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ドラゴンボール(Z)レビュー③〜人造人間編〜セルゲームで見られた「作家主義」と「商業主義」のズレ〜

 

gingablack.hatenablog.com

 

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私は、というかリアルタイムで「ドラゴンボール(Z)」を見ていた世代のほとんどは人造人間編以降の展開を基本的に歓迎しておらず、「蛇足」としか見ていません。
少なくともフリーザ軍が地球へ復讐にやって来て、それを未来世界からやって来たトランクスという青年が倒すという展開をやってからのDBは確実に破綻を来たしていました。
鳥山先生自身も本来はナメック星編(フリーザ編)までで終わる予定だったと公言していましたし、当時編集長をやっていたマシリト(鳥嶋編集長)もそのことは述懐しています。
ここから「ドラゴンボール」は完全に鳥山先生ら集英社の思惑とは別物の方向に進むことになってしまい、作品として迷走することになってしまったのです。


実際サイヤ人編〜フリーザ編はジャンプ漫画史上類を見ない世界的ヒットを叩き出し、アニメオリジナルの劇場版が毎年乱発されるという、今考えたら狂気の沙汰としか思えない状態が続いていました。
それが原作の世界観と整合性が取れてなかろうがファンは気にしなかったため、東映特撮やスポンサーの財団Bはここぞとばかりに調子に乗り出してとことんまで視聴者から金を吸い上げてやろうと考えたのです。
ここ数年、「ドラゴンボール超」や「ドラゴンボールヒーローズ」が金儲けに走り出しただの何だのと批判されていますが、既に人造人間編に入った辺りから「ドラゴンボール」は完全にひとり歩きしていました。
鳥山明先生でも止められない阿漕な商業主義が鳥山先生の描きたいもの=作家主義を完全に凌駕してしまい、そのことは特にセルゲームの辺りになると色濃く反映されています。


私が人造人間編〜最終回までの「ドラゴンボール」が基本好きではない・乗れない理由は「キャラクターが不自然に動かされている」からであり、台詞回しや筋運びなど、明らかに無理が目立つのです。
例えばベジータが18号相手に力量もわからないままドヤ顔でカチコミをかけてかませ犬にされる展開や超ベジータの下りは「あのベジータがそんなことをするわけねえだろ」と当時突っ込んでいました。
考えてもみてください、ベジータサイヤ人編・ナメック星編では「嫌なやつ」ではあっても「相手と自分の力量の差がわからないバカ」ではなかったのです。
実際に初見で地球人と戦った時もサイバイマンに「全力でやれ」と指令を飛ばしていましたし、悟空との初対決も悟空が界王様と行った修行の中身や会得した技を知らないのだから予測はできません。


ナメック星編(フリーザ編)でもそのキャラクターはしっかり生かされており、昨日紹介した上田啓太氏の前期ベジータのキャラクターの魅力がしっかり言語化されています。

 

フリーザ編序盤、キュイ、ドドリアザーボンを次々と撃破していく時のベジータは格好いい。そこにいるのは単なる傲慢な男ではなく、自分の強さと相手の強さを計りながら生き延びていく男だからだ。「俺はこれだけの強さになった。今ならあいつに勝てる」と常に計算していく。「闘争」と「逃走」を使い分ける。その底にはサイヤ人としてのプライドがある。プライドを知性によってコントロールするのも前期ベジータの魅力である。


引用元:https://manba.co.jp/manba_magazines/1614

 


そんな前期ベジータの魅力が人造人間編〜セルゲームで失われてしまい、明らかにキャラが異なっており、氏は更にこのように述べておられます。

 

前期ベジータの特徴は「徹底的に残忍であること」だった。そして中期ベジータの特徴は「劣等感をかかえた男の切なさ」なんだろう。


引用元:https://manba.co.jp/manba_magazines/1701


なぜこんなことになってしまったか、色々理由は考えられますが端的にいえば「そもそもベジータを再登場させて動かす構想自体が当時の鳥山先生の中になかったから」としか言いようがありません。
ファンというのは出来上がったものだけを見て好き勝手にあれこれ考察していますし、いわゆる「ベジブルファン」(ベジータ×ブルマのカップリングファン)もこの辺りに萌えているようです。
よく、人造人間編〜魔人ブウ編を指してファンは「ベジータの成長物語」なんて言っていますが、これは明らかな間違いであり、実際は話の都合でキャラが変わったのを「成長」と言い張っているだけでしょう。
初期の段階では自分と相手の力量を図りながら差を詰めていく合理的な戦い方ができていたベジータが途中から明らかに相手を侮っては痛い目を見るという、一種の「ヤムチャ」へ陥ってしまっているのです。


もっとも、ベジータに限らず、人造人間編〜セルゲームは明らかにキャラの言動がおかしなことになっており、父親以上のパワーを得たなどと豪語するトランクスや妙に割り切りがいい冷めた悟空など明らかにキャラが違います。
また、18号への性欲に流されてしまうクリリンに完全体セルを相手に「もっと苦しめなきゃ」と言い張ってしまう悟飯……それまでのキャラクターを作者自らが悪い意味で崩壊させてしまっているのです。
これがファンからセルゲームにおける「戦犯」呼ばわりされる所以であり、またセルのキャラクター自体も「本当にこいつは悪いやつなのか?」という疑問が湧き、私はこの一連の流れが今でも大嫌いです。
セルにとどめを刺したのが悟空ではなく悟飯だったのも、そして最終的に悟空がドラゴンボールでの生き返りを拒否して天国に留まったのも、「鳥山先生が早く完結させたかったから」という負のご都合主義に他なりません。


だからこの辺りに関して考察する意味はあまりないのですが、それでも敢えてメタ的にこのセルゲームまでの構造を読み解くなら、それはズバリ作家主義」と「商業主義」のズレにありました。
その象徴とも言えるのが、セルゲームに横槍を入れて乱入してきたミスターサタンとその一味(アニメでは弟子連中まで出していました)であり、これは正に当時の東映アニメや財団Bのカリカチュアです。
で、更にいうならば、これは完全に個人的な見立てですが、ミスターサタンはおそらく鳥山明先生から見た小山高生氏のカリカチュアだったのではないでしょうか。
というのも、小山高生氏は当時アニメ「ドラゴンボールZ」のシリーズ構成を担っていた「ぶらざあのっぽ」の代表であり、やり手の脚本家だったからです。


しかし、それだけ凄いやり手で「ドラゴンボール」に貢献していながら、人間性は決して良いとは言えず、公私混同や問題発言が目立ったのも事実でした。
ベジータはギャグキャラ」発言や旧ブロリー映画での「ベジータは嫌いだから扱いを悪くした」発言、また2013年の映画「神と神」での「俺のブロリーの方がビルスよりも強い!」発言しかり。
他人の褌で相撲を取っているだけのくせに、「ドラゴンボール」を自分の実力で大ヒットさせたと勘違いしている裸の王様、それが小山高生という脚本家であり、リアルミスターサタンです。
ミスターサタンも同じように、自分の力量と相手の力量の差をわかっておらず、それどころか虚勢を張って自分こそが大物だと言い張っている裸の王様であり、まんまイメージが重なります。


鳥山先生がその辺を意図して作ったかどうかは別として、ほとんどのキャラクターが崩壊して別人28号のようになっていたセルゲームにおいて、唯一生き生きとしていたのがこのミスターサタンでした。
彼に突っ込んでいるベジータの「あいつ、まだレベルの違いに気づいていないのか……ば、バカの世界チャンピオンだ!」は一番好きなベジータの台詞です、ここだけはキャラが生きています。
しかし、一方で悟空たちは世間一般からブーイングを食らい、完全に世間からは忘れ去られた存在となったのですが、これはまさに当時の鳥山先生と読者の距離感だったといえるでしょう。
連載をさっさと終わらせて楽しいことがしたかった鳥山先生=望まぬ戦いを強いられて楽しくない孫悟空と連載の継続を求める「ドラゴンボール」のファン=熱狂的なサタンコールをするサタンファンという図式です。


それまでヤムチャらが担っていたネタキャラ担当を今度はミスターサタン小山高生が担うことによって、鳥山先生は商業主義のコンテンツとなった「ドラゴンボール」そのものを皮肉りました
そう見ていくと、悟空が悟飯たち=同期の漫画家や編集者たちの元から去ったのも、本音は「俺はもうとにかくこの世界からオサラバしたいんだ」ということだったのではないでしょうか。
しかしそれを生で出してしまうといけないから、悟空は「オラが居ねえ方が地球が平和だと思う」とおためごかしっぽく誤魔化しながら責任逃れしようとしたのだといえます。
いつだったか、鳥山先生は「悟空は父親失格」と言っていましたが、それは同時に読者の期待を裏切るような形でしか作品を締められない自分は漫画家失格だということかもしれません。


とにかく、この人造人間編〜セルゲームは明らかにそれまでと比べて物語のテンションが落ち込んでおり、設定もキャラの言動も全てにおいて矛盾や破綻が目立っていました。
そしてセルゲームでのミスターサタンの台頭、一連の流れが表していたのは作家主義と商業主義のズレであり、悟空=鳥山先生はここでとうとう読者や同業者たちと心情面で乖離を起こすのです。
もはや原作者の意思ではどうにもならないほど、作品が「金のなる木」としてひとり歩きしてしまっており、ここから「ドラゴンボール」は望まぬ方向へと進んでしまうことになります。
しかし、これで中途半端に終わらせることはできず、苦肉の策として出てきた最後のアイデアが「魔人ブウ編」なのです。