度も繰り返し見ているので大体の雰囲気や話の骨子は掴んでいるのですが、その前にこのオリジナルビデオに関しては一度も見たことがなかったので、見てみました。
結論から言うとあまり面白くなかったので、かなり酷評気味です。


脚本:武上純希/演出:渡辺勝也


<あらすじ>
ある日、外宇宙から謎の隕石が地球に落下した。街に大災害が発生し、ゴーゴーファイブは救急マシンで出撃し救助活動に当たる。そして、隕石が落下した場所へ行くと、そこに現れたのは災魔一族と宇宙を二分すると言われる獣魔一族の王・獣魔王ゴルモアだった。大魔女グランディーヌに勝るとも劣らない圧倒的な力の前にゴーゴーファイブは苦戦を強いられる。するとそこに、金色のコンバットスーツを身に纏った戦士が現れた。名は獣魔ハンター・ジーク、獣魔王ゴルモアを倒すためなら卑劣な手段をも厭わない復讐鬼だった。彼の攻撃の巻き添えを食らって京子先輩が怪我をしてしまい、ゴーゴーファイブと対立するのだが…。


<感想>
個人的に「ゴーゴーファイブ」本編は大好きというわけではないものの高く評価しているんですが、そもそも戦隊シリーズにおいてこういうVSシリーズやオリジナルビデオ・映画の類はあまり好きじゃないんですね。
ゴーカイジャー」のような公式が二次創作みたいな作品であれば、映画もお祭り要素として楽しめるんですが、「ゴーゴーファイブ」ってそんなにお祭り要素はない作品じゃないですか。
そのため「VSギンガマン」はともかくこのオリジナルビデオに関してはパッケージやあらすじの時点で嫌な予感はしたんですが、いざ本編を見てみるとそれがもろに的中してしまった感じ。
Amazonでは評価が高いようですが私は正直なところ微妙でございまして、その理由に関してこれから列挙していきます。

 


(1)獣魔ハンター・ジークのドラマが黒騎士ブルブラックの完全な劣化コピー


まず、つい最近まで「ギンガマン」を見ていた直後というのがタイミング悪かったのかもしれませんが、本作の見所である獣魔ハンター・ジークが黒騎士ブルブラックの劣化コピーの域を抜け出ません。
故郷の星を滅ぼしてやってきたゴーゴーファイブとは異なる復讐鬼、速瀬京子先輩に大事な人であるリリアの面影を重ねるところなどはまんまギンガレッド・リョウマにクランツの面影を重ねる黒騎士の設定です。
また、「人の命を守る」というスタンスのゴーゴーファイブと価値観の対立があり、後半に向けて改心していくところまで含めて完全に「ギンガマン」2クール目の展開の焼き直しとなっています。


何故ここまで前作中盤のシナリオに作風を寄せたのか理解に苦しみますが、おそらく理由は2つあって、まず1つが前作の黒騎士ブルブラックや黒騎士ヒュウガの人気が高かったことが挙げられるでしょう。
そしてもう1つが本作の初期構想で没案となった「6人目の戦士」というネタを思い切ってここで実現しようというものだったのでしょう。後述しますが、本作ラストではジー宮村優子演じる速瀬京子が変身しています。
しかも自身の魂をクリスタルに封印して京子に託すというくだりも、まんまギンガマン第二十五章と第二十六章のくだりをやったもので、ここまで露骨なエピゴーネンをやられると清々しい…訳があるか!!
そういうわけで、安易な前作の人気要素をそのまんま捻りなく真似してしまった結果、かえってハリボテのような薄っぺらい記号的描写になってしまった感じは否めません。


まず黒騎士の復讐鬼という設定やそれに纏わるドラマが映えたのは元々黒騎士がギンガマンと同じ「星を守る戦士」というルーツがあって、ヒュウガの暗黒面を体現した存在として描かれました。
また、リョウマとヒュウガも同じ星の戦士でありながらリョウマは第一章でヒュウガを失い、第二章で故郷のギンガの森を失っているという痛みを抱えて物語をスタートしているのです。
初期段階から用意周到にキャラクターのバックボーンが形成されているから弟のクランツと故郷の星を失った黒騎士とギンガマンの対立や葛藤が映えて見事なドラマとして成立しました。
しかし、本作のジークは獣魔王ゴルモラとの因縁と大事な人・リリアの面影を速瀬京子に重ねていること以外はゴーゴーファイブ側と何も通じるところはありません。
「人の命は地球の未来」を背負ったゴーゴーファイブのアンチテーゼとして描かれるのかと思いきや、そのようなことはなくただ復讐鬼として攻撃するのみ


そもそも獣魔ハンターと救急戦士という設定自体が何のつながりもないし何の対比にもなっていないので、復讐鬼のドラマとしてすごく薄っぺらくなった感じは否めません。
しかも「ギンガマン」の場合、そのブルブラックがやろうとしていた復讐を今度は4クール目に入るとブクラテスが行うようになり、ヒュウガがまたもや復讐の道具に利用される形となるのです。
1年がかりで丁寧に「復讐」と「自己犠牲」にしっかり向き合ったからこそ「ギンガマン」は傑作となり得たのであって、本来「復讐」「自己犠牲」は土台40分の物語で掘り下げられるものじゃありません
結果として、ジーク自体が黒騎士の完全な劣化コピーから抜け出られないまま終わってしまい、非常に物足りない出来でした。


(2)獣魔王ゴルモアのキャラ設定もイマイチよくわからない


2つ目に、そのジークの因縁の相手である獣魔王ゴルモアのキャラもよくわからないというか、そもそも獣魔一族という設定自体があまりに詰め不足なので、単なる「外宇宙からやってきた謎の脅威」以上になりません。
デザインは悪くないのですが(少なくともブルー・スワットのスーツを金ぴかにしたようなジークよりはマシ)、そもそも何故地球を侵略しにやってきたのかがわからないのですよね。
剣の行方を追って地球にやってきたという設定ですが、それなら剣を回収した時点で地球からおさらばすればいい話であって、わざわざ災魔一族と結託する理由がありません。
この辺りはどうにも武上純希氏をはじめとして作り手の設定の詰め不足が裏目に出てしまったとしか思えず、それなら最初からやらない方がマシだったんじゃないでしょうか。


災魔一族の設定がうまく行っているのは1999年という当時の時代性に負うところが多分にあり、当時はいわゆる「ノストラダムスの大予言」なるものが世間でまことしやかに信じられていた時代です。
だから「恐怖の大王がやってくる」という設定の象徴という点でよくできたのであって、しかも巽ブラザーズと同じように「兄妹」という設定でうまい対比になっています。
こういう設定になっていて、グランドクロスの時に大魔女グランディーヌが降臨するという設定だから成り立ったのであって、獣魔王ゴルモアはそのような設定になっていません。
いわゆる「恐怖の大王」のメタファーだったにしても、もっと悪の美学を感じさせて欲しいのに、やることが「ゴーゴーファイブを倒した暁には地球を焼き尽くす」というショボいものです。


本当に大魔女グランディーヌに匹敵する力を持つのであれば「ふざけるな、お前らと徒党を組む気はない」という展開の方が面白いはずですが、何故かそうはなりません。
これならまだ小林靖子が書いた「VSギンガマン」に出てくるオリジナルの災魔一族の捨て子という設定の方がうまく行った気がします。
結果として、ただただ好き勝手暴れ回っているだけのテンプレートな悪役の領域を抜け出ないので、あまり面白くありません。


(3)宮村優子が変身しても全然面白くない


そしてこれはもう完全な私個人の好みの問題なのですが、宮村優子こと速瀬京子が変身して戦っても全然面白くないんですよね。
確かに本編中盤で速瀬京子がもしかしたら6人目の救急戦士になってしまうのでは?というミスリードはありましたが、あれは半分ギャグです。
しかもモンド博士自ら「ゴーゴーファイブに6人目など必要ない」とはっきりと言っていますから、ゴーゴーファイブに6人目など要りません。
だからこそ、この回限定で6人目ということなのでしょうが、速瀬京子が変身してもそこになんらのドラマも生じないのです。


しかもゴーゴーファイブの5人が速瀬京子の変身に対してリアクションがなく、ただちょっとアクションで活躍を見せた後はブレイバーソードのエネルギーにしかならなかったのが残念。
その戦闘シーンに関しても問題で、いくらジーグの魂が封印されているからといって、ジークハンターのスーツを着たただけであんなに一流の戦いができることに違和感があります
せめて京子がぎこちなく戦いつつジークが指示しながらやればまだ納得はできましたが、そうじゃないのでゴーゴーファイブの努力や実戦経験を明らかに愚弄してしまいました。
あと京子はあくまでも前作「ギンガマン」の青山勇太のような一般人代表というか賑やかし枠であって、決して日常的に前線に出て活躍する人ではありません。


また、それこそ黒騎士関連と比較すると、ヒュウガが黒騎士の思いを背負って戦う設定が絶妙だったのは炎の戦士・ギンガレッドをリョウマに譲るという「痛み」と引き換えだったからです。
第一章でリョウマに資格を手放して死に、その後は黒騎士にその力を利用され、そして第二十五章で分離した後正式にリョウマに星獣剣の資格を託しました。
それがあって、しかも星を守る戦士に戻った黒騎士の思いを継承するという流れだから真のギンガレッド・リョウマの誕生と真の黒騎士ヒュウガの誕生が劇的なものとなったのです。
しかし、本作の宮村優子にはそのような強固なバックボーンや積み重ねがなく、単にリリアと似ていたという理由だけでジークの思いを受け継いであっさり6人目になってしまっています。


しかもそれがゴーゴーファイブ側と何のドラマも関連性もないので話に奥行きや広がりが生まれず、世界観の拡張性もないので、ただただ速瀬京子が6人目として活躍というイベントを消化しているだけになりました。
別に速瀬京子が6人目に変身するのは構いませんが、それならば「どうやって速瀬京子が一般人からヒーローになるのか?」というドラマの積み重ねは必要であり、それこそ1年がかりで描かないといけません。
ゴーゴーファイブの5人は救急戦士として戦う前から人の命を救うことを仕事とし、高いヒーロー性を持っていたからゴーゴーファイブとして5人兄妹で1つのチームとして戦うことに納得できました。
京子先輩がそれをやるにはもっと積み重ねがなければできないことだと思うので、そういった部分を雑に扱ってしまったのは武上純希脚本の欠点が露骨に出た感じです。


(4)ダイレンジャーファンとして見てもあまり楽しめない


唯一本作の見所があるとすれば、ジーク役を「ダイレンジャー」のリュウレンジャーを演じた和田圭市氏とスーツアクター・大藤直樹、そして渡辺勝也というダイレンジャースタッフ・キャストであること位でしょうか。
何故和田圭市氏を起用したのかということですが、それこそ「メガレンジャー」の金井茂氏や「ギンガマン」の小川輝晃氏など、かつて特撮ヒーローを演じたOBキャストの起用が人気を博したからです。
私はダイレンジャー自体はそこまで評価は高くないですが好きな作品ではあるので、和田圭市氏を起用することや活躍してくれることにはそこまで文句はありません。
ただし、上記したように根本のキャラクター設定やドラマが面白くないので、完全にスタッフとキャストの自己満足で完結してしまった感じです。


随分と酷評してしまいましたが、おそらくその辺のことを気にしなければ一本のドラマとしてはまあ凡作レベルじゃないかとは思います。
ただ、やはりドラマの内容やキャラの設定などが完全に前作で大人気だったテーマやドラマの劣化コピーにしかなっていないことが悉く引っかかりました。
これなら武上氏ではなく小林女史に書かせた方がまだ面白いドラマが書けたのではないかと思うのです。
やっぱり武上氏はメカニックや玩具販促は書けるけど、キャラのドラマはうまくない人で、総合評価はE(不作)といったところでしょうか。

 

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