明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ30作目『轟轟戦隊ボウケンジャー』(2006)7・8話感想

 

Task7「火竜(サラマンダー)のウロコ」


脚本:會川昇/演出:諸田敏


<あらすじ>
リュウオーンの命令で互いに戦わせられ、最後に生き残ったジャリュウは、新たな力を得、邪悪竜・ドライケンに変化し、その能力をボウケンジャーに見せつけ、悠々と去っていく。 残されたボウケンジャー、暁の脳裏には最近読んだ小説の一節が浮かぶ。暁は手掛かりを求めて、小説家・香川慈門のもとにむかうのだが…


<感想>
「私はずうっと英雄を書いてきた。どんな厳しい自然とも、困難な状況とも戦う英雄……だが、見渡してみたまえ、英雄なんか居ない。困難にくじけて立ち上がれない、自分が幸せなら周りはどうでもいい、そんな人間ばかりだ。私は気付いたんだよ……人は古代から強大なドラゴンの存在を想像してきた。人類は憧れているんだ。全てを破壊してくれるドラゴンに。だから私は書く。冒険もない、英雄も居ない時代など滅ぼしてしまえと」


かつて「フラッシュマン」で世界を滅ぼそうとした人(中の人つながり)が言うとえらくリアリティのある台詞になるから困ります(苦笑)
でも作家として負に落ちる人って多かれ少なかれ絶望を唱え始めるという……まあ典型的なのは太宰治の「人間失格」などがそうでしょうか。
今回の話は「ボウケンジャー」序盤の傑作回となりますが、會川先生にとっても思い入れの深い回だったそうで、その熱量が画面を通して伝わってきます。
まさかチーフが冒険者を目指したきっかけが好きな作家の小説だったとはねえ……しかものっけから菜月と真墨に没収されているという緩さ。


あー、何となくですけど、チーフっていわゆる「冒険においては無敵だけどプライベートでは隙だらけの緩い生き物」ということでしょうね。
この特性はいわゆる「ヒーローだって所詮人間」というのを打ち出した「ジェットマン」のレッドホーク/天堂竜がその原点となっています。
いわゆる「強いヒーロー性と引き換えに人間力が低すぎる」というのは「ゴーゴーファイブ」のゴーレッド/巽マトイが近いですが、チーフや殿もその系譜です。
敵側のリュウオーンもより存在感が濃くなり、演出的にも今回は「火」「爆発」といった「赤」の要素が色濃く盛り込まれています。


今回は終盤まで活躍するボウケンジャー側の必殺武器「デュアルクラッシャー」のお披露目でもあるのですが、チーフのキャラ立ちと共にそれをやっているのはよかったです。
冒頭シーンで相変わらずイエローやブルーがその実験台にされていましたが、反動があるとはいえ終盤はこれを生身で使えるようになるのだから、間違いなくボウケンジャーもプロフェッショナル戦隊でしょう。
そんなところも打ち出しつつ、チーフが改めてプレシャスと火竜のウロコを使ってアクセルテクターという強化武装を作り上げるというのは非常にロジカルなパワーアップとして秀逸。
これがあることでプレシャスが単なる「秘宝」というだけではなく、自軍のパワーアップアイテムとしても使うことができることで、サーサジェス側のブラックぶりオーバーテクノロジーな理由にも説得力を出しています。


これはTask11で明らかになりますが、そもそもボウケンジャーのゴーゴービークルをはじめとした装備一式自体があるプレシャスを元に作られたものなので、その回に向けての伏線も兼ねているでしょうか。
そして肝心要のデュアルクラッシャーはまずコンクリートで敵を動けなくしてからドリルで粉砕するという長浜ロマン三部作の超電磁スピンや超電磁ボールVの字斬りを彷彿させるような技でした。
こういう二段構えの必殺武器というのは殺傷力が非常に高い反面対策もされやすくなるのですが、改めてプレシャス回収のためならトンデモ武装を平気で開発するところがサージェスの恐ろしいところです。
巨大メカ戦を前半で盛り込んだ分後半は等身大戦やらドラマやらに尺を割いており、かなりわかりやすくやっと本作のバックボーンとなるものが見えてきました。


やっぱり戦隊レッドのキャラ付けが面白くないと作品全体も面白くならないと思うので、その辺りも含めて本作はやっとこれまでに仕込んできた要素がガチッとハマった気がします。
その香川先生に対するチーフの言葉がもはや會川先生の本音がダダ漏れです。


「あの化け物達を生み出したのは私ではなかった。やはり小説など現実には何も生み出さないんだな」
「香川さん。人類はドラゴンを想像(創造)する時、ドラゴンを倒す英雄もまた想像(創造)してきました」
「ああ」
「あなたの小説で英雄を目指した子供がたくさん生まれた。その子供たちは確かに現実です」
「英雄、或いは冒険者か」


會川昇先生は「機動戦艦ナデシコ」しかり「レボルティオ」しかり「メタフィクション」を題材にしてこそ本気を出す作家なのですが、今回はそれがかなりどストレートに表現された回となりました。
これまで何処と無く「大人の詭弁」としか思えなかったチーフの冒険魂がいわゆる「立派な正義感」ではなく「幼少時代の「好き」を拗らせた個人的執着」でしかないのがとても面白い。
普通のヒーロー物というか戦隊ならそこで「普遍的なヒーロー論」へ繋げてもおかしくないところを、本作では「オタクの詭弁」にすり替えて徹底的に押し通すのが特徴でしょうか。
荒川先生が書くアイドルものとはまた別の意味で好き嫌い別れるだろうなあという會川先生の趣味が炸裂していますが、日笠Pはじめよくぞこんな内容にオッケーしてくれたものです。


よって総合評価はもちろんS(傑作)ですが、この回でチーフの心が所詮小学校低学年レベルで止まってしまっているということが明るみに出てしまいました(^^;
チーフはファンからいわゆる「頼れるリーダー」として評価されることが多いようですが、本質はむしろ8歳までで心が止まってしまっているといえます。
その癖大人の言葉遣いとか親父臭さみたいな妙なところばっか昭和体質なものだから、こりゃあ誰も手がつけられんわなと。


Task8「アトランティスの秘宝」


脚本:會川昇/演出:諸田敏


<あらすじ>
ゴーゴーマリンは海底で未知の金属・オリハルコンを発見したが、同じくプレシャスを狙うゴードム文明・大神官ガジャとの激しい戦いが始まってしまう。なんとかプレシャスを確保したボウケンジャーだったが、ガジャは無気味な言葉を残す「ヴリル…」と。一方、牧野先生はオリハルコン確保にに大喜びだが・・・


<感想>
今回の見所はボウケンメンバーのファッションセンスのなさ!(笑)


時代と言ってしまえばそれまでですが、真墨は明らかに中二病丸出しの黒ずくめですし、チーフとさくら姉さんはファッション雑誌を読んですらいないのがバレバレのカジュアルな服装という。
ああそうか、本作においては「ヒーロー性」と「人間性が」比例ではなく反比例の関係にあるということなのか……冒険以外のことももっとちゃんと勉強した方がいいと思います。
普段のジャケットというか制服みたいなのは似合っているんですけど、致命的に私服のセンスが壊滅的というか、もうちょっとこのあたりはお洒落に気を遣って欲しいところです。
そういえば「カーレンジャー」以来の私服戦隊であった「シンケンジャー」の私服がカジュアルながら様になっていたのは本作の壊滅的なファッションセンスを受けてのものでしょうか。


内容的にはありがちな「偽物」ネタなのですが、プレシャスがマトリョーシカ方式のもので、目の前のものを何でもコピーして量産するというアイデアはありがちです。
しかし、そこから蒼太VS蒼太という生身アクションへ持っていき、またその生身アクションも三上真史氏自体が空手をやっていたこともあって、非常にキレのいい動きをしています。
まあ流石に「トッキュウジャー」の志尊淳君や横浜流星君ほどではないにしても、やはりこういう生身アクションがあると「強い」という印象を見せられていいですね。
ただなあ、個人的には真墨が菜月に執着している描写は個人的に受け入れづらく、「適当にほっとけよ」と思ってしまいます。


真墨自体は本作で好きなキャラですし菜月も嫌いじゃないのですけど、当時からどうにも気に食わなかったというか割と謎なのは「どうして真墨は菜月にそこまで執着するのか?」ということです。
これだけは本当によくわからなかったところで、私自身が対人関係ではそこまで執着しないせいかどうにも真墨が今ひとつ情けなく見えてしまうような描写は気に入りません。
男をダメにする要素の1つが「女」であり、それは「ジェットマン」でも語った通りなのですが、本作もそういう意味でチーフとさくら姉さんしかり、真墨と菜月しかりメンバー内の男女関係はあまりときめかないです。
思えば「ジェットマン」のあれは単なる「恋愛」では済まされない人間関係の描写が秀逸だったのですが、ほとんどの戦隊は戦隊「内」よりも戦隊「外」恋愛の方がうまくいくように思います。


アクション回とボウケンメンバーの壊滅的な私服センス以外はドラマ性として濃いものはなく、蒼太の「知性派と見せかけて実は肉体派」を見せたかったのでしょうが、描写のせいで寧ろ蒼太が間抜けになってしまいました。
いくら集めたプレシャスが予測のつかないものだからといって、私物のパソコンを開きっぱなしで研究室に向かうのは流石にありえないので、今ひとつ管理の甘さが目立ってしまいます。
総合評価はB(良作)、前回が突き抜けて面白かった反動も少なからずありますが、この内容ならもっとしっかり内容を詰めて欲しいところです。

 

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