明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ15作目『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)最終話感想

最終話「はばたけ!鳥人よ」


脚本:井上敏樹/演出:雨宮慶太


<あらすじ>
ラディゲはラゲムとなってついにその正体をあらわした。ラゲム対ジェットイカロスの戦いが火蓋を切る。小田切長官も加勢しての総攻撃に、ラゲムは魔城バイロックと合体して完全無欠となり、地球の最期を懸けた戦いが始まった。そして、戦いを終えたジェットマンの未来とは?


<感想>
さあ、いよいよ来ました。戦隊史に残る伝説の最終回、個人的には「ギンガマン」の「明日の伝説」と並ぶくらいに大好きです。
前回で見事に「真のジェットマン」となった5人に対し、究極体ラゲムへと進化を遂げたラディゲ。
パワーバランスとしても秀逸で、


「見たか、これが俺の真の姿だ。貴様達が何をしようと、この俺を倒すことは出来んのだ。フハハハハハ!」


そしてジェットマンの5人もまたジェットイカロスで出撃し、最後の戦いへ。


「みんな、これが地球の運命を賭けた、最後の戦いだ!」
「「おう!」」
「おっしゃ!!」
「よし、行くぞ!!」


まずはイカロスで攻撃しても全く攻撃が通用せず、イカロスハーケンでダメージを与えようとするも全く通じず。
ここで長らく使われていなかったジェットフェニックスをしっかり使ってくれたのはよかったところです。
その後も苦戦するも、小田切長官自らガルーダに乗って出撃、グレートスクラムグレートイカロスへ。
ここら辺は特筆すべきこともなく、たとえグレートイカロスになっても苦戦するのはわかりきっていました。
で、テトラボーイを出撃させたところ、そのテトラボーイの一撃がラディゲの急所へクリティカルヒット!効果は抜群だ!


「リエだ……リエがラディゲにつけた傷だ!」
「巨大化したせいで、傷口が広がったのね。みんな、あそこを集中的に!狙うのよ!」
「よし!」


完全無欠と思われたラゲムにまさかの致命的な弱点が……しかも寝取った女に後ろから刺された傷ってこんなラスボスもそういないのでは?
歴代戦隊では「ええ!?こんな理由で負けんの!?」みたいなのが多いのですが、本作のラディゲも正にその部類に入るかなと。
個人的に意外性のある負け方をしたラスボスは以下の通りです。

 

  • 全能の神(サンバルカン)敗因:嵐山長官が使ったバルカンスティック
  • ゴズマスター(チェンジマン)敗因:ギョダーイの巨大化光線を使ってメモリードールを巨大化させ内部破裂
  • 銀河超獣バルガイヤー(ファイブマン)敗因:シドンの花によって愛する女の死体が消滅し失恋した
  • 暴走皇帝エグゾス(カーレンジャー)敗因:腐った芋羊羹によって腹を壊してしまった


個人的にめちゃくちゃ印象に残っている負け方をした戦隊ラスボス四天王ですが、ラディゲ様もこのシーンを持って完全に仲間入りを果たしました!
とまあネタには走りましたが、ここでもう1つ葵リエの存在感を押し出したのがとてもよかったところであり、伏線回収も兼ねて見事な繋がり方です。
マリア=葵リエは49話までだと単なる悲劇のヒロインでしかなかったのですが、実はラディゲに傷をつけるシーンで「地球を守る戦士」という役割を果たしていました。
スカイフォース隊員としての役割をレッドホークのブリンガーソードを使って果たしていたのがいいところであり、最後まで美味しくキャラを使っています。


こっからはグレートイカロステトラボーイで交互に背中の傷をリンチしまくるというヤクザかチンピラのような方法で戦っていましたが、究極体ラディゲもここで終わりません。
無敵の城バイロックを鎧として装備し、バードメーザーもバリアで無効化し、更にテトラボーイの両腕を切り落として戦闘不能に……ここで竜が一か八かの賭けに出ます。
グレートスクラムを一旦解除すると、さらなる岩石攻撃によりジェットイカロスの左腕が捥げ、しかしガルーダは一瞬の隙を突いてガルーダクローで鎧を破壊、ラゲムを羽交い締めにしました。
色々あったものの、ジェットガルーダが実は相当に強いという設定はしっかり最後まで守ってくれてよかったです。


「俺に構うな!みんな!頼む!やるんだ凱!全人類の……いや、俺たちの未来がかかってるんだ!」
「お前の命、俺が預かった!バードニックセイバー!!」


最終回のハイライトというとどうしてもBパートの結婚式に全てを持っていかれがちですが、むしろ「戦隊ヒーロー」として大切なものはここに詰まっています
45話のホットミルクとマッカランの乾杯で1つの結実を迎えた竜と凱の熱い絆をここで持ってきたのもそうですが、なんと言っても竜の「全人類の、いや、俺たちの未来が」という言い回しが最高です。
そう、ジェットマン5人が1年をかけて大切にしてきたのは「公的動機に基づく絶対的正義」でも「私的動機に基づく復讐」でもありませんでした。
「公」の為にも「私」の為にも、どちらにも振り切らずバランスを取り、その上で自分たちが1年かけて積み上げてきた絆によって未来を生み出す!


ここはスーパー戦隊シリーズが初めて「ファイブマン」までの「自己犠牲」から解き放たれた瞬間でもあり、命を捨ててもいいのではなく未来を生きる為に命を賭けること。
マクロな視点からミクロな視点へという下ろし方もさることながら、何よりもこれからのスーパー戦隊シリーズが目指す指針を最終回にして示したといえます。
この竜のセリフはその後の90年代戦隊シリーズで昇華されていきますが、わけてもやはり「ギンガマン」の第七章でギンガレッド・リョウマが勇太を相手に口にしたセリフはこれへの返歌だったのかなと。


「そうさ、俺たちは死ぬわけにはいかないんだ!必ず生きて、星獣たちと一緒に新しい力を手に入れてみせる!」


同じ「命を懸ける」ことは前提にしていても、それが「死を厭わない自己犠牲」ではなく「未来を生きるための前向きさ」となっているのですが、それが行き着いた先が正に「未来戦隊タイムレンジャー」だったといえます。
この「ジェットマン」が切り開いた血路の先に「ジュウレンジャー」〜「オーレンジャー」までの回り道を経て「カーレンジャー」以降で改めて「ヒーローとは何か?」「戦隊とは何か?」を追求するのです。
その源流となったのは間違いなく本作であり、以後のスーパー戦隊シリーズは大袈裟にいえば全て「ジェットマン」の影響下にあるということになります。
だからこそ、戦隊シリーズの歴史を大きく塗り替えた転換点・分水嶺として今も尚語り継がれるほどの作品になり得たわけであり、これをリアルタイムで体感できたことも含めて幸福だなあと思います。


そしてバードニックセイバーでラディゲにとどめを刺し、竜は脱出の寸前に死なないようクロスチェンジャーで変身、落下した後マスク→スーツと徐々に脱げていく演出が秀逸です。
このシーンは戦隊シリーズの「変身」のシステムを逆手に利用し、「クロスチェンジャー」が「人間」から「ヒーロー」へ、そしてこのシーンが「ヒーロー」から「人間」へとなっています。
本作はとにかく「ヒーローと人間」に強いこだわりを見せているのですが、こういう「変身」「名乗り」「ロボット」といったお約束に物語上の意味づけをしているのが見事です。
単なるパワーアップではなくきちんと1つ1つに意味づけをしていこうというのは特に本作から意識していた部分なのか、高寺Pも相当なこだわりを見せていくようになります。


そしてラディゲのヘルメットだけが虚しく転がり落ちるというのはバイラムの最期を飾るに相応しい演出であり、またこのボロボロになったイカロス、ガルーダ、テトラボーイのカットも秀逸。
ちょうど同年にお隣でやっていた「太陽の勇者ファイバード」も最終回でロボットたちがボロボになった姿で横たえるカットを見せているのですが、果たしてその辺りの意識もあったのでしょうか。


「終わったのよ、竜。何もかも」
「違うわ、これから始まるのよ。私たちの、いえ、人類の平和な日々が」


非常に濃密なAパートでしたが、竜が卑近な視点へ引き落としたものを小田切長官が再びマクロな視点に戻すことできちんと「平和」であることの意味付けをしてきたのがよかったです。
ここからBパートの3年後、雷太は農家に戻ってさっちゃんと結婚していて、アコはアイドルに転身、そして香は念願叶って竜と結婚し、仲人は小田切長官。
せっかくならここで竜のおばあちゃんも出して欲しかったところですが、そんな親友の晴れやかな舞台に凱もすっかり穏やかになっていました。


「ありがとう。今日はめでたい日なんだ、親友が結婚する」


あんなに尖っていた凱もすっかりスーツが似合う一人前の男になっていて、本当に3年の月日を感じさせる演技です。
竜と香に関しては最終回手前でフラグこそ立てていましたが、ここでくどくどと「どのようにして結ばれたのか?」という馴れ初めを描かないのが逆によかったところ。
ここを敢えて空白にすることで視聴者に想像の余地を持たせているわけですが、葵リエの幻影や苦しみから解放され香と共に幸せになるには3年はかかるだろうなと。
そして凱はここでひったくりを捕まえてチンピラに刺されてしまうのですが、ここで凱を殺す必要があったのかどうかは常にファンの間で物議を醸す話題です。


これに関しては色々な解釈が考えられますが、個人的には「凱が殺されたことそのもの」ではなく「凱が深手の傷を負ってでも親友の結婚式に駆けつけたこと」に意味があるのかなと思います。
そしてベンチで竜と並んで万感の思いで青空を見上げて祝福を噛みしめました。


「空が目にしみやがる。綺麗な空だ」
「ああ、俺たちが守ってきた青空だ」
「ありがとう、竜」


凱の死に関してはこの1シーンに全てが込められていて、実は凱は最期のシーンで竜以外の誰とも一緒の空間におらず、他の者たちと切り離されてしまっています。
しかも、仲間たちと一緒に撮る集合写真には加えないようにすることで、あくまでも「竜との絆」と「仲間との団結」を切り分けたところに意味があるのです。
あれだけ一匹狼で散々周囲を振り回した戦犯率の高い凱でしたが、そんな彼を唯一ジェットマンたらしめたのが竜との濃い友情だったのかなと思います。
ここからこのシーンは本当に1つ1つが美しいのですが、最後に竜がふと振り向いた時にリエの幻影もまた彼を祝福し、竜もまた微笑んでいるのがいいカットです。
ここで竜がリエを「忘れる」のではなく「受け入れる」ことによって香と共に未来へ羽ばたくことができるのだということを示しており、やっと最終回でこのエンディングが最高に響きます。


凱はその後ラストのアイキャッチのカットでも仲間たちから距離を保って腕組みをしているのですが、ここで結城凱という男を微妙に戦隊の「団結」の中に還元しないのがポイントです。
これは映画の文脈で見ると「物語の従属からの解放」とも言え、映画史でいうとまさにヌーヴェルヴァーグアメリカンニューシネマで起こった画面の運動であるともいえます。
ファイブマン」以前の作品が最終回を良くも悪くも「ヒーローの物語」として還元してしまい、それ自体が悪いわけではないものの、定番化したことである種の行き詰まりも起こしていました。
本作はそこでどうやって戦隊シリーズそのものをこの「ヒーローの物語」から解放するのかに腐心しており、その意味で最後に人間・結城凱を「解放」の象徴として用いたのだろうと思います。


物語上の意味づけを1つだけ行うとすれば、ラディゲが言っていた「裏次元から永遠にお前たちを呪い続けるだろう」というその呪いを凱が死という形で背負ったとも言えますが。
以前は「散々好き勝手やった凱への懲罰」とも思ったのですが、それだとあまりにも凱の死が美化されすぎているので、もう少し違う角度から読み解けないか考えました。
そこで出た結果が「ヒーローの物語」というありきたりなお約束そのものを結城凱の死を使って破壊し、ここから先へと繋げていくということにあるのだと感じています。
そしてこれは同時に私が「ゼンカイジャー」の最終回を見て感じたことへの不満でもあり、またオリジナル戦隊の「オメガレンジャー」を企画した一因でもありました。


とにかく、戦隊シリーズの最終回としては「ギンガマン」と同等かその次くらいに大好きな最終回であり、年間の構成も含めて非常に良くできた物語だといえます。
単純に最終回がもたらした衝撃や革新性という意味ではこちらの方が上なのですが、しかし「ヒーローとしての理想」を描いたという意味ではやはり「ギンガマン」に軍配が上がる形に。
作風そのものはやはり時代を感じさせながらも、根底にあるものやヒーロー作品としてのメッセージ性はとても普遍的で、未だに衝撃を与え続けている一作です。
評価はいうまでなくS(傑作)スーパー戦隊シリーズの構造を本質を見極めバラバラに解体しながら、同時にこれ以上なく「戦隊とは何か?」を突き詰めた見事な作品でした。

 

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