明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)1・2話感想

 

 

第一幕「伊達姿五侍」感想


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
この世とあの世を繋ぐ「隙間」…その隙間にソフトボールを入れてしまい、取ろうとする少年。すると、そこから「ナナシ」と名乗る怪物たちがわんさか出てきて、少年の命が危うい。するとそこへ少年を逃す恰幅のいい着物姿の付き人と1人の寡黙な青年・志葉丈瑠が現れる。シンケンレッドに変身した彼は圧倒的な剣術でナナシ連中をバッサバッサと切り捨てる。しかし、もうすぐ外道衆の本格的な目覚めが近いと睨んだ付き人の日下部彦馬は丈瑠と共に戦う宿命を抱えた4人の侍を招集しようと提案する。躊躇する丈瑠だが…。


<感想>
さて、「ジェットマン」だけではなんか寂しいので00年代戦隊からも1つ候補を…ということで早速「シンケンジャー」も同時進行で書いていきます。
メインライターは「タイムレンジャー」以来9年ぶりとなる小林靖子女史ですが、画面的な構成でいうと「ギンガマン」をやや和風にしつつ、そこに「ジェットマン」「タイムレンジャー」的な変化球を入れている感じ。
色々見所がたっぷり詰まっていますが、見所はなんといっても4人の家臣となるシンケンジャーが集まるところで、このシーンはとにかくブルーの流ノ介が美味し過ぎます(笑)
演じる相葉裕樹氏は本作以前だと「テニミュ」を代表作として舞台畑で活躍していたのですが、本作でいよいよテレビにもデビュー、安定した演技力の高さが凄いです。


それから演技力という点でいうと、相葉氏と同じくらい芸歴がある高梨臨氏であり、この段階だとまだキャラの見えてこない茉子姐さんをうまく演じきっています。
アイドル枠の森田涼花氏も出身が京都ということではんなりとした天然さを醸し出しつつ、どこか影のある感じがまたとても魅力的で「さすがはアイドル」という感じですね。
そして、何よりも注目すべきは本作がデビュー作となる松坂桃李氏と鈴木勝吾氏…ベテラン役者や芸歴の長い人たちに挟まれていたとはいえ、全然デビューとは思えないほど自然な演技でした。
特に松坂氏は今でこそ国民的俳優として大成していますが、この当時はまだそんな予兆すらもなくまだ若干拙い感じさえします。それが特に馬に乗った時の揺れ具合に現れていますね。


それで、話の見所はというと、個人的に印象に残ったのが丈瑠が4人に向かって放った次のセリフです。

 


「最初に言っておくぞ。この先へ進めば後戻りする道はない。外道衆を倒すか、負けて死ぬかだ!それでも戦うってやつにだけ、これ(ショドウフォン)を渡す……ただし、家臣とか忠義とか、そんなことで選ぶなよ?覚悟で決めろ」


現在同時並行で感想を書いている「ジェットマン」との比較でも思うのは、「シンケンジャー」の方が1度本気で戦う覚悟があるかどうかを聞いて、各自の反応を確かめているところが違うなと。
ジェットマン」は80年代戦隊の延長線上で「お前今日から〇〇戦隊だから戦え!」と有無を言わせない形であるのに対して、本作では00年代戦隊らしくワンクッション置いているんですよね。
その上で本作ではクールに振舞いつつも使命そのものには前向きな茉子と千明、そして最初から迷いがないながらも忠義心が暴走しすぎてややズレている流ノ介とことはの天然組となっています。
まあもちろんいきなり素人を集めることになった「ジェットマン」と家系の宿命でずっと子供の頃から侍になるべく修行してきた本作とではそもそものバックボーンからして違うというのはありますが。
そして4人がすぐさま戦う意思があると確認が取れると、もう雪崩れ込むように戦いへと入っていきますが、一度着物に着替えてからの変身と名乗りの特徴が特徴的です。


「シンケンレッド・志葉丈瑠!」
「同じくブルー!池波流ノ介!」
「同じくピンク!白石茉子!」
「同じグリーン!谷千明!」
「同じくイエロー!花織ことは!」
天下御免の侍戦隊!」
「「「「「シンケンジャー!参る!」」」」」


いわゆる歌舞伎や時代劇を基にした「名乗り」は戦隊シリーズの本家本元となる「白浪五人男」への意識的な原点回帰を感じますが、4人が「同じく〇〇」というのが「家臣」という感じでいいなと。
それから、本名をきちっと付け加えるのもそれこそ「ギンガマン」以来であり、00年代戦隊ではファンタジー戦隊でもなかった「変身後の名前+変身前の名前」という名乗りも復活しました。
そこからの重々しいアクションなどもやはり90年代までの戦隊シリーズが持っていた「宿命の重さ」を抱えての戦いを表現していて、この第一話から既に本作が提示する「アンチ00年代戦隊」を感じます。
「ヒーローになることを軽く考えるな!」という作り手の意思を強烈に感じるところであり、やっぱりヒーローとは「使命」を抱えていて、それを受け止めて乗り越えていくものだと思うのです。


ただ、ここまでは完璧だったのですが、その後の等身大のアクションはややテンポが悪い(個人武器を見せてるからね)のと、第一話で巨大ロボ戦まで見せる関係でかえって物量を詰め込みすぎと感じました。
本作が徹底した「和風」なのに「秘伝ディスク」「ウォーターアロー」「ヘブンファン」「ウッドスピア」「ランドスライサー」と中途半端に英語を使ってしまっているのも良くなかったですね。
それから、物語の流れとは関係ない個人的なツッコミどころで、リアルタイムから誰も指摘しないので言いますが、流ノ介が前半にやってたあの歌舞伎の舞台は歌舞伎じゃなくて能や狂言用の舞台だよ!
能・狂言と歌舞伎はまた違いますから…一応歌舞伎も能・狂言も見たことがある身としては、フィクションとはいえあの舞台が「歌舞伎」として表現されていたことが気になります。


総合評価はA(名作)、冒頭から名乗りの部分までは完璧な流れだっただけに、その後のアクションと巨大ロボ戦がいまいちテンポが悪く、どうにかならなかったのかと。
無理して第一話の段階で巨大ロボ戦まで入れなくてもいいのに……思えば「ジェットマン」と見比べた時の差はやっぱり「物量を適切にテンポよく詰め込めているか?」だと思います。


第二幕「極付粋合体」感想


脚本:小林靖子/演出:中澤祥次郎


<あらすじ>
本格化した外道衆との戦いで一緒にシンケンジャーとなって戦う流ノ介たちであったが、戦いに対する姿勢やモヂカラの扱い、剣術の練度などには大きな差があった。特にやや不真面目で感じの悪い千明と険悪なムードになると、丈瑠は容赦無く戦力外通告を行ってくる。殿に対する態度を決めかね議論していた3人だったが、ことはの真っ直ぐさに絆される形で一旦まとまった。しかし、そんな4人のつながりですらもアヤカシは凌駕し、再び4人の家臣と丈瑠の間に心の溝ができるが、その真意をことはだけが理解する。


<感想>
とりあえず5人揃ったはいいものの、戦いは想定していた以上に厳しいものであった…そんなことを実感させる第二幕であったと思います。
もう今回の話に関してはシンケンレッドの以下の言葉に全てが集約されているのではないでしょうか。

 


「一生懸命だけじゃ人は救えないッ!!」


これです、もうね、前作「ゴーオンジャー」までの00年代戦隊シリーズの作風を全てこの一言で一蹴するかのように丈瑠が言い放ってくれました。
そう、どれだけ綺麗事を言っても理想論を紡いでも、敵を相手にきちんと戦える力がなければそれは単なる「やる気のある無能」でしかありません。
第一幕で丈瑠が言い放った「最初に言っておくぞ。この先へ進めば後戻りする道はない。外道衆を倒すか、負けて死ぬかだ!」は単なる脅しじゃなかったのです。
4人がやってくるまでずっと1人で外道衆と戦い続けていた殿だからこそ、どれだけ厳しく重たい戦いであるかを理屈ではなく感覚で理解しているのでしょう。


最初に見たときはどうしてレッドばかりを贔屓する展開なんだろうと思ったのですが、そうではなく家臣たちに「戦場の狂気」を肌身で知ってもらうためなのだなと。
前半で真っ直ぐで健気なことはを中心にそれまで丈瑠を様子見していた(約1名毛嫌いしていた)家臣たちがまとまるシーンを描きつつ、それすらも後半で奈落の底へ突き落とす前振りだったのです。
つまりうわべだけの友情ごっこで戦いに勝てるようなら苦労はしない、外道衆との戦いに勝つためには1人1人がその使命の重さや戦場の狂気を理解するしかないのだということを伝えています。
これは頭でわかっていてもなかなか実感の持てないものであり、それを2段階かけてまず1話で忠告を入れうまく行ったと見せておいて、2話で実戦の厳しさを実感させる構成にしているのです。
だからこそ、剣術に対して真っ直ぐでシンケンジャーとしては一番非力なはずのことはこそが実は真っ先に殿が伝えようとしている真意をきちんと理解していました。

 


「誰も守れへんかったら意味ないもん」


この一言にことはの全てが詰まっていて、どれだけ綺麗事を言って御託を並べても、結果を出せなければ無意味です。
これは現実のビジネスも一緒であり、どれだけ理想が高くて人格が良かったとしても、それにビジネススキルが伴ってなければ結果は出せません。
まさに1人でずっとシンケンジャーの使命を背負って戦い続けた殿と、所詮はうわべだけでしかシンケンジャーの使命をわかっておらず甘さが残っていた4人との違いなのでしょう。
そしてだからこそ、戦いの後に殿がことはに優しく「お前は強かった」とかけた言葉と表情が優しくて、これは決して綺麗事じゃなく1人だけ折れなかった芯の強さを評価しています。
まあ終盤までの展開を知った上でみると、ある意味丈瑠とは正反対のところにいるからそことはのそういう純真さに丈瑠がこっそり憧れていて敬意を示しているというのはありそうですが。


それからもう1つ気づいたんですが、何気なく前半のシーンで千明が食っていたおでんがまさか巨大ロボ戦のおでんに繋がってるとは思いませんでしたよ(笑)
「俺、余ってるだろ」のセリフや構成からもこれ自体が伏線になっているのですが、もう1つ千明のおでんがこのおでん合体につながっていたということでしょう。
まあ最終的に4人とは若干距離は縮まったものの、まだ完全に歩み寄り切っているわけではない、というところも見ていて感じ取れたところです。
最終的に色々やらかしや失言があった流ノ介が半裸で水浴びで、周囲はドン引きで帰るというあのオチはかなり秀逸でした。


今回、改めて「ジェットマン」と同時進行で感想を書いていて気付いたのですが、戦いにおいて「どれだけ準備していたか?」は大事ですね。
ジェットマン」では事情が事情だけに仕方ないとはいえ、敵の襲来に味方があたふたして不完全な中で戦わざるを得ませんでした。
それに対して本作では、丈瑠が既に実戦を経験済みであり、4人も丈瑠ほどではないにしても実戦投入しても大丈夫なようには準備していました。
ちなみに「ゴレンジャー」「サンバルカン」「チェンジマン」「オーレンジャー」「ギンガマン」辺りも臨戦態勢で準備していたのでバッチリです。


00年代戦隊も「デカレンジャー」「ボウケンジャー」のように「お仕事」としてやっている戦隊を別とすれば、「素人なのにいきなり戦える」ことが多いんですよね。
大体は「スーツ性能のおかげ」とされがちなんですけど、それだけではなく「どれだけスーツ性能が優れていても、使い手が未熟者だったらだめだ」ということでしょう。
井上敏樹先生にしても小林靖子女史にしても、作風やアプローチは違えど「力を持っていることがヒーローであることの条件ではない」と考えているのは同じのようです。
その上で「真の強さとは何か?」「ヒーローとは何か?」「戦隊とは何か?」を常に考えながら描くところが、私がこの2人の作風の好きなところだと感じます。

 

総合評価はS(傑作)パイロットとしてここで面白くしてきました。

 

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