明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ22作目『星獣戦隊ギンガマン』(1998)15・16話感想

 

 

第十五章「恐怖のしゃっくり」


脚本:武上純希/演出:辻野正人


<あらすじ>
リョウマたちは久々の休みのはずだ他が、ハヤテが晴彦から引越しを手伝ってくれと頼まれたという。全員協力する予定だったが、ヒカルは仮病でわざと手伝おうとしかなかった。しかし、そんなヒカルの嘘を真に受けたリョウマは風邪薬を買って無理矢理にでも飲ませようとする。一方バルバンの方ではブドーがギンガの光が古代遺跡の出土品の中に潜んでいるのではないかとにらみ、魔人煙エ門を送り込んでいた。その出土品に関わっていた佐伯助教授が出土品が爆弾であると突き止めたことを世間に発表しようとするが、バルバンに妨害される。引越しを手伝っていたハヤテたちは晴彦の家の一室に閉じ込められてしまった。


<感想>
第九章以来の武上脚本回で、今回は完全な箸休めで、全体的にギャグ寄り。
ひたすらにドタバタやっているコメディ回なのですが、全体的には可もなく不可もなしといったところで、せっかくのリョウマとヒカルの回なのにあんまり面白味がないのが残念。
ヒカルが風邪だと嘘ついて引越しの手伝いをサボろうとするのはまだいいとしても、それをリョウマが真に受けてしまっているのは流れとして流石にちょっと無理がないか?と。
まあリョウマも多少天然気味なとこはありますが、ベースは兄ヒュウガ譲りで自分の芯をすごくしっかり持っているので、天然を表現したかったにしては少しやり過ぎた気もします。


それから、晴彦の引越しをハヤテたちがわざわざ手伝う展開とか、晴彦の部屋に3人が閉じ込められたから2人で困難を乗り切るしかない、というのも無理があるような。
なんで引越し業者に頼まないのかと思いますし、後バルバンを倒すとあればドアをぶっ壊してでも出るのがギンガマンじゃないですかね。
全体的にはスラップスティック風味で作られていて、それに文句はないのですが、そもそも状況設定や話の流れがかなり不自然で、かつその不自然さから面白さが生じているわけでもありません。
リョウマが薬と違って爆弾を飲み込ませてしまったというのもちょっとやり過ぎたような…まあでも確かにリョウマは普段穏やかでお節介焼きでもあるので、本気にさせたらかなりしつこそうですが。


で、煙エ門はデザインがどう見ても「がんばれゴエモン」で、「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ」とやたら歌舞伎役者なパフォーマンスを展開。
やっていることが完全にギャグっぽいので、うん是非とも池波家に弟子入りしてみてはいかがでしょうか?時代錯誤な流ノ介となら仲良くなれそうです、まあ敵同士ですけど。
ただ、アクション面はそれなりに充実していて、バス内での飛び降りとか、滝へ飛び込むヒカルとか結構良かったです。
後変身後の狭い林の中での軽快なアクションも大自然の中で動くギンガマンらしさが出ていて、こういうところは満足でした。


ちなみにその出土品は3,000年前にあった爆弾だそうですが、それはおそらく初代ギンガマンかバルバンが落っことした不発弾だったに違いありません(笑)
そんなコメディ回でしたが、内容的にはやや無茶があるものの、まあそこそこアクションが面白かったので評価はD(凡作)でしょうか。


第十六章「心の故郷(ふるさと)」


脚本:小林靖子/演出:辻野正人


<あらすじ>
ヒカルがお菓子を食べながら乗馬クラブの看板を掃除していると、突然現れた森川と名乗る高齢の男性に叩かれ叱られていた。さらに森川はリョウマ、ゴウキ、サヤまで言いがかりのように叱りつけるのだが、聞くところによると乗馬倶楽部の元オーナーらしく、リョウマたちがいい加減な働き方をしていると理不尽な言いがかりをつける。そんな中、ハヤテだけが森川の文句もつけようがないほどにきちんとした神対応で誠実に対応していく。一方バルバンの方ではギンガの光が大地に潜んでいると推測し、それを溶かすための特殊な雨を降らせる雨法師を呼び出し、酸性雨のような雨を降らせてギンガの光を手に入れようと目論んでいた。


<感想>
第十章以来のハヤテメイン回となりますが、今回はやや変則的な構成で、イケメンと頑固な老人との心の交流の回。
いつも通り、ギンガマンのメンバーはとにかくバルバン滅殺を目標にひたすら剣術を磨いていると、そこに迷惑な頑固爺さんが現れて難癖をつけてくる。


「場合によってはクビだ!」


せっかくもらえたシャバにも関わらず、半年も経たないうちに無職でサバイバル生活に戻されてしまうのかギンガマン!?
まあそうなったらそうなったでリョウマたちのことですから、普通に生活していけそうではありますが…自然界に生えている草木のこととか色々知ってるでしょうし。
で、リョウマ、ゴウキ、ヒカル、サヤと次々にダメ出しを食らうのですが、ハヤテだけが難癖をつけられないほどに丁寧かつ的確な神対応で森川という男性をうまくいなして行きます。


「リョウマ達はあまり森の外の仕事に慣れてないからね。まあハヤテが頼みの綱だが。ひょっとすると、私も引っ越しの準備をした方がいいかもしれない」


ここで「引越し」というワードが出ましたが、もしかして前回の青山家の引越しネタってこれをやるための前振りだったのか?
で、ハヤテですが第三章でも住まいを準備してくれた晴彦さんにお礼を述べていましたし、5人の中で一番社交スキルが高いのも納得です。
その森川と名乗る頑固な老人は前オーナーでも乗馬倶楽部の元所有者だっただけで今のオーナーとは赤の他人で、5人を解雇する権利はありません。
まあいってみれば会社の元社長や会長が退職後に偉そうにやってきて「こんな会社はダメだ!お前らクビだ!」と怒鳴りつけるようなもので、まさに典型的な老害です。
ハヤテだけが晴彦さんからその事実を知らされますが、ハヤテはそれならばと敢えて森川のいたずらに乗っかることにします。


一方その頃バルバンはブ魔人衆の1人・雨法師を用いて大地を溶かして地殻変動を引き起こそうとするなど、やっていることがナチュラルに地球環境破壊レベル。
なるほど、これだけデタラメなスペックの海賊だとギンガマン以外にまともに戦えるわけがないというのも納得です。


「邪悪なる 雨を逃れる すべはなし」


確かに雨は自然現象ですから避けるのは難しいですし、しかも三味線というのがまた洒落ていて、本当にブドー魔人衆は個性派揃いで面白いなあ。
それと同時に「シンケンジャー」の外道衆に足りなかったのはこういう怪人の能力や個性のバリエーションであり、幹部連中以外は微妙なんですよね。
で、そういう連中だからこそギンガマンの使命感と戦闘力の強さにしっかりと説得力を持たせているのがとてもいいところです。
そのハヤテですが、どうやらハチミツが大の苦手という思わぬ弱点が発覚し、改めて森川オーナーとの中で心の交流があります。


「この歳になって、もう一度見ておきたいと思って来てみたんだが……君たちが自由に楽しそうにやっているのを見て、なんだか、ふるさとを取られたような気がしてな。それでつい意地悪をして」
「俺たちも、ふるさとの森をなくしたんです。あの時感じた辛さと痛み、きっと同じです。だから誰にも言えませんでした。でも、俺たちは信じています。ふるさとはそんな簡単になくならない。いつでもそこにあるって」


何が素晴らしいといって、ハヤテが決して森川の嫌がらせそのものを否定するのではなく、その真意をきちんと汲み取った上で配慮しているところ。
相手に寄り添う気持ちや優しさこそが大事であり、こういった慎重さや思慮深さが求められるのはリョウマやゴウキとはまた違うハヤテならではの優しさが伺えます。
ただ、ハヤテの優しさは厳しさと表裏一体で、懐まで入って話してみないとわからないから、だからこそ頑固者同士気が合うという納得の展開。
また、ハヤテと森川元オーナーが「無くした故郷」をキーワードにして、「」の部分に関する話をしたのがとてもいいところ。


どうしてもギンガマンの世界は異世界がかっているが故に内側だけで完結してしまいがちですが、青山親子や鈴子先生を中心にきちんと「外の世界の人たち」との交流が描かれています。
こういう大事なポイントを外さずにやっているからこそ、リョウマたちの「星を守る」が単なるお題目や使命感だけに終わるのではなく、「星に住む全ての命を守る」というところに繋がるのです。
そして更にここでハヤテの因縁の相手であるシェリンダとの戦いを通して、ハヤテの変身後のバランスもうまく保ち、どうしても戦闘力ではリョウマに劣りながらも「技」と「知性」の部分で差別化を図っています。
二番手ポジションでありながら、ややもすると地味な位置づけになりがちなハヤテですが、それを逆手にとって手堅く押さえる部分を押さえてくれるので安心感があるのです。
シェリンダの戦闘力も第九章以来となりますが、これが予想外に強く、同じ技巧派でハヤテも苦戦するものの、うまく隙を突いて二刀一陣で逆転、リョウマの空中回転の二刀一閃にヒントを得たのでしょう。


そこからはもうギンガマン側が逆転し、ギンガ獣撃弾→ガルコンボーガン・流星弾のコンボで仕留め、森川オーナーとは無事に和解したのです。


「故郷はいつでもそこにある、か…そうかもしれないな。嘘をついてすまなかった。君たちならこの故郷を任せても安心だ。じゃ」


これに懲りたらもっと社会人のマナーを身につけろといつもの説教が始まるかと思いきや、ヒカルがハチミツを持ち出してハヤテが気絶させておしまいとなりました
内容的には第九章に比べるとやや地味な印象ですが、改めてハヤテサイドから「ギンガの森」という「私」の部分についての物語をうまく展開しています。
何度も強調して書いていますが、本作が目指すギンガマンのヒーロー像はあくまでも星を守る=公」と「ギンガの森を取り戻す=私」の双方を満たすことにあるのです。
他の戦隊やライダーなどであれば前者のために後者を犠牲にするといった展開が多いでしょうし、そういうヒーロー像自体が悪いわけではありません。


しかし、ギンガマンはその「私」の部分をしっかり内在させることでヒーロー性と釣り合うだけの人間性もまた比例する形で盛り込まれているのです
近い時期の作品で言うと、80年代戦隊を何の工夫もなくそのままやってしまった「超力戦隊オーレンジャー」(1995)はその「人間性」の部分が見えませんでした。
ファイブマン」までならそれでもよかったのかもしれませんが、「ジェットマン」において「ヒーローの中の人間性」を改めて描くことに成功します。
あの作品が竜、凱、香を中心に人間性をとことんまで描いた後では何の工夫もなく「人間性を押し殺したヒーロー」を描いても通用しなくなりました。
だからこそ「オーレンジャー」は時代遅れのオンボロ遊園地として旧式化した作品であることを視聴者の前に露呈させてしまったのです。


高寺Pはその「オーレンジャー」の失敗を見ているからこそ、前二作の「カーレンジャー」「メガレンジャー」では「等身大の正義」という卑近なスタンスからヒーローを描きました。
本作はその二作と逆の手法を実にうまく表現しており、またそれを理解した上でしっかりと脚本にドラマを描いている小林女史のヒロイズムも盛り込まれています。
また、こうやって「そろそろこのキャラを描いて欲しい」というタイミングでそのキャラのメイン回がバッチリ来てくれるので、細かいところへのフォローや目配り・気配りが完璧です。
そして次回以降、今度は主人公であるリョウマの「私」について物語の核として触れていくことになるのですが、その前触れのサブストーリーとしてよくできており、評価はA(名作)

 

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