明日の伝説

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『DRAGON BALL外伝 転生したらヤムチャだった件』感想〜ヤムチャが冷遇されてしまった理由〜

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出典元https://www.amazon.co.jp/dp/B075SW9P62

本日は「ボウケンジャー」感想を書こうかと思っていたのですが、その前にまず「ヤムチャ転生」という漫画を改めて読んだのでその感想をば。
ドラゴンボール」は世界中で大人気故にファンの層も様々故にたくさんの同人が作られますが、公式に認められた同人は今のところ2人しかいません。
1人が現在漫画版『ドラゴンボール超』を描いているとよたろう先生、ファンの間で有名な「ドラゴンボールAF」という同人誌を手がけていた方です。
そしてもう1人が本作を執筆したドラゴン画廊・リーであり、この人は本作の他に「ドラゴンボール菜〜スーパーベジータ伝〜」も描かれていました。


いわゆる「もし悟空ではなくベジータが主人公だったら?」「ヤムチャが華々しく活躍したら?」というファンの妄想を説得力ある画力で描いた人だといえます。
で、その中でなぜ「ヤムチャ転生」のみが公式の目に留まり認められたかというと、これが単なる「なろう系」に見られがちな異世界転生ものではないからです。
ここ数年、いわゆる「なろう系」と呼ばれる小説が漫画化・アニメ化されていますが、その理由は陰キャ陰キャによる陰キャのための漫画」だからでしょう。
YouTubeも含めてここ数年の動向を見ていて思うのはいわゆる陰キャの成り上がり」が注目されつつあることであり、これは時代の傾向として見逃せません。


YouTubeやTik Tokが現在若者向けのSNSとして注目を浴びているのは「自己肯定感の低い若者たちが必死に頑張っている姿が健気だから」だと思われます。
YouTuberはよく言われるように「スクールカーストの下層として見下されるような人たち」、昔風にいえば「好事家」「オタク」「マニア」の世に対する抵抗です。
「世間から忌避される俺たちだって言いたいこと、できることはある!こんなに面白いものを生み出されるんだ!」ということの証明として生み出されたのがYouTuberでした。
それはいわゆるスクールカーストの上位層や一部のトップ層のみが目立っていたビジネス界隈や芸能界にすら衝撃を走らせるほどのことだったのです。


そのように見ていくと、いわゆる「なろう系」、すなわち「小説家になろう」に代表されるような陰キャの妄想を具現化した作品」が流行るのも似たようなものなのでしょう。
あれだって流れとしてはYouTuberと似たようなもので、現実世界では居場所がなくどうにもならない閉塞感から来る鬱屈や挫折を異世界転生もので満たそうという考え方です。
それを安直に叶えては大体の場合「説得力がない」「軽い」と思われてしまうから、大体物語の冒頭の段階で「主人公は事故で死んだ」といった代償が描かれています。
今若者の間で人気の「なろう系」と呼ばれる作品はそのようにして「サイレントマジョリティー(寡黙な多数派)」の深層心理を鋭く深く突いて共感を得ているのでしょう。


しかし、この「ヤムチャ転生」はそういった「なろう系」の構図を借りつつも決定的に違った面があって、大きく分けて2つの要素があります。
1つが「物語の中で最弱と言われるキャラクター」に転生していること、そしてもう1つが「転生した者の理想を安易に実現させていない」ということではないでしょうか。
この2つの要素をしっかり遵守しているからこそ原作から生じたIF要素として破綻せずに読者も面白がることができたのだと私は思うのです。
そしてその2つの要素を見ていった時に、改めて私は原作でヤムチャが冷遇されてしまった理由がなんとなく見えてしまいました。


一番の理由は「最初の段階からキャラをうまく膨らませる構想が鳥山先生の脳内で浮かばなかったから」に他なりません。
初登場では「2枚目半」という悟空のライバルキャラとして設定された彼ですが、初期はまだ「Dr.スランプ」のノリが極めて強かった頃です。
しかも最初は女の子が苦手で弱者に対しては威圧的に振る舞うが格上に対しては腰抜けになってしまうビビリ君であり、まともに勝てたのは最弱時代のチチ位でしょう。
その後はまともな見せ場など貰えず、天下一武道会では全部一回戦負け、唯一善戦したサイバイマン戦では油断した挙句に抱きつき自爆で死亡、人造人間編ではブルマをベジータに取られた挙句ドクターゲロに半殺しにされます。


本人に何か過失や「これはやっちゃあかんだろう」という自業自得なことがあったわけじゃないのに、ただ淡々と「強さのインフレに置いていかれた者の末路」を描いたという意味でヤムチャ以上のキャラはいないでしょう。
ドラゴンボールでかませ犬というとヤムチャベジータが挙げられますが、正確にはヤムチャがかませ犬だったのはサイヤ人編までで、人造人間編以降はそれすらまともに務められなくなっています。
魔人ブウ編での天下一武道会ではそんな過去の経験からチチに「武道会に出場しないのか?」と聞かれても「出たって恥をかくだけ」と出場を頑なに拒んでいました。
これは「ドラゴンボール」に限りませんが、どんなバトル漫画でも1人や2人は「強さのインフレに置いてかれるキャラ」がいるもので、別に本作が珍しいわけではありません。


例えば超人バトル路線の開祖といわれる「リングにかけろ」では、喧嘩チャンピオンの香取石松がそのポジションだったといえ、「DB」で言うならヤムチャクリリンを掛け合わせたようなキャラです。
ヤムチャのかませ犬ぶりとクリリンのようなテクニカルさを絶妙に合わせたコメディリリーフキャラでしたが、彼の場合まだマシな方で一応世界大会編〜阿修羅一族編までは見せ場がありました。
彼が本格的なかませ犬キャラになったのは憧れのヒロインにして主人公・竜児の姉である高嶺菊をライバルキャラの剣崎順に取られたからであり、しかも2人の争奪戦が明確に描かれています。
しかし、当然ながら実力は剣崎が圧倒的に上であり、石松は「竜児や剣崎みたいなのがいたんじゃ自分はプロの世界でやっていけない」と諦めて漁師として生きる道を選びました。


そんな石松の「頑張ったけどもイマイチ報われない」というこの感じは正にクリリンヤムチャにも共通しているのですが、報われなさという意味でヤムチャはジャンプ史上随一のキャラでありましょう。
他にも「ONE PIECE」のウソップ、「NARUTO」の犬塚キバ、「テニスの王子様」の乾貞治など「ヤムチャしやがって……」な系譜の「強さのインフレに置いていかれた不遇なキャラ」は挙げればいくらでもいます。
そんな中でもヤムチャが未だに印象に残り続け語り草になっているのはそのやられキャラっぷりが一周回ってギャグとして受け止められるくらいの独特な面白さに昇華されているからです。
例えば石松やウソップ、キバ、乾だとそのかませ犬っぷりが語られる時「かわいそう」という憐憫の情が少なからずあるのですが、ヤムチャの場合そんな憐憫の情すら寄せられることはありません。


もちろん同情する読者もいますが、なぜほとんどはネタとして消費されているのかと言うと、大半はヤムチャ自身の洞察力のなさや分不相応といったところに原因があるからです。
以前紹介した上田氏が「ドラゴンボールヤムチャが、ザコとしての地位を確立できた理由」という記事でその辺りは詳細に語られていますので、是非ともご覧ください。

 

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本書「ヤムチャ転生」はそうした「強さのインフレに置いていかれた味方側の雑魚キャラ」をネタにして弄りつつ、「でも元が微妙だと限界がある」ということも示されました。
ヤムチャに転生した青年は何だかんだサイヤ人編・ナメック星編まで活躍しながらも、それでも結局人造人間編に入った時にベジータとブルマがくっつくのを阻止できず身を引いたのです。
「思いやり」といえばいい響きですが、でも結局はヤムチャはどんなに頑張ったところで悟空やベジータに並ぶ程の「格」「才能」がない」ということではないでしょうか。
そしてそれを引っくるめて全てビルス様とシャンパ様の遊びだったとすることによって「ドラゴンボール」らしいギャグとしてオチをつけているのです。


この漫画が単純な「ヤムチャ無双」として描かれていたり、あるいは「悟空orベジータに転生した」というネタだったら公式に認められていなかったでしょう。
悟空やベジータは主人公・準主人公格なわけであって、転生して活躍したところで当たり前ですから転生して活躍しても大した驚きや衝撃にはなり得ません。
しかし、ヤムチャのようなキャラが予想外の活躍をしたらファンはそれだけで驚くわけであり、そこがこの作品が公式にも認められるくらいの名作になった理由だと思うのです。
ベジータヤムチャ・ブルマの関係はまた後ほど書きますが、同人作品としては珍しく良くできた構造の力作だなあと思いました。