明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)19・20話感想

 

 

第十九幕「侍心手習中」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
シンケンジャーの仲間入りを果たした源太は独自にモヂカラを分析し、独自で開発した海老折神を丈瑠たちに見せて自慢する。とんでもない開発能力のすごさに驚く丈瑠たちだが、流ノ介だけは「侍ではなく職人」と急所を突いて批判し、源太の行動や言動を「侍ごっこ」と批判する。その後、千明たちから流ノ介について聞いた源太は何とか認めてもらおうと、黒子に化けて流ノ介の規則正しい生活態度を見ならぬことにしたが…。


<感想>
さて、源太の侍としての仲間入り、最後の壁は流ノ介だったわけですが、結論からいうと「もうちょっとそこは段取り組んでもいいんじゃない?」と思ってしまいますね。
何だか無理やり源太をシンケンジャーの仲間に早い段階で入れたいがために、かなり急ぎ足でやっている感じはあり、どうしても丁寧さを重視する小林女史とは思えないほどの勢い任せです。
源太が黒子として流ノ介を研究しよいと思った時に丈瑠から「そういうことするから、流ノ介に嫌われるんだぞ」というフォローが入ったのはホッとしました。


また、個人的にとてもよかったのが「流ノ介のルーティン」が具体的に描かれたところであり、モヂカラや剣の稽古だけではなく、歌舞伎の稽古や早朝トレーニングと入ったのはよかったです。
基本的にシンケンジャーは初期からすごく鍛錬を大事にする世界観・ストーリーなので、流ノ介のルーティンが強調されることで自他共に認める「純粋侍」であることが補強されています。
私は批判的に論じましたが、そういう風にみると、シンケンブラウンと名乗る外国人が丈瑠ではなく流ノ介への弟子入りを頼んだのも人選として見事だったのだなと。
しっかりと彼の侍たる所以が具体的な生活習慣として描かれているので、単なるネタキャラではなく「芯から侍」ということで、丈瑠に次ぐ強さなのにも納得です。


源太はいわゆる「天才肌」であり、剣術もモヂカラも上位ではあるのですが、それでもやっぱり純粋な剣術や侍としての心構えは流ノ介には及ばないと思います。
だからこそ、そんな2人を真正面からぶつけさせて一緒に共闘するという流れに持っていくのは悪くないのですが、今回のハイライトはこちらです。

 


「助けなきゃいけねえ人が居るのに、侍が自分の命守るかよ」
「どうやら、他はともかく、その一点だけはお前も侍のようだな」


う、うーん…これは流石に厳しいというか、いわゆる源太が持っているのって江戸っ子らしい等身大の当たり前な正義感ってやつですよね?
それは構わないのですが、いわゆるサスケや猿顔の一般市民、健太が持っていた「粋でいなせ」みたいな正義感と時代劇がかった侍としての主従関係を等価値にするのはどうかと思います。
これはやっぱり「幼馴染だから」という理由と合わせても、もうちょっときちんと源太の心理描写やバックボーンを掘り下げてから出すべきものなので、その辺の積み重ねが足りていません。
「命を懸けて守る、これだけは「ごっこ」じゃねえ!」というのは構わないのですが、どうにもありがち展開すぎてもう少し本作の世界観に合わせたひねりや工夫は欲しいところです。


例えば夜逃げした設定を掘り下げて「食い扶持に困る日々が続いていたから」「寿司を美味しいと言ってもらえることに幸せを感じたから」とかでもいいわけですよ。
ベタではありますけど、源太が「丈瑠との約束」以外で侍に改めてなろうと思ったきっかけをきちんと掘り下げて描かないと、作品の世界観が薄っぺらく安っぽいものになってしまいます。
だって家臣たち4人は真の侍戦隊になるまでを第二幕から丹念に描写して、掘り下げた状態であの十二幕の最高の盛り上がりへと持っていくことができたわけじゃないですか。
いくら天才の寿司屋で圧倒的陽キャだからって、その辺の積み重ねや段取りをおろそかにしていい理由はないので、この辺りはどうも小林女史らしくない雑さが出たなと。


まあその代わり、流ノ介が丈瑠たちが来るのを「信じる」のではなく「疑わない」というのはとてもよかったところで、流ノ介と4人との信頼関係が補強されました。
源太のキャラクター自体はシンケンジャーの世界観にとびきりの明るさと爆発力を持ち込んだので好きなんですけど、キャラのドラマは丁寧にやって欲しいところです。
特に「幼馴染としての約束」「目の前の困ってる人をほっとけない正義感」と「殿と家臣の主従関係」をイコールで結んでしまうのは良くありません。
ただでさえ源太は寿司職人という設定で開発能力に長けているというチート設定が与えられているのですから、ここまで行くと流石にやり過ぎです。


評価としてはC(佳作)、高く評価してもせいぜいこのくらいで、もっと源太をうまく世界観になじませていくべく段取りを丁寧にすべきでした。
まあラストの掛け合いは悪くなかったので、ここからラストにかけて源太のキャラがきちんと収まってくれることに期待です。


第二十幕「海老折神変化」


脚本:小林靖子/演出:竹本昇


<あらすじ>
何とか源太を無事に侍として認めた丈瑠たちはことはの誕生日サプライズパーティーを企画しようと、秘密裏に計画を進めていた。一方、外道衆は人の魂を奪い取るアヤカシ・ウタカサネが人間界に送り込まれ、ことはの魂を吸い取ってしまう。ようやく自由の身になった十臓が偶然近くを通った源太に声をかけるのだが…。


<感想>
さて、やってきました。当時めちゃくちゃ批判されたという曰く付きのエピソードが…うん、このエピソードに関してはもう容赦なく批判させてもらいます。


まず何が問題といって丈瑠、流ノ介、茉子、ことはの4人がことはを助けるために人の道から外れたことをしようという展開にしてしまっていることです。
そして2つ目の問題はそれを源太が別の方法であっさり回避してしまったことで、そこまでの丈瑠たちの葛藤が軽いものになり、有耶無耶にされてしまったことにあります。
前回の源太もそうだったんですが、この2クール目で改めて問おうとしたのは「侍としての覚悟」「殿と家臣」といった彼らの関係性に関する部分でしょう。
家臣たちが「ことはを助けたいから外道を働く」というのをあっさり決めている時点で問題ですが、さらなる問題はそれを丈瑠が1人で背負いこもうとしていることです。


他に助ける方法がないのかをもっと話し合った上での結論ならいいのですが、それを模索もしないでこの選択をしてしまっているせいで物凄く後味悪くなってしまいました。
確かにことはの命も大事にしなければなりませんが、だからと言って「この世に生きる人々の価値」よりも「ことは」を優先してしまうのはどうなのでしょうか
ことはの命を粗雑に扱っていい理由はないのは事実ですが、そのことと「ことはを助けるために外道を働く」は全くの別問題なので、そこをあっさりイコールにしてはいけません。
その選択をしてしまえば、「復讐」のために動くことになり、やろうとしていることが「ギンガマン」のブルブラック辺りと同様の選択です。


とにかく「丈瑠たち4人が果たしてどんな外道行為をしようとしたのか?」の部分がどうにも引っかかったので、今回の話は正直受け入れられませんでした
いくら小林女史といえどやっていいこととやってはいけないことはあるわけで、ことさらそういうことには敏感な脚本家だと思っていたのですけどね。
しかもそれだけやって、十臓まで再登場させておきながら、それを源太のギャグ成分で上書きというのは最悪な印象しか残りません。
なんというか、物凄く苦味のある料理を食わされた後にいきなり胃に重たいデザートが来た感じで、明らかに食い合わせが悪いです。


そもそも「4人が外道に走っていいのか?」というのは十臓のキャラも含めて、終盤への伏線とするつもりだったのでしょう。
しかし、そのためにことは以外の4人をあっさり闇落ちさせようとするというのはどうにも葛藤として微妙です。
また、ギャグで上書きすることに関しても、本作はそもそもギャグで上書きして「はいそうですか」で済む世界の話じゃないんですよ。
ギャグを入れるのは構いませんけど、本筋を大きく阻害してしまうようなギャグは本作の世界観では控えるべきだったかと。
せめて「カーレンジャー」「ゴーオンジャー」のような世界観だったらわかるのですけどね。


源太関連と合わせて、どうにも2クール目はできの悪いエピソーが続いており、ややグダグダ気味。
評価としてはF(駄作)であり、流石に小林女史だからと言って今回の失態を見逃すわけには参りません。

 

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