明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ22作目『星獣戦隊ギンガマン』(1998)11・12話感想

 

 

第十一章「戦士の純情」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
度重なる作戦失敗に痺れを切らしたゼイハブはそろそろクビを跳ねるか詰め寄ってくる。窮地に追い詰められたサンバッシュはラストチャンスが欲しいとゼイハブに頼み、最後の賭けに出ることにする。魔人ネイカーを使ってある秘策を実行することにした。一方、ギンガマン側では晴彦から勇太の学校に授業参観に誰か代理で出席して欲しいと頼まれ、たまたま非番だったゴウキに白羽の矢が立つ。授業参観に行ったゴウキは教室のドアをうっかり壊しそうになった挙句、担任の鈴子先生に一目惚れしてしまう。そこにモークからバルバン襲来の連絡が入り、ゴウキは中断して戦いに駆けつけるのだが…。


<感想>
第三章以来となる花の戦士…じゃなかった、水の戦士・ゴウキのメイン回。改めてゴウキのキャラクターの方向性を決定した回であり、大好きでございます。
今回はゴウキのキャラクターが改めて全面的に描かれていましたが、いやあこの役所は正に照英氏にしかできない役所で、というかもうほぼ照英氏自身ですよ。
ゴウキ=照英氏というのは当の本人もギンガマンDVDのムック本で役者たちが言ってましたし、去年の東京国際映画祭の「ゴーゴーファイブVSギンガマン」のトークショー前原一輝氏も仰ってましたね。
この回は第三章以上にそんなゴウキの魅力がたっぷり詰まっていて、気は優しい力持ちを地で行くゴウキの魅力が堪能できる名編じゃないでしょうか。


「サンバッシュ、俺も遊びでてめえを行動隊長にしたんじゃねえ!ここらあたりが我慢の限界ってもんだぜ」
「せ、船長、すまねえ!あと一回、俺にチャンスをくれ」


いよいよ責任取って指詰めならぬ東京湾に沈められそうな勢いのサンバッシュですが、ここで改めてゼイハブ船長の威厳を出しつつ、サンバッシュが空元気や無根拠でなしに作戦をきちんと考えています。
その頃ギンガマンは晴彦さんから、勇太の授業参観に急用で行けなくなったため、代理で勇太の授業参観に出てほしいと頼まれました。
ここでヒカルとサヤが挙手するのですが、ハヤテに「子供が行ってどうする」と窘められ…まあ確かにヒカルもサヤもまだ幼いから行ってもろくなことにならなさそうです。
この中で一番まともなのはハヤテなのでハヤテが行ってもいいのですが、そのハヤテはリョウマとともに乗馬教室の担当ということで、一応来客がいることが判明。


というか、こんなバリバリの民族衣装を着てる人が担当している時点で凄いのですが、多分これは青山晴彦氏の友人であるオーナーが裏でしっかり根回ししているに違いありません。
「いや実はですね、その先生方なんですけど、ちょっと奇抜な民族衣装ですが、お気になさらず…」みたいな感じで紹介していると思います。
そしてその中でも爽やか好青年なリョウマとキムタク風イケメンなハヤテが主婦に大人気ということなのでしょう…客層はおそらく女性が多いと見ました。


で、白羽の矢が立ったゴウキは授業参観に駆けつけたはいいものの、教室のドアを危うく壊しそうになった挙句、鈴子先生に一目惚れしてしまい、カメラには鈴子先生しか写っていない。
もはや完全に「美女と野獣」の領域を通り越したストーカーなゴウキですが、一転してバルバンが街を襲ったとなるとサッと戦士の顔に戻って教室から大ジャンプ。
どれだけ恋愛やらしていようが、あくまでも最優先はバルバンとの使命であるということで、ここで誇らしげな笑みを湛えている勇太君のアップがよかったです。
内心(ふ、すげえだろ?俺はこんな凄い戦士たちと友達なんだぜ?)みたいな…でもこんなに凄い戦士たちを知ったら、クラスメートなんて全員ショボく見えるでしょうね。


それで、バルバンは何なら地面に次々とドリルのような針を仕込んでおり、それを迎撃するギンガマンですが、意外にもあっさりと撤退。
何か理由があるのかと疑いつつ、戦いを終えたゴウキはルンルンスキップで鈴子先生の元へ…しかし授業はとっくに終わっていて、ゴウキは完全に心ここに在らず。
戻ってきた晴彦さんが「ビデオに鈴子先生しか写ってない!」と糾弾すると、ホットケーキを黒焦げにしたゴウキが完全にメルヘンチックな表情でオトメンモードに入ります。
スタッフたちからも言われていたそうですが、本当にこれは演技を超えて照英氏のリアルな表情が出ていたそうで、泣き顔以外も迫真の演技です。


その後ゴウキは公園で鈴子先生が泣いている場面に遭遇し、担任としてなかなか自信を持てずにいると、ゴウキが慰めます。


「俺、剣苦手だったけど、戦士になったし」
「勇太くんが言ってた。ゴウキは強いけど、優しい戦士なんだって。ほんとね」


ここで勇太が担任にギンガマンのことを影褒めしていることが判明しましたが、なるほど、恐らくは青山親子が根回ししているに違いありません
なるほど、ギンガマンが世間から浮いてしまわないように、画面に映っていないところでギンガマン5人のことをちゃんと青山親子が頑張って説明していたのか。
で、ゴウキはそれでいいとして、リョウマやハヤテ、ヒカル、サヤのことはどんな感じで鈴子先生に伝えているんでしょうか?
まあリョウマは「優しく強く僕を導いてくれる理想のお兄さん」だとして、ハヤテは「ちょっと厳しそうな人」、ヒカルは「やんちゃないたずらっぽい戦士」、サヤは「優しいけど活発な少女戦士」かな。


しかし、今度は突然の大地震が発生してしまい、一体何なのかというと、実は先ほど地面に仕掛けた針をバルバンの魔人が突いて刺激したことで、意図的に地震を発生させたのだ!
ここで改めてバルバンの魔神のデタラメな強さが描かれていますが、大掛かりな地震発生装置ではなく、針でツボを刺激してという要領の良さが侮れません。
基本的に頭脳面が残念なヒャッハー系のサンバッシュ一味ですが、ここに来てギンガマン側に一矢報いて脅威を示しているのはよかったところです。
単にやられっぱなしで終わったらつまらないですからね…まあそれでもギンガマン側が今の所は優勢なのですが。


鈴子先生の婚約者と思しき人が下敷きにされてしまい、ゴウキが助けるのですが、その婚約者を演じているのはレッドのスーツアクター高岩成二氏。
それでゴウキは鈴子先生に婚約者がいたことで勝手に失恋したと思い込み、泣きながらギンガ転生し…照英が泣きながらギンガ転生する画像ください!


……ごめんなさい、ついつい2011年のネタに乗っかってしまいましたが、やっぱり照英氏といえばこのくしゃっとした泣き顔だよなあと…ゴウキに泣きの演技をさせたら国宝級。
失恋を「振り切る」のではなく「引きずる」という形での涙の疾走がとても印象的で、しかも戦闘力最強だったはずのギンガレッドを圧倒する魔人を怪力で投げ飛ばす!
凄い、鈴子先生関連だと凄まじいパワーを発揮するゴウキがもう完全にオトメンで、そのまま激流一刀で決め、そんまま巨大戦までサクッと終了。
失恋してどん底に落ち込んだゴウキを腫れ物に触るように扱い、野次馬根性で聞きつけた晴彦さんをたしなめつつ見守っていると勇太君がゴウキに説明します。


「ゴウキ、大ニュース大ニュース!」
「ん?」
「鈴子先生結婚なんてしないよ!」
「え?」
「相手の人、鈴子先生の「お姉さん」の結婚相手なんだってさ」
「ええ!?やったーーーーー!!」


ここでどん底モードから一気に祝福応援モードになるギンガマン5人ですが、何がいいって「戦士だから恋愛なんかするな!」ではなく「戦士でも恋愛していいよ」ってところです。
他の戦隊、それこそ昭和戦隊やその昭和戦隊の自己犠牲を極端なまでに表現した「シンケンジャー」では「恋愛する暇があったら稽古に打ち込め!」となるでしょう。
しかし、本作はそうではなく、前回のハヤテの婚約者・ミハルがそうであるように「恋愛することが同時にギンガマンの使命のためにもなる」という考え方であることが伺えます。
公の為に私を犠牲にするのでも、そしてその逆の私のために公を犠牲にするのでもなく、公と私の双方ともしっかり満たせる強さを持っているのがギンガマンなのです。


これは同時に「カーレンジャー」「メガレンジャー」で「ヒーローと一般人」というアプローチを「弱いヒーロー」で描いて来た高寺Pの考えのベースにあるものでしょう。
カーレンジャー」では「一般人=私」と「ヒーロー=公」を対比させつつ、その両者を「夢」というキーワードでつなぎ、最終的にはそれすら追い越して「光」となって真のカーレンジャーになりました。
メガレンジャー」では逆に「ヒーロー=公」であることを優先するためにラストの方では「一般人=私」であることを犠牲にするという展開が散見されています。
前二作ではヒーロー性を前面に押し出さず、敢えて卑近な視点から「ヒーローは何のために戦うのか?」を問い直すことで逆説的にヒーローの存在意義を問いました。


それを踏まえた本作は逆に最初から「ヒーロー=公」の存在として誕生させたギンガマンの中にいかに「人間性=私」の部分を描くのか?という試みがなされています。
だからこそ、5人全員共通の「私」の目的として「ギンガの森を元に戻す」があり、さらに個々にリョウマがヒュウガとの関係、ハヤテがミハル、ゴウキが鈴子先生という風に「私」の部分を設定しているのです。
まさに公も私も双方を満たす理想のヒーロー像であり、それ故にこそある意味完璧すぎるとも言えるのですが、前回のハヤテとの差別化も含めて非常に楽しく描かれた回。
やっぱりギンガマン「ストーリーが緻密で面白い」ことと「見ていてスカッとして楽しい」ことを両立させているので、安心して見られるんですよね。


かといってギンガマン側だけではなく、バルバンもバルバンで細かいキャラのやり取りや作戦などの段取りを上手く組むことで、キャラが一貫性をもってブレなく動いています。
やっぱりヒーロー側だけではなく悪の側もしっかり立っていることが大事で、近年だとヒーロー側を立てるために悪の組織の描写が蔑ろになることが多いんですよね。
そういう中にあって、本作はヒーロー側もヴィラン側もバランスよく描かれており、お手本のような一作であり、評価はS(傑作)


第十二章「悪夢の再会」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
前回の作戦に失敗したサンバッシュは遂にゼイハブから死刑宣告を食らってしまうのだが、前回の作戦はあくまで前振りであり、まだ終わっていないと言い返す。そう、サンバッシュがネイカーを使って起こした地震はダイタニクス復活のためだけではなく、それによって地形変動を起こし、崖の下にある洞窟を出現させるためだったのだ。しかし、その洞窟の入り口は固く閉ざされており、サンバッシュの手で開けることはできない。そこでサンバッシュは一計を案じ、ギンガマンを呼び出して洞窟の入り口を開けるように要求するが、その棺桶に入っていたのは死んだはずのヒュウガだった。


<感想>
さて、第1クールの締め、いよいよサンバッシュ一味の最期が描かれます。


「処刑の方法は選ばせてやる。何がいい?」
「わしゃ、久しぶりに火あぶりがいいと思うがなあ」
「ちょっと待ったあ!」


バルバン側は完全にサンバッシュ処刑のお通夜モードですが、ゼイハブは何があろうと基本的に「ダイタニクス復活」さえできればそれでいいと思っています。
そのためなら部下を切り捨てることになろうが何のその……それでいて決して情がないわけでもないというバランスがゼイハブの恐ろしさです。
非情に見えますが、経営者としてはある意味理想的であり、あくまでもきちんと結果を出してこそであり、遊びではないのだという経営能力にも長けています。
後の2クール目、3クール目でも描かれていますが、ゼイハブの魅力は利食い」と「損切り」の使い分けに長けているところなんですよね。
それこそ投資家や資産家にもなれる資質や眼力はあるんじゃないでしょうか…うん、宇宙海賊の船長に留まっているのがもったいない気がします。


しかし、サンバッシュも最後の意地…ならぬ最期の意地で前回地震を起こさせたことでもう1つの効果が発動していたと上手く前回から繋げました。
サンバッシュが掲げる最期の作戦はカゲロウ岬にある洞窟の入り口の奥にあるのですが、しかし扉が固くて開けられません。
そこで扉を開けてもらうためにギンガマンの力を敢えて利用することを考え、彼らの精神的な弱点となっているヒュウガを棺桶に入れて要求します。
当然ながら罠の可能性が高いとモークは警戒するのですが、それすらも5人は取っ払うのです。


「何があろうと、バルバンが何か企んでいるなら俺たちは行くべきだ。そうだろう?」
「私は心配なんだ、君たちが」
「大丈夫!俺たちは戦士だ」


ここで良かったのはギンガマン5人とモークが対立しているように見せておきながら、モークにはモークの、ギンガマンにはギンガマンの言い分があると示していること。
モークもただ非情なだけではなくギンガマンへの思いやりがあるところは意図的なゼイハブとの対比になっていますし、ギンガマンも重要な場面ではモークの指示ではなく自分たちの考えを大事にしています
特にリョウマの「俺たちは戦士だ」が名台詞であり、これは第七章の星獣の復活で見せたリョウマの前向きな姿勢で、たとえ罠とわかっていようと、それに勇猛果敢に飛び込めなくて何が戦士だ、ヒーローだというのです。
しかも、いかにも自己犠牲っぽく悲壮感たっぷりにいうんじゃなく、「俺たちはこんな時のために訓練してきたんだろ?」とごく普通に笑顔で言うところがギンガマンらしい。


3,000年間もずっとバルバンと戦うために体術も剣術もアースも全部を磨いており、しかも戦士になってもずっとそれを継続しているからこそ、笑顔でこれが言えるのです。
本作の逆として描かれている「シンケンジャー」はやはり「ヒーローであるためには全てを捨てよ」であり、侍であるためには笑顔を捨てて悲壮感を纏わせていました。
そこもおそらく意図的な対比として小林女史は描いたのだと思われますが、同時に「バルバンを倒す」ことと「兄・ヒュウガを助ける」ことのどちらかを犠牲にしません
リョウマのヒュウガへの屈折した強い思いも示されつつ、同時にヒュウガがギンガマン5人にとっての求心力であることも示されたのが良かったところでしょう。


もちろん罠と分かっているから正面から全員で突っ込むなんてことはせず、ハヤテたち4人が陽動作戦で時間を稼ぎ、ヒュウガの元にはリョウマを行かせます。
リョウマは炎のたてがみを用いて洞窟の扉を開けると、そこにはサンバッシュがいざという時のためしたためていた「ギンガの光」が入った小箱があるのですが、ここでヒュウガが悪辣な笑みを浮かべる。
やはりあのヒュウガは偽物であり、その正体はサンバッシュ一味最後の魔人であるグリンジー…まあ予測可能な展開ではあったのですが、リョウマたちの精神的弱点を見事に利用した形に。
サンバッシュ一味もここでギンガマン側に一矢報いた形となり、決してやられっぱなしで終わらず窮鼠猫を嚙む勢いでしっかり食いついてきたのが良かったところ。


怒りで猛反撃に移った5人は正に怒り爆発の「機刃の逆鱗」を発動させて追い詰め、レッドがサンバッシュと、そして4人がギンガイオーと戦う変則的なバトルに。
あくまで幹部は戦闘力最強のギンガレッドが相手にするのがとても良かったところで、特に兄・ヒュウガを故意に利用して罠を仕掛けたことへの怒りが爆発します。


「てめえ、不死身か?!」
「言った筈だ、俺はお前を許さない!!」


やや満身創痍ながらもギンガレッドが炎一閃、そしてサンバッシュが銃撃を浴びせてダブルノックアウトと、しっかりアクションで盛り上げてきます。
そして、グリンジーはギンガイオーによって撃破され、サンバッシュはなんとか小箱を拾って開けるも中身は空っぽで、ギンガの光は別のところへ消えていたのです。
ここであっさり作戦成功してたらつまらなくなったと思うので、ギンガの光に関してはここで見つからずにホッとしています。
また、サンバッシュが隠し事をしていたのも、部下がすでに第五章でやっていたのが伏線として効いており、ヒャッハーながら意外に策士の一面も見せました。
しかし最期の作戦すらも通じなかったサンバッシュは自爆特攻でバイクでギンガレッドに突撃します。


「いつか、どデカいことしようと、3,000年もの間船長にも隠してたもんを……!俺にもう後はねえ!」


ここでのポイントは実は自己犠牲をしているのがギンガマンではなくバルバンであるというところで、しかも自爆特攻をカッコ悪く描いています。
レッドも最後のど根性でジャンプし、空中回転での二刀一閃という凄まじく難度の高い技を披露し、サンバッシュは海へダイブし爆発四散。
バルバンの歯車という「公」としてではなく、個人的な欲望という「私」のために散っていくのがいかにもサンバッシュの個性が出ています。
あくまでもバルバンは組織でありながら、所詮は野党やゴロツキの集まりにすぎないのだと示した上で、その死をカッコよくは描きません。


まあ「シンケンジャー」でもそうだったんですけど、小林女史は基本的に「死」というものを決してカッコよく描く人じゃないんですよね。
時代劇趣味の持ち主でカッコいいヒーロー像は好きだけど、かといって自己犠牲を美徳とはせず醜い最期として描いているのが特徴的です。
そしてそれを裏から見張っていたブドー魔人衆の1人である虚無八が見届け、ギンガマンはヒュウガが偽者だったことにショックを受けています。
サンバッシュ決戦編でしたが、盛り上げ方にしっかりと一枚にも二枚も仕込みがしてあったのが良かったですね。


これまでも示されてきた通り、サンバッシュって四軍団の中では一番弱くて結構ギンガマンにやられているので、ただの決戦では盛り上がりません。
そこでヒュウガが偽者であるというネタを入れてギンガマン5人(特にリョウマ)の思わぬ弱点を突いて揺さぶりをかけ、また「ギンガの光」という2クール目以降に繋がるマクガフィンも出しています。
しかも裏でブドー魔人衆が動きを見せているカットを入れることで、次回以降へ違和感なく繋いでおり、1クール目の締めとして完璧でした。
基礎土台となる人間関係の構築とヒーロー像の確立、そして2クール目以降にもつながっていく数々の伏線をしっかり仕込んだ上で盛り上げて見せた1クール。
今回はその締めとしてリョウマたちギンガマンの圧倒的な戦士としての強さも引き立ち、決戦編として完璧な回であり、評価はもちろんS(傑作)

 

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