明日の伝説

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ロボットアニメのチームカラー〜70年代編〜

スーパー戦隊シリーズのチームカラー分類が一通り済んだので、折角ならロボアニメでもやってみようと思いました。
本格的に入る前に基礎的なルールを説明しますが、考えのベースにあるのはこちらです。

 

hccweb.bai.ne.jp

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以前紹介したえの氏という方がお作りになった「戦隊史学基礎」の「公的動機」と「私的動機」を大元の軸として用いています。
その上で更にプラスαで「力と技」を用いますが、これは要するにビジネスの自己分析で使われる「Want」「Must」「Can」のベン図です。

 

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Want・Can・Mustのベン図


「Want」は「自分がしたいこと」、「Must」は「社会から求められること」、そして「Can」は「自分ができること」を意味します。
この3つの円が綺麗に重なれば重なるほどいいビジネスパーソンであることの証明になりますが、これをロボアニメのチームカラーに応用するのです。

 

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ロボアニメのWant・Must・Can


ロボアニメにおける「Want」は「私的動機」、「Must」は「公的動機」、そして「Can」は「力と技」になります。
評価基準はWantとMustを合計10とし、その割合の大小によって「組織の規律」が重んじられるのか「個人の意思」が重んじられるのかが決まるという形です。
そしてもう1つの要素であるCanを5点満点のうち0.5〜5で評価し、数字が低いほどアマチュア、そして数字が高いほどプロフェッショナルのロボアニメとなります。
この形式によって分類していき、歴代戦隊シリーズがどのような位置付けにあるのかをはっきりと数値で可視化、いわゆる「見える化」しようという試みです。


勿論完璧なものではなく、あくまでも「試み」かつ、数字は完全に私見なので、「ここはこうではないか?」「こうするともっと正確さが増す」という意見もあるでしょう。
そこはみなさんでお考えの上、更に論を深めるなりなんなりして頂ければなと…あくまでも「戦隊史学基礎」のロボアニメ版として出してみようというものです。
今回は第一弾ということで70年代戦隊、すなわち「マジンガーZ」〜「ガンダム」までの12作品です。
それでは参ります。

 


<分布図の傾向>

 

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70年代ロボアニメのWant・Must・Can


この時代のロボアニメは全作品が強いのかと思いきや、意外にもアマチュアなロボアニメが多く、これは少年少女が主人公であることが大きく影響していると思われる。
ロボアニメの始祖と言える「マジンガーZ」がマップの中央に近いところに位置を取り、それを軸にして個人か組織か、そしてアマチュアかプロフェッショナルかというところが決まるのだ。
マップを見てもらえれば分かるように、個人主義かつプロフェッショナルの領域に属している「ダイターン3」は意外にも70年代ロボアニメのチームカラーとしてはかなりの異色である。
一方でプロフェッショナルかつ組織性重視の作品は「グレートマジンガー」「ゲッターロボG」「ボルテスV」の3作しかないが、これは前作の続編ものというのが影響しているかもしれない。
正確には「ボルテスV」は続編ではないのだが、前作「コン・バトラーV」からの土台を継承・発展させていることを思えば続編と見なせないこともないだろう。
様々なタイプのロボアニメが生まれたのがこの時代であり、非常にバリエーション豊かと言えるのではないだろうか


(1)マジンガーZ

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マジンガーZのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ロボアニメの元祖だけあってアマチュアであるという点を除けば、実は公と私の間に位置することになり、それが本作独自の作風を作り上げているのだ。
マジンガーZは地球の守り神として十分な力を有しているが、しかしどのようにその力を使えばいいのか、開発者の兜十蔵博士は孫の甲児に何も教えずに他界してしまった。
死人に口無しとはいうが、そこから先の戦い方は弓博士らが擁する光子力研究所に任され、仲間たちと共に命懸けの戦いの中で習得していくしかないのである。
そのことが表面上の明るさに反した重々しい空気を画面全体にまとわせ、兜甲児は常に「組織」と「個人」の間で揺れ動きながら戦い方を作り出していく。
マジンガーZはその使い方次第で「神」にも「悪魔」にもなり得る、最終回までその苦悩と葛藤を心に抱えながら戦うからこそ、本作の武装追加が単なる強化に終わらないのだ。
全てのロボットアニメの原点にして、ある意味では頂点を極めたかもしれない本作のチームカラーは今見直しても他に類を見ないものではないだろうか。


(2)グレートマジンガー

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グレートマジンガーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
前作とは違い、本作の剣鉄也と炎ジュンは孤児院から引き取られた孤児という設定であり、最初から戦闘のプロフェッショナルとして育てられている。
そのように設定された状態で物語を開始した以上、前作とは違い鉄也が自分の戦い方や力の使い方に苦悩や葛藤をすることなどほとんどない。
また、戦い方に関しても同じように、全ては兜剣蔵博士の指示通りに動く駒であり、自主的な判断で戦うことなどないのも当然のことである。
そんな鉄也の中に唯一残っていたWantが「恵まれて育った兜甲児への嫉妬」であり、幾分唐突だが信条としては納得できないこともない。
しかし、公的動機を持って戦っていたものがそんなものを抱えていたとあっては器の小さい男だと思われるのが関の山ではないだろうか。
そして案の定、そんな思いを持った鉄也の末路がどうなったかは最終回で示されたように、兜甲児に美味しいところを全て持って行かれてしまったのである。


(3)UFOロボ グレンダイザー

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グレンダイザーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
シリーズ3作目となる本作だが、戦いそのものはフリード星という故郷を失ったデューク・フリードとその妹マリアのベガ星連合軍へのリターンマッチである。
しかし、彼らが元のフリード星でどのように育ち、どのような経緯で星を失ったのかという具体的な経緯は語られないが、それは2人にとって瑣末なことだ。
本作のチームカラーや作風を形成しているのは異星人の貴族と地球の科学力という2つの星の力を合わせて戦っているという点にあるのではないだろうか。
これはマジンガーZにもグレートマジンガーにもない本作ならではの特徴であり、このスペースオペラのような設定は後々のヒーロー作品にも大きく生かされることになる。
前2作ではマジンガーを駆り勇ましく活躍した兜甲児が本作においては三枚目というか賑やかしになっているのだが、それは敵が惑星を破壊可能なスケールの敵だからだ。
宇宙から飛来する強大な敵の軍事力を前に既存のマジンガーでは何の役にも立たず、それに対抗できるのはグレンダイザーのみであることが示されている。
だからと言ってグレンダイザー単体だけで戦えるものではなく宇門研究所の科学力やチームワークがなければ勝利することができないのだ。
であれば、デューク・フリードがあれだけのカリスマ性を持ち、チームを引っ張るリーダーのような存在になっていくのも当然のことだったのではないだろうか。


(4)ゲッターロボ

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ゲッターロボのWant・Must・Can


(チームの特徴)
第一話で示されているが、本来は竜馬、隼人、武蔵の3人ではなく早乙女博士の息子の達人と2人の正規パイロットがゲッターに乗って戦う予定だったが、彼らは序盤で敢え無く死亡してしまう。
そこで早乙女博士はゲッターにふさわしい肉体と精神を持った3人を選んだわけだが、ゲッターロボに合体したからといって簡単に勝てるほど恐竜帝国は甘くなかった。
ゲッタービーム対策をしっかり施していたし、また第2話では爬虫類が苦手な武蔵の弱点を克服するために隼人がいじめのような訓練をさせたが、要するに個人の力もまた必要だということである。
「3つの心が1つになれば、1つの正義は100万パワー」という歌詞が示すように、彼らの本領は3人の心が重なった時にこそ真の強さを発揮する、だがそれは1人1人が弱くていいことを意味するものではない。
現にアメリカからやってきた2人乗りのテキサスマックに不意打ちとはいえ負けたわけだし、また帝王ゴールの娘であるゴーラ=早乙女ミユキを説得して味方に引き入れることはできなかった。
そのような地獄の経験と喪失を経て彼らは1年がかりで成長していくのだが、そんな彼らが最後に戦うことになった無敵戦艦ダイはその名前の通りゲッターでは歯が立たない圧倒的な強さを誇る。
事故とはいえ、武蔵がコマンダーと共に無敵戦艦ダイにカチコミを極めるという犠牲を払っていなければ、彼らは到底この戦いに勝利することはできなかったのではないだろうか。


(5)ゲッターロボG

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ゲッターロボGのWant・Must・Can


(チームの特徴)
前作の武蔵の死という痛ましい経験がゲッターチームをより一段と高みへ成長させるのだが、アマチュアだった前作に比べて本作は竜馬たちが最初からプロフェッショナルとして描かれている。
武蔵の代わりに選ばれたポセイドン号に選ばれたのは野球小僧の弁慶だが、彼は見た目とは裏腹に天才パイロットであり、前作の武蔵とは対照的に泥臭さや努力・熱血といった要素とは無縁だった。
何なら1人でポセイドン号の操縦をしながら、足で飛行機をリモコン操縦できるくらいに器用であり、竜馬と隼人が音を上げてしまった訓練を余裕綽々でこなしてしまうほどのスペックを見せている。
前作に積んだ経験値に加えて3人目の天才パイロット、そして前作よりはるかにパワーアップしたロボット…はっきり言って隙がないくらいに完成されているが、唯一前作で積み残した課題があった。
それこそが巨大戦艦を打ち破ってみせる圧倒的な必殺武器であり、前作で無敵戦艦ダイを前にゲッターが無力化し、武蔵という犠牲を払うしかなかったのはゲッターの圧倒的な火力不足によるものだ。
そこで開発されたのが3人同時にペダルを踏みことで発動できるシャインスパークであり、まさに「3つの心が1つになれば 1つの正義は100万パワー」を体現した武器がここに完成した。
結果として、竜馬たちは誰一人も身内から犠牲者を出すことなくこの戦いに勝利したが、一方で和解できたかもしれない鉄甲鬼や胡蝶鬼との和解といった要素は果たせず、後のシリーズに持ち越しとなる。


(6)勇者ライディーン

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勇者ライディーンのWant・Must・Can


(チームの特徴)
ライディーンとして妖魔帝国と戦うことは予め決められた宿命であり、そこにひびき洸個人の意思が介在する余地はなく、ライディーンに乗ると別人格のようになって戦う。
洸以外には決して乗りこなせないマシーン、神秘の力といった胡散臭い要素が散見されるのだが、それは妖魔帝国との戦いに勝つための必要条件ではあっても十分条件ではない。
後半〜終盤で彼の母親であるムー帝国の帝王ラ・ムーの娘レムリアことひびき玲子が登場してから洸はより厳しく苛烈な戦いの渦へと飲み込まれていくことになる。
神宮寺力や母親の玲子など彼にとって近しい人の犠牲を払い、更には自身も中盤で一度死の淵からの復活を遂げるなど、歴代でも類を見ない犠牲者が出た。
そしてライディーンが手にしていく力も洸が操れる領域を超えており、特にゴッドボイスは下手すれば洸自身も死んでしまうかもしれないというリスクがある。
彼が最後にバラオムに勝利できたのはこうした数々の犠牲を払ってのことであり、本作は自己犠牲の壁や限界をロボアニメの中で示してみせたのではないだろうか。
その痛みを伴うロボットとしての活躍という新機軸はマジンガーやゲッターとは違う試みとも言え、ここに新たなヒーローロボが誕生した。


(7)超電磁ロボ コン・バトラーV

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コン・バトラーのWant・Must・Can


(チームの特徴)
歴代初の5人チームだが、どちらかと言えば「ガッチャマン」よりは同時期の「ゴレンジャー」の方が着想としては近いと言えるだろうか。
九州、関西、関東など全国各地からそれぞれ戦いの分野に秀でたメンバーが集められ、そこにロボット開発者の一人娘が紅一点として加わるという図式だ。
そのため、1人1人のポテンシャルは高いながら訓練や実戦経験のない素人であり、そのためコンバインするにも最初は豹馬と十三が喧嘩するしで大変である。
前半のメインを成していたのはガルーダと豹馬の因縁であり、実は有能な指揮幹部だったはずのガルーダは単なるアンドロイドの一体に過ぎない。
そこから後半でジャネラやダンゲルたちが出てくるに従い、キャンベル星人が実は内部で穏健派と過激派に別れていたという事実が発覚する。
しかし、ここで大きな問題が発生した、豹馬たちコン・バトラーチームはそのキャンベル星に行くための手段を用意していなかったのだ。
更にアースボムまで仕掛けられてエネルギー切れでガス欠、完全に万事休すと思いきや、デウスが出てきて全てを解決してしまった。
前代未聞の最終回だった本作だが、コン・バトラーチームはこの壁を自分たちで超えるだけのCanがなく、結果的に人任せにしてしまい、それが次作への課題となる。


(8)超電磁マシーン ボルテスV

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ボルテスVのWant・Must・Can


(チームの特徴)
前作とは対照的に本作は歴代屈指のプロフェッショナルチームとして描かれており、ボアザン星人との戦いに備えて訓練してきた剛博士の息子3人と岡長官の一人娘、そして皮肉屋の一匹狼の5人で構成されている。
地球防衛軍も完璧なセキィリティ対策を行うのだが、2話では母親の光代が死亡し、更に物語中盤では浜口博士まで死亡してしまうなど、ボアザン星人の軍事力はそんな5人すらも圧倒してしまうほどに強い。
年端もいかない5人の若者だが、健一たちが涙を流したのは序盤だけであり、後半に入り剛兄弟が実はボアザン星人の血を引いていることが判明すると彼らは涙を流さず戦士として徹するようになっていく。
だがそれだけで勝てるほど甘いものではなく、ボアザン星人そのものが悪いのではなく、悪いのはボアザン星が生み出した貴族が支配する奴隷制度という社会システムにあることが判明していった。
だからこそ健一たちは軍の規律通りに異星人を倒すことだけが正しいチームのあり方でないことに気付かされ、個人の意思や自主的な判断もまた大事にするようになっていく。
そして終盤ではついにボアザン星に到着し、あの怒涛の最終回へと繋がり、ここで彼らはザンバジルが諸悪の根源であることを突き止めるが、そのザンバジルにトドメを刺したのはハイネルだ。
そのハイネルもまた自分と健一たちが腹違いの兄弟であることに気付かされるが、それでも多くの罪なき者を殺してきた罪からか健一たちとの和解を拒み業火に身を包み他界した。
剛博士との再会という私的動機と共にボアザン星人を支配から解放するという公的動機を見事に果たしたが、それでは本当に諸悪の根源さえ突き止めれば戦いは終わるのか?
それこそが後続作品へ残した本作の課題である。


(9)闘将ダイモス

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ダイモスのWant・Must・Can


(チームの特徴)
前作で悪の本質が悪の星人そのものではなく社会システムにあるという前作の根幹を受け継ぎ、本作は更にそれを「個人」「男女の愛」という卑近なところに落とし込んで表現した。
本作がロボアニメ版「ロミオとジュリエット」と評される所以であり、竜崎一矢の戦いの根源は異星人のリヒテルの妹・エリカに惚れたからであり、それによって戦意が著しく変わる。
彼が格闘のプロでありながら、同時に戦士としては未熟であるのもこの辺が多分に影響しており、相棒の夕月らがストッパーとしていなかったら独断で私情を拗らせて事態を悪化させていたに違いない。
エリカがいないからというのはとんだ公私混同であるが、それを厳しく諫める役目を担っているはずの三輪長官は極右のタカ派であり、疑わしきは全て罰せよの精神を持っていた人である。
だから、竜崎たちにとってはバーム星人との戦いよりも身内の人間関係の方がはるかにシビアであり、このリアリティは幾分お隣の富野監督が務める作品群を意識していたのかもしれない。
最終回、彼らはバーム星人と和解しエリカとも結ばれ、オルバン大元帥を打ち倒すのだが、かといってここでリヒテルが死ぬ必要がどこにあったのだろうか?
確かに多くの地球人を殺した罪を背負うべきではあろうが、あの死に方ではどちらかといえば自己犠牲を賛美しているようにも見えかねないというしこりを残してしまった。


(10)無敵超人ザンボット3

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ザンボット3のWant・Must・Can


(チームの特徴)
家族で戦うヒーローというと美しく聞こえがちだが、その実態はかなりバラバラなチームとすら言えない素人連中に集まりであり、第一話で全員揃わないのである。
しかも第二話では一般人に蔑まれ、「お前たちがいたから俺たちは」と迫害されるというとんでもない展開を見せつけてくるが、これは当然の反応ではないだろうか。
無力な一般人にとっては宇宙からの侵略者であるバンドックもそれを迎え撃つ勝平たちも人知を超越した力の持ち主であることに変わりはないのである。
そんな孤立無援の状態で彼らは必死に戦うことになるのだが、この望んでなったわけでも望まれてなったわけでもないチームというのは本作と「ガンダム」に共通する特徴だ。
だが、そのしっぺ返しは後半〜終盤で訪れ、勝平たちを迫害した人間たちは人間爆弾として無残に殺されていき、また軍の人間たちもザンボット3を上手く乗りこなせず恐怖してしまう。
そしてなんといっても恐ろしいのがあくまでも勝平たちが様々な犠牲を払って勝利したガイゾックはごく一部でしかなく、まだ完全に脅威が去ったわけではないということだ。
最終回、確かに勝平は勝利し民衆に歓迎されるが、あれはハッピーエンドのように見せかけたビターエンドであり、ガイゾックを撃退したからといって真の平和が訪れたわけではない。
またすぐに第2、第3のガイゾックがまたもや地球を襲うかもしれないのであり、そのための対抗手段がないのにどうやって迎え撃てばいいのか?あの結末を手放しで喜んでいいものだろうか?


(11)無敵鋼人ダイターン3

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ダイターン3のWant・Must・Can


(チームの特徴)
本作のダイターンチームは表向きこそチームと名乗っているが、その実態は個人事業主の集まりであり、歴代ロボアニメで本作ほど全員で協力しようという雰囲気が薄い作品もまた存在しない。
その理由は後半〜終盤で判明するが、これは破嵐万丈とメガノイドの壮大な家族喧嘩であり、もっと言えば「仮面ライダー」が持っていた「同族殺し」のテーゼを根幹の部分に持っている。
だから「世のため人のため」と万丈は完璧超人として振る舞っているが、その奥底にはとんでもなく深い闇を抱えており、メガノイドへの復讐に全てを捧げてきた男の悲しき戦いなのだ。
万丈のそんな個人的心情を理解しているのは執事のギャリソンだけであり、残りのビューティやレイカ、トッポなどに復讐といった要素はなく、あくまで自分たちの判断で動いている。
そのことは序盤から終盤まで一貫しており、彼らがダイターンチームとして戦うのは決して義務ではなく個人的な判断が重なってのことであり、誰一人として万丈に依存していないのだ。
だからこそ最終回で万丈が己の中のメガノイドに気づき、世捨て人になったところでそれを咎める者も追求する者もおらず、戦いが終わったらさっさと思考を切り替えて次のステージへ向かうのみである。
根っこにあるドライな仕事仲間という関係性が本作を決して湿っぽく見せるのではなく、あくまでもカラッとしたカッコ良さとして印象良く見せており、非常にスマートなチームカラーだ。


(12)機動戦士ガンダム

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ガンダムのWant・Must・Can


(チームの特徴)
70年代ロボアニメの集大成にして80年代ロボアニメの礎である本作は「マジンガーZ」から連綿と続くロボアニメの完成形にして、非常に意欲的な革命作である。
本作の面白いところは70年代ロボアニメの主流だったアマチュア設定とプロ設定の双方を取り込んでいることであり、これが独自のチームカラーへ繋がった。
ホワイトベース隊は正規の軍人と司令官、そしてたまたま入り込んできた素人の民間人という混成部隊であり、この特徴が後の「鳥人戦隊ジェットマン」などにも継承されている。
ガンダムを開発したのは他ならぬアムロの父親なのだが、アムロ自身はそうしたことの自覚よりはむしろ自分が生き延びるために、そして一人前の男と認めて欲しいから戦っていた。
だからこそ自分より完全に格上のランバ・ラルを相手に「僕はあの人に勝ちたい」と言い、更にガンダムで一度脱走して営倉入りを余儀なくされた時に「僕が一番ガンダムを上手く使えるんだ」と言い放つ。
軍事組織の中での話なのに俗っぽく人間臭いというのが本作の特徴であり、しかしそんな未熟な彼らにとって大きかったのは正規パイロットであるリュウ・ホセイの死である。
ブライトにとっての腹心でもあった彼の死によりアムロたちは「戦争そのもの」が巨大な悪であることに気づき、戦いを終わらせるためにはひたすら血を流し続けるしかないことに気づく。
その結末がどうなったかは最終回で答えが出る、そしてそれはアムロとシャアをはじめとした登場人物の将来にも大きな影響を与えるものとなった。