明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)33・34話感想

 

 

第三十三幕「猛牛大王」


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
牛折神はシンケンジャーたちであっても止めることは不可能であり、ヒロを乗せたまま遠くへ行ってしまった。5人はヒロの祖父から牛折神に関する悲劇を聞き、丈瑠は幼少期の自分を思い出しながら破壊ディスクを返して牛折神の方へ向かおうとする。途中で外道衆に応戦していた5人の元に倒されたはずの十臓が現れ、裏正が治ったら丈瑠にまた勝負するように言うのだった。


<感想>
さて、牛折神編完結ですが、出来でいうとやっぱり今ひとつだったかなあと…というのも、玩具販促と物語がリンクしていないからです。
外道衆側がようやく動きを見せ始め、死んだと思われた十臓が復活したので終盤に向けての仕込みが行われるというのは良かったところ。
十臓に関しては「まああの程度で死ぬわけがないよね」とは思っていたので、個人的には蘇ってもらった方が盛り上がります。


で、肝心の玩具販促の方なのですが、ヒロと祖父の物語に関してはまあ月並といったところですが、個人的に感動できなかったのは次のセリフです。


「だが、お前達が想いを受け継いでくれたっていうのに、大本の儂がこれじゃみっともない。そうだろ?」


話によれば祖父は息子を死なせてしまったトラウマから孫を近づけさせたくなかったとのことですが、演じている人が元ドクターヒネラーなので、ダメ人間具合が5割増でした。
これは私の持論ですが、スーパー戦隊シリーズといい仮面ライダーシリーズといい、特撮作品に出てくる肉親にはろくな奴がいない印象がありますが、この祖父もまさにそのパターン。
千明の父親はウェーイなパリピでしたし、次回出てくる茉子の父親もかなり酷いですし、丈瑠の父親は「落ちずに飛び続けろ」と指名ばかりを押し付けてくる。
いつかこの「戦隊シリーズに出てくる父親」に関しては並べて考えてみたいのですが、私が中でも強烈に印象に残っている父親の例を挙げてみます。

 

  • 郷紳一朗…郷史朗の父親。友人であったドクターマンの暴走を止めるとはいえ、死を偽装し息子をほったらかして蒸発
  • ドクターマン…蔭山秀一の実の父であり、「機械こそ最高」というトチ狂った考えに行き着いて地球侵略を決意
  • 鉄面皮張遼…天火星・亮の父親であり、何年も蒸発していた癖に戻ってきた瞬間に亮に父親面し出す身勝手な親
  • シグナルマン…妻子持ちであり生真面目な警察官なのだが、規律に縛られすぎて融通が利かない
  • VRVマスター…故郷を失ったダップの父親だが、カーレンジャーが必死で戦ってる最中にパチンコで遊び呆ける身勝手な親
  • ドクターヒネラー…娘を失ったことで世間から迫害され、世の中に復讐をもたらそうとネジレジアを作り上げる
  • 青山晴彦…とても気配り上手な優しい父親なのだが、割とドジな部分が多く何かと空回りしがち
  • 巽モンド…災魔一族と戦うためとはいえ、10年間も失踪した挙句帰ってきた途端に息子たちの職場に勝手に退職届を出す
  • 浅見会長…竜也の父親であり、シティガーディアンズの責任者。息子との間に軋轢があったが、決して考えなしの父親ではなく最後には和解
  • 小津勇…小津一家の父親であり、息子たちが小さい頃に死という形で蒸発してしまう


うん、こうして並べてみると見事なまでにダメ人間が多く、辛うじて許せるのはシグナルマン、青山晴彦、浅見会長、小津勇くらいでしょうか。
この4人はなんだかんだ歴代で見てもかなりの人格者な父親という印象があるのですが、後はもう見事なまでに家庭を顧みない奴ばっか
まあ父親は仕事で稼いでなんぼってのがあるんでしょうけど、モンド博士とかは「科学者としては天才だが父親としてはクズ」の典型ですからね。
因みに茉子の父親に関しては次回語りますが、本作に出ている父親の中で人格面に多少問題があったとはいえ、千明の父はまだマシな方です。


そんなこんなで、最終的には猛牛大王として無事に入手したのですが…うーん、決め技がガトリング砲なのはどうなのかなあ?
これは猛牛大王に限った話じゃありませんが、「真剣」と剣術を全面に押し出しているのに、銃が出てくるとちょっとフェアじゃない感じがしてしまいます。
日本には古くから火縄銃もありましたし、戦隊といえば銃というイメージはあるので使うなとは言いませんけどね。
まあそれをいえば、烈火大斬刀大筒モードの時点で既に銃や大砲を使っているじゃねえかということになってしまいますが。


敵側の外道衆がそんなに組織規模大きくないのと、アヤカシの強さがマチマチなのもあって、明らかにシンケンジャー側が過剰武装に見えてしまうんですよね。
これが星をいつでも滅ぼせるような規模の敵組織、それこそ大星団ゴズマや銀帝軍ゾーン、宇宙海賊バルバン辺りのようなレベルならわかるのですが。
どうにも榊原家のドラマと玩具販促とがうまく連携せず、また外道衆側の動きとも絡んでいるわけでもないので、やっぱり盛り上がりきれず。
中澤監督の演出によってそこそこ見られるレベルにはしていますが、それでもやはりスーパーシンケンジャーの時と同じく評価はE(不作)です。


第三十四幕「親心娘心」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
ある日、稽古に励んでいた丈瑠達のもとに茉子の父である衛が訪ねてきた。茉子の顔を見て破顔した彼は突然「シンケンジャーを辞めてハワイに行こう」と言い出す。茉子はもちろん丈瑠たちは困惑する一方だったが、衛は一方的にシンケンジャーを辞めさせる手はずを整えていく。その時、外道衆が出現し子供たちを連れ去ろうとするのだった。


<感想>
さて、いよいよやって来ました、茉子メイン回。これまでどこか決定打に欠ける茉子でしたが、ようやくはっきりとしたメイン回をもらえてよかったなと。
でも、できることならもっと早い段階で掘り下げておいて欲しかったのも事実ではあり、こういう話をするなら2クール目くらいには終わらせておいて欲しかったです。


千明は二十一幕という比較的早い段階で父親と関連させた掘り下げを済ませ、後はもうぐんぐん成長していますし、流ノ介は初期の段階で方向性が決まっていました。
ことはも終盤に向けてもう1回掘り下げるための回が残っていますし、キャラの方向性自体は既に第二幕からはっきりしていて、不器用な健気さでうまくキャラを作っています。
源太に関してはまあ異物感は強いですが、あれは不思議コメディの世界からご当地ヒーローがシンケンジャーの世界に間違って紛れ込んでしまったと思えば(笑)
そういった点でいくと、茉子はどっちかというと調整役としている感じで、決して空気ではないけど、いまいち本質の掴みにくいキャラクターとなっていました。


そこで狙い澄ましたかのようにメイン回が来て、しかも「ゴーゴーファイブ」以来となる長石監督のドラマ性重視の演出で贅沢に撮ってもらえたのは幸せだと思います。
個人的に東映特撮で一番「ドラマ」を撮れるのは長石監督だと思うので、高梨氏としても演技面でさらに深みのあるチャレンジができたのではないでしょうか。
特によかったのが父親と2人きりのやり取りでの渋い表情と台詞回しで、外道衆に立ち向かおうとする茉子を止めるシーンのやり取りが秀逸です。


「お父さん何とも思わないの?!子供を心配している人達のことだって見てたでしょ?同じ親じゃない!」
「そうだ、親だよ。親だから自分の子供を安全な場所に避難させたいと思う、身勝手な親だ。茉子、それはお母さんも同じなんだよ」
「そんなこと…だって、だったらどうして、あの時、私も一緒に……置いていかれたと思った。最後までお母さんは私の事なんか目に入らなくて。だからずっと1人で侍になる為に!今になってどうして!」


前半でお気楽に見せていた父親との対比がここで落差として効いてくるのですが、ここでのポイントは「親の心子知らず、子の心親知らず」というすれ違いでしょうか。
千明の時とポイントは似ていますが、千明と千明父の場合は「侍」であることよりも「人間」であることを優先して育てた結果なので、まだ筋は通っています。
それに対して茉子の父親はというと、廃人同然になった母の介護をするために娘を置き去りにして、そのくせ今になっていけしゃあしゃあと父親面をする最低な父親でした。
前回の感想で戦隊シリーズの父親を並べてみましたが、いわゆる「ダメ親父」のカテゴリーに茉子の父も入ることになりました、おめでとうございます!


いやまあモンド博士みたいに、なんの断りもなく息子たちの職場に退職届を出しても悪びれないよりはまだ罪悪感があるだけマシな方なのですけどね。
また、ここで白石親子の話だけで完結してしまうとありがちな昼ドラに堕してしまうのですが、「子供を連れ去られた親たち」を交えることでシンケンジャーの使命にも通じているのが見事です。
この時の白石親子のアップでのやり取りは一度見たら印象に残る絵となっており、こういうのを撮らせたらさすが長石監督だなと…中澤監督もうまいけど、長石監督とはまた違うんだよなあ。
長石監督は割とストレートに感性で被写体を写しているのに対して、中澤監督は情感を大事にしつつもニュートラルなので誰か1人を贔屓するということがありません。
だから、今回のようにロジックよりも情感を優先して撮る場合には長石監督の方が向いているのは事実で、ここで初めて「茉子とはどんなキャラか?」が見えた気がします。


結局茉子の問題点は「親の愛情不足」であり、思えば第一幕で幼稚園の先生をしていたのも、流ノ介やことは、源太が弱った時に抱きしめていたのも、料理を勉強していたのにも全てはそこに起因します。
いってしまえば彼女は「本当は甘えたいのに甘え下手」という点で「タイムレンジャー」のユウリの系譜なのですが、ユウリと違うのは両親を失っていなかったという事実です。
そう、小さい頃に身内を亡くしてずっと女らしさを押し殺して孤高のキャリアウーマンとして生きるしかなかったユウリに対して、茉子は祖母に育ててもらったり両親が生きていたりします。
だからギリギリのところでユウリのようにならずに済み、しかしだからといって千明やことはみたいにストレートに弱さを出して甘えることができないから頼れる姐さんの皮を被り続けている。


二十一幕で千明の父親にすごくいい感じのフォローをしたのも、半分はすくすくと育った千明に対する憧れのようなものがあったのではないでしょうか。
パリピだけど、誰よりも我が子思いで明るく千明を育ててくれた千明父が茉子にとっては凄く眩しく輝いて見えたんじゃないかなあと。
しかも千明父って馴れ馴れしいところはあっても、茉子の父親みたいにシンケンジャーを辞めさせようとしたり、娘をほったらかしにしたりしなかっただけまだいい方だなと。
小林女史としてもおそらく谷家と白石家は対極的な家庭として描かれていて、千明の家が「」だとするなら茉子の家庭は「」だったということでしょう。


そして、それが茉子の心の中に空洞を作っていて、いつでも闇がそこに入り込む隙間があるから、太夫の過去という深淵を覗いた時に、逆に深淵に覗かれることにもなるのですね。
さて、ここで気になるのですが本作はいわゆる世襲制なのですが、そこで代々選ばれているのは一体どういう基準なのでしょうか?
一応志葉家、池波家、白石家、谷家、花織家となっていますが、序盤の展開を見るに「ギンガマン」のような選抜試験がないっぽいのでどうも違ったようです。


「私、侍はやめない。お父さんたちのことを恨んでるわけじゃないし、後悔もしてないから。ただ、あの時ただ…」


これまで凄くわかりにくい人物として描かれてきた茉子ですが、探って見ると本質はとてもシンプルで結局「親の愛情が欲しかった」だけでした。
そういう意味ではシンケンジャーとしてのつながりに一番執着というか依存しているのは実は流ノ介でもことはでもなく、茉子だったのかもしれません。
流ノ介はもう七幕の段階でその思いを消化していますし、ことはもことはで「姉の代わり」ということが引っかかっているだけでしたから。
千明と源太はまあ明るい性格なのもありますが、シンケンジャーという居場所がなくてもある程度動けるようにできていますしね。


そして、そんな親子の愛情すら振り切るように、茉子は改めてシンケンジャーとしての決意を固めて雄叫びを上げ、進んで行きます。
この雄叫び自体はあんまり迫力がなかったのですが、ただこれまで感情を見せてこなかった茉子の静かなる闘志が初めて湧き出た瞬間です。
それこそこんな風に切羽詰まった表情になるのは十二幕で「丈瑠に命預けるよ!」と言った時以来で、あの時もまだ本音を100%出したわけではありません。
だからこそ、茉子は今ようやくこの瞬間に親からの精神的自立を果たし、真のシンケンピンクとして戦う…元々能力は高い方でしたから、ここでの覚醒には納得です。


丈瑠がそのままインロウマルを渡してスーパーシンケンピンクとなりますが、今回はきちっとそこに茉子のドラマが乗っかっていて連動性がありました。
正直スーパーシンケンジャーは初登場が微妙だったのと「殿が不在の時に別のものが代わりで使う」というものだったので、物足りなかったのです。
今回はそうじゃなく、茉子を真のシンケンピンクにするためのドラマツルギーとして、インロウマル「真」が「本当のシンケンピンク」を意味しているようにも見えます。
かなりブーストがかかっていたのか、今回迷いを振り切った茉子はめちゃくちゃ強くてかっこよかったですね、こういうのは好きです。


そしてラスト、ついに廃人状態から復帰してきた母親との再会を果たした茉子は抱擁を交わし、ここでやっと欲しかったものがもらえたのでしょう。
直接的に茉子の抱えている問題が語られませんでしたが、結局のところ母親からの愛情が欲しかっただけであり、茉子はその意味でシンケンジャーのメンバーの中で精神的に子供だったのです。
大人びているようでいて、心の成長は幼い頃からずっと止まったままシンケンジャーになったものだから、あのようになってしまったことにも納得はいきます。
流ノ介をバッサリと「うざいから」と切ったのも、それは子供のように「お前と遊ぶのはもう飽きた」みたいな理屈でしょう。


微妙な回がずっと続いていた「シンケンジャー」ですが、今回の話は久々に脚本・演出ともにクオリティが高く、長石監督がすごくいい仕事をしてみせました。
評価はもちろんS(傑作)、見ごたえのあるドラマをしっかりと見られて満足です。

 

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