明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)29・30話感想

 

 

第二十九幕「家出提灯」


脚本:大和屋暁/演出:加藤弘之


<あらすじ>
ダイゴヨウは源太の寿司の握り方が気に入らなかったのか、我慢の限界に達して口喧嘩を始めてしまう。売り言葉に買い言葉でヒートアップした源太はとうとう「夜しか役に立たない提灯」と言ってしまう。ダイゴヨウは家出してしまい、茉子は心配そうに見つめる。その時、外道衆の方ではドウコクが不機嫌そうにしていると、アクマロが配下のアヤカシ・ドロボウを差し向けた。


<感想>
今回は久々の大和屋脚本回で源太とダイゴヨウの圧倒的陽キャ同士の喧嘩回ですが、今回の話は特に違和感がなく普通に楽しめました


まあ、源太のキャラクター自体が不思議コメディの時空からやってきた便利な助っ人キャラとしか思えなかったので、大和屋氏としてもかなり描きやすかったのでしょう。
以前のシンケンブラウン回や黒子回に比べればだいぶ構成としても見やすくなっていて、まあありがちな「似た者同士の喧嘩」ではありますが、ちゃんとダイゴヨウと源太の関係を掘り下げたのはよかったです。
その2人の関係性というか、実質の仲介役として茉子姐さんのフォローがあったのもよかったところで、変なダメンズウォーカーモードではなく、こういう自然な気遣いのできる姐さんは好印象。
単なる2人の喧嘩だけで終わったら面白くなかったのですが、ここで茉子姐さんが絡むことで源太以外との関係性も補強し、まあまあベタながらいい感じだったんじゃないかと。
それから源太に解雇されたダイゴヨウが転職活動をして焼き鳥屋へ転職というのも、ギャグとはいえ地味な終盤への伏線となっています。


ただし、話の方はそこそこよかったのですが、戦闘シーンの方はパワーバランスも含めて全体的に面白みがなく、別に提灯がいなくても解決できた話です。
つまり分身を繰り出してくる場合は強烈な光を浴びせて本物だけを炙り出せばいいという落ちでしたが、これはダイゴヨウを使わなくても源太がスシチェンジャーで「光」とでも電子モヂカラを打てば解決できる問題でしょう。
わざわざダイゴヨウを使わなくてもできることなので、能力面も含めてどうにもアクションシーンの方は盛り上がりが足りません。
今回はスーパーシンケンピンクでしたが、これも別に茉子がやる必然性が全くなく、普通に殿がやればよかったんじゃないですかね?基本的にインロウマルは丈瑠が使うものだと思うので。


あと、アヤカシが途中撤退する理由が「水切れを起こしたから」というのもだんだんと悪い意味での御都合主義の道具になっているというか、それさえつければ撤退のさせ方が適当でもいいというのはダメです。
まあそもそも本作は幹部連中以外の一般のアヤカシ自体がデザイン面も含めてバリエーション不足で面白みがないので、山場のドラマ以外の回がどうしても盛り上がりが足りません。
年間のアベレージで見た時に、どうしても本作がA(名作)にはなれてもS(傑作)にまで跳ねられないのはこういう細かい部分の設定や整合性をきちっと詰め切れていないところにあります。
殿と家臣という主従関係さえ軸として守っていれば、それ以外は多少おざなりでもいいだろうという雑さが見えてしまい、幾ら何でもこういうのはいただけません。


そのため評価としてはどう高く見積もってもC(佳作)にしかならず、また加藤監督の演出も緩急がうまくついていないせいで、メリハリがありません。


第三十幕「操学園」


脚本:石橋大助/演出:加藤弘之


<あらすじ>
鷹白学園にことはが生徒、そして流ノ介が教育実習生として赴任してきた。その学校ではどうやら半分以上の生徒が覇気が感じられないという怪奇現象が起こっており、その原因を調査し解決するためである。しかし、その学園の生徒たちは外道衆が現れても全く動じることがないので、2人は訝しはり始めた。果たしてこの学園で何が起こっているのであろうか?


<感想>
今回の話は流ノ介とことはの学園潜入回だったわけですが、全然面白くありません。


まず、どうして学園に潜入するのが流ノ介とことはでなければいけないのかという理由が全くないのです。
高校生戦士という設定ならことはより千明の方が向いていますし、あと教育実習生という設定なら、流ノ介よりも茉子に行かせた方が向いてるんじゃないでしょうか?
千明は「転校生」にした方がスムーズですし、茉子は第一幕で幼稚園の先生をしていましたし教えるのもうまそうですから、流ノ介よりも先生に向いてると思いますが。
たとえばことはが中学までしか行っていなくて高校からは行ってないから楽しんでみたいとか、流ノ介も外の世界を知ってみたいとかいう理由だったらわかります。
しかし、そういう物語としてやって当然の理由付けすらまともにできてないせいで、終始シンケンジャーの中からこの2人だけが潜入する意味が全くありません。


それから、源太のバンカラネタとかも「やってみました」というだけの感じで、とにかく今回の話は「シナリオ」でも「ストーリー」でもなくただの「プロット」
いってみれば「今回はこういう要素をやってます」という素材だけをバラバラに並べ立てただけで、全然1つの内容として意味付けされていません
千明の偽物回もそうだったんですけど、石橋氏の脚本はそもそも「文芸」ですらなく、こんなクオリティでよくGoサインが出たものだと思います。
というか、単に学園に潜入するなら、わざわざ教師や生徒に扮して潜入する意味がまるでなく、正面切って潜入した方がいいといえるでしょう。


それから今回一番酷かったのがダイゴヨウの扱いであり、前回もそうだったんですけど、源太共々都合のいい便利道具として使われすぎです。
今回はアヤカシのいる場所を探るための赤外線センサーみたいな用いられ方をしていましたが、これ自体が前回の今回で突発的に使われたものであり、不自然すぎます。
また、アクションシーンでもなぜがイエローがそのままダイゴヨウを使っていたのですが、どうして岡っ引きでもない純粋侍のことはがダイゴヨウを使えるのでしょうか?
あれは「侍ではない」源太だからこそ使いこなせるものであって、ダイゴヨウをまともに使ったこともないことはが当たり前に使い熟しているのは本作の「修行と稽古」の積み重ねを明らかに愚弄しています


まあそもそも源太の設定自体が初期5人から積み上げてきた5人の関係性を愚弄している部分が無きにしも非ずだったのですが、それでもなんとか物語の中に収めようとしてきました。
しかし、前回でせっかくダイゴヨウ共々シンケンジャーの一員として馴染んだはずなのに、今回またもや御都合主義の便利道具と化しているので、本作の短所が剥き出しに。
というか、ダイゴヨウのあの短い警棒みたいなのは十手なのですが、真剣と十手は明らかに使い勝手や用途が異なるものなので、ことはがそれを使えるのはおかしいでしょう。
ことはに関しては第二幕で「学校の勉強や家の竹細工は全然ダメで、得意なのは笛と剣だけ」として、「シンケンジャーしかできることがない」という不器用な落ちこぼれキャラとして描かれていました。


その不器用なことはのキャラクターを今回の石橋脚本は明らかにスポイルしてしまっており、話の都合のためにことはもダイゴヨウのキャラも消耗品として雑に扱いすぎです。
さらに巨大戦でのシンケンオーゴヨウというのも物語の中で登場する必然性が全くないので、ただでさえ巨大戦がいまいち盛り上がらない本作の弱点に拍車をかけてしまいました。
本作はそもそもアヤカシのパワーバランスがうまくいっていないことや能力の差別化がうまくいっていないため、折神やインロウマル、ダイゴヨウが登場する必然性がそもそも薄いのですよね。
それでも何かしらドラマとしての意味付けや定義付けがきちんとなされていればいいのですが、それすらうまくいっていないので、結果として短所が長所を駆逐してしまっています。


総合評価はもちろんF(駄作)本作の短所という短所が全部露呈する最低最悪のクオリティでした。

 

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