スーパー戦隊シリーズ22作目『星獣戦隊ギンガマン』(1998)25・26話感想
第二十五章「黒騎士の決意」
<あらすじ>
目的だったギンガの光をギンガマンに奪われてしまい、後がなくなった黒騎士は自暴自棄になるが、またもや激しい動悸に襲われる。その動悸の正体は死んだと思われていたはずのヒュウガの声だった。ヒュウガは黒騎士に「ダメだ、考え直せ」と訴えるが、黒騎士はその意思を封じ込め、地球ごとバルバンを潰そうという暴挙に出る。一方バルバンではイリエスが次の行動隊長に指名され、魔人ワンガワンガを送り込んで次々と人々の心から憎しみの心を奪い取っていく。黒騎士はブルタウラスで火山にエネルギーを注ぎ込み、ギンガイオーがそれを止めに入るが、トドメの一撃を放つ前にゴウタウラスが拒否し離れていってしまうのだった。
<感想>
ギンガマン中盤の傑作群、今回と次回でいよいよまとめとなります。
実質は前回まででまとめ終えたのですが、3クール目の入りで黒騎士関連を終了させることで、物語のテンションを落とすことなくしっかり引き継ぎました。
黒騎士ブルブラックの壮絶な最期とヒュウガの再会という、ストレスとカタルシスの双方が入れ混じった構成が本作らしいところです。
追い詰められたブルブラックは遂に自暴自棄を起こしてしまい、ギリギリ保った精神の平衡が崩れてとんでもない行動に出ようとします。
「ゴウタウラス、行くぞ。最後の戦いだ。この星もろともバルバンを吹き飛ばす」
しかし、パートナーのゴウタウラスは昔のような星を戻る戦士になり、ゴウタウラスはクランツと過ごした平和な日々のことを思い出すのです。
ここで、黒騎士が「星を守る戦士」だった頃、すなわちヒュウガのような優しき戦士だった頃を描写することで、黒騎士に共感できるようにしています。
それと比べて復讐だけが残った戦う生物兵器に成り果てたブルブラックはゴウタウラスにはもうついていけない別人だったのでしょう。
「昔のような戦士に戻ってなんの意味がある!?今の私に守るべきものはない」
しかし、ここでブルブラックは激しい痛みに襲われてしまい、内側から何者かが訴えてきます。
(黒騎士、やめるんだ。考え直せ!)
まあヒュウガの声だったわけですが、その一方で新しい行動隊長に任命されたイリエスはあまりにも派手派手しいインテリアに頭を悩ませるゼイハブとシェリンダ。
内心(これならまだサンバッシュやブドーの方がまともだった)と思っていそうで、内心この時からゼイハブはイリエスを切り捨てる腹積もりだったんじゃないかなあ。
後々の展開を思うと、イリエスがダイタニクス復活をまともにできるとは思えないので、表向き信頼してるように見せておいてさっさと始末するつもりというか。
ブドー魔人衆に比べると明らかにプレゼン力も低いし、魔力以外はそんなに強くなさそう…イリエスはワンガワンガを繰り出して憎しみの心を集めていく。
そしてゴウタウラスは山の火口にツインブルソードからエネルギーを叩き込むことで、地球を爆発させてバルバンごと吹き飛ばそうとします。
ここで改めてデタラメな能力を見せているのですが、元々バルバンからしてナチュラルに環境破壊や地球規模の作戦がお手の物だったので、黒騎士がこの規模の作戦に出るのも納得。
同時にバルバンを倒すためなら、非情な手段すらも辞さないあたりの一線の超え方がバルバンと同質の存在に成り下がっている黒騎士の救いようのなさを示しているのです。
私が批判した「シンケンジャー」の二十幕で丈瑠たち4人が働こうとした外道行為はここまでではなくとも、これと同じぐらいのことをしようとしたんじゃないでしょうか。
ただ、元々復讐鬼としての一線を超えていた(それに納得できる背景設定がある)黒騎士と、その外道行為に及ぶ背景設定が薄いシンケンジャーとでは説得力が段違いなのですが。
ギンガイオーはブルタウラスを止めようとするが、最後の一撃を放とうとした時に痺れを切らしたゴウタウラスが合体を強制解除…ここで星獣を単なる戦士たちの召喚獣扱いしないバランスが見事。
ギンガマンたちと友好的な存在として描かれている星獣ですが、ここで強制解除することでゴウタウラスにはゴウタウラスなりの人格があることで物語にまた奥行きが生まれました。
そこで黒騎士の極上の憎しみを感じ取ったワンガワンガが黒騎士の憎しみを吸収する展開が黒騎士の今までやってきた復讐が仇となる展開で、非常に良くできています。
そんな黒騎士を放ってはおけないと最も関わりの深いギンガレッドが助けに入るのですが、ここで決してそんな黒騎士であっても全否定せず救えるなら救おうとする優しさがギンガマンです。
「ギンガレッド!貴様どこまでその甘さを押し通すつもりだ?」
「俺は誰だろうと、見殺しにできないだけだ!」
「私が……お前の兄を利用していると知ってもか!」
ここで改めての伏線回収が行われ、黒騎士が実はヒュウガだった…のではなく「ヒュウガを体内に取り込んでいた」という少しズレたオチになっているのが絶妙。
第一章で落ちてきたヒュウガが自分のところに落ちるという怪我の功名により、ヒュウガのアースを体内に取り込むことでボロボロの肉体が復活しました。
これにより第十二章でリョウマに聞こえていた声が実はやや遠くから黒騎士の体を通して見ていたヒュウガの心の声だったことが判明。
さらには第十八章でリョウマが黒騎士に感じた兄の感覚も間違いではなく、二十章で北風小僧魔人の氷針を受けても無事だったのは体内に取り込んだヒュウガのアースのお陰。
見事なまでに復活したものの、復讐を止めようと訴え続けるヒュウガの意思を弟の形見の短剣を使って封印したことを明かすのです。
「ヒュウガが解放されるのは、私が死ぬ時だ。私を殺すか?ヒュウガを取り返す為に」
ここでヒュウガ兄さんが生きていたという予想可能な落ちにしつつも、そこから回避不可能の深刻な問いをリョウマに突きつける黒騎士。
安易に答えを出さずに葛藤するリョウマの姿が「公も私も双方を守る」というギンガマンらしさを象徴していてとても良かったところです。
兄を見殺しにするのも、そして逆に星を守る戦士を放棄するのもどちらも本作が目指すヒーロー像ではありません。
ここでヤートットを倒しつつ、思わず止まってしまったギンガレッドに黒騎士は問いかけるのですが、ここからの返答が凄まじい。
「見ろ、誰でも同じだ。憎しみと目的の為には手段を選ばない。しかし今殺されるわけにはいかん。私は復讐を果たす!」
「何かを守る為に戦うことを教えてくれたのは兄さんだ。あなたを殺して助け出しても、兄さんは喜ばない!俺たちは星を守る為に戦っているんだ!」
ここでのリョウマの返答はもちろん第一章からずっと見てきた視聴者には自明のことなのですが、第十七章で勇太に教えた「力と心のあり方」を通して強さを描いてきたギンガマンのヒーロー像が示されます。
良かったのは兄を助けたいという「私」の部分を決して否定せず、しかしその為に安易に使命を捨てることもしないという徹底した芯の強さをスタンスとして見せつけていること。
本作は歴代戦隊の中でも特に「星を守る」という目的が単なる戦いの動機やお題目に終わるのではなく、それをきっちり登場人物のドラマに活かしています。
しかもリョウマが背負っている思いというのは単に戦いの中で得たものではなく、ヒュウガから伝えられたものであると同時にギンガの森の民の3,000年の歴史が詰まった民族的思想でもあるのです。
とにかく素晴らしいのは本作のこの壮大な背景設定とリョウマたちの等身大のドラマがうまくリンクしているところであり、これはのちの「タイムレンジャー」にも継承されています。
だからこそ公のために私を犠牲にすることも、その逆の私のために公を犠牲にすることもしないというリョウマの葛藤と選択がドラマととして映えるのです。
そんなリョウマの姿を見て黒騎士もまたかつてのクランツの面影を重ねるのですが、ここで改めて「クランツがなり得たかもしれない未来の姿」としてのリョウマが重なるのも演出としてうまく作用しました。
つまり、黒騎士がリョウマを否定しきれないのは、リョウマを否定してしまうと自身が大切に思っていたクランツをも否定してしまうという自己矛盾に陥ってしまうからです。
ここで公と私の狭間で葛藤しつつも、あくまで大事なのはハヤテたちとともに星を守ることであるという覚悟を固めたリョウマはもう立派なギンガレッドになっていました。
黒騎士の存在が見事にリョウマを成長させ、またリョウマが成長することでギンガマン全体も成長することに繋がるという図式が本作のとても良くできたところです。
それでいて、2010年代の戦隊に見られがちだった「レッド崇拝」には絶対にしないというバランスの落ち着け方が絶妙で、今の戦隊じゃこんな高度な文芸はできないんだろうなと切なくなります。
改めて5人揃ったギンガマンはワンガワンガと戦うことを決意し、ギンガの閃光からそのまま超装光ギンガイオーでトドメを刺すのですが、ここで憎しみの槍が火口へ落ちてしまいます。
かつてないほど地球大ピンチで、これまで寒冷化に地殻変動レベルの大地震、爆破テロに酸性雨、大気汚染、山火事、そして今度は地球爆発とここまでハードな戦隊はありません。
単なる地球征服ではなく、地球破壊まで行くからもう本当に容赦がないというか…しかも終盤で待ち受けてるさらなる展開を思うと、地球はもうこの時点でボロボロじゃないか?と思うのです。
火口に5人のアースを注ぐことで中和しようとするギンガマンですが、あまりにもエネルギーの流れがすごく、変身解除されてしまうレベルですが、ここからのスケール感はもはやハリウッド大作レベル。
とてもテレビシリーズとは思えない壮大さであり、「ロード・オブ・ザ・リング」の第3部や「ハリー・ポッター」の終盤の壮絶な死闘に勝るとも劣らないレベルです。
これで中盤だというのだから凄まじい…そして、黒騎士の復讐がこれで終わると思われたその時、黒騎士の心に何者かが呼びかけきます。
「兄さん……兄さん」
なんと死んだはずのクランツの幻影がブルブラックによってきて、自身が無残に切ったはずの花を片手に近づいてくるのです。
そして、リョウマのようにゴウタウラスのように、そしてヒュウガのように静かに深く訴えてきます。
「クランツ……!」
「戦おうよ、兄さん。あの人達のように」
「駄目だ。私にはもう、守るべき星も人もない。ゴウタウラスさえ去ってしまった。そして何より、お前が居ない!クランツ!」
「星はいっぱいあるよ。人もたくさん居る。……ね、兄さん。星を守ろうよ、昔みたいに」
「クランツ!」
非常に短いやり取りですが、ここで見事なのは黒騎士の心を揺り動かしたのがリョウマでもヒュウガでも、ましてやゴウタウラスでもなくクランツであるということ。
凡百の作品だったらリョウマの頑張る姿やヒュウガ、ゴウタウラスの懸命な説得で黒騎士を動かしてしまうと思うのですが、「ギンガマン」はそんなに甘くない。
あくまでも黒騎士を「復讐鬼」から「星を守る戦士」に戻すのは他ならぬ黒騎士の「私」の部分に大きな影響を与えていたクランツでなければなりません。
それはヒュウガにとってのリョウマ、そしてリョウマにとってのヒュウガと勇太がそうであるとも言えるのですが、この説得のフェイズが見事。
それと同時に、「戦って!星を守って!」のあの下りからクランツがさらにここで「星を守ろう」と静かに説得することで、黒騎士が本来なんのために戦うのかまではっきりと規定しています。
本作における善悪の基準や正義のルール、それは人を守り、そして星を守る、すなわち「この世界に生きとし生けるもの全てを守る」ということなのです。
そういう意味ではギンガマンおよび黒騎士は非常に古典的な王道のパーフェクトヒーローなのですが、そこに「人間性」をしっかりと持たせているのが過去作との違いとなりました。
そして同時にそれまでずっと「私」だけの世界で完結していた黒騎士の世界が一気に広がって、本作の作品世界にも拡張性が生まれて広がりが出たことで更に深みが生まれています。
最終的にクランツの幻影は消えるのですが、自身が切ったはずの白い花が握られており、それはまだ黒騎士の中に「星を守る戦士」としての心が失われていなかったということでしょう。
黒騎士はそこでやっと逃げ続けていた己の中の「戦う意味」や「力と心のあり方」と向き合い、担当を抜き取ってヒュウガを解放し、ボロボロの肉体になりました。
これ以上復讐に付き合わせる気はないと自己責任を取る黒騎士はリョウマたちをバリアで閉じ込め(さらっと描かれてるけどとんでもない能力)、そのエネルギーを体内に吸収して爆発させようとします。
「ゴウタウラス!来るんじゃない!この星で仲間を見つけろ、一緒に戦う仲間を!……いいな?」
ここからのBGMと黒騎士がボロボロになりながらも火口へ近づく様は結構ストレートに心に来る映像で、まあマッチポンプではあるにしても、この一瞬でかっこよく見えてしまうのがずるい。
そして黒騎士は火口にダイブする寸前に静かに呟くのです。
「星を守るぞ、クランツ」
このシーンのかっこよさ…わかりますか?この黒騎士ブルブラックの復讐鬼から星を守る戦士へ戻った瞬間のこのかっこよさ…あんなにかっこ悪かったやつが一瞬でこれですよ。
まさにヒュウガのような気高い魂を持った星を守る戦士へ戻った黒騎士のこれは本作が否定している「自己犠牲」に該当するのですが、大きな違いはそれが単なる犠牲に終わっていないということ。
元々黒騎士は地球に来た時点で死ぬ寸前だったわけで、それをヒュウガの体を使って無理やり延命させていたにすぎません。
いうなれば30時間限定で復活を許されたブライ兄さんのようなもので、しかしブライ兄さんは結局「自己犠牲」の域からは抜けられませんでした。
しかし、黒騎士がここでしたことは自己犠牲ではなくクランツの「星を守る戦士として戦う」を死に際にして実現したわけであり、更にその思いをリョウマとヒュウガ、ゴウタウラスへと託しています。
黒騎士ブルブラックの「死」そのものではなく「生き方」や「思い」をここでは肯定しているのであって、だから本作が提示する「自己犠牲ではなく未来を生きるための戦い」のルールとは矛盾しません。
それが同時に前回無残に何も残せず、ただ人を大量虐殺して散るだけだったブドーとの決定的な差であり、あくまでも「星を守る戦士として戦う」ことで復讐を否定したのが見事です。
また、このクランツの幻影が黒騎士の凝り固まった魂を揺り動かす展開自体もさりげない終盤への伏線となっており、しっかり目に焼き付けておきましょう。
だからここで物語が終わるのではなく、ヒュウガが全員の元に戻って感動の再会というカタルシスで締めくくられるのです。
一旦抱きつくサヤとの抱擁を終えて、ついに生き別れとなったリョウマとヒュウガが再会します。
「リョウマ!」
「兄さん」
「それはリョウマ達が夢に描いた再会であった」
この感動の再会は小川氏が語るところによると打ち合わせしていないものだったそうで、ギンガマンたちは撮影本番までヒュウガが現れることを知らなかったそうです。
だからここのリョウマたちのリアクションは演技ではなく素でこのリアクションだったそうで、ちょっとした細かいリアルが仕掛けられていたということですね。
かなり長々と書きましたが、ブルブラックの最期とヒュウガとの再会という「生と死」をテーマに、黒騎士が復讐鬼から星を守る戦士へ戻る展開が見事でした。
評価はS(傑作)、そして次回いよいよ伝説の回です。
第二十六章「炎の兄弟」
<あらすじ>
黒騎士ブルブラックから解放されたヒュウガはリョウマたちと感動の再会を遂げ、新しい服を作ってもらいみんなにお祝いしてもらっていた。青山親子とも初めての挨拶を交わす中、リョウマだけが複雑な表情を称えていた。星獣剣を持って難しそうな顔をしてヒュウガとともに出ていくリョウマを見て、ハヤテたちはもしかするとリョウマがヒュウガに星獣剣をヒュウガに返すつもりではないかと推測する。一方バルバンでは黒騎士の死亡を喜びつつもダイタニクスを復活させるためのエネルギー集めとして魔人ゲルトゲルトを呼び出す。39人の人を鏡の中に閉じ込めて儀式を行う作戦を展開し、リョウマとヒュウガ以外の4人が鏡の中に閉じ込められてしまった。
<感想>
さあ来ました、「ギンガマンといえばこれだ!」を象徴する最高傑作にして、「ゴーカイジャー」のレジェンド回のモデルにもなっている最高の回が。
「こうしてみんなと会えたのは、黒騎士のお陰だ。彼が最期の力を振り絞って俺を分離してくれたんだ。黒騎士と一体だった俺には彼の深い悲しみが痛いほどわかっていた。星を守る戦士として戦い続けて欲しかった」
ここで、初めて会うモークとの挨拶もすませ、復讐鬼だった黒騎士に一切恨み言をいわずにしっかり評価しているのがヒュウガ兄さんの人格者ぶりを示しています。
そしてその次の日にはボロボロの民族衣装に代わって、黒騎士を意識した新衣装を着用し、改めてみんなで祝福モードに。
特に初顔合わせの勇太が「僕青山勇太!よろしく!」「よろしく、勇太」というところは本当に大好きです。
ここからの晴彦さんのトンカツギャグは正直微妙だったのですが、実はヒュウガは親父ギャグに弱かったのです。
ただし、ここでリョウマだけが終始複雑な顔をしているのが、これからやってくる展開の前振りとしてうまく機能しています。
そしてバルバンは黒騎士の死を聞きつけて喜ぶとともに、次の作戦としてゲルトゲルトを繰り出しますが…うん、いかにもやられ役臭が強そう。
いわゆるガイコツ系となると「アンパンマン」とか「ONE PIECE」とかを思い出しますが、大体マスコットキャラか雑魚キャラに多いイメージ。
人々を次々と鏡に閉じ込めていくのですが、ここで生身の戦いを久々に出しつつ、リョウマとヒュウガ以外の4人が閉じ込められてしまう。
しかし、リョウマが焦る中でヒュウガは冷静に臭みのある植物の匂いをヤートットにマーキングし、その匂いをモークに辿らせるのです。
ここでヒュウガ復活してリョウマが成長したところを安易に見せるのではなく、やっぱり半年の経験があっても戦士としてはヒュウガが上だと示されています。
自信喪失しそうになり、勇太も感情の機微がわかるので思わず遠慮ないことを言うボックの口を閉じるのですが、ここからの展開が見所です。
儀式を進めていたゲルトゲルトはギンガマンに邪魔されないよう死神人形をセキュリティとして備えているのですが、リョウマとヒュウガはこれを突破。
そして二体目を倒したところで、リョウマが本題を切り出します…遂に来ました、本作最大の見所が。
「兄さん、さっきの話だけど」
「星獣剣、返すっていうのか?俺に」
「そうしようかと思ったよ、今日久しぶりに兄さんの凄さ見て……でも兄さん!俺にこのまま星獣剣の戦士として、戦わせてくれせないか!」
ここで一瞬仲間たちにもそしてヒュウガにもリョウマが星獣剣を返上するのではないかとミスリードさせた上で、リョウマの言葉でと声でそれを裏切ります。
星獣剣の戦士であることへの未練が皆無ではないヒュウガの裏の思いも描きつつ、それをリョウマが超えて行くので、ヒュウガの驚きの表情も見事でした。
「前の俺なら、こんなこと考えもしなかった。でも、今なら言える。俺、戦っていけると思うんだ!星獣剣の戦士としてバルバンを倒したいんだ!」
ここでヒュウガは黒騎士の戦いを通して見ていたリョウマの半年間の戦いを思い出し、その成長ぶりを改めて実感しています。
決して完璧とは言えないまでも、常に矢面に立ち星獣剣の戦士としてメンバーたちを引っ張り続けたリョウマは半年で十分に立派な戦士へ成長しました。
特に黒騎士を通して精神的にも大きく成長したリョウマがここで改めて「真のギンガレッド」になる覚悟と決意を固める展開が最高に熱い。
それは戦隊シリーズで見るとまさに「旧世代のレッド」から「新世代のレッド」へ、という世代交代の瞬間でもあるのです。
ここで「ギンガマン」という作品自体が実質の完成を迎えると共にスーパー戦隊シリーズの歴史そのものが大きく変わった瞬間でもあります。
そしてヒュウガは後ろから襲いかかっていた死神を星獣剣への未練と共に人たちで切り捨てます。
「俺が星獣剣を使うのはこれが最後だ!…フッ、成長したなリョウマ。お前が一言でも返すと言えば、俺は取り上げるつもりだった。お前はもう俺の代わりなんかじゃない。ギンガレッドはお前だよ、ハヤテたちにとってもな」
「……兄さん」
ここで正式に星獣剣の資格がヒュウガからリョウマへと継承され、半年間の積み重ねの上で改めてリョウマ自身の意思としてギンガマンを続けたいというのが見事です。
もちろん大枠で見れば「どうせギンガレッドはリョウマでしょ?」とわかってはいても、それをお約束やなし崩しのなあなあで済ませずにしっかり向き合って物語として描いています。
そういったこともあって「ゴーカイジャー」のギンガマン回の下敷きともなっているこの回ですが、鎧とヒュウガではまたリョウマの時と意味合いが異なるのですよね。
また乗り込む時にリョウマがヒュウガを追い抜いていき、リョウマをヒュウガが追いかけるというのも炎の兄弟の関係性の変化としてうまくできた演出です。
そしてゲルトゲルトの儀式を止めるのに使用される最高の必殺技!!
「「炎のたてがみ!!」」
まさに炎の兄弟を象徴する最高のダブル炎のたてがみを描き、その上で助けられたハヤテたちがリョウマが手にした星獣剣を見て、リョウマも屈託のない笑みで全てを理解します。
晴れて真のギンガレッドとなったリョウマがヒーローの顔つきとなり、第一章の頃と比べると見違えるようにかっこよくなりました。
「みんな、行くぞ!」
「「「「おう!!」」」」
「ギンガ転生!ギンガレッド!リョウマ!」
「ギンガグリーン!ハヤテ!」
「ギンガブルー!ゴウキ!」
「ギンガイエロー!ヒカル!」
「ギンガピンク!サヤ!」
「銀河を貫く伝説の刃!星獣戦隊!」
「「「「「ギンガマン!!」」」」」
ここで真のギンガレッド就任とともに真のギンガマンが出来上がるという半年間の集大成をこの名乗りに集約させ、ナレーションと共にがっちり決まりました。
そして改めて「銀河炸裂!」という言葉とともに主題歌の二番の歌詞で戦い、ギンガレッドの戦いぶりもそれまでと明らかに違って自信満々です。
ヒュウガも生身バトルで敵を倒しつつ、ギンガの閃光でとどめを刺し、そのまま巨大戦ですが、ギンガイオーが早速閉じ込められてしまいます。
ここでヒュウガが何もできないのかと思いきや、黒騎士の魂が封印されたブルライアットが飛んでくるのです。
「私の力を、星を守る戦いに使ってくれ。ヒュウガ、それが出来るのはお前だけだ!」
「ゴウタウラス!黒騎士……戦おう、一緒に。星を守るために!」
ここでさらにもう一押し、なんとヒュウガもまた「真の黒騎士」へと思いを継承して転生するのでした。
前回のブルブラックの死は決して無駄ではなく、その魂はヒュウガに受けるがれることによって昇華され、最高のカタルシスへ。
ここで良かったのが「一緒に」という言葉であり、黒騎士を「否定する」のではなく「受け入れる」のがいいところです。
否定してしまえば、ヒュウガは自分自身をも否定することになってしまいますから。
そして野牛鋭断でゲルトゲルトを倒し、改めてリョウマたちとヒュウガがチームとなります。
「兄さんが黒騎士に?」
「うん。俺は黒騎士の想いを受け継ぎ、彼と一緒に戦うよ……バルバンと」
このあとは改めて青山親子と一緒に新たなる出発となるのですが、前回、そして今回と描きべきものをしっかり見せてくれて満足です。
思えば第十七章以降パワーバランスとしても物語としても凄まじい加速度で跳ね上がった本作ですが、それに見合う濃密な物語を展開しました。
リョウマがギンガレッド継続、ヒュウガが黒騎士にというのはお約束のコースではありますが、それを安易なお約束にしない持っていき方が絶妙。
ギンガマン5人の超絶的なパワーアップだけではなく、リョウマ自身の心の強さとヒュウガ自身の元々持っている圧倒的な強さを示しています。
その上で、ブルブラックの死を単なる「自己犠牲」ではなく「未来へつなぐための戦い」とし、その魂をひゅうがに継承させることで昇華しました。
これにより黒騎士ヒュウガが単なる「6人目の戦士」ではない存在として描かれており、歴代でも非常に独自性の強いキャラクターとなっています。
また、リョウマの精神的な強さと弱さ、戦闘力の強さと弱さを半年間しっかり描いた上で「真のギンガレッド」になるまでも丁寧に描かれました。
評価はいうまでもなくS(傑作)、降りかかる試練を次々と乗り越えて強さを手にしたギンガマンがここから後半にかけて何を成し得るか、どんな高みに到達するのかが楽しみです。
さて、ここからは完全に個人的な与太話なのですが、本当の意味でこんなに充実した物語を展開できる作品ってシリーズの中でもなかなか珍しいと思うんですよね。
私が戦隊シリーズの中でも特に「チェンジマン」「ジェットマン」、そして本作を傑作と評価しているのはやはり「物語の芯」とその見せ方が完璧だからだろうなと。
もちろん時代性であるとか時の運とか歴史の蓄積とか複雑な要因が絡んできますが、その中でもこの3作はいわゆる歴史の「ターニングポイント」を担っているんですよね。
「チェンジマン」が「ゴレンジャー」から紡いできた昭和戦隊の集大成、「ジェンマン」が80年代戦隊の解体と90年代戦隊へ向けた変革、そして本作が20年分の歴史を踏まえた平成戦隊のニュースタンダード像の形成。
それらを決して「玩具販促により人気稼ぎ」ではなく「作品のテーマ」という点からしっかり成しているところが魅力的で、だから今見ても古びない普遍性があるでしょう。
これが00年代戦隊以降になると、そうしたことをある種の「お約束」としてすませるようになり、更に玩具販促を大量に増やすことでとにかく目作の数字稼ぎに終始しています。
そんな中で1年を通して物語を紡ぐのはかえって難しいのかもしれませんね…だから00年代戦隊では面白い作品はあっても新時代の基盤となる作品はなかなか出ません。
というより、もう「タイムレンジャー」まででスーパー戦隊シリーズでやれることをほぼやり尽くして、アイデアが頭打ちになっているのもあるでしょうけど。
リアルタイムで見られたことも含めて、90年代戦隊を原体験としてリアルに過ごすことができたことは、今思えば幸福であったなと思います。
まあそんな与太話はここまでにして、ここからリョウマたちのさらなる快進撃を見守っていきましょう。