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スーパーロボット大戦30周年企画・ロボアニメレビュー9作目『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976)

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00009QX5S

さて、「ダイターン3」まで書いたので、ここで一度軌道修正して長浜ロマンの「コン・バトラーV」について書きましょう。
コン・バトラーV」はみなさんご存知の通り「ロボアニメ版ゴレンジャー」であり、もっと遡れば「ガッチャマン」のロボアニメ版でもあります。
スパロボシリーズでも次作「ボルテスV」「ダイモス」と並んで出ることが多いのですが、実は最初にスパロボに出た時は単体での参戦でした。
とりあえず5人分の精神コマンドが使えることと、必殺武器の火力が高いくらいしか印象がなく、ドラマ自体を再現したシリーズ自体が少ない印象です。


そんな本作はよくファンの間で次作「ボルテス」よりもこちらだという意見が強いそうですが、ぶっちゃけそれは「最初の作品だから」というファーストペンギン補正ではないでしょうか。
私に言わせれば、ぶっちゃけストーリー性はもちろんテーマ性なども他のロボットアニメに比べて印象が薄いですし、演出や脚本でも「お!これはすごい!」と唸ることはほとんどありません。
よくシリーズものの一作目は「原点にして頂点」という、偉大な名作扱いをされることがありますが、本作を見ていると必ずしも全ての作品がそうではないということがわかります。
長浜ロマンというブランドやスパロボでの扱いなどから凄い作品と思われがちですが、それは原作のごく一部をピックアップしているからであり、総合評価はお世辞にも高いとはいえません。


だからファンの間で次作「ボルテス」が二番煎じ扱いされ、本作が異様なまでに過大評価されている傾向がどうしても私には理解できず、何がそんなにいいのかよく分かりませんでした。
前半はそれなりに面白いのですが、後半は単なる消化試合というか、ただ単にバトルのノルマをこなしているだけで、大きくストーリーラインが動くわけではないのです。
特に後述する最終回の御都合主義に関してはとても擁護することはできず、個人的には「マジンガーZ」最終回以上の汚点となってしまっった印象があります。
なので半分ほど反省会のような空気を出すことになりますが、全くいい回がないわけではないので、半分褒めて半分貶すみたいな形になるでしょう。

 


(1)コンバインシステムという秀逸なシステム


まず5人のキャラクターが各地から集められたという設定や国に認められている設定などは完全な「ゴレンジャー」第1話でやっていたことなので、別にそこは大したポイントじゃありません。
それよりも秀逸だったのは「コンバインシステム」という、5人の脳波が一致した時に初めて合体できるというシステムにしたことにあるのではないでしょうか。
これはスパロボシリーズでも再現されていましたが、まずチームヒーローの本質である「団結」を合体のシステムと結びつけるという設定に落とし込んだのは見事です。
この設定があることで、例えば初合体だと豹馬と十三が喧嘩して脳波が一致しないから変身できないという形でうまく合体成功のドラマを作ることができます。


これは先達の「ゲッターロボ」「ゲッターロボG」にはなかったものであり、あの2作ではメンバー同士の呼吸さえ合えば脳波が一致していなくても合体可能です。
しかし、本作ではその部分で脳波の一致という設定にしたことでバラバラである5人を団結させるための象徴として据えているところが見事ではないでしょうか。
もちろん年間通してこればかりを使っていたわけではありませんが、少なくとも導入の段階としてこれを持ってきたのは成功であったと思います。
まあ大体は豹馬と十三が喧嘩することで合体できないことも多いのですが、とにかく合体それ自体にドラマを持たせるというのはいいことです。


5人のキャラクターもまた個性豊かですが、中でも面白かったのはキレンジャー担当の大介であり、あんなでかい図体で漫画家志望というギャップは個人的にツボでした。
スパロボシリーズだと確か「機動戦艦ナデシコ」の漫画家志望の眼鏡っ娘と通じ合ったりしてていて、キレンジャー枠は昔からネタ要員だったのかと笑ってしまいます。
かといって、決して馴れ合いではなくチームとして仲良くなるし、豹馬とちずるのラブコメありと5人のキャラクターの個性だけでいえば「ボルテス」以上でしょう。
各メンバーに一回ずつ以上メイン回があるというのは近年のスーパー戦隊シリーズでも意外にできてなかったりするので、そうした基礎基本を押さえているだけでも評価はそこそこ高いです。


(2)ガルーダの悲劇


そして本作最大の見所といえば、何と言っても2クール目終盤で繰り広げられるガルーダの悲劇であり、本作の実質の最終回はここだったのではないでしょうか。
ガルーダのキャラクターは「ライディーン」のシャーキンの発展系といえますが、シャーキンよりも濃いキャラになったのは彼の正体にありました。
ガルーダはキャンベル星人などではなく、キャンベル星人と思い込まされていた単なる機械、操り人形に過ぎなかったことが明かされるのです。
ここで彼はアイデンティティの喪失をしてしまうのですが、このガルーダの悲劇は次作「ボルテスV」のハイネル、「ダイモス」のリヒテルにも繋がります。


特に大量のガルーダが次々と並んでいるあの絵は物凄いトラウマというか、私もスパロボシリーズでこのネタを見たときはショックを受けました。
さらにその上でオレアナへの反逆に繋げていくなど、もはやこの回に関しては完全にガルーダが豹馬たちコン・バトラーチームを食っていたと言えるでしょう。
それくらいこの悲しきドラマ性を背負ったガルーダの存在感とは見事なものであり、単なる耽美系ライバルキャラの領域から奥行きのあるキャラとなっています。
しかもこのオチがしっかり機能するのはいわゆる「悪役としてのガルーダ」をきちんと描写して立てているからこそ、そのどんでん返しが機能するのです。


豹馬との因縁をしっかり描き、両腕を喪失させるに至らしめたのは間違いないことであり、話の都合でばかっぽくなったりしたものの、やはりカッコよかった。
そういう積み重ねを前半はしっかりできており、集団ヒーローではあるものの、実質は豹馬とガルーダの因縁が前半の根幹にあったと言えるのではないでしょうか。
その部分がきちんとできてこそ2クール目の集大成が機能するわけであり、ガルーダはライバルキャラとして1つの成功例であったと思われます。
マジンガーZ」でいうところのあしゅら男爵枠ですが、単なる幹部に終わらない持っていき方が見事であり、この展開は想像を絶するものでした。


(3)必殺武器のパワーアップ


そして3つ目に、本作は前半から後半にかけて必殺武器そのものがパワーアップするという展開がきっちり導入されていました。
これは次作「ボルテスV」で更に洗練された要素として継承されていますが、単なる「必殺武器の追加」だけに終わっていないのが見事です。
本作では前半の決め技として超電磁スピン、後半でグランダッシャーが追加されますが、その根底に機体スペックそのものの向上があります。
必殺武器の追加自体は「マジンガーZ」からありましたが、それに関するドラマを数話かけて丁寧に描いたのもいいところではないでしょうか。


シャインスパーク、ゴッドバード、そして本作の超電磁スピンを持って体当たり系、突貫系の必殺技が1つの完成を迎えるのです。
また、超電磁ヨーヨーなど他の武器の追加などもしっかり行っているので、ロボアクションとしてもクオリティは決して引けを取りません。
ロボデザインがちょっと野暮ったい感じなのは好きではないのですが、やはり動くとかっこいいのがコン・バトラーらしいと思うところです。
特にオレアナ戦などは見応えがありましたし、何だかんだフィニッシュの技がしっかりと決まっていたのはいいいことではないでしょうか。


とはいえ、後述しますが、決して100点満点だったわけではなく、後半では「パワーアップのためのパワーアップ」が多かったのも事実です。
それはガルーダほどの悲劇性やバックボーンを後半に登場した女帝ジャネラたちが背負っていなかったのもありますが、とにかく後半はほとんどが消化試合となります。
要するに「敵が攻めてきたから倒す」というルーティンの繰り返しであり、だから後半には「シナリオ」はあっても「ストーリー」が存在しません
これが「マジンガーZ」であればまだ許されたのかもしれませんが、既にもう何作もロボアニメが作られた中で、今更単なるロボットプロレスの繰り返しでは飽きてしまいます。
そして、後半は作り手が構成をきちんと決めていなかったが故に最終回でとんでもない悲劇が襲うことになるのです。


(4)結局どんな悪の組織だったのかわからないキャンベル星人


これはもうロボアニメファンの間ではいうまでもないことですが、本作の最終回はそれこそマジンガーZ」最終回以上の黒歴史だったと断言できます。
それこそ、ロボアニメ史上の駄作などと叩かれた「ガンダムSEED DESTINY」以上と言えるかもしれません、それくらいひどい最終回だったのです。
何が酷いといって、作り手側が「デウス・エクス・マキナ機械仕掛けの神)」という禁じ手を使って物語を解決してしまったことにあります。
本作を評価する上ではどうしてもこの最終回の汚点を避けて通ることはできず、私としてもこの最終回だけは未だに許すことができません。


流れを軽く説明すると、要するに本作の悪は結局のところキャンベル星に行くことで解決するしかなくなったのです。
つまり女帝ジャネラたちを倒したところであくまでも「勢力のごく一部」を倒したに過ぎず、その後襲いかかってくるであろうキャンベル星人の問題は解決されません。
これは「グレンダイザー」が残した唯一の課題でもあって、「グレンダイザー」では最終的に敵の親玉が地球に出向いて、それをデュークフリードたちが倒すことで解決しました。
しかし、「グレンダイザー」ではなぜわざわざ敵の親玉が辺境の星である地球くんだりまでやってくるのかの理由が合理化されておらず、御都合主義だったことは否めないのです。


同じ手を二度と使うことはできず、作り手は豹馬たちをキャンベル星に行かせるしかないのですが、ここで最大の問題はコン・バトラーチームにキャンベル星に行く手段がなかったことでした。
地球の防衛に精一杯で、敵の星に向かえるだけの下準備がなされておらず、作り手としても行き当たりばったりで大筋をろくすっぽ考えていなかったためにこうなったのだと思われます。
その上で最終回はどうなったかというと、コン・バトラーは地球を必死に守ろうとした結果ガス欠で詰み寸前、豹馬たちはなぜだかもがこうとせずに諦めてしまうのです。
ヒーローものとしてもありえない展開なのですが、最終的にデウスがその超能力を使って「キャンベル星の問題は俺が解決しといてやったぜ」とか宣ってしまいました。


つまり、豹馬たちは最後の壁である「キャンベル星そのものの問題」を解決することはできず、またキャンベル星の「悪」の本質がどこにあるのかも明らかにされなかったのです。
それもあって、後半はただ単にノルマとして毎回消化試合を豹馬たちが繰り返しているようにしか見えず、悪い意味でありがちなアンパンマン」レベルの話になってしまいました。
せっかく世界観を拡張し、素晴らしい展開にできたかもしれない可能性を作り手自らが禁じ手に頼って潰してしまったわけであり、これはロボアニメ史上に残る大きな遺恨となっています。
しかし、この反省を作り手は決して無駄にせず、反面教師として次作「ボルテスV」に活かし、ロボアニメ史上に残る70年代の最高傑作といっても過言ではないクオリティの物語を作るに至ったのです。


(5)「コン・バトラーV」の好きな回TOP5


それでは最後に「コン・バトラーV」の好きな回TOP5を選出いたします。

 

  • 第5位…20話「標的はマリンだ!」
  • 第4位…6話「大将軍ガルーダの挑戦」
  • 第3位…12話「決闘! 豹馬対ガルーダ」
  • 第2位…26話「オレアナ城大崩壊!」
  • 第1位…25話「大将軍ガルーダの悲劇」


まず5位は「ゴレンジャー」の40話に相当する「紅一点こそがチーム最大の弱点」というところに突っ込んだ名作回です。
次に4位はガルーダの存在感をしっかり知らしめた回であり、本作の軸がここでしっかり固まりました。
3位は豹馬とガルーダの因縁が構築され、次作「ボルテス」以降にも繋がる要素が定義されたのです。
2位は25話と併せて前半の総決算どころか実質の最終回として非常に良くできたクライマックスでした。
そして堂々の1位はガルーダの正体が明かされる回であり、この回こそ正に伝説ではないでしょうか。


本作の名作・傑作はほぼ全て前半に集中しているので、それに絞って選ベば簡単に選べますね。


(6)まとめ


本作は「勇者ライディーン」の諸要素を継承しつつ、「長浜ロマン」の元祖にして「ロボアニメ版ゴレンジャー」としての地位を確固たるものとしました。
前半戦に関しては歴代ロボアニメと比較しても遜色ないくらいに面白く、特にガルーダを軸としてのドラマ性は非常によかったといえます。
だからこそ後半が単なる消化試合ばかりが続いたこと、そして構成を計算していなかったが故に生じた最終回の黒歴史ぶりが惜しまれるでしょう。
しかし、その反省を作り手は決して無駄にせず、次作「ボルテスV」に活かしたという点において、本作は1つの踏み台というか試金石というべき作品です。
総合評価はC(佳作)、やや厳しめかもしれませんが、当時の評価としても今日の評価としてもこれが妥当な評価かと思われます。

 

超電磁ロボ コン・バトラーV

ストーリー

D

キャラクター

A

ロボアクション

S

作画

C

演出

B

音楽

A

総合評価

C

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)