明日の伝説

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企業の成長サイクルで見るスーパー戦隊シリーズの歴史の流れ

スーパー戦隊シリーズに関するイメージをある程度フラットにした状態で個々の作品群を見ていくわけですが、その前にまずシリーズ物としての大まかな歴史の流れを見ておきましょう。
ウルトラシリーズやライダーシリーズと違う点として、スーパー戦隊シリーズは「ジャッカー電撃隊」と「バトルフィーバーJ」の間にある休止期間を除けば1作たりとも途切れさせたことがありません。
毎年同じことを繰り返しているように見えながら細かい変化を繰り返し、時流とともに緩やかに変化しきたので、受け手にとっても作り手にとっても自然な変化として受け止められます。
それはまさに普段は決して表に見えることのない企業の成長サイクルを作品を通して見られるようなもので、実はスーパー戦隊シリーズの歴史の流れは企業の成長サイクルと酷似しているのです。


スーパー戦隊シリーズに限った話ではないのですが、どんな物事にも「ライフサイクル」があり、具体的には「幼年期」「成長期」「成熟期」「衰退期」という4つのサイクルがあります。
このライフサイクルに当てはめると、スーパー戦隊シリーズの歴史の流れを大局的に掴むことができ、個々の作品評価というミクロな視点と同時にマクロな視点の流れも見えてくるのです。
個人的な見立てですが、スーパー戦隊シリーズは以下のように区分されるのではないでしょうか。


(1)幼年期(1975年〜1981年)


スーパー戦隊シリーズの幼年期は1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」から1981年の「太陽戦隊サンバルカン」までの5作品の時期です。
この時期はまだシリーズとしてのイロハや文法自体が出来上がっていないので、様々な試行錯誤が繰り返されています。
特徴として挙げられるのはメインライターが上原正三氏である関係もあって、「外的(=公的)動機」で動く戦隊が多いことでしょうか。
軍人戦隊の「ゴレンジャー」「サンバルカン」はもちろんのこと「ジャッカー」「バトルフィーバー」のも国際組織の所属です。


その点「デンジマン」は表向きこそアイシーが設立した私設戦隊なのですが、その実態はやはり亡きデンジ星の公共機関所属と言えます。
戦いのモデルは国家戦争、当時で言えば冷戦であり、強大な侵略者が海の向こうから現れ、戦士たちはそれに召集がかかって戦うというものです。
わかりやすく言えば「お前今日から〇〇戦隊に入って戦え」「イエスボス!」というもので、弱音を吐くことは基本許されません。
典型的な「自己犠牲」「滅私奉公」というイメージが伴うのがこの時期のスーパー戦隊シリーズではないでしょうか。


(2)成長期(1982年〜1990年)


大戦隊ゴーグルファイブ」でメインライターが上原正三氏から曽田博久氏に代わり、シリーズ自体も9年間にわたる成長期へと入ります。
大まかに分けてつのフェーズがあり、「ゴーグルファイブ」〜「チェンジマン」までが第一次成長期であり、この時期にスーパー戦隊シリーズの基礎基本が完成するのです。
特に「電撃戦隊チェンジマン」はファンの間でも「昭和戦隊の最高傑作」と評される1つの頂点であり、「外的(=公的)動機」で戦うヒーローの到達点と言えるでしょう。


そして「フラッシュマン」〜「ファイブマン」までが第二次成長期であり、この時期に入るとヒーロー像や作劇のスタイルなどにも変化が芽生え始めます。
例えば、「フラッシュマン」で「地球の平和を守る」とは別の「生き別れの両親と再会する」という「内的(=私的)動機」が導入されるのです。


・「マスクマン」…タケルとイアル姫の恋物語
・「ライブマン」…勇介たちアカデミアの学生と頭脳軍ボルトの学友3幹部との価値観の相克
・「ターボレンジャー」…炎力たち高校生と流れ暴魔の転校生たちとの交流とその果ての救済
・「ファイブマン」…星川家の5人兄弟と生き別れになった両親との再会


このように、ヒーローはただ敵を倒して平和を守るという使命だけでは物足りなくなり、内面の人間性もまた描こうという試みが行われるようになります。
また、後期になるとスタッフの入れ替わりも起こるようになり、脚本家の藤井邦夫氏や井上敏樹氏、演出家の長石多可男氏など90年代以降も大活躍するスタッフが入るのです。
しかし、こうした導入が作品を通して上手く行ったかというと、やはり「チェンジマン」までで積み上げてきた文法やお約束の呪縛は相当に強いものでした。
なまじ曽田博久氏が9年間もメインライターを行ったことがシリーズそのものに1つの限界をもたらしてしまい、大きな変革を必要とする時期が来たのです。
つまり「ファイブマン」まででもう成長するところまでしきったスーパー戦隊シリーズは翌年以降抜本的な見直し・再考が行われるようになります。


(3)成熟期(1991年〜2000年)


1991年の「鳥人戦隊ジェットマン」を分岐点として、スーパー戦隊シリーズに大きな変革がもたらされ、シリーズとしてもニュースタンダード像の模索に入ります。
ここでも2つのフェーズがあり、まずは1991年の「鳥人戦隊ジェットマン」から1995年の「超力戦隊オーレンジャー」までの第一次成熟期です。
井上敏樹氏と雨宮慶太氏がコンビを組んだ「ジェットマン」で80年代戦隊の解体と再構築を行うことで、シリーズ全体の自由度を高めることに成功しました。
そして杉村升氏がメインライターを務めた「ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」「カクレンジャー」「オーレンジャーで「ファンタジー戦隊」という新ジャンルが開拓されます。
ここでスーパー戦隊シリーズは一度立ち止まって文法やお約束などを見直し、古いものは捨てて新しいものを取り入れることによって更なる成長を遂げたのです。


そして1996年の「激走戦隊カーレンジャー」から2000年の「未来戦隊タイムレンジャー」までが第二次成熟期であり、この段階に入るともう目立って新しいことはしなくなります。
この時期の戦隊は言ってみれば歴代の東映特撮の総決算であり、東映不思議コメディシリーズ、そしてレスキューポリスシリーズといった他所のシリーズの技術を導入しています。具体的には以下の通りです。


・「カーレンジャー」…不思議コメディシリーズの世界観・文法と「ターボレンジャー」の車モチーフの再導入によるシリーズの解体
・「メガレンジャー」…「ターボレンジャー」の高校生要素と「サイバーコップ」「グリッドマン」などの再導入によるシリーズの再考
・「ギンガマン」…80年代戦隊シリーズの諸設定の再導入と90年代ファンタジー戦隊のビジュアル、作劇をミックスさせての「正統派ヒーロー」の復権
・「ゴーゴーファイブ」…「ファイブマン」の「5人兄弟」という要素とレスキューポリス三部作を掛け合わせた新スタンダードの家族戦隊の誕生
・「タイムレンジャー 」…「ブルースワット」などのリアリスティックなメタルヒーローと「マトリックス」などの海外SF映画を掛け合わせた異色作


このように、もう新機軸を次々と打ち出すのではなく、今まで培ってきたものを吸い上げて昇華させながら、平成戦隊のニュースタンダード像の完成に至ります。
脚本家も浦沢義雄氏、小林靖子氏、武上純希氏、荒川稔久氏などが新戦力として加わる他、演出面でも田崎竜太氏、竹本昇氏、小中肇氏、諸田敏氏が加わるのです。
そして何より音楽面でもつのごうじ氏、川村栄二氏、横山菁児氏、佐橋俊彦氏、奥慶一氏、渡辺俊幸氏など様々な方が作品世界を彩ってくれています。
中でも佐橋俊彦氏の存在はスーパー戦隊シリーズの音楽を大きく変えてくれたと言っても過言ではない程の存在感であり、アニメ・特撮ファンでその名を知らぬ者はいないでしょう。


この時期の戦隊の特徴は「外的(=公的)動機」よりも「内的(=私的)動機」で戦う戦隊が多くなり、司令官との関係性も横並びのフラットなものになります。
メンバー同士の距離感や上下関係もかつての昭和戦隊ほど厳しくなく、ややフレンドリーな関係性となっていくのです。
そして「タイムレンジャー」まででそのヒーロー像は1つの完結を迎え、ここまででスーパー戦隊シリーズは実質の完成を迎えたと言えるでしょう。


(4)衰退期(2001年〜)


こうして成熟期に達したスーパー戦隊シリーズはもうやるべきことをやったので、以後は微細な変化を繰り返しつつ緩やかな衰退期へと入って行きます。
この時期になると「事業を終える」か「更なる変革」かを迫られますが、スーパー戦隊シリーズは後者を選び、現在に至るまで細々と長く生き残っているのです。
2001年の「百獣戦隊ガオレンジャー」で東映特撮は同時期に始まった「平成仮面ライダーシリーズ」との差別化を少なからず意識するようになったのでしょう。
一部の作品を除けば、ここからのスーパー戦隊シリーズは陰影の強いシリアスなドラマよりコミカルでライトな作風を望むようになっていきます。
そのため戦いの動機がどうのこうので悩むことはなく、「今まで通り続いてきたからあとはノルマをこなせばいい」という風になっていくのです。


また、わかりやすさを重視するためか、「特捜戦隊デカレンジャー」のバンや「魔法戦隊マジレンジャー」の魁辺りからいわゆる「単細胞熱血」なレッド、俗称「バカレッド」が増えます。
いわゆる典型的なリーダーシップを持った幼少期〜成長期のレッドが成熟期から激減していき、非リーダータイプのレッドや好青年タイプのレッドまで様々作られました。
そうした試行錯誤を繰り返した果てに辿り着いたのが「分かり易さ」「赤は熱血」「少年漫画の主人公像」といった風に一本化されていくようになったのでしょう。
その代わりに平成ライダーの方がやや重ためのドラマを描くようになったので、スーパー戦隊シリーズのレッドはとにかく叫ぶこと、まっすぐに突っ走ることにありました。
とはいえ、このような手法ばかりを繰り返していても当然飽きられるので、「ボウケンジャー」「シンケンジャー」では久々に昭和戦隊に近い造形のリーダー型レッドが再来したのです。
そうした試行錯誤を経て2011年の「海賊戦隊ゴーカイジャー」で35作品の歴史を集約させ、現在に至るまで細々とした変化を繰り返しています。


スーパー戦隊シリーズがいわゆる「偉大なるマンネリ」と言われるようになったのはこの衰退期に突入してからではないでしょうか。
この時期に入ると、もうスーパー戦隊シリーズは「何か新しいことをやっている」のではなく「あって当たり前」の存在へと変わっていきます。
微細な変化を繰り返してはいるものの、ネタといいヒーロー像といいもう頭打ちになっているというのが暗黙の了解としてあるのでしょう。


(5)まとめ


大まかに企業の成長サイクルの視点からスーパー戦隊シリーズの流れを見直してみましたが、いかがでしょうか?

もちろん絶対的なものではないのであくまで私個人の見立てなのですが、スーパー戦隊シリーズの歴史がよりはっきりと見えるようにはなります。


ただ、これだけ手を替え品を替え生き残っている子供向けのシリーズも中々ありません…休止期間の多いシリーズ物が本来は普通なのです。
それを1作も切らさずに続けられていることは、作品の良し悪しを別にすれば、それ自体がすごいことだと思います。

 

大まかな流れをここまでで掴むことはできたので、次からはいよいよ歴代スーパー戦隊シリーズを個別に見て行くこととしましょう。