明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ39作目『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015)3・4話感想

 

忍びの3「強敵、蛾眉あらわる!」


脚本:下山健人/演出:加藤弘之


<あらすじ>
凪(キニンジャー)は参考書で忍術を勉強していた。これまでもそうやって様々な資格を取得してきたらしい。ガマガマ銃の関知で、出動するニンニンジャーたち。現れたのは妖怪カシャ!カシャリラカシャリラ 止めてみな!「傾向と対策はバッチリ!」と意気込んで向かうキニンジャーだったが・・・。やがて戦う彼らの前に、あきらかに雰囲気の違う敵が現れる。その名は、牙鬼家一番槍 蛾眉雷蔵(がびらいぞう)!


<感想>
え、えーっと……これは割とマジでどうすればいいんでしょうか?


今回の話は00年代戦隊がいくつかの例外を除いてやっていた「結局バカの理屈がまかり通ってしまう」であり、それを意図的にパロディしたものだったとしても、余りにも下手すぎて困り果ててしまいます。
どういう話かというと、凪が「実戦には教科書・参考書に載っていない想定外の事態がある」ことを学ぶ回なのですが、だからといって「教科書・参考書に意味はない」と存在そのものを否定するのはダメです。
こういうのはまず「教科書・参考書レベルのことが一通りできる」が前提としてあるからこそ、その上にある応用・発展として成立しうるのであって、最初から基礎基本を軽んじるのは三流どころか五流のすること。
2回目の魔法学校のこともそうなのですが、下山さんが提示する「この登場人物はこういう設定を持っています」が単なる記号にしかなっていなくて、バックボーンや思想そのものにまでなっていないのですよね。


しかも、それに被せてくるかのように最初の訓練で赤が「叫ぶ」という凡ミスをやらかす、黄色は敵をいいとこまで追い詰めたのにかませ犬扱い、そして何の脈絡もなく出てくる久右衛門と蛾眉。
あまりにも作り手の「これをやりたい」だけがごった煮のごとく詰め込まれていて、そこからのネタの取捨選択や「こういうテーマに沿ってこういうストーリーを展開する」という筋道を立てることができていません。
そもそも1・2話の段階で「キニンジャー=凪はどういう人物なのか?」という最低限の性格の描写すらできていないのに、一足跳びに凝ったテーマをやろうとしており、そこに持って行くまでの描写の積み重ねが不足しています。
それこそ教科書・参考書が出たので大学受験にたとえるなら、学校の授業レベルのことすらきちんと消化できておらず宿題レベルで手一杯の奴がいきなり関関同立東京六大学の赤本に挑むような無茶具合です。


しかも、最終的に天晴と八雲が美味しいところを持って行ってしまう構造になっているので、凪の途中の活躍は毀損されてしまっているという、一番やってはならない脚本の見本市。
脚本家ないし作家を目指す方々はこういう脚本は書いてはいけないということにもなっているのですが、もしかしてラストに妹から「天晴=反面教師」と言わせているのは下山脚本が反面教師であるという自虐なのか?
そしてその天晴ですが、あんだけ周囲からミスを責められているのに何の反省もは謝罪もない上に、強い敵が来たからとにかく倒すぜ!で全部を押し切ってしまうという典型的なバカレッドコース一直線です。
別に力押しでもいいのですが、その割には「忍者としてのレベルが低い」「自分が文句つけられると反抗しまくる」「話を聞いているようで全く聞いていない」と全く成長が見られません。


戦闘狂なら戦闘狂でどこぞの地球育ちのサイヤ人みたいに根っから突き抜けていれば認められますが、でもあいつはあいつで少なくとも原作漫画では徹底したクレバーな戦闘の天才として描かれていました。
だから、細かいことや複雑な思考はできていなくとも、発想力が柔軟かつシンプルに強く無駄な戦いをしないというキャラが上手く成立しており、決してバカではなかったのです。
しかし天晴がそのような戦いの天才として描けているかといえば、現段階では少なくとも「周囲を引き立て役にして強く見せている」という風にしか見えません。
しかもこれが最終回まで一貫して続くものですから、なぜか悪い部分だけは一貫しているのが「ニンニン」クオリティ。


天晴のことを「バカなようで天才」と見せたいのか、それとも「天才のようで意外とバカ」と見せたいのか(前者と後者ではだいぶ印象が違う)、また単細胞熱血なのか合理主義者なのか余りにもチグハグです。
アクション自体は悪くないのですが、ただ派手なアクションがあればいいというわけではなく、そこに「キャラクターの良さ」をしっかり物語として乗せるからこそいいアクションになるのではないでしょうか。
さらに八雲も八雲で「ただ魔法学校出身でマウントを取る痛い人」にしかなっておらず、早くも暗雲が立ち込めており、評価はF(駄作)でしかありません


忍びの4「でたゾウ!パオンマル!」


脚本:下山健人/演出:加藤弘之


<あらすじ>
今日も修業に励むニンニンジャーたち。チームプレーの訓練だったが、天晴が暴走して、だいなし。一人だけ別修業となってしまう。「俺の何がいけないってのかなあ……?」考えても答えはすぐには出ない。祖父からの伝言、「忍タリティを高めよ!されば封印の手裏剣はお前たちの力となる!」も気になるところであるが……。


<感想>
えーっと、そもそも忍タリティって何?それとおでんと何の関係があるの!?


4話目にして早くも危険信号が出ましたが、そもそもおでんってゆで卵が主役で他が引き立て役でしたっけ?
相変わらず話のチグハグさに呆れる他はなく、この見せ方だと結局単なる天晴マンセーをしているようにしか見えないのですが……。
敵の体内に囚われたという状況なのに全く緊張感がない上、最終的に自力で脱出しているために八雲たちが作戦を立てた意味が全くありません。
しかもその八雲自体も霞が突っ込んでいたように、天晴の勇気と無謀を履き違えた作戦を考案しており、全くついていけず。


ゆで卵だけを単品で食べても意味がなく、他の具材も引き立てあってできている、というたとえはベタながらいいと思うのですが、天晴の場合はまずそれ以前の人間性を根本から再教育しないといけないと思います。
まず天晴が卵だけを食べ続けるのはいわゆる「偏食」というものなので「好物」以前に指導が必要なものであり、一体好天といい旋風といいどういう教育を天晴に施したんだ!?
それから、天晴が出した結論が「他の具材も一緒に食べたほうが美味い」はいいとして、それが「チームワークの大切さ」と何ら関連性のない結論になってしまっているのも難点です。
例えば、おでんの具材を見て「八雲は〇〇」みたいにメンバーのことを連想するとか、1人では脱出できなくてもチームならできることを天晴が学ぶ・自覚するという展開ならわかります。


しかし、実際は結局好天爺ちゃんに甘えてしまっており(火と風の組み合わせは悪くないが、そもそも好天に頼っている時点でダメ)、そこから何の学習もしていないのです。
前回に比べると、ストレートに「天晴の学習能力のなさ」「独断専行」という部分に突っ込んだにもかかわらず、結果的に仲間たちすら全て自分の引き立て役にしてしまっています。
別に引き立て役にするのはある程度許せますが、それにも許容範囲というものがあるわけで、毎回こうも戦隊の本質である「団結」「チームワーク」を軽んじる風潮は大嫌いです。
こんな脚本じゃそりゃあ成長せんわな役者たちも……それにスタッフの演技指導も凄く甘いようですし、もう現場のコンセンサスの取れてなさが透けて見えます。


腹の中に閉じ込められたのを突き破って脱出というと、「ダイレンジャー」のシシレンジャー=大五と孔雀を思い出しますが、あれがものすごくカッコよすぎた反動もあり全くかっこよく見えません。
総合評価はF(駄作)、おそらく本作はここからよほどのことがない限りこの評価から脱却することはないのではないでしょうか。

 

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