明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)35・36話感想

 

 

第三十五幕「十一折神全合体」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
流ノ介は親友の新太郎と企画した若手歌舞伎会が開かれるためにホールの近くまで来て、神妙な顔をしていた。自分がシンケンジャーの使命を優先したばかりに公演が中止になりかけなかったからである。当然新太郎は恨んでいたのだが、そんな中外道衆との戦いの中で流ノ介は書道フォンを落として食べられてしまう。前途多難に思われた流ノ介だったが…。


<感想>
前回の茉子姐さん回に続き、今回は流ノ介メイン回。かなり久々の流ノ介単独メイン回でしたが、流ノ介の「私」の1つである歌舞伎役者設定を掘り下げてくれたのは嬉しかったです。
長石演出なのでたっぷり撮ってもらい、改めて流ノ介のいいところも悪いところも全てが詰まったいい回だったと思います、ある1点を除けば。
その1点とは流ノ介が書道フォンを落として敵に食べられてしまうといううっかりをやらかしてしまったことであり、これは流石に物語の流れとして納得いきません。
これならまだ「流ノ介、お前もやりたいことがあるんだろう?頑張ってこい」という感じの流れにした方がよかったと思うんですよね。


で、その流ノ介の親友である新太郎ですが、演じているのは鯨井康介氏であり、なんでこのキャスティングなんだろうと思ったのですが、この2人って「ミュージカルテニスの王子様」で共演しているんですよね。
2人とも二代目・三代目青学で共演していて、相葉裕樹氏が不二、鯨井氏が海堂を演じていたのでその縁で今回のキャスティングとなったのかもしれません。
また、鯨井氏は調べたところによると日本舞踊を小さい頃から嗜んでいたそうで、舞台上での立ち姿や所作、振る舞いがすごく美しいいんですよね。
しかも相葉氏も舞台経験豊富ですから、今回は完全に中の人のネタを優先して作られた感じで、どちらかといえばテニミュファン向けかもしれません。


そういえば東映特撮とテニミュってさりげなく関わりがあって、例えば「ボウケンジャー」の真墨役を演じた齋藤ヤスカ氏はテニミュ比嘉中のメンバーでした。
あと「ゲキレンジャー」のジャンとリオも2代目青学の大石と乾だったりと共演率が高いので、それだけ演技のある若手俳優がここから輩出されたということでしょう。
特によかったのが、無言で流ノ介が舞台に出て動きをシンクロさせるところで、あくまでも仲直りの方法を言葉での謝罪ではなく「舞台でのイメージでの共演」としたのがよかったです。
役者はあくまでも言葉ではなく役を通して舞台上の表現で全てを見せなければなりませんが、尺を長めに取って2人の舞を魅力的に撮ってくれました。


そして、そのあとの別れの挨拶も「いつか戻ってこい」と多くを語らずにあの一瞬で理解し、新太郎にとっても流ノ介にとってもわだかまりがなくなったのです。
ここで共演させてもよかったのですが、それはあくまでもシンケンジャーとしての戦いを終えた後の為に取っておくことで、うまく収まることに。
改めてここで本作における「人間」と「ヒーロー」の関係が強調されており、第一幕から示されていたように、本作は人間性とヒーロー性が反比例の関係にあります。
つまり古典的な人間性=私、ヒーロー性=公であることが流ノ介と新太郎の歌舞伎役者というところから示されているのです。


それは他のキャラクターにも言えることであり、一番「私」の側面が強いのが千明、「公」の側面が強いのが殿であり、このように「公と私」の割合が各キャラで違っているのも見事でした。
そのため、流ノ介がラストで雑踏の中に紛れ込むラストもよくできていて、人知れず消えゆくことによって流ノ介は歌舞伎=私からシンケンジャー=公に戻るのです。
この「公と私」の関係性については終盤でも改めて語りたいところですが、本作は00年代戦隊のベースを踏まえ、一周回って70・80年代戦隊へ逆戻した図式となっています。
まあ要するに「お前今日から〇〇戦隊だから戦え」「イエスボス」なのですが、そこで安易にチームが結束する構図にならず、きちんと段取りを踏まえて描いているのです。
逆にいえば、ここまで人間ドラマを掘り下げて描かないと、そして時代劇という大掛かりなシステムを用いないと、現代の世界観や価値観に合わないということでしょう。


ただし、ドラマは良かったのですが、その後の戦闘シーンはまだしも巨大戦のサムライハオーが事のついでみたいに勢いで生まれてしまったのは非常に雑でした。
また、そのサムライハオーがこれまたクソダサい……一体誰だこんなデザインを通したやつはと小一時間問い詰めたくなってしまいます。
まずあんな過剰にゴテゴテした上にお立ち台に乗って移動っつー時点でダサいんですけど、もっと嫌だったのはピンクとイエローの折神が完全な余剰パーツになっていることです。
ただおまけとしてくっつけました感が見え見えで、どうしてこんなデザインのロボ通しちゃうのかなあ?


私は正直戦隊シリーズにおいて巨大戦ってそこまで重視はしていませんが、「ボウケンジャー」辺りから露骨に目立ち始めたロボット全合体路線は正直嫌いです。
1号ロボ+2号ロボかマトリョーシカ型の要塞ロボならわかりますけど、10体以上もゴテゴテとくっつけて合体とか何を考えてるんだと思ってしまいます。
その点高寺Pなんかはまだ良心的な方で、「カー」「メガ」「ギンガ」の3作はいずれも変な合体をさせずにすっきりした構成でしたからね。
もしこれら3作が00年代にリメイクされていたとしたら、RVロボVRVロボサイレンビルダーが全合体したり、INETのロボットが全合体したり、あるいは全星獣合体があったりしそうです。


そのため、ドラマの部分には見応えがありましたしクオリティそのものは高いのですが、戦闘シーンやロボアクションとのリンクが薄くいまいちだったので評価はA(名作)となります。


第三十六幕「加哩侍」


脚本:大和屋暁/演出:竹本昇


<あらすじ>
ある日のこと、丈瑠たちが源太の寿司を食べている最中にことはは源太にカレーライスを注文してしまう。源太は戸惑いながらも初めてカレーライスを作ってみると、これが意外にも大好評で全員から「美味しい」と評されるほどの出来栄えであった。口コミ人気で客がひっきりなしにやってくるのだが、源太の思いとはズレている。一方外道衆は街中にアヤカシのソギザライを送り込むのであった。


<感想>
大和屋脚本と源太はやっぱり相性がいいなあと思ったのですが、反面こんな雑な話を作ってるから戦隊シリーズがいつまでもワンランク下に見られてしまうのだと思ってしまいました。


というか、そもそもことはがカレー好きなんて設定は今までに語られたことがないんですけど…もしかして「キレンジャーの錯誤」を意図的にやってたりしますか?
仮にその狙いでやっていたとしても微妙な話で、これって要するに「やりたいこと」と「できること」がズレてしまっているという話ですよね。
源太がヒットさせたいのはあくまで寿司であってカレーではないというのはわかるのですが、それを描くには「屋台寿司が繁盛していない」ということを描いておく必要があります。
つまりもっとお客さんが「あんたんとこの寿司、普通だね」という客がもっといて、その積み重ねがあって源太が「俺の寿司、どうやって繁盛するのかなあ?」と悩むことが前提です。


それを積み重ねた上でことはが「カレー美味しい」と言って思わぬヒットを叩き出してしまうからこそ面白いのであって、そういう積み重ねもなしにやっているものだから唐突な印象は拭えません
それから上記したようにことはがカレー好きというのもキレンジャーのオマージュないしパロディのつもりかも知れませんが、問題はそれでことはのキャラが面白くなるわけじゃないことです。
源太とことはは割と普段から近しいので(大体源太と千明とことはの組み合わせが多い)違和感はないのですが、この2人ならではの良さというものが感じられませんでした。
だから、結果として源太がカレーか寿司屋かという葛藤自体に説得力が生まれず、初めから答えが出ているようなナンセンスな問いと答えを見せているだけとなってしまいます。


やっぱり大和屋脚本って作品によって相性の良し悪しがあって、「ボウケンジャー」「トッキュウジャー」では面白い回もあったのですが、本作はどうも相性が悪い模様。
ベースがシリアスかつ特殊な時代劇設定だからというのはありますが、それを差し引いてもだいぶ酷い出来で、それこそインスタントのレトルトカレー未満のクオリティ
こんなつまらない回を00年代にもなってやっているから戦隊シリーズが「ジャリ番」「子供騙し」とかバカにされるんですよ。
評価は当然F(駄作)、3クール目の終わりがこんなしょうもない話というのはどうなのでしょうか?

 

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