明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズにおける「公と私」について・サンプル

こないだ書いたシンケンジャーを公的動機と私的動機の双方から考える記事がTwitterでなかなか反響がありまして、まさかこんなに見てもらえるとは思いませんでした。

 

gingablack.hatenablog.com


もちろん賛否両論あるとは思いますが、あくまでも私個人の考えであって、これが絶対的に正しいというものではないので、あくまで叩き台にしていただきたいものです。
でもこれだけ反応してもらえるということは、それだけ戦隊ファンにとってこの「公的動機」と「私的動機」の問題は少なからず興味・関心のある話題ということでしょう。
さて、そろそろ本格的なスーパー戦隊シリーズの「公と私」の問題に触れていきますが、まずこれを考えていく上でいくつか大事なポイントがあります。
その中でも特にこれは注意していただきたいのがこちらの点です。

 

  • 個人的感情・主観は一切問題にしない
  • 組織の判断で動くのか、それとも個人の判断(感情・主観ではない)で動くのか
  • 戦いに際してどれだけ準備期間をかけたか(プロフェッショナルかアマチュアか)


大体この4つでしょうか。特に問題になりがちなのが1つ目であり、こういう公と私の問題について考える上で、個人的感情・主観は一切問題にしません
こういうことを書くと反論されるでしょうが、たとえ自主的だろうが何であろうが、個人の判断で動くことが多ければ、それは「私」の割合が高い戦隊です。
逆にどれだけ個人が自主的に取り組もうが、常に組織の規律で動くようであれば「公」の割合が高い戦隊ということになります。
そして3つ目と4つ目ですが、そのチームがプロフェッショナルチームかアマチュアのチームかという点も大事です。
準備度に関しても同様に、一般人が突発的に力を得た戦隊もあれば、戦いに際して長い期間をかけて準備してきた戦隊もあります。


つまり「公と私」「プロフェッショナルとアマチュア」という2つの基準で考えていくことで、その戦隊がどういうチームかがわかるのではないでしょうか。
「公と私」に関してはこないだも述べましたが、あくまで「必ずどっちかでなければならない」のではなく「どの程度の割合か」という問題です。
つまり公の割合が高いチームほど組織性重視となり、私の割合が高いチームほど個人性重視となるわけであります。
しかし、組織の規律と個人の判断は決して相容れない二律背反のものであり、だからこそその高低は大事になってくるわけです。


今回は具体的に感想を書いている「ジェットマン」「ギンガマン」「ゴーゴーファイブ」「シンケンジャー」の4つを例に取って書いてみます。
あくまでもサンプルなので、これが絶対というものではなく、あくまで作品を見ての感想や印象に基づいて作っていますので、ご了承願います。
具体的には「公:私」と「プロフェッショナル:アマチュア」という2つの軸をベースに数字で割合を判定し、それぞれの作品を判別してみましょう。

 


鳥人戦隊ジェットマン』(1991)

 

  • 「公:私」=「2:8」
  • 「プロフェッショナル:アマチュア」=「2:8」


(チームの特徴)
本作の特徴は「ゴレンジャー」「サンバルカン」「チェンジマン」と続く軍人戦隊の系譜にありながら、チームの組織性ではなく個人の自主性が重視されているということだ。
2:8になっているのはもちろん竜だけが唯一のプロフェッショナルであり、他の4人が全員素人であるということからこの数字になっている。
まずメンバーを集めるだけで2話も費やし、さらに戦闘では竜以外実戦にまともに対応できず、凱に至っては戦いが終わると即座にブレスを返して組織を脱退しようとした。
これが普通の軍人戦隊なら他のメンバーや司令官が縄で縛ってでも止めに入るだろうが、そうはならず個人の自主性で団結していくところがこの戦隊の特徴だ。
それ故に戦いにおいても「5人全員揃わなければバードニックウェーブはフルパワーを発揮できない」とされつつ、個人の活躍が結構な割合で描かれている。
バードニックウェーブを偶然に浴びた者だけが選ばれた形だが、その上で全員の自主性に任せている軍人戦隊など後にも先にもこの作品だけであろう。
そしてそれは中盤に出てくる裏次元戦士や後半に登場するネオジェットマンとの対比によってもわかることだ。


星獣戦隊ギンガマン』(1998)

 

  • 「公:私」=「4:6」
  • 「プロフェッショナル:アマチュア」=「9:1」


(チームの特徴)
設定はファンタジックだが、戦隊としての立ち位置はいわゆる「ゴレンジャー」「サンバルカン」「チェンジマン」「オーレンジャー」などの軍人戦隊に近い。
3,000年もの間ずっと臨戦態勢で戦いに備え、厳しい選抜の結果戦士に選ばれたという経緯は伊達ではなく、戦いのプロであることはしっかり示されている。
ではなぜアマチュアの割合が1になっているのかというと、リョウマとヒカルの精神的な未熟さが特に初期の頃は目立っていたからだ。
リョウマはヒュウガの代理で正規戦士に選ばれたことから来るプレッシャーと戦士としての精神面の甘さ、そしてヒカルは最年少ゆえのやんちゃさが取り上げられている。
次に公の割合と私の割合だが、どちらかといえばギンガマンの場合は組織の規律よりも個人の判断が優先されるという場面がやや多かったように思う。
たとえば機刃を取り戻すためにリョウマがとっさに考えた作戦や星獣を復活させる時など、必要とあらば司令官のモークの指示や依頼すら無視して動くことが見受けられた。
何よりリョウマが自分の意思でギンガレッドを続けたいとした第二十六章は完全の組織の規律ではなくリョウマ個人の決断が優先されたものの最たる例だろう。
逆にヒュウガやハヤテは割と自分の意志よりもチーム全体を優先して動くことが多く、そういったメンバーの比率で見ても公より私の度合いがやや高めの戦隊と言える。


救急戦隊ゴーゴーファイブ』(1999)

 

  • 「公:私」=「8:2」
  • 「プロフェッショナル:アマチュア」=「8:2」


(チームの特徴)
ゴーゴーファイブ自体は父親が組織した私設チームと捉える向きもあろうが、第6話のショウの過去や第8話での乾総監初登場がそうであるように、あくまで組織の規律優先である。
マトイたちはゴーゴーファイブになる前まではそれぞれ国家公務員として人の命に携わる仕事についているが、自主的に選んだとはいえ、それはあくまでも巽家の血筋があってのことだ。
乾総監によってゴーゴーファイブが活動停止となった時マトイたちは路頭に迷うことになったり、モンド博士の指示と乾総監の指示のどちらを聞けばいいかで混乱する。
このように、あくまでも組織の規律が重視されるという展開があり、マトイたちはあくまでも社会の中に属する一員でしかないということが示されているのだ。
ではなぜ公と私が8:2なのかというと、彼らの「私」と言えるものが「家族の絆を取り戻すこと」と「5人兄妹で信じ合って人を救うこと」にあるからである。
また、プロフェッショナルとアマチュアの比率が8:2なのも、直接人を救う仕事に携わったことのないダイモンのような者もいる上、5人がその職場でベストの隊員という設定もないからだ。
実際後半にはマトイよりも優秀なレスキューのプロが出て来る話があるが、マトイたちよりレスキューの腕前が上のやつがいくらでもいるのに、それでもこの5人がゴーゴーファイブと決まっている。
それは巽モンド博士の意向によるものだといえるが、もう1つには結局この5人以上のベストチームが考えられないからではないだろうか。


侍戦隊シンケンジャー』(2009)

 

  • 「公:私」=「9:1」
  • 「プロフェッショナル:アマチュア」=「7:3」


(チームの特徴)
シンケンジャー自体は敵の襲来に備えて小さい頃から各々が準備してきたという意味でプロフェッショナル戦隊の系譜だが、特徴的なのは公の割合が極めて高いことマチュア度がやや高いことだ。
第一幕〜第二幕を見ればわかるが、シンケンジャーの結集はあくまでも志葉家という組織の意向と「殿と家臣」という強固な主従関係に基づくものであり、そこに個人の意思が介在する余地はない。
実際丈瑠は家臣たちを集めることに反対していたが、彦馬はそれを頑として許すことはなかったし、それは家臣たちも同様に各々思うところはあれど、プライベートを捨ててシンケンジャーになった。
そこから殿と家臣になるまでに実に12話もかかっているが、決して深刻な問題があったからではなく、お互いの距離感や考えを理解するまでにそれだけかかったに過ぎない。
ではなぜ私が「1」なのかというと、丈瑠の幼馴染である寿司屋の源太だけが「丈瑠との友情」という私的動機で動いているからであり、源太だけはのびのびと自由に寿司屋をやっていた。
次にプロフェッショナルとアマチュアの対比が7:3となっている理由だが、まず1つには各々の準備度には差があり、特に千明が剣術・モヂカラ・覚悟など全てにおいて丈瑠たちより数段劣っていたからだ。
2つ目に、後半になっても茉子や流ノ介、ことはのプライベートに関する葛藤の話をやっていたことから、彼らには戦い以外の生活もまたあったことが示唆されている。
そして何と言っても最終盤に出てきた薫姫は志葉家の本流だけあって、影武者であった丈瑠より戦闘力・精神力・覚悟等々全てにおいて完璧なプロフェッショナルだった。
その上で最後に殿と家臣の関係性が復活しドウコクとの最終決戦に勝利できたのも、丈瑠たちの意思がゼロではなかったとはいえ、薫姫の判断によって丈瑠が正式に志葉家の当主に任命されたからである。
歴代戦隊の中でもかなり組織の規律が優先された戦隊と言えるのではないだろうか。


こんな感じで、各戦隊について公と私の割合、そしてプロフェッショナルとアマチュアの割合を出していくことで、スーパー戦隊シリーズの新たな分類ができるのではないでしょうか。
なるべくイメージに引っ張られないようにするために感想をきっちり書き終えた上でやりたいのですが、それだと何年かかることやら…でもライフワークの1つにはなりそうです。

 

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