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『ドラゴンボール超 ブロリー』批評〜DB版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』〜

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B07P5LFNXX

鬼滅の刃』のレビューを書いた後、Twitterで変な輩にフォロリクで絡まれたのでキックしてやりました。
言っておきますけどね、私は『鬼滅の刃』、めちゃくちゃ好きです!でも、批判的な意見が出るのは「もっと上」を望んでいて、なおかつまだ評価が完全に固まりきっていないからです。
ここから本格的なレビューをしていこうと思うわけなので、暫定的な評価として現段階ではあくまでC(佳作)だよということをお伝えさせていただきました。
しかし、こういう民度の悪いファンがいると本当に「鬼滅」にとっても、真っ当なファンにとっても迷惑なので勘弁いただきたいところでございます。


今日はそのお口直しというわけではありませんが、もうすぐ地上波で放送されるドラゴンボール劇場版『ドラゴンボール超 ブロリー』の批評を書きましょう。
これまでずっとドラゴンボールの批評を書き続けてきた理由の1つは間違いなくこの「ブロリー」の批評をきちんと書くためでありました。
ドラゴンボール(Z)」の原体験世代として様々ないい点・悪い点を述べながら、その上で歴代最高傑作といわれるこの「超ブロリー」の批評を書いてみたいと思ったのです。
本来ならば映画「神と神」「復活の「F」」も書いた上で本作の批評を書きたかったのですが、正直もう今書きたくてたまらないのでお許しください。


さて、この「超ブロリー」は直々に映画館まで足を運んで見に行きましたが、お世辞を抜きにして文句なしの劇場版「ドラゴンボール」最高傑作でございます。
その理由は具体的にこれから述べていきますが、本作を私なりに批評するならばDB版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャアでありましょう。
望まぬ形でシリーズ化してしまった作品として様々な迷走や試行錯誤を繰り返しながら、原作者自ら原点に立ち返って全盛期の魅力を現代の技術で進化させてみせた。
そしてそれをもってシリーズの1つの集大成とし、原体験世代に「懐かしさ」を、そして新生代に「興奮と衝撃」をもたらしたというシリーズ上の位置付けが似ています。


構成は原作のサイヤ人編〜ナメック星編をベースに『ドラゴンボールマイナス』『たった1人の最終決戦』『燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦』『 復活のフュージョン!!悟空とベジータ』を組み合わせたリブートです。
作画や演出・脚本の全てにおいて全盛期の「Z」の要素をしっかり取り込んで集約させつつ、鳥山ワールドの魅力とアニメスタッフの頑張りが最高の形で引き立て合った最高の逸品でした。
もちろん疑問や批判点などもないわけではないですが、それらを全て覆してしまうくらいの格好良さ・インパクトで「これぞドラゴンボール」と言える一作に仕上がっています。
そんな本作の魅力がどこにあるのか、改めて言語化していきましょう。

 


(1)3種類の「超サイヤ人」の書き分けと見せ方


最初に挙げられるいい点は3種類の超サイヤ人、すなわち超サイヤ人超サイヤ人ゴッド・超サイヤ人ブルーの3種類をきっちり書き分けてうまく差異を演出したことです。
「神と神」以降で台頭してきた超サイヤ人ゴッド、そしてその「超サイヤ人ゴッドの力をもった超サイヤ人」である超サイヤ人ブルーが新たな概念として出てきました。
しかし、テレビアニメ版と漫画版の「ドラゴンボール超」ではその具体的な違いがよくわからず、描写としても結構負けたりいざって時に決めきれないことが多かったりしたのです。
そのせいで「「超」はそもそも作品ではない」「ゴッドとブルーが安売りされてしまっている」といった批判が相次いで続出するようになっており、私も正直疑問でした。


しかし、本作ではその形骸化してしまいよくわからなかった超サイヤ人ゴッドと超サイヤ人ブルーの魅力をサイヤ人最強のブロリーとの戦いの中でしっかりと書き分けてくれたのです。
特に初期の悪人ベジータが大好きな私としては最初のベジータVSブロリーは旧作『燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦』へのリベンジも含めて非常によくできていました。
ベジータって原作だと孫悟空孫悟飯ゴテンクスに比べてそこまで劇的に超サイヤ人として演出されていたわけではなく、あまり驚きはなかったのです。
最初の人造人間19号との戦いで見せた超サイヤ人やセル第二形態との戦いで見せた超ベジータ、そして魔人ブウ編で見せた魔人ベジータも決して特別な演出だったとはいえません。


そんな風に原作だと長らく不遇気味の立ち位置だったベジータが本作では先陣を任せてもらえた挙句、アニメでは一度も見せたことがなかったゴッドの活躍を見せてくれました。
最初に超サイヤ人で優位を取りながらもだんだん追いつかれていき、その中でジリ貧になっていくベジータがゴッドを見せるのですが、それまでの荒々しさが嘘のように寡黙になるのです。
気弾の連続発射でブロリーを圧倒しブロリーの破れかぶれな反撃を全てかわしてお返しの一撃からの氷山6つ貫通は旧ブロリーでの悲惨な扱いに比べるとスカッとしました。
まあ旧作に関してはリアルミスターサタンこと小山高生が「ベジータが嫌いだから扱いを悪くした」「ベジータはギャグキャラ」とかほざいてたのもあって、今でも大嫌いです。


そんな旧作の不名誉を原作者自ら覆してみせ、更にそこからビッグバンアタック(?)で徐に「くだらん」と言い放ちながらとどめを刺しにかかるところはダークヒーローでありながらヒールでもありました。
あの瞬間のベジータは人造人間編以降培ってきた人間味あるキャラを全盛期の刺々しさが上回っており、「これだよ!こういうベジータを見たかったんだ!」と溜飲が下がる瞬間だったのです。
その後思わぬブロリーの化け物ぶりに「遊んでる場合じゃない」というところもナメック星編のベジータらしい判断力の的確さが生きていて、本作は「かっこいいベジータ」がしっかり見られます。
ベジータですらも畏怖の念を寄せるブロリーもまたとんでもなく強く、これがあるからこそ二番手として戦うことになる悟空の強さ・格好良さもまた引き立つ演出になっていました。


悟空に関してはゴッドのあの遠隔操作でブロリーを操作するところも好きなのですが、何と言ってもやはり超サイヤ人ブルーに「はああああ!」と切り替わるところの演出です。
一瞬銀色になるので「身勝手の極意出るか!?」とミスリードさせつつ、そこから気を練り上げて超サイヤ人ブルーに覚醒する演出はまさに最初ナメック星で超サイヤ人に覚醒した時の興奮と衝撃を思い出しました。
あの時、クリリンが二度と生き返れず、悟飯もピッコロも殺されそうだった状況で、悟空が凄まじい怒りで超サイヤ人に覚醒する瞬間の衝撃は漫画・アニメの双方において衝撃を与えた伝説の瞬間です。
その私が画面の前で幼少時に味わった衝撃を本作はブルーへの覚醒という形で復権させ、「超サイヤ人ゴッドの更に上」の段階であるというのをしっかり示していて、最高の演出でした。


(2)旧作とはまるで異なる新生ブロリーの人間味溢れるキャラクター


本作最大の美点として褒められるのはなんといっても鳥山明先生が直々にリブートした新生ブロリーであり、ファンから人気の高いブロリーをどういうキャラにしてくるか?が腕の見せ所でした。
その新生ブロリーはお世辞抜きで「いいヤツ」として描かれていて、パラガスから毒親のような仕打ちを散々受けたにも関わらず、決して父親に反抗しない純粋なサイヤ人として描かれています。
これは映画「神と神」以降老境に入られて優しくなった鳥山先生の心境の変化でもあるでしょうし、同時に小山脚本の旧ブロリーのキャラクターが鳥山ワールドとしては浮く存在だったのでしょう。
ブロリーがどんなキャラクターかに関しては是非原典の「燃え尽きろ」を見て欲しいのですが、お世辞にもいい作品とはいえず脚本家の好き嫌いで作られたような名状しがたい作品のような何かです。


ブロリーはいわゆる「孫悟空のIF」として描かれたキャラクターであり、悟空が「天使」とするならば旧ブロリーはまさに「悪魔」という言葉が似合うヤツだったといえます。
人間性と呼べるものが一切ないサイコパスのような存在であり、頭につけてある輪っかが外れると一気に「伝説の超サイヤ人」という理不尽に暴れ回るキャラとなるのです。
筋肉も一回り以上膨れ上がり戦闘力も増していくのですが、これが何とも非人間的過ぎるキャラクターで、旧劇場版がそうであったように大体が「孫悟空に倒される絶対悪」でした。
また孫悟空も原作はともかく旧劇場版だと「地球を守る」だのと言い出すステロタイプの正統派ヒーローに描かれてしまっており、相手を容赦無く殺してしまうのです。


しかも何が酷いといって、ベジータをひたすらにヘタレな間抜けに描いた挙句「クズはクズなのだ」「何がサイヤ人の王子だ」などと言わせて戦意喪失させるという最悪なことをさせています。
上にも書いたように、これは完全に「自分が書く作品だから原作のキャラを自分の好きに描いていい」としか思っていないのが丸出しで、ベジータに親類でも殺されたのかという位邪険に扱っているのです。
原作でもこの時期は確かに扱いがよかったとは口が裂けてもいえませんが、鳥山先生が描く時期のベジータはかませ犬になるにしてもちゃんとした理由付けがされていたのに、こちらでは全くなされていません。
その意味もあって、もう一度ブロリーというキャラクターをしっかり作り直し、旧作の特徴であった「戦闘力が上がり続け、無限に戦い続ける」という長所を織り込みつつ、あくまで「サイヤ人の1人」として描かれました。


だからこそ、本作のブロリーは「悪魔」ではなく「指導者を失った迷子の孤児」であり、ドクターゲロを失った17号や18号、そしてバビディを失った魔人ブウのようになってしまったのです。
暴れたいから暴れるのではなく、何のために力を使うのか、そしてどのようにその力を使えばいいのかが全くわからずにただ暴走させているのが本作で示された「可哀想な子」という感じでした。
救済の余地がしっかり残されており、更にもう1ついうとウーブが持っていた学習能力の高さと孫悟飯のような潜在能力の高さを併せ持った存在となっているのです。
なぜこのように描かれたのかというと、アニメ版漫画版の「女ブロリー」として描かれていたケールとの差別化があり、また旧ブロリーへのアンチテーゼとなっているからでしょう。


ブロリーの戦闘シーンに関しては後述しますが、本作ではチライとレモというブロリーのお世話を親身になってしてくれる仲間がいて、その人たちが最終的にブロリーを助けてくれます。
地球のドラゴンボールを使ってブロリーを元いた故郷へと移動させ、その後ハッピーエンドで暮らしていますが、そこで描かれた締めの悟空の言葉が最高でした。
孫悟空、それと……カカロット」と言い残すところがリアタイ世代から追ってきた身としてはもう堪らなく込み上げてくるものがあり、思わず安堵のため息が出ます。
というのも、サイヤ人編以降の悟空は一貫して「孫悟空」とばかり名乗っており、決して「カカロット」と自ら名乗ることは決してなかったのです。


以前にもレビューしましたが、悟空が持っていたもう1つのバックボーンである「戦闘民族サイヤ人カカロット」は決していいものではなく、悟空はそれを心のどかで憎んでいた節があります。
フリーザに「貴様らサイヤ人が正しかったというのか?」に対して「だから滅びた」と言っていますし、実際バーダックも他のサイヤ人たちもほとんどが死ぬべくして死んでいるのです。
そういう思いがあるから、悟空はベジータを「大嫌い」と言ったのですが、これが「超」での第六宇宙との戦いで「嫌いではない」になり、サイヤ人に対するマイナスイメージがゼロになりました。
しかし、それがプラスになることは今までなく、やっとこのブロリーとの戦いで初めてベジータと同じ第七宇宙のサイヤ人の中で「悪ではないいいヤツ」と出会うことができたのです。
それを戦いを通して知ったからこそ、悟空は「お前は悪いやつじゃねえ」と言い、カカロットを肯定したわけであり、孫悟空の意識の変化も感じられるとてもいいラストでした。


(3)6分しかないのにまるで20〜30分に感じられるゴジータVSブロリー


そしてなんと言っても、本作最大の見所はゴジータブルーとブロリーのジェットコースターのような頂上決戦であり、ドラゴンボール史に残る最高の戦闘シーンとなりました。
ここはアニメスタッフがとにかく頑張って見せたところで、作画が全盛期の山内作画を彷彿させるタッチの骨太さであり、高橋監督が非常にいい仕事をしています。
特に魔人ブウ編を知っている身としてはゴジータだけではなく太っちょバージョンのベクウと痩せこけたバージョンの方も出てきたのでファンサービス満点です。
「俺は悟空でもベジータでもない。俺は貴様を倒すものだ!」のセリフは聞けなかったのですが、それでもバトルシーンはあのカッコいいゴジータのままでした。


素の状態でも超サイヤ人ブロリーの攻撃を余裕でかわし、その後超サイヤ人でもしっかり圧倒し、それで少しやられ気味になったらすかさずブルーになってボッコボコにします。
いわゆる覚醒状態になってもブルーの力で圧倒し、その力で押さえ込むのですが、気弾の連続発射、そしてスターダストブレイカーからトドメのメテオエクスプロージョンという流れが最高です。
特にラストのメテオエクスプロージョンはいわゆるベジータがやっていた「汚ねえ花火だ」の究極とも言え、相手に自分の気を内側から送って爆発させる技となっていました。
トドメのかめはめ波でついにブロリーは戦意喪失してしまうのですが、これは上記した旧ブロリー相手に戦意喪失したベジータの描写の逆をやっているともいえます。


さてここで大事なポイントですが、新ブロリーは圧倒的な力を持ってフルパワーを出したにもかかわらず、その攻撃が一切ゴジータに通じていませんでした。
ゴールデンフリーザを岩盤で一時間もの間フルボッコにしていたのですが、ゴジータが出てきて大猿の力と合わせて解放してもまるで相手にならないのです。
これには大きな理由があり、旧ブロリーへのカウンターであるのはもちろんのこと、いわゆる「キンクスは弱い」の理屈がここで転用されている格好となっています。
セル編では超ベジータが完全体セルのかませ犬として倒された後、トランクスが超ベジータを超えるムキムキマッチョ、通称「ムキンクス」で挑むのですが、攻撃が通じません。


なぜならば力に全振りした形態はその分スピードやテクニックなどを犠牲にしているからであり、それでは勝てないことが悟空とセルの双方から示されています。
また、とよたろう先生が描く漫画版「超」の力の大会に出ていたケールの暴走形態も同様にベジータがしっかり観察した上でその弱点を見抜かれていました。

 

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キンクス形態の弱点


そう、だから大猿の力を解放させたブロリーのフルパワーも結局ムキンクスや漫画版のケール暴走と大して変わらず、力に極振りした反面その他すべてを犠牲にしているのです。
こんな方法では力も技もメンタルも全てにおいて最高のゴジータブルーに勝てるわけがなく、圧倒的な力と経験値を持った存在に勝てるわけがありません。
単に派手で外連味のある全盛期のサイヤ人編〜ナメック星編の戦闘シーンを再現しただけでなく、この辺りのロジックもしっかり盛り込まれているのです。
だからこそなおさら、小山脚本によって手がけられた旧ブロリーの描写はこのロジックから完全にズレたものであったと言えるのではないでしょうか。


鳥山ワールドに一貫しているのは「見た目が大柄で強そうなやつほど意外に大したことはなく、気が抜けていそう、あるいは弱そうに見える人ほど強い」というルールです。
これは「Dr.スランプ」のアラレちゃんもそうでしたし、「ドラゴンボール」でもナッパよりベジータドドリアザーボンよりフリーザの方が圧倒的な強さを誇っています。
例外といえそうなのはセル完全体くらいですが、あれもセル第二形態と比べるとかなりスッキリしたフォルムにまとまっているのです。
まあそれはともかく、この6分しかないのに20〜30分に感じられるゴジータVS暴走ブロリーは原作の超サイヤ人孫悟空VSフリーザに匹敵する名勝負だといって差し支えないでしょう。


(4)幾つかの疑問・批判点


見ての通り、本作は間違いなくドラゴンボール史上最高傑作といえるクオリティの映画なのですが、疑問や批判点がないわけではありません。
中でも一番嫌だったのがBGMであり、流石に「ゴジータ!」「ブロリー!」とまるでプロレスの実況風の演出は見てる側が恥ずかしくなるのでやめて欲しかったです。
あんなことしなくても普通にかっこいいBGMでよかった気がするのですが、子供向けとはいえこういうダサいBGMを使うのは個人的には好みではありません。
その意味でも本作は凄まじく高いクオリティなのですが、この辺りは時代の洗練として受け止めざるを得ないところでしょうか。


それから「たった一人の最終決戦」の旧バーダックとの違いですが、こちらは「ドラゴンボールマイナス」を読めば鳥山先生が示したいものがはっきり見えるでしょう。
ファンからは「バーダックがなんだか「実はいい人」みたいにされているのが違和感」「旧バーダックの方がカッコよかった」という意見も目立つようです。
ただ、私は正直「たった一人の最終決戦」は単独で見ればそれ自体は傑作だと思うのですが、それでも旧バーダックの尖った感じはあまり好きになれません
ラストも何だか一人で立ち向かっていくバーダックの死をすごくカッコよく賛美した演出になっていて、それがどうにも受け付けないところでした。


これは原作との大きな違いですが、原作漫画の「ドラゴンボール」において、あくまで死は単なる「死」として描かれており、そこに綺麗も汚いもありません。
だからどれだけカッコつけて描こうが、バーダックの死はあくまで「死」であって、そこに私が感動したことなど一回もなかったので、本作の方がまだ受け入れられました。
確かにバーダックはギネの存在もあって「いい父親」風ではありますが、一方で「侵略者」であることに変わりはないし、悟空はバーダックの遺志とは無縁のところで生きています。
それはベジータブロリーも、そしてフリーザもそうであり、全員自分の意思で自分の道を選んで生きているといえるのではないでしょうか。


そして本作最大の批判点として槍玉に挙げられるのがパワーバランスですが、まだ本気じゃない状態でベジータと悟空のゴッド、ブルーに肉迫する描写はどうなのでしょうか?
これに関しては「それだったらゴッド・ブルーの価値はどうなるのだ?」となりますが、これに関しても私は正直「人造人間編の時点でパワーバランスもクソもないのに何を今更…」という感じです。
以前のレビューでも述べましたが、元々超サイヤ人とはそれ自体がクリリンの二度目の死という究極の代償と引き換えに起こった「奇跡」であり、存在自体がチートなわけです。
そんな反則技を一回出してしまった以上、後は何をやっても緊張感もへったくれもない物語になってしまうわけであり、人造人間編以降はもはやパワーバランスを語ること自体が無意味になっています。


地球で開発されたぽっと出の人造人間が宇宙の帝王フリーザよろも強いということに説得力がありませんでしたし、セルも魔人ブウも所詮ピッコロ大魔王〜フリーザまでの焼き直しでしかないのです。
エネルギー吸収・無尽蔵エネルギー・再生・吸収・進化……敵も味方も端からチート合戦だったわけであり、そんな状態ではパワーバランスもクソもないのですから、大した問題ではありません。
少なくともそれを納得させうるだけのブロリーのキャラクター性が優れていましたし、アニメ版・漫画版の双方であまり魅力が感じられなかったゴッド・ブルーもきちんと演出されていました。
だから、この程度のパワーバランスを覆せるぐらいのダイナミズムはあったし、きっちり盛り上がる戦闘シーンを示したのは間違いないので、私はもう「これはこれでいいか」と心安らかに受け止めています。


(5)まとめ


本作は商業主義によって望まぬ延長とシリーズ化を強いられた「ドラゴンボール」の全盛期の魅力を完結から23年越しに大スクリーンで復刻することに成功させた歴史的な一作です。
世界的人気を博するに至り、私が原体験で受けた時の熱量や衝撃・興奮をしっかり悟空・ベジータブロリーという3人のサイヤ人の物語として凝集してみせました。
また、ゴジータブロリーと戦うというかつてあった構想も工夫なくやるのではなく、原点となった旧劇場版を大事にしながら守ってみせたのです。
その上で今後の発展が見えそうな前向きなラスト……文芸とビジュアルの双方においてこれ以上ない最高のクオリティでまとまった一作だといえるでしょう。


冒頭でDB版『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』と書きましたが、あれも正に富野監督自ら「アムロとシャアの物語」としての宇宙世紀ガンダムアクシズでの最終決戦という形でまとめ直しました。
Zガンダム」「ガンダムZZ」のいずれも富野監督にとっては不本意な出来栄えだったともいえ、決して望んでやったわけではない「ガンダム」の総まとめ、それを自ら成し遂げたのです。
νガンダムサザビーのあの極まった決戦は正にリアルタイムで「機動戦士ガンダム」を見た世代の方々には懐かしさを、そして新世代の子供達には新鮮な感動を与えたことでしょう。
それと同じように、本作もまた私のような原体験世代から追ってきているファンには懐かしさを、そして新世代の子供達には全盛期の衝撃と興奮を与えた一作です。


旧作から変更された部分や疑問・批判などもないわけではありませんが、それらいずれもが瑣末なことに思えるほどのクオリティでまとまっていたといえます。
「神と神」のワクワク感、そして「復活の「F」」でのガッカリとアニメ版「超」のクオリティの低さが目立ったことで、公開前はかなり不安視もされていました。
何せ旧ブロリーとの戦いでは「ベジータがまた嫌な扱いされるのでは?」との声もありましたから、そうならずに稀有なバランスでよくできた一作です。
総合評価は文句なしのS(傑作)、紆余曲折ありながらもシリーズ全盛期の魅力を現代の技術でまとめ上げ「これぞドラゴンボール」といえるよくできた作品でした。

 

ドラゴンボール超 ブロリー

ストーリー

A

キャラクター

S

アクション

S

作画

S

演出

S

音楽

A

総合評価

S

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)