明日の伝説

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ウルトラマンギンガ第1話感想「名状しがたいウルトラのような何か」

第1話「星の降る町」


脚本:長谷川圭一/演出:アベユーイチ


<あらすじ>
7年ぶりに故郷の町に帰ってきた高校生・礼堂ヒカルは、言葉をしゃべる不思議な人形「ウルトラマンタロウ」と出会う。運命の導きのまま、ヒカルは新たなヒーロー・ウルトラマンギンガとなって邪悪に立ち向かう!


<感想>
フォロワーさんとTwitterのスペースでウルトラシリーズの話をしていたところ、是非「ウルトラマンギンガ」の1話感想が聞きたいとリクエストを頂きました。
前評判はある程度聞いていたので覚悟して見たのですが……う、うーむ、予想を遥かに上回る、犬も食わない産廃レベルのクオリティに目眩がしたところです。
特撮の第1話を見てここまでになったのは「手裏剣戦隊ニンニンジャー」以来かもしれません、それくらいマジで酷いというか、「作品ではない」という噂に違わぬ出来でした。
いくらメビウス以来7年ぶりかつ低予算だったからといえど、ここまで「ああ、お金ないんですね」という同情を視聴者に感じさせるのはいかがなものか?


ここまで来るともう叩くのも可哀想になって来るレベルですが、ここで挫けては感想書きの名折れなので、具体的に列挙しながら何がいけなかったかを分析していきます。
ファンの方々には申し訳ないですが、私はこんな作品を同じウルトラシリーズの作品群とは認めたくないくらいなので、もし本作を歴史に残る傑作だと思う方は閲覧注意です。
箇条書きで書いていきますが、まず私なりに感じたこの第1話の問題点を分析すると以下のような感じになりました。

 


1、背景設定が余りにも詰め不足


まず全体的な問題として、背景設定があまりにも詰め不足であり、何が何だか全く訳のわからない世界で物語がスタートしていることが挙げられます。
降星町という町の名前の安直さは置いておくにしても、主人公の礼堂ヒカルをはじめ本作の背景設定があまりにも説明不足なために、どういう世界なのかわかりません。
中でも違和感を覚えたのは廃校になった学校を隕石によって焼けてしまった神社として使っているという設定であり、なぜこのような設定にしたのでしょうか?
主人公とヒロインを高校生と設定したからこのような設定になったのか、それとも逆にこの設定に合わせて主人公とヒロインを高校生としたのか…何れにしてもセットが余りにもしょぼいです。


また、タロウや怪獣たちが人形となって魂のみが残っているというのもなぜそのように設定されたのかはわかりませんし、ヒロインがタロウと喋ったことがある設定も何のために作られたのかわかりません。
普通タロウとヒロインが喋ったことがある設定ならばもっとそこから生じるリアクションやドラマなどが生じても良いはずですが、なぜかその部分に関してはサラッとスルーされてしまっています。
それは主人公とタロウが出会った時も同じで、ヒカルはタロウが喋ったことに驚いていましたが、どうしてウルトラシリーズの見せ場の1つである「宇宙人と地球人の交流」をこんな風にしてしまったのか?
この交流の部分をどう見せるかによって、ヒカルが日常の存在から非日常の存在へと変わることに大きな物語上の意味があるはずなのに、そこが全部スカしたようなギャグで処理されてしまっているのが残念。


そしてこれが最大の疑問ですが、どうしてウルトラ戦士の中でタロウだけが喋れる設定にしたのか、ヒカルと融合して戦えないのか、またウルトラマンギンガのことを知らないことになっているのかが説明不足です。
ウルトラシリーズの歴史にはそこまで詳しくないので何ともいえませんが、本作はウルトラマン誕生にそれらしい理屈や段取りを踏まえようとするのは良いとしても、その為に必要な土台設計が10段階くらい足りていません
そのおかげで物語のクライマックスに来るべきであるウルトラマンギンガ=礼堂ヒカルに全くカタルシスがなく、ただ記号的にウルトラマンが誕生したというイベントをこなしただけにしか見えないのです。
これは長谷川さんの脚本の問題かと思われますが、基礎設計図がボロボロな為に、最後まで頭の中に「?」が浮かんだまま全く世界観に入って楽しむには至りませんでした。


2、全く感情移入できない主人公とヒロイン


2つ目に、礼堂ヒカルとヒロインの石動美鈴にまったく感情移入できず、1で説明した背景設定の詰め不足と併せて好感が持てるポイントが全くありませんでした。
主人公のヒカルが突然日本に帰ってきた理由が「何となく運命を感じたから」という漠然とした理由もさることながら、なぜ冒険家を目指しているのかもわかりません。
また、ヒロインの美鈴も同様に巫女としてお手伝いしながら和菓子職人を目指しているというのも全く設定に整合性がなく、その夢と物語とに何の連動性がないのも痛いです。
特撮作品で「夢」というと「科学戦隊ダイナマン」「激走戦隊カーレンジャー」「仮面ライダー555」が挙げられますが、それらと比べても本作は主人公とヒロインに設定された夢に何の意味があるのか見えません。


キャラクターの描写で見ていっても、2人とも「ズボラなところがあるけど根は優しい高校生」というよりは「表向きいい人と見せかけた悪ガキ」でしかなく、そこもまた好感の持ちようがない原因です。
どこにそれを感じるかというと、勝手に神社の祠からギンガスパークを持ち出したり、またお供え物であるはずのものを無断でつまみ食いするなどで、あまりにも罰当たりすぎて「最低」と思いました
等身大の少年少女っぽさを出したいのかもしれませんが、やっていいことと悪いことがあるのであって、流石に神社に祀ってあるものやお供え物を食べるなどは非常識ではないでしょうか。
私は決して仏教徒でも何でもありませんが、人としてやっていいこと悪いことの一線は守って生きているので、こういう一線を軽々と超えてしまうのを見ると胸糞悪くなります。


まあ演技が下手なのも原因の1つではありますが、演技に関しては「ジュウレンジャー」の千葉麗子、「マジレンジャー」の松本寛也、「ニンニンジャー」の西川俊介の洗礼を浴びてきました。
少なくともこの3人に比べれば滑舌・演技共に絶句するほどひどいというわけでもないので、辛うじて許容範囲ではありますが、それでも見られたものではないです。
それから最初からラブラブでいい雰囲気を出しているのもかえって白けるというか、再会したのならばもっと紆余曲折あってもいいはずなのですが、それすらないまま仲良くなってしまっています。
その為、2人の関係性にも悪い意味で変化がなく、再会のシーンでもウルトラマンギンガ誕生のシーンでも山も谷もない平板な印象になってしまっているのが極めて遺憾です。


3、ウルトラマンタロウと怪獣たちの完全なる安売り


ウルトラマンタロウと怪獣たちを完全に安売りしているというか、単なる「消耗品」として粗雑に扱われていることに腹が立ちました。
まあ本作が放送されていた2013年当時、スーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズも旧作のヒーローをただ無意味に擦り倒すような作品が多くなっていましたが、それを円谷がやってどうするんですか?
個人的には昭和ウルトラの中でも初代と並んでトップクラスに大好きなタロウをあんな人形にされて粗雑に扱われたことがファンとして許しがたく、しかもウルトラマンギンガ誕生の踏み台扱いされています。
同様のことはブラックキングにも言えて、最初に主人公がブラックキングに変身→一旦解除されてウルトラマンギンガ誕生となっているのですが、この流れに何の意味があるのでしょうか?


そもそも今回の敵だったサンダーダランビアの中の人が不法投棄を繰り返していた業者という三下の時点で乗れない戦いなのですが、問題はそんなしょうもない戦いの為にブラックキングを噛ませ扱いしていることです。
怪獣の力では敵わないからウルトラマンギンガという流れにしか見えなくて、せめてそう感じさせないように物語上の工夫が凝らされていればいいのですが、そんな工夫が全く見受けられません。
本当にただ適当に戦って適当に苦戦して、そして適当にウルトラマンが出てきて倒すだけだったので、ウルトラマン登場のカタルシスなんぞまるでなく、単なる消化試合にしかなっていないのが大問題。
これならシンプルにサンダーダランビアに対して打つ手がなく、ギリギリまで追い込まれたところでウルトラマンギンガ誕生という流れにした方がまだよかったと思います。


ヒカルがタロウに変身できない然るべき理由も説明されないままでしたし、また巨大戦に関しても遠近法やカメラワークの見せ方が下手くそなのか、全く巨大感がありません。
いくら低予算で撮られたものだったにしても、もう少しそう感じさせないための工夫や手間はできるはずであり、その努力すらも惜しんでしまっているのが丸見えです。
「ウルトラファンはこんなレベルでもまあ受け入れてくれるだろう」みたいな舐め腐った制作意欲の低さが全部画面に出てしまっています。
もはやあの頃のカッコよかった初代〜タロウ辺りまでのウルトラシリーズの格好良さはどこへ?あの頃の輝きを返せ!


4、「銀河」とは名ばかりの狭い箱庭世界


そもそもシリーズ自体が戦隊やライダーよりも広い銀河規模のウルトラマンにおいて、特別に本作と次作のみ「ギンガ」を名乗っているからさぞやスケール感も壮大なのだろうと思っていました。
ところが蓋を開けてみたら完全なご当地ヒーローレベルの狭い箱庭世界の話でしかなく、よく言って「ドラえもん」レベルのスケールしかなく、これでよく「銀河」を名乗れたなと。
「銀河」繋がりで私はやはり「星獣戦隊ギンガマン」を思い出してしまうのですが、変身アイテムが祠に祀ってあるという設定やウルトラ戦士の伝説化などもそれを感じさせるものでした。
そのためさぞや物凄いスケール感のある第1話なのだろうなと思いきや、まさかこんなショボいスケールで1話が終わってしまうとは思いもしませんでしたよ。


言うまでもありませんが、「ギンガマン」の第1話はロケ地やセット、衣装、音楽などもそうですが、脚本も演出も非常に凝っていて第1話から壮大さを感じさせるものでした。
ギンガの森という異世界に伝わる伝説に伝説の戦士の誕生、宇宙海賊バルバンの復活、ヒュウガの死とそこからのギンガ転生…これだけの濃い内容が無駄なく詰め込まれています。
また先日批評した「ウルトラマン」の第1話も、そして本作に登場している「ウルトラマンタロウ」の第1話もそれにふさわしいスケールの大きさを感じさせる内容だったのです。
いずれも第1話で凄まじい鮮烈なデビューをヒーローたちが飾ったわけであり、とてもそんな偉大なる先輩方に肩を並べて「ギンガ」と名乗るのも烏滸がましいクオリティでした。


努めて穏便な言い方で感想を述べてきましたが、一言で言って「こんなの見るくらいなら寝た方がマシ」レベルであり、こんなもの見せられるのは流石に苦行でしかありません。
色々述べてきましたが、本作を一言でまとめるなら「名状しがたいウルトラのような何か」であり、これはもはや作品未満としか評価のしようがないでしょう。
細かく述べようと思えばいくらでもアラは出てきますが、これ以上指摘すると複雑骨折して立ち上がれない人に炎のたてがみを食らわせて焼き尽くしてしまうようで罪悪感に襲われます。
最後は情けでF(駄作)の評価をし、この作品はもう存在そのものを見なかったことにしてさっさと次へ向かうことにしましょう。