明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ23作目『救急戦隊ゴーゴーファイブ』(1999)5・6話感想

 

第5話「ヒーローになる時」


脚本:武上純希/演出:長石多可男


<あらすじ>
災魔一族は大地震を起こしてダムを破壊し首都をゴーゴーファイブごと潰すことを計画し、そのために地震サイマ獣クエイクロスを生み出す。一方マトイは黒鷲山で行方不明者が続発していることから単独で調査に向かおうとしていた。そこになぜか巽家を訪れた京子までが野次馬根性で勝手に同行することになり、2人で山の様子を見に行くことに。黒鷲山に来ていた少年・達也は目の前で父親をインプスに攫われてしまい、クエイクロスに飲まされた種で人間樹に変えられてしまう。果たして達也少年は父親を無事に救い出すことができるのであろうか?


<感想>
今回は2話から地味に登場していた宮村優子演じる速瀬京子先輩と子供キャラクターの絡みという変則回。
ここまで来てもまだマトイ兄さんのメイン回がやってこないことが意外でしたが、歴代で見てもマトイ兄さんって意外とスポットが当たる回は遅いんだなと。
今回の話も京子先輩とたまたま一緒に行くことになっただけで、メインはあくまでも達也少年と京子先輩でしたし…まあそれでもそこにいるだけで存在感があるのは凄いんですが。
ただなあ、こういう「ヒーローと民衆」というテーマに関しては前作「ギンガマン」までの高寺P戦隊がガッツリやったこともあって、評価としては正直物足りないですね。


京子先輩が活躍してくれるのはいいんですし、気弱な少年が活躍するのもいいんですけど、前作では青山勇太君がそれを1年間の積み重ねでやっていたので、非常に物足りないというか。
勇太くんなんて序盤の段階で星獣からもらった石を投げつけてバルバンの作戦を邪魔するという大活躍を見せていましたし、しかもリョウマたちと世間とをつなぐ狂言回しでもありました。
そういうのをしっかり見ているだけあって、どうしても少年キャラで勇太くん以上のキャラクターを見せてくれないと、こっちとしては満足できません。
しかも、ただ少年が活躍するのではなく、それをギンガマンのヒーロー像の肉付けとも無駄なく連動させていましたから、その意味でも良くできているというか。


敵が起こす作戦もまどろっこしいというか、大地震を起こすためにわざわざ山にやってきた違う星座の人間を5人も浚うという展開は回りくどいというか、効率悪くないですか?
それこそバルバンなんて地面に針を刺して刺激するだけで簡単に地震起こしてましたし、環境破壊とか酸性雨とかやってることはかなりデタラメでしたからねえ。
そういうのを軽く起こせてしまうバルバンを見た後で災魔一族が大掛かりな作戦を展開してるのを見ると「なんか無駄なことやってんなあ」って気持ちにさせられてしまいます。
やっぱり本作って設定とキャラ、ストーリーがまだがっちり噛み合っていないというか、シリアス路線なのはいいんですけど、やっぱりそこかしこで詰め不足が出ているんですよね。


登山家の皆さんが元に戻る最後の描写にしても、そもそも連れさらわれる描写がないせいで幾分唐突に見えてしまいましたし、後はやっぱりまだゴーゴーファイブのヒーロー性がまだきちんと確立されていないのが難点です。
こういう風にサブキャラ、セミレギュラーキャラを活躍させたいのならば、その前にまず基本となる5人のヒーロー像をしっかり確立することが先決だと思うんですよ。
私は基本的にヴィラン側ではなくヒーローサイドを中心で見てしまうので気になるんですけど、あくまでも5人のキャラクター像が確立してからセミレギュラーやサブキャラの活躍を描きべきです。
そこを描かずにいきなりサブキャラクターを活躍させてもそれは基礎ができてない段階でいきなり応用技をやるようなもので、この段階で描くのはまだ早いかなと。


それにサブキャラクターが過度に活躍しすぎると、ゴーゴーファイブの沽券に関わるようなことにもなりかねないので、今回は二重に微妙な感じでした。
評価はE(不作)、1エピソードとしてはまあまあのまとまりではあるものの、序盤の立ち上がりでやるような話ではなかったかと思います。


第6話「カビが来る!」


脚本:宮下隼一/演出:長石多可男


<あらすじ>
いつも通りレスキュー活動にあたるゴーゴーファイブだったが、ショウは家族で長男という理由で何でもかんでも自分中心に仕切るマトイに対して少し反感を持っていた。すると、首都消防局航空隊からショウをアルバトロスチームのチーフパイロットに迎えたいという手紙が来る。父・モンドはゴーゴーファイブの任務を優先しろとその誘いを断るように仕向けるが、そういう家族の意向に嫌気が指したショウは怒って家を飛び出して行ってしまう。一方で災魔一族は人間が作り出したXXXなる物質を狙い、溶解液サイマ獣ジェルーダを送り込む。家出してしまったショウを引きとめようとするが、果たしてこじれた人間関係は修復できるのであろうか?


<感想>
さあ、やってきました、前作「ギンガマン」で猛威をふるった小林靖子がいよいよ本作に初参戦、この回から「ゴーゴーファイブ」という作品が輝き始めます。
思えば「メガレンジャー」も16話から面白くなり始めましたし、やっぱりこの時代の小林女史は頼れるエースというか、やっぱり一味違う切れ味を見せてくれますね。
内容はショウメイン回なんですが、私自身が家庭の中で中間子として育ったこともあってか、今回の話はもろに共感してしまいましたねえ。
たった1話でありながら、凄まじい情報量が詰め込まれていて、ショウのキャラ立てはもちろんのこと「ここまでやるのか!」という位に世界観が拡張されました。


内容的には「航空隊のパイロット=私」を取るか、それとも「ゴーゴーファイブとしての使命=公」を取るかという話なのですが、それだけではなくショウのキャラクターのバックボーンも描かれました。
航空隊のチーフパイロットに行きたいという気持ちを勝手に無視して「お前にはゴーゴーファイブとしての使命があるだろう」というマトイとモンドに対するショウの文句が炸裂します。


「いい加減にしろよ!いくら家族でもなあ、遠慮ってもんが必要だろうが!親父も、マトイ兄も、仕事と家を一緒にしすぎて、ケジメがなくなってんだよ!これだから家族と一緒にするのは嫌なんだよ!」


今回のこのセリフは私も思いっきり頷いてしまったのですが、思えば小林女史の家族観ってあんまりいいイメージを持ってない気がするんですよね。
例えば「ギンガマン」でも第一章でいきなりリョウマとヒュウガが引き裂かれるところから始まりますし、次作「タイムレンジャー」なんて1年通しての壮大な親子の確執を描いています。
また「シンケンジャー」でも各家庭の人間関係はギクシャクしていましたし、「ゴーバスターズ」なんて家族がとっくに死んでいるという…「トッキュウジャー」位かなあ、家族を肯定的に描いたの。
まあその「トッキュウジャー」ですら、最初は家族と離れ離れになる予定だったそうですから、小林女史はどこかそういう「家族の絆」を胡散臭いと思っているんでしょうね。


実際これは「ファイブマン」「マジレンジャー」ではあまり表立って描かれませんでしたが、家族同士だからって必ずしも仲がいいとか相性抜群とかいうわけじゃないんですよ。
むしろ私なんて5年間も親と一緒に仕事していた影響で、もはや仕事と家庭の境目がどんどん怪しくなって、かえって親子の情愛ってものが薄れていった感じがあります。
これは同時に同族経営がうまくいかない理由にもなっていて、同族経営ってどんなに頑張ってもよほどのことがない限り3代目までで潰れる傾向にあるんですよ。
本作の場合はそれぞれが別々の職種に就いていたからいいものの、いざゴーゴーファイブとして組むに当たって距離感を見失っている部分もあるでしょうし。


その後、家出したショウが家に戻ろうとすると、マトイたちはショウのために「パイロット募集」と次のゴーグリーン候補を探すのですが、これがまたショウの怒りを再発させる結果に。
ダイモンの「ゴーゴーファイブじゃなくゴーゴーフォー」「自分だって忘れてたくせに」といった台詞回しも秀逸で、ショウの家出を通して巽兄妹の関係性がたったこの数分で形成されました。
特に「ゴーゴーフォー」の名前に笑ってしまい、私はリアルタイムで見ていた時「これ6人目が出てきたらゴーゴーシックスになっちゃうけど、どうするつもりなんだろう?」と思ったものです。
そのツッコミを自らすることでフォローしつつ、これまで設定のみであまり表面化しなかった巽家の兄弟喧嘩や衝突をしっかり描いてきたのは高く評価できます。


そして航空隊とショウのやり取りのシーンが描かれるところでは、ショウの人間関係が「家族」だけではなく「職場」にも拡張されており、世界観に広がりが出ました。
そこで今回はカビ防止用のXXXを災魔一族が狙ってくるという話なのですが、ここもやはりひねりが効いていて、自分から災害を起こすより人間の科学兵器を利用した方が楽だというのは合理的です。
そのカビ培養を使って職場が一気に汚染されるシーンは軽いB級ホラーテイストに仕上がっていて、ショウの夢やバックボーンがここできっちり描かれたことで広がりが出ています。
また、ショウが必死に食い止めている間にゴーゴーフォーが災魔一族相手に頑張ることで、アクションのスタイルにもうまいことバリエーションが生まれました。


そしてここでショウの価値観が改めてパイロットになること」ではなく「兄弟全員で人々を救うこと」というところにうまいことひねって着地。
これにより、ショウのキャラクターだけではなく「ゴーゴーファイブがどんなヒーローなのか?」という芯が一気に形成され、あくまでも中心に「兄妹で一緒に助け合うこと」をあぶり出しました。
どうしても武上脚本や宮下脚本だけだとそういう家族戦隊の描写の触りの部分だけで終わってしまいがちなのですが、小林脚本だとさらにもう一歩突っ込みつつ要点を押さえたキャラ描写が光っています。
そして最後にはモンド博士がショウにゴーゴーブレスを渡し、改めてショウ自身の意思でゴーゴーファイブになる決意をもって「真のゴーグリーンになる」というフェイズが描かれたのも秀逸です。


ラストはいつも通りモンド博士がやらかす落ちなのですが、これまでだと単なる「ダメ親父」だったのが、小林女史が描くとその中に人間味がある感じになるから不思議です。
マトイ兄さんも横暴さは残しつつ、兄妹たちの意見を受け入れてという感じでしたし、各キャラクターの芯を押さえつつ、無理なくロジカルに展開してくれるのがいいところですよね。
よく小林脚本はキャラを追い詰めるとか言われますが、そうじゃなくてそのキャラクターの根っこにあるものを炙り出して、そこからヒーロー像の構築につなげるのが上手な方です。
これまで藪睨みのように今一歩痒いところに手が届かない話が続いていた本作もこの話で一気にキャラクターと世界観が立体的になりました。


ゴーゴーファイブとはどんなヒーローか?」をショウの家出を通して確立し、その上で世界館の拡張からショウのキャラ立ちまでしっかりやり遂げています。
やっぱ小林脚本といえば後期の「シンケンジャー」あたりもいいけれど、なんだかんだこの「ギンガマン」「ゴーゴーファイブ」「タイムレンジャー」の3年間だなあと。
この頃が最も面白かったんですよね、今には感じられない新鮮さがあるので。評価はA(名作)、ここから本格的に「ゴーゴーファイブ」は面白くなり始めます。

 

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