明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ22作目『星獣戦隊ギンガマン』(1998)5・6話感想

 

 

第五章「必殺の機刃」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
ダイタニクス復活のエネルギーに苦慮したバルバンは「大暗黒剣」なるものを使って封印を解こうとする。しかし、3,000年も封印されている間に剣はとっくに錆びており、粉々に砕け散ってしまう。サンバッシュは武器マニアの魔人バクターを呼び出して555個もの武器を集めて大暗黒剣を修理するように命じる。一方シルバースター乗馬倶楽部ではリョウマがハヤテ達と稽古に励みつつ、ヒュウガと共に戦士として訓練した厳しい日々のことを思い出していた。モークからバルバン襲来の報告を受けたリョウマたちはバクターと交戦するが、バクターはリョウマ以外の4人の星獣剣を奪い取ってしまい、リョウマは離すまいとするのだが…。


<感想>
さあ、今回はめぐりめぐってのリョウマメイン回ですが、前作に引き続き長石多可男監督が登板。
総合評価でも述べましたが、本作は演出のローテが非常にうまくできていて、田崎監督が新しく始まる物語を作り、辻野監督が脇で自由な物語を展開し、長石監督が重要な回を担当しています。
特に本作では決戦とか物語として締めの部分をほとんど長石監督が担当していますので、脚本だけではなく演出面も非常に計算されたものになっているのです。
そんな今回の話はリョウマの未熟さについて触れた話ですが、第一章で死んだはずのヒュウガ兄さんが回想シーンという形での再登場。


改めてリョウマとの訓練シーンが描かれているのですが、今回を象徴する名言がこちらです。


「リョウマ、一々うまく行くたびに気を抜くんじゃない!常に次の一手を考えるんだ!戦士が自分に満足したら、その瞬間に命はない!」


流石は元ニンジャレッドだけあってヒーローとしての貫禄がだいぶ違いますが、同時にここでヒカルとは違ったリョウマの未熟さについて厳しく指導しています。
何というか、別に炎の戦士が特別ということではないでしょうが、ヒュウガはリョウマに一流の戦士になって欲しくて徹底的に叱っているのです。
この部分に関しては「リョウマだから」なのでしょうが、リョウマは優しくて穏やか故にやや隙がある人物として描かれています。
そこをヒュウガが厳しく諫め、改めてリョウマが背負うポジションや使命の重たさが浮き彫りとなっているのです。


前回のヒカルのテーマが「力の使い方」「正しい心でアースを使う」でしたが、リョウマの場合は「勝って兜の緒を締めよ」ということでしょう。
よく「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」と言いますが、戦いで負け続ける人の特徴はだいたい以下の3つです。

 

  1. 情報不足(自分の戦力と敵の戦力の格差や力量の見極めなど)
  2. 思い込み(自分は何でもできるのだという勘違い)
  3. 慢心(力が十分にあるのだからそれで勝てるだろうという油断)


敗因の7割は「情報不足」であり、ギンガマンの場合はこの情報不足に関しては第三章でいつ森の外に出てもいいように情報収集を徹底していますし、モークもいますから心配ありません。
そのため、ギンガマンに敗因があるとすれば思い込みと慢心なのですが、前回のヒカルが「慢心」故に負けかけたのだとすれば、今回のリョウマは「思い込み」の克服でしょうか。
炎の戦士・ギンガレッドになったからといってそれだけでヒーローなのではなく、常に次の一手を考え続け臨戦態勢でい続けることが大事だと説かれます。
これはまさにビジネスやスポーツの世界にも通ずる「一流」のマインドであり、ステージが上がれば上がるほど常に臨戦態勢で戦い続けないといけません。


それこそある人が「常に頭にピストルを突きつけられている感覚」といっていましたが、正にその通りで今回のリョウマは文字通りバクターにピストルを突きつけられて戦っていました。
また、リョウマが命よりも大事な星獣剣を手放したくなかったというのも納得なんですが、その星獣剣で薪割りをしていましたよね?と突っ込むのはやめておきましょうか。
まあとにかく、リョウマが改めて「リーダーに必要な資質」を問われた回であり、うまくいったからといって安心せずに常に次を考えなければならないのです。
バクターに囚われてもアースを使って鎖から脱出し、さらにモークにある作戦を依頼するのですが、ここでの駆け引きやカメラワークの見せ方が上手でした。


そして今回の魔人バクターは実は先祖から自在剣・機刃を盗んだのですが、ゼイハブ船長をして「お前たちの先祖はもっと手強かった」と言わしめた初代ギンガマンから機刃を盗むって相当すごいのでは?
というか、先祖も思わぬ失態を犯していたのだなあと…しかし、武器マニアのバクターは単に武器マニアなだけで使い方を知らないので、保管するしかできません。
この辺りは「武器を持っている」ことと「武器を使いこなせる」とは違うことが示されているのですが、最終的なオチはあの星獣剣が偽物だったというオチ。
そう、東映特撮お得意の「すり替えておいたのさ!!」を使い、精巧な星獣剣の偽物が作られていたとのこと…一体誰がこんなの開発したのでしょうか?
違和感はなかったのですが、のちの展開を考えるとおそらくモークであり、いくら本物を目にしていたからとはいえ、あんな短時間で偽物をあっさり作る開発能力の恐ろしさ。


そもそもモーク自体も「大木故に動けない」ことを除けば、コンサルタントから武器開発、さらには情報伝達まであらゆることができるチート司令官ですよね。
シンケンジャー」でいえば、彦馬爺さんとスキマセンサーと梅盛源太が戦闘能力を除いて合体しているようなもので、長老オーギはよくも凄いものを開発したと思います。
そんなモークの開発能力もサラッと描かれてつつ(あくまで「サラッと」というところがポイント。源太みたいにこれ見よがしにしないのさ)、自在剣・機刃の性能が明かされました。
自在剣という名前の通りキバカッター、キバショット、キバクロー、キバナイフ、キバアローという5つの武器に変形する代物であり、星獣剣に続きとんでもなく殺傷能力の高い武器です。
小型の剣ということでインパクトはどうしても星獣剣に及びませんが、その分機能性の高さとバリエーションで差別化を図ったというところか。


単なるパワーアップアイテムではなく、そこにリョウマとヒュウガの物語を絡め、リョウマの成長をしっかり描いてドラマとしているのが見事です。
近年の戦隊に足りないのは正にこういう部分であり、1つ1つの武器に対する意味づけ・定義づけが甘い作品が多くなっているのですよね。
最も、あれだけ玩具を大量に売りつけてパワーアップ合戦で勝負しなければならない今のスーパー戦隊では、そこがおざなりになるのも仕方ないのでしょうが。
そして機刃はさらに5つ星の形に合わせることで合体技である「機刃の逆鱗」を放つことができると、ここでようやく「5人で力をあわせる」技が出てきました。


まずはそれぞれ単独の力の強さを描きつつ、リョウマが成長するタイミングでギンガマン全体もパワーアップするという構造が秀逸。
リョウマも今回で心の未熟さを克服し、真のギンガレッドへ近づいていくためのハードルをしっかりと超えてくれました。
また、判断力や機転の利かせ方も兄譲りであり、かなり高いことが描かれたのも良かったところで、評価はA(名作)でしょう。


第六章「星獣の危機」


脚本:小林靖子/演出:長石多可男


<あらすじ>
伝説によると、バクターから取り戻した自在剣機刃にはある隠された力があるのだという。その秘密を探るため、リョウマたちは星獣たちと話しに行くことになり、勇太もそれに同行することとなった。星獣たちと親睦を深めた勇太は星獣から綺麗な水晶体の石をもらう。しかし機刃の秘密については教えてもらえないままその日を終了してしまった。一方、バルバンではサンバッシュが度重なる作戦失敗のお詫びをゼイハブに入れつつ、ブクラテスとともに密かに案じていたある作戦を決行すると言う。その作戦とは魔人タグレドーの持つ強力な毒ガスによってダイタニクスを治して封印を解くというものだった。


<感想>
自在剣機刃に隠された謎…その秘密は星獣たちだけが知っていたが、リョウマたちにはなぜか教えられない…そこからスタートしたギンガイオー誕生編です。
その前編を担当するのは前回に続き長石監督ですが、ドラマ的な見所でいうと、前半でのキャンプのシーンがとても良かったところ。
もちろんハイライトは後半の方にあるわけですが、星獣と勇太、そしてギンガマン5人の交流がしっかりと補強されています。
音楽も相まって、何だかNHKの「おかあさんといっしょ」のようなノリの教育番組テイストであり、設定やストーリーが緻密でありながら、あくまでも「子供向け」であることを忘れません。


「あーあ、僕も星獣の言葉が分かれば、友達になれるのに」
「友達だよ、もう」


ここで改めて第一章に続いリョウマと勇太の交流が描かれていますが、ヒュウガに対して憧れと表裏一体のコンプレックスを抱えているリョウマが勇太の理想のお兄さんになっているのがいいですね。
そう、リョウマの凄いところは視聴者にとって「憧憬」と「共感」の双方をうまく取り込んでいるところで、未熟さで共感させつつ勇太少年にとっての憧れであることを矛盾なく描いています。
この2人の関係性に関しては特に十七章やダイタニクス決戦編がすごくよくできているのですが、第一章から丁寧にきちんと段取りを組むことで自然にできた関係性となっているのです。
また、勇太が星獣たちがホームシックにかかっていないか心配することで、ギンガマンと星獣への思いやりも示されることで視聴者により親近感を持たせることに成功しています。


またリョウマ、ゴウキ、勇太の3人を中心に星獣たちの表情もちゃんとカメラに収められていて、長石監督は改めて役者の表情やアップを色気たっぷりに撮ってくれますね。
特にこれまでどこかマセガキだった勇太君の「少年」としてのあどけない顔など実に生き生きとしてますし、星獣たちもまたコミカルさを出していて、好感が持てます。
星獣は伝説の内容やその強さからてっきり「ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」「カクレンジャー」に出てくるような神様的存在かと思われていました。
しかし、ここで勇太たちと交流して可愛げを出すことによって、あくまでも感情を持った生き物であることを補強しており、より友好的な存在です。
少なくとも爆竜や炎神より優しくて友好的であるように見えます…喋ってない分動きで見せ、またギンガレオンが勇太に星の石を渡すシーンもよくできています。


しかし、自在剣機刃の秘密に関してはなぜか教えられず黙ったままストーリーが進行しますが、ここで話は一旦バルバンの方へ
サンバッシュはこれまでの作戦失敗を詫びつつ、ダイタニクス復活のために、新たに地球を猛毒の星に変えてダイタニクスを復活させる作戦のようです。
改めてバルバンの魔人は環境破壊なんてお手の物というとんでもスペックが多いのですが、この猛毒の展開もまた終盤の伏線となるので覚えておきましょう。
そこで、あらゆる物質を噛み砕いて毒ガスに変換させる魔人タグレドーを呼び寄せ、改めて大気汚染作戦を結構するのです。


ポストやコンクリートなどなんでも食べるシーンは今じゃあとても放送できないレベルですが、これを受けてギンガマン側も出撃。
タグレドーを迎撃するのですが、体内から繰り出される猛毒に勇太のみならずギンガマン5人も次々と変身解除されてしまい、しかもそれを解毒できる物質がギンガマン側にありません。
あくまでもブクラテスしかそれを持っておらずゼイハブたちでさえも嫌がっていたので、相当に強烈な猛毒なのだと思われます。
ここで昭和ヒーローなら「そんな毒が効くか!」となるのでしょうが、そのような御都合主義の展開をしないことでギンガマンの強さも完全無欠ではないとしたのがよかったところ。
小林女史のヒーロー像は決して長所だけではなく短所も織り込んでくれるため、安心して見ることができます。


もう止められない毒ガステロになす術なしかと思いきや、星獣が自分たちの命と引き換えに毒を中和してリョウマたちを助けるのです。
ここでギンガマン5人と勇太が星獣たちと仲良くなった展開が落差として機能し、ギンガイオー誕生前に一度仮死状態に陥らせるという絶望を描きます。
単純に自在剣機刃を使ってストレートにギンガイオーに行くのではなく(それをやったのが「ガオレンジャー)、あくまで大きな力には重い代償が必要なのです。
まさに「陰極まって陽となる」というか、カタルシスに持って行くためにはそれ相応の絶望感が必要である、という形でしっかり描いています。


(ギンガレオン、死なないで。ギンガレオン……みんな!)


勇太少年の心の叫びも虚しく、星獣たちは石になるのですが、この五星獣が石になる展開はいうまでもなく「ウルトラマンA」のヒッポリト星人回のオマージュです。
大きなカタルシスを得るために一度伝説的な存在を仮死状態に陥らせて絶望を突きつけるという展開を見事に戦隊シリーズのエピソードに翻案して取り込みました。
それは同時に「ジュウレンジャー」〜「カクレンジャー」までのロボットが「何で生物なのに機械なの?」という矛盾に答えられなかったことへの回答でもあるでしょう。
そして、改めて蘇ったリョウマたちはギンガ転生、そこからタグレドーへ猛反撃で返り討ちにします。


ここのアクションシーンも素敵なのでが、中でも見所はグリーンの華麗な中回転とギンガレッドの星獣剣&キバカッターの二刀流です。
ギンガレッドといえばやっぱりこの二刀流であり、後半でギンガの光が出てくるまでは結構象徴的に使ってくれています。
そのあとは炎のたてがみからの機刃の逆鱗で、まさに今回のこれは星獣たちが死んだことへの行き場のない怒り=逆鱗ですね。
タグレドーもここでバルバエキスを飲まないのはナレーションで説明された通りバルバエキスが自らの命を縮める最後の手段だから。


第一章から提示してきた要素を丁寧に組み上げつつ、ギンガイオー誕生への布石を細かい段取りを踏まえながら作り上げているのがとても丁寧です。
高寺Pのガチガチに整合性にこだわるところと、小林女史の丁寧かつ爆発力のある脚本が非常にベストマッチで組み合わさって、本作本当にここまで無駄な話が1つもありません。
一話完結がベースにありながらも、大筋に沿って一定の連続性を持って動いており、歴代で見ても非常に基礎土台が強固に積み重ねられています。
ヒーロー側もヴィラン側も交互にバランスのいいドラマが50:50で展開されているので、どちらかに偏っているということがありません。


逆にいえば、これだけ丁寧かつ強固なバックボーンを作り上げているからこそ、作品としての総合的な完成度が非常に高いのだといえます。
自在剣機刃の謎を秘めつつ、1クール目最初の山場として、星獣を仮死状態に陥らせるという絶望的展開の持って行き方というかプロセスが見事です。
評価はいうまでもなくS(傑作)、ここからどうギンガイオー誕生へとつなげていくのかという期待を持たせて次回へ。

 

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