明日の伝説

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ドラゴンボール(Z)レビュー④〜魔人ブウは「アンチ孫悟空」にして「ドラゴンボール」の「悪」そのもの〜

 

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ドラゴンボール(Z)」のレビューも今回の魔人ブウ編を持って最後となりますが、人造人間編以降完全な蛇足でしかなくなった「ドラゴンボール」を鳥山先生はどのように総括したのでしょうか?
結論からいえば、魔人ブウは「アンチ孫悟空」にして、もっと拡大解釈するならばドラゴンボール」という作品の「悪」そのものである、というのが私の見立てです。
とても雑な見立てかもしれませんが、そのように解釈していくとあのダラダラと続く冗長な展開にもそれ相応の整合性が取れて、納得いく展開となります。
ということで、今回のレビューは悟空・ベジータ・サタン・魔人ブウという最後まで残った4人を中心に論を展開していきましょう。


まず「アンチ孫悟空」という点に関しては、以下のコマがそれを証明しているのです。

 

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魔人ブウを説得する孫悟空


そ悟空はここで迂闊(?)にも超サイヤ人3で戦った後「そんなにつええのにバビディの言いなりか?」と言い、思わずブウの痛いところを突いてしまうのです。
魔人ブウ孫悟空と同じように純真無垢な存在でありながら、同時に心の中に邪悪さも抱えた存在であり、しかも戦闘力が無限に上がり続けていくという厄介さを抱えています。
そしてその心の邪悪さはナメック星編(フリーザ編)までのベジータがそうだったわけであり、魔人ベジータはそういう意味で魔人ブウの中にある「邪悪」のメタファーだったのでしょう。
そう考えれば、純真無垢の象徴である超サイヤ人2の悟空と純粋悪の象徴である魔人ベジータの2度目の対決で魔人ブウが誕生したのも必然だったのかもしれません。


また「ドラゴンボール」という作品そのものについてですが、魔人ブウが抱えている悪の特性自体実はピッコロ大魔王編から一貫して続いていたものでした。
というのも、ピッコロ大魔王編ではまずピッコロ大魔王自体が神様の中から分離した「悪」の権化であり、創造主に逆らって若返った後ドラゴンボールを破壊したのです。
その後悟空によって殺されたもののマジュニアを残し、そのマジュニアは神様を魔封波返しによって反逆を起こしてしまうという逆転の展開を起こしています。
この展開はその後のフリーザに逆らうベジータ、ドクターゲロに逆らう17号と18号という展開に形を変えて継承されており、魔人ブウもその展開をやっているのです。


つまり、ピッコロ大魔王→マジュニアベジータフリーザ→人造人間→セルと続いてきた悪の集大成にして「ドラゴンボール」という作品そのものが抱えていた「悪」の極致魔人ブウでした。
だからこそ、そう簡単に倒すことができなかったわけであり、魔人ベジータが破壊力ではかなりのものを持っていたとしても倒すことができなかった理由でもあります。
いわゆる属性的な問題で、純粋悪の魔人ブウに対して同じ純粋悪(と思い込んでいた)魔人ベジータでは1人でそのエネルギーをぶつけても倒すことはできません。
だからこそ鳥山先生は超サイヤ人3、フュージョン、アルティメット、そしてポタラと次々に展開していくわけですが、実はこの一連の展開は「インフレに見せかけたデフレ」なのです。


というのも、悟空たちのバトルの裏で実はセルゲームで出てきた小山高生カリカチュアであるミスターサタン接待で魔人ブウを善化させるというファインプレーを見せます。
この時点で実は魔人ブウを善と悪に分離させることに成功しており、更に悟空とベジータが体内に吸収されてしまった仲間たちと純粋善のブウを引き剥がすことに成功しました。
そう、このように一度悟空とベジータポタラ合体しないといけないところまで極限にインフレさせておきながら、その後思いっきりデフレさせているのです。
なぜこんなことをしたのかというと、それはこの間説明した「限界効用逓減の法則」が大きく関連しており、ここで改めて引用しておきますので参考までに。

 

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鳥山先生は超サイヤ人孫悟空VSフリーザ最終形態までで強さの表現がカンストしてしまい、以後強さの表現に苦心していたということを述懐していました。
サイヤ人編以降急速なインフレを起こしたのですから当然ではありますが、実際人造人間編〜セルゲームで出てきた人造人間たちがフリーザよりも強いという設定は説得力がなかったのです。
地球産の悟空たちの細胞を吸収しただけのやつらが宇宙の帝王よりも強いというのは幾ら何でも無理があり、だからこそ魔人ブウはピッコロ大魔王のようなファンタジックな敵に戻したのでしょう。
その上で、魔人ブウを徹底的に分離させることによって純粋悪の小さな魔人ブウへ落とすことによって、うまく悟空たちでも何とか倒せるレベルまで引き落とします。


しかし、デフレさせた魔人ブウでも超サイヤ人3の悟空とタメを張れる力があるのですが、そこでベジータが提案したのが、自身も1度食らったことのある「元気玉でした。
ベジータは悟空をナンバーワンと認めながら、全盛期の頭の回転の速さを取り戻したかのように的確な指示を出していきます、あのサイヤ人編〜ナメック星編で見せた賢さの復活です。
これまでの試行錯誤からベジータは単にエネルギーをぶつけるだけではダメだと学習しており、更に悪のエネルギーではなく善のエネルギーという対消滅エネルギーをぶつけようと思ったのでしょう。
ここでベジータ元気玉の技の本質まで理解しているのは明らかなご都合主義ではありますが、しかし1度地球に来ただけで気のコントロールを会得した天才ですから、この程度できてもおかしくありません。


そしていよいよ元気玉の準備にかかる悟空ですが、ここでセルゲームから提示されていた悟空=鳥山先生と一般の人々=読者との断絶というテーマが再浮上します。
誰も悟空とベジータのいうことを聞いてくれないのですが、これは完全に作品自体が作家の手を離れて一人歩きしてしまったことの現れだったのでしょう。
しかし、ここで最後に機能してみせたのがミスターサタン小山高生であり、ろくでなしの俗物でしかなかった彼が最後の最後で悟空=鳥山先生と一般の人々=読者を結びつけてくれたのです。
決してサタンを邪険に扱うのではなくその美点を生かして丸く収めるという機転の効いた発想で切り抜け、更に悟空は純粋悪のブウを閻魔大王様の力でウーブへと輪廻転生させました。


最終回で悟空はウーブとの戦いの中で再びワクワクを取り戻して仲間たちの元からさっていきますが、この時の鳥山先生の心境はこれでした。

 

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連載終了後の鳥山明先生


そう、とにかく連載から解放された嬉しさと「ゴールし切った」という充実感・充実感でいっぱいだったわけであり、ここから鳥山先生はしばらくお休みに入られました。
なまじ絵の才能が凄いばかりに周囲から持ち上げられ、世界的ヒットを打ち出してしまったことで望まぬ戦いを強いられた孫悟空=鳥山先生の物語はここでやっと1つの完結を迎えたのです。
つまり、鳥山先生はこの「ドラゴンボール」という作品を決して否定して終わるのではなく、今まで関わった全ての人々を含めて生かし「ありがとう」とお礼を言って去って行きました。
私は決してこの魔人ブウ編が名作だったなどとは口が裂けても言いません、蛇足なのは事実ですしフリーザ編までで終わらせておけば完成度の高い傑作のまま終えられたでしょうから。


しかし、その望まぬ形で一人歩きしてしまった「ドラゴンボール」を決して放置して終わるのではなく、きちんとギャグ漫画に揺り戻しを行って完結させたという意味ではまあよかったんじゃないでしょうか。
この後、鳥山先生は様々な「銀河パトロールジャコ」「ネコ魔人」「ドラゴンボールマイナス」などを書きながら、2013年の映画「神と神」で再び孫悟空たちをこの世へ復活させます。
とりあえずドラゴンボールの原作そのもののレビューはここまで。「GT」に関しては以前にこちらの記事で書いていますので割愛します、参考までにどうぞ。

 

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