明日の伝説

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「仮面ライダー」は公的動機か私的動機か?

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昨日「ボウケンジャー」の感想で「仮面ライダー」に触れ、そこで「復讐」というテーマについて触れましたが、これには大きな理由はありました。
というのも、スペースでフォロワーさんから仮面ライダーは公的動機か私的動機か?」と聞かれたからであり、今まで敢えて避けていた話題に触れることになったからです。
近いうちに初代「仮面ライダー」の批評は書きますが、まず結論からいうと、初代「仮面ライダー」は少なくとも「公的動機10で戦うヒーロー」だといえます。
これに関してはテレビ版と漫画版の双方で共通しており、公私の度合いは違えど本郷も一文字も私的動機で戦ったことはありません。

 

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仮面ライダー」の着想の元になったのが白土三平先生の「カムイ外伝」などに代表される「抜け忍」であり、出で立ちがどこか忍者のように見えるのも元が忍者だからです。
そもそも「敵組織からのドロップアウト」という時点でまず普通のヒーローではありませんし、ウルトラマンスーパー戦隊シリーズと比べると陰影がとても濃いヒーローでしょう。
石ノ森先生は仮面ライダーの目の下のクマを「泣き腫らした跡」と述懐されていたそうですが、そのように「痛み」「苦しみ」「悲しみ」というマイナスを背負ったヒーローの代表にして象徴です。
しかし、そこでどうしても発生する要素が「復讐」であり、描き方次第では「俺の体を勝手に改造しやがったこいつら許せねえ!ぶち殺す!」ということになってもおかしくありません。


本郷猛にしても一文字隼人にしても不思議なのは脳以外全身を機械の体に改造されていながら、そこで頭に血が上って「俺をこんな体にしやがったショッカーを許せん!」とならないところです。
それは諦観なのか何なのかわかりませんが、あまりにも改造人間であることを冷静沈着に受け止めていて、ある意味この人たちは精神性がまず人間ではないのではないかとゾッとします。
ちなみにこの「敵組織に体を勝手に改造された恨み」を呟いたのは仮面ライダーZX/村雨良であり、彼は「俺をこんな体に改造したバダンを許せん!必ず復讐してやる……!」と息巻くのです。
これが本来あるべき「敵組織に機械の体にされてしまった反応」であり、人間としての感情や良心がある真っ当な人ならこのように言うものですが、なぜか本郷や一文字はそのような文句を言いません。


そしてその村雨良も9人の先輩ライダーと関わっていく内に復讐から正義のヒーローとしての大義、すなわち「人間の自由」のために戦うように改心するのですが、十分に描き切れたとはいえないのです。
昭和ライダーで「復讐」と言うテーマを背負い消化するプロセスが丁寧に描かれたのはライダーマン/結城丈二ですが、他にも「復讐」を抱えていた風見志郎や城茂はその辺りがかなり雑に処理されていました。
つまり仮面ライダーは改造人間にされた時点で「人間の自由のため」という公的動機と「自分を改造人間にした敵組織への復讐」という私的動機の両極を抱えることになるのです。
仮面ライダーを象徴するキーワードに「自由」というものがあるわけですが、これは一般的な「何でもあり」という意味での自由ではなく、「自(みずか)らに由(よ)る」という意味の自由でしょう。


自由というと多くの人は「好き勝手」と混同していますが、自由にはその裏に「責任」が伴うわけであり、自らを根拠にして動くということはその責任を全て自分で負わなければならないことになります。
そして仮面ライダーはもともと第一話で脳以外を全て機械にされたという時点で既にその「自らに由るところ」を喪失しているわけであり、人並みの幸せなど望むべくもないのです。
これだけだとピンと来ない人もいると思うので英語で説明すると、英語で「自由」を意味する単語はlibertyとfreedomの2つがありますが、意味はまるで異なります。
libertyは「束縛から解放する」という意味での自由であり、まさに組織や人に依存せず自らの意思で由るところを決めるという意味での「自由」です。


対してfreedomとは元々freeがzero、すなわち「何もない」を語源としているところから「何者にも縛られない、周りに何もない」という意味での解放で好き勝手な自由を意味します。
つまり、多くの人が想像する「自由」とはfreedomでありlibertyではないのですが、仮面ライダーの場合は逆でfreedomではなくlibertyのために戦うヒーローだということでしょう。
ショッカーに改造され人間ではなくなったという束縛から抜け出すために、世界中の人間を改造して世界を征服しようという目論見から人々を解放するために人知れず戦うヒーローなのです。
長らく疑問に思っていた「仮面ライダーは人間の自由のためにショッカーと戦うのだ」という市川森一先生の考えたキャッチフレーズの意味がようやくわかった気がします。


そういう意味で考えると、仮面ライダーとは「人が何者かに束縛されずに自らに由る生き方を可能にするためのヒーロー」であり、そのために「自らを犠牲にする」という選択をした者のことをいうのでしょう。
そう考えていくと、個人ヒーローではあるもののその戦い方や精神性は立派な公的動機であり、少なくとも一般的な私的動機で戦うことができるわけがありません。
実際、仮面ライダーにされてしまった本郷猛や一文字隼人は「人間としての自由と幸福」を捨て去った「闇の公人」であって、その辺りは石ノ森先生の漫画版だと特にクローズアップされています。
昭和ライダーに関しても後々戦隊シリーズと同じようにWant・Must・Canに基づいた分類をしたいなあというところですが、あくまでも希望的観測ということであまり期待はなさらないように(苦笑)