スーパー戦隊シリーズ22作目『星獣戦隊ギンガマン』(1998)後半2クール感想総括
後半戦が終了したので、熱が冷めないうちにまとめておきます。
(1)後半2クール分析表
話数 | サブタイトル | 脚本 | 演出 | 評価 |
---|---|---|---|---|
25 | 黒騎士の決意 | 小林靖子 | 田崎竜太 | S(傑作) |
26 | 炎の兄弟 | 小林靖子 | 田崎竜太 | S(傑作) |
27 | ミイラの誘惑 | 荒川稔久 | 辻野正人 | D(凡作) |
28 | パパの豹変 | 武上純希 | 辻野正人 | B(良作) |
29 | 闇の商人 | 小林靖子 | 長石多可男 | A(名作) |
30 | 鋼の星獣 | 小林靖子 | 長石多可男 | E(不作) |
31 | 呪いの石 | 小林靖子 | 小中肇 | A(名作) |
32 | 友情の機動馬 | 武上純希 | 小中肇 | C(佳作) |
33 | 憧れのサヤ | 小林靖子 | 辻野正人 | E(不作) |
34 | 不死身のイリエス | 小林靖子 | 辻野正人 | S(傑作) |
35 | ゴウキの選択 | 小林靖子 | 諸田敏 | A(名作) |
36 | 無敵の晴彦 | 小林靖子 | 諸田敏 | D(凡作) |
37 | ブクラテスの野望 | 小林靖子 | 小中肇 | S(傑作) |
38 | ヒュウガの決断 | 小林靖子 | 小中肇 | S(傑作) |
39 | 心のマッサージ | きだつよし | 辻野正人 | E(不作) |
40 | 哀しみの魔人 | 小林靖子 | 辻野正人 | S(傑作) |
41 | 魔獣の復活 | 小林靖子 | 長石多可男 | S(傑作) |
42 | 戦慄の魔獣 | 小林靖子 | 長石多可男 | S(傑作) |
43 | 伝説の足跡 | 沖田徹男 | 田崎竜太 | A(名作) |
44 | 地球の魔獣 | 小林靖子 | 田崎竜太 | S(傑作) |
45 | 妖精の涙 | 荒川稔久 | 田崎竜太 | F(駄作) |
46 | 怒りの風 | 小林靖子 | 辻野正人 | S(傑作) |
47 | 悪魔の策略 | きだつよし | 辻野正人 | S(傑作) |
48 | モークの最期 | 小林靖子 | 長石多可男 | S(傑作) |
49 | 奇跡の山 | 小林靖子 | 長石多可男 | S(傑作) |
50 | 明日の伝説 | 小林靖子 | 長石多可男 | S(傑作) |
(2)後半戦総括コメント
さて、これで我が人生のバイブルである「星獣戦隊ギンガマン」の感想は全て書き終えましたが、やっぱりスーパー戦隊シリーズをはじめあらゆるヒーロー作品の中で本作に比肩する作品は私の中ではありません。
もちろんアベレージの高さや年間の構成の綺麗さ、紡ぎ出すテーマの凄さなど色々あるのですが、私が本作をスーパー戦隊シリーズの最高傑作と思う理由は何と言っても「ヒーロー像の強固さと美しさ」にあります。
小林女史が描くヒーロー像はどれも好きと言えば好きですし、他に面白い戦隊ならいくらでもありますが、少なくとも背骨がこれだけ強固で芯の強いヒーロー像を私は他に知りません。
そしてそれはおそらく今後どんなにかっこいいヒーローが出ようが、どんな名作が出ようが、そして傑作が出ようが、本作以上のものに出会うことはないと断言できます。
もう大抵のことは感想で書き尽くしたので今更多くは語りませんが、何と言っても本作が素晴らしいのは自己犠牲を完璧に否定し切り、救える限りの命を守ってみせたことにあるのです。
とはいえ、ギンガマンだって全部の命を完璧に救えるわけではなく、その中で失われていった命だっていくつもありますし、全部が全部守りきったわけでもありません。
特徴的なのはTwitterなどでもつぶやきましたが、自己犠牲をしているのがギンガマンではなく敵側のバルバンや終盤のブクラテスとヒュウガであるということです。
そこにブクラテスの場合は「復讐」が絡むわけですが、本作の素晴らしいのはこの「復讐」と「自己犠牲」をワンセットにすることで決して両者を物語として肯定しないことにあります。
その上で、リョウマたちはリョウマたちで決してバルバンやブクラテス、黒騎士と同じにならないように「自己犠牲」「復讐」に陥らずに戦い続けてみせました。
それはまさに己の欲望のためなら他者を傷つけ星を壊し、全てを犠牲にすることを厭わないバルバンとは対照的な本作のヒーロー像であり、最高に美しいヒーロー像です。
この「自己犠牲の否定」というのは「ジェットマン」がそれを天堂竜と仲間たちとの中で浮上したテーマであるものの、あくまでも「ジェットマン」ではそれは否定できませんでした。
「ジェットマン」は「ヒーローはなぜ団結できるのか?」を公的動機ではなく私的動機から描いた作品ではあっても、それに伴う自己犠牲を否定することはできなかったのです。
そしてそれは「ジュウレンジャー」以降のファンタジー戦隊も、そして「カーレンジャー」「メガレンジャー」においても完璧に否定しきれたわけではありません。
「カーレンジャー」もギャグとはいえダップの自己犠牲や復讐はうやむやに終わりましたし(回避することはできた)、「メガレンジャー」も結局終盤では敵味方ともに自己犠牲を強いられました。
「カーレンジャー」「メガレンジャー」では「一般人とヒーロー」のあり方について捉え直し、「自分にもある弱さを知れば本当のヒーロー」という答えを導き出した作品です。
しかし、「ジェットマン」が出した課題である「自己犠牲や復讐に寄らないで「公」も「私も」守れるヒーロー」の構築にまでは至りませんでした。
長いことスーパー戦隊シリーズの呪縛にすらなっていた「自己犠牲」と「復讐」について、本作は1年をかけて真正面から問い直し、見事その難題を遣り切ってみせました。
リョウマたちギンガマンは星も人も大事にし、全ての命に感謝と尊敬の念を忘れず謙虚に誠実に戦い続け、迷いが生じてもまっすぐに地球を守ってみせたのです。
またそれを青山親子や鈴子先生ら外の世界の人ととのつながりやギンガの森を取り戻すという形でしっかり描ききり、そして最後は自己犠牲に陥っていたヒュウガをリョウマが救い出します。
全てを投げ打って戦う、時にはそうしなければ勝てないとされていた昭和ヒーローの呪縛を本作では炎の兄弟と黒騎士兄弟を中心にして見事に断ち切ってみせたのです。
そのためには強固なバックボーンと圧倒的な戦闘力、使命感が必要であり、だからこそギンガマンがこれだけ歴代でも戦闘知能の発達した民族として設定されたのでしょう。
そして最後には1年間の戦いを通して最高のレッドに成長したリョウマがヒュウガをその黒騎士の昇華された魂ごと救済することで、見事に「公も私も守るヒーロー」が完成しました。
またそれはシリーズ全体で俯瞰して見ると、旧世代の完璧超人型レッドの象徴であったヒュウガから新世代の自然体な好青年レッドの象徴であるリョウマへの世代交代でもあるのです。
ギンガレッド・リョウマは単なる代理人として戦ったわけではなく、前作「メガレンジャー」までを踏まえた平成戦隊のニュースタンダードのヒーロー像の象徴となりました。
それゆえにこそ私は未だ尚ギンガレッド・リョウマ以上のレッドは現れないと断言しますし、時の運があったとはいえ、そんなヒーロー像を1年かけて作り上げられたのは僥倖でしょう。
しかもそれだけで終わるのではなく、他のハヤテたちにも終盤までメイン回があり、バルバンの幹部連中の最期もそれに相応しい結末をしっかり用意しています。
その上で構成上の難点を挙げるのならば、まず巨大戦でのギンガイオーのかませ犬化はやっぱり見過ごせませんし、あとはやっぱりサヤのキャラ立ちがうまくいかなかったことです。
あとはイリエス編がやや他のクールに比べてアベレージが低くパワーダウンしたエピソードが目立った印象ですが、そこまあ無い物ねだりというものでしょうか。
年間のテーマとして吸い上げるべきものはしっかり吸い上げた上で、綺麗な上澄みだけを掬い、最高のヒーロー像を作り上げた傑作だなあというのがシリーズを見直しての感想です。
その上で最終章のエピローグでリョウマが勇太に送る「俺たち(=ヒーロー)はいつもここにいるよ」というのは最高のヒーロー賛歌であり、最後まで美しい物語となりました。
もちろん「こんなのは現実味に欠ける」「綺麗事に過ぎる」「ご都合主義だ」といった稚拙な批判や誹謗中傷はいくらでも挙げられるでしょう。
またドラマ性やキャラクター造形の緻密さでいえば「ジェットマン」「タイムレンジャー」など、マニア向けの面白いものはいくらでもあります。
でも、そういう作品はそういう作品の面白さがあるのであって、本作くらいはそういう綺麗でかっこいい物語を見たいじゃないですか。
小林女史が後年「ギンガマンみたいな作品は今書けない」と仰っていましたが、それも納得のクオリティで、こんな理想のヒーローを何作も描けるわけがありません。
まあそれだけ年間の構成も綺麗なだけあって、「ガオレンジャー」「ゴセイジャー」「ジュウオウジャー」など本作を真似たエピゴーネン(亜種)はいくらでもあります。
でもやっぱり心血注いで1年をかけてヒーローを作り上げた本作の独自性と完成度の匹敵しうるものかと言われたら、とてもそうは言えません。
そんな風に思えてしまうほど、そういう作品との比較抜きでもやっぱり未だに本作が一番好きな作品だし戦隊シリーズの1つの到達点であると思うのです。