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スーパーロボット大戦30周年企画・ロボアニメレビュー6作目『勇者ライディーン』(1975)

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B00005HVM1

本作はこれまでレビューしてきた「マジンガー」「ゲッター」のダイナミックプロとは機軸の違うロボットアニメとして制作されました。
初の総監督に抜擢された富野監督に五武冬史先生、さらに後半では長浜監督も入るなどロボアニメ史において新しい動きがあった作品です。
スパロボシリーズでもお世話になることが多く、特に「IMPACT」での原作再現が個人的には凄く印象に残っていました。
勇者ライディーンとひびき洸をはじめ、永井豪先生や石川賢先生のダイナミズムとはまた違った作風のロボアニメが誕生しました。


スパロボシリーズでいうと、やはり印象に残るのはゴッドバードとゴッドボイスであり、この武器は確か「第四次スーパーロボット大戦(S)」では10回しか使えないんですよね。
なんでそんな面倒臭い設定になっているのかと思ったのですが、原作となる本編のゴッドボイスを見ると、「ああうん…」となりました、多用しすぎて御免なさい。
それから長浜ロマンの特徴となる大河ドラマも後半からは取り入れられていて、「母性」の象徴である洸の母・レムリアの設定周りは独特の神秘性があります。
いわゆる「ボルテスⅤ」の「父性」とはまた違ったエロチシズムというか、そういった女性ならではのものというのが他の作品とは違っていたところではないでしょうか。


それから長浜ロマン三部作や富野ガンダムにも受け継がれていく「美形悪役」としてのシャーキンの存在というのもまた大きいものだったと思います。
こういう主人公とタメを張るライバルキャラの存在は作品をより引き締めてくれるものであり、主人公の存在感が敵によってより鮮やかに際立つものです。
ただし、本作を見る限りでは成功したとはいえず、色々と「惜しい」作品であったことは事実であり、個人的には色々と物足りない作品となりました。
ロボアクション・ストーリー・キャラ・世界観などなど全てにおいて試行錯誤の跡がうかがえる本作の何がどう魅力的だったのでしょうか?

 

 


(1)「マジンガーZ」「ゲッターロボ」とは異なるファンタジックな古代ロボット


本作独特の設定といえば、やはりライディーンのデザインと設定にあって、「マジンガーZ」「ゲッターロボ」とは異なる機軸のロボットは本作が初めてです。
操作方式は人機一体型であり、これ自体は「ジャンボーグA」でもやっているのですが、後の「闘将ダイモス」「Gガンダム」にも継承されています。
そのため、ライディーンはひびき洸以外には扱うことができず、この「唯一無二のパイロット」という設定がライディーンの神秘性を高めているのです。
「グレンダイザー」の記事では触れ忘れていましたが、実は主人公しかそのロボットに乗れない理由を初めて合理化したのはこの辺りのロボアニメでしょう。


というのも、マジンガーZは「祖父が残した遺産」だから兜甲児が乗っていて、グレートマジンガーも戦闘訓練を受けたから鉄也が乗っています。
また、ゲッターロボゲッターロボGのゲッターチームもその機体を乗りこなせるスペックの持ち主たちだから乗っているのです。
しかし、これらはあくまでも「操縦技術と適性があれば誰でも乗れる」ロボットであり、別に兜甲児たちしか乗りこなせないわけではありません。
主人公たち以上に腕の立つパイロットがいればそれでいいことになるわけであって、この辺りは同じ富野監督の「ザンボット3」で描かれることになります。


この点、グレンダイザーはフリード家の血筋の者しか操縦することはできず、したがってデュークフリードかマリアのどちらかが操縦できることになっています。
しかしこれでもまだデュークフリード以外に乗れない理由にまではなっていないのであり、そこを完全に克服したのが本作に登場するライディーンなのです。
ライディーンは正真正銘地球人とレムリア人のハーフであるひびき洸しか乗りこなせない設定となっており、要するに「血筋」の設定をより強固に裏付けています。
また、操縦者の意思で機体性能などがやや変わったりすることもあるオカルトロボとしての側面もあり、その点もまた大きなロボットだといえるでしょう。


それから、ゲッタードラゴンのシャインパークを継承したゴッドバードやバードモードへの変形機構、シールドを併せ持って戦うロボットの開祖ともいえます。
ロボアクションで見ても変化した部分があり、さらに終盤ではリスクを払ってのゴッドボイスなど、70年代のロボアニメでもかなり独特の位置にいるのではないでしょうか。
まああまりにも独特すぎて、長浜ロマンにもダイナミックプロにも、そして富野ガンダムにも加われないというのがスパロボの扱いでは寂しいところでもありますが(笑)
とにかく、今見直しても非常に洗練された設定とフォルム、そしてアクションであり、70年代の中ではダントツにかっこいいロボットだといえます。


(2)いまいち何がしたかったのかわからないシャーキン


2つ目に、本作からしばらく継承されていくことになる「美形悪役」の元祖であるシャーキンですが、個人的にはぶっちゃけ何がしたかったのかよくわかりません
これはのちのガルーダやハイネル、リヒテル、そしてシャアがとても完成度が高かったこともあるのでしょうが、シャーキンはまだキャラの方向性が固まりきっていなかったことが伝わります。
悪魔世紀復活を目論んで、失敗してはバラオに苦しめられるという描写が多いこともあってか、どちらかといえば間抜けなキャラクターという印象が強いです。
砂場金吾としてひびき洸の学校に侵入するなどの情報戦で暗躍していますけど、これも正直何がしたかったのかよくわかりませんでしたしね。


そして何よりも微妙だったのが後半になって明かされる実はラ・ムーの血筋の者であり、洸とは本来味方同士の関係性にあったという設定であり、後付けにしても唐突な感じは否めません。
おそらく設定自体は当初からあったのだと思いますが、作品中の中でそれを伏線として貼っておくとかそういった活かし方がいまいちうまく出来なかった感じです。
また、ひびき洸とは結局「兄弟」なのか「いとこ」なのかもよくわからず、後半に出てきたレムリアとの関係もうまく繋がらないまま終わってしまいました。
まあこれは後の長浜ロマンの集大成である「ボルテスⅤ」が肉親のドラマとして完璧過ぎたのもあるのでしょうけど、企画の段階で脚本家・演出家・総監督のコンセンサスが取れてなかったのでしょうね。


そのおかげでシャーキンというキャラクターのビジュアルやラストのライディーンとの一騎打ちは印象に残っているのですが、シャーキン自体のキャラはいまいち奥行きや深みがありません
初期設定の段階からあまりキャラクターそのものを掘り下げられなかったのかもしれませんが、どうにもこの辺りは後続作品の方がより洗練されたものを打ち出している印象です。
まあこれはシャーキンに限らず、妖魔帝国という組織自体にもいえることで、富野監督をはじめ作り手の中では「古代から蘇った敵組織」程度の漠然としたイメージしかなかったのでしょう。
ひびき洸との因縁を今ひとつ構築しきれず、結果としてドクターヘルと機械獣軍団や恐竜帝国を超えるほどの敵組織にはなり得なかったことが本作最大の欠点です。


(3)後半の路線変更とレムリア


さて、そんな本作ですが、27話を最後に富野監督は演出の方へと降ろされてしまい、後半では長浜忠夫監督が総監督として入り始め、いわゆる「長浜ロマン」の物語となります。
これに関しては賛否両論ありますが、個人的にはとても面白くなった部分と同時に、どうしても納得いかない部分との両方があり、なんとも評価は微妙です。
まず面白くなった部分としては、レムリアをはじめとした「母性」を前面に押し出した作風によって、ライディーン自体がどんどん神秘性を帯びていくところにあります。
洸のキャラクター自体もそれに引っ張られるようにどんどんしっかり者になっていって、まるで成長したかのように見えてしまうから不思議です。


ただし、納得いかないのがシャーキンが倒された後すぐの巨烈兄弟との対決エピソードで起こった「奇跡」であり、これに関しては流石にやってはいけなかったと思います。
というのも、このエピソードでは巨烈獣とライディーンは完全に相打ちとなって死亡してしまうのですが、何の前触れもなくライディーンの神秘の力が発動して復活してしまうのです
これはさすがに私も見ていて「え!?何でこうなるの!?」となってしまい、「ガオレンジャー」「ゴセイジャー」でファンから批判された「奇跡の乱発」の元祖が起きました。
何をやっても神秘の力が発動して復活できてしまうのであれば、敵がどうあってもライディーンを倒しようがなくなってしまい、流石にこれはやってはいけません。


まあ後にも先にもライディーンが奇跡を発動したのはこの1回だけでしたが、そんな奇跡を発動するなら発動するで、きちんと布石を貼っておいて奇跡が起きるようにすべきでしょう。
私はヒーローものの奇跡を否定こそしませんが、描くのであればきちんとその前段階というか段取りを行って、ライディーンと洸が復活するエピソードを1話かけて描くべきでした。
そして終盤のレムリアですが、彼女の存在はかなりエキゾチックですが、ストーリーの本筋にうまく関わっていたかというと、今ひとつであったと思います。
レムリアを犠牲にした上で最後はバラオに勝てたというのは別に構いませんが、もう少し大筋を絡めて肉親のドラマをもっとしっかり組むべきであったかなと。


どうしてもライディーンとひびき洸、バラオ、そしてレムリアの関係性とがうまく繋がらなかったので、この辺りは後続作品へ残った課題でありましょうか。
ラストのトドメの刺し方とかはすごく好きで名場面も多いのですが、もっと伏線を張ってしっかりドラマを展開すればもっと面白くなったであろうにと思うのです。


(4)長浜ロマンおよび富野ロボアニメへの試金石


さて、そんな本作ですが、結果としては後々続いていくことになる長浜ロマンおよび富野ロボアニメへの試金石といった方がいいのではないでしょうか。
シャーキンとライディーンを中心にして、魅力的な要素はいくつも転がっているのですが、物語の流れの中でそれをうまく転がしきれていない感じでした。
たとえるなら、一級品の建築材料を揃えておきながら、きちんとした立派な家を建てられず変なデザインの家ができてしまったという印象です。
これは路線変更をしたからとかではなく、リアル路線の前半もファンタジー路線の後半も出来自体は五分五分といった感じでした。


はっきりと言ってしまえば、洸たちのキャラクターをしっかり立てきれなかったところが本作の敗因ではあったかなと思うのです。
シャーキンにしてもバラオにしてもレムリアにしても、サブキャラクターたちにしても、どうにも愛着のわくキャラクターがいませんでした。
後年、富野監督が神谷明氏との対談の中でライディーンの前半では洸たちの日常シーンを意識的に入れたということを語っています。
しかし、それがキャラクターの掘り下げや作品全体の魅力につながっていたかというと、個人的にはイマイチな印象です。


別に日常シーンを入れたからキャラがリアルになるわけでもないし、むしろ序盤では日常シーンが戦闘シーンの邪魔にしかなっていませんでした。
せっかく戦闘に入ったと思ったら、そこでマリをはじめとする同級生たちのわちゃわちゃが入ってきて、かえって緊張感が阻害されてしまいます。
それからアイドル系のマリとクール系の明日香の書き分けも今ひとつうまくいかず、どのキャラクターも「嫌いではないけど好きでもない」というのは評価しづらいです。
これならまだ後半〜終盤でうまくもり返した「グレンダイザー」やお隣の「ゲッターロボG」の方がまとまっていたといえます。


(5)「ライディーン」の好きな回TOP3


それでは最後に「ライディーン」の好きな回TOP3を選出いたします。

 

  • 第3位…49話「バラオ最後の賭け」
  • 第2位…30話「怪力ガンマー脳天つぶし」
  • 第1位…9話「恐怖!マンモーの冷凍作戦」


まず3位は神宮寺の特攻シーンの壮絶さと同時にバラオとライディーンの戦いとの苛烈さを非常によく描けていた実質の最終回です。
次に2位は路線変更による一部のキャラの戦力外通告がありながらも、ダンの母の洸に対する心情描写がよく描けていました。
そして堂々の1位は序盤の傑作回としてよくできてた回で、ライディーンと洸の存在価値をしっかり結んだのが秀逸です。


全体的にはまずまずの回が多い本作ですが、面白い回が決してないわけではないので、この3本が特に印象に残りました。


(6)まとめ


マジンガーZ」「ゲッターロボ」と意識的に違う設定や作風を志向しつつも、本作はそれらが完璧には結実しませんでした
魅力的になる要素はいくつも持ちながら、それらをフルに生かしたドラマができなかったのは本作の致命的なところでしょう。
しかしそれでもロボアクションに関してはまあまあできている部分もあり、全てが悪いわけではありません。
長浜監督も富野監督も本作を反面教師として、後続作品とつなげていく、その第一歩となった作品ではないでしょうか。
総合評価はC(佳作)、まあまあの出来ですが、個人的にはもっと凄みのあるドラマを見たかったです。

 

 

勇者ライディーン

ストーリー

D

キャラクター

D

ロボアクション

B

作画

A

演出

B

音楽

A

総合評価

C

 

評価基準=S(傑作)、A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)