明日の伝説

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「孫悟飯」とは何者だったのか?彼が主人公になり得なかった理由

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B08NV83WRD


さて、スーパー戦隊シリーズで書きたいことがひと段落したので、しばらくは他のジャンルも語っていきましょう。
今回はジャンプ漫画「ドラゴンボール」に出てくる孫悟空の息子・孫悟飯(おじいちゃんじゃない方)について語ってみましょう。
映画「神と神」が始まって約10年近くが経過していますが、DBファンの中では「孫悟飯をもう一度活躍させてくれ」との声があります。
それも「主役の悟空ベジータを差し置いてメインに躍り出る」というレベルの活躍を望んでいるのですが、残念ながら実現していません
そこで本稿では改めて「孫悟飯とは何だったのか?」について、原作漫画からアニメまで含めて広く深く考察していきましょう。
かなり辛口というか批判的な評価も含んでいますので、悟飯ファンの方にとってはかなりきつい部分の多い記事になるかもしれません。

 

 


(1)孫悟飯とは何者か?


結論から言えば、孫悟飯とは「没個性の象徴」であると言えるのではないでしょうか。
早速ファンの方々からお叱りを受けそうですが、でも実際に原作漫画・アニメの「Z」「GT」、更に「超」まで総合的に判断するとここに帰結します。
まず「孫悟飯」という名前からして個性がまるでなく、この名前自体が主人公・孫悟空が育ての親・孫悟飯からそのまま取って付けた名前です。
つまり亡き育ての親の忘れ形見を我が子に押し付けていることになるのであり、名前の時点で既に悟飯は没個性であることを宿命づけられていました。
浮世離れした武道家の父親とヒステリックな教育熱心の母親に挟まれ、悟飯はストーリー開始から壮絶な大人のエゴに振り回されることになります。


(2)いきなり尖兵として駆り出された少年兵


まず悟飯が戦うことになったのはサイヤ人編のラディッツ戦、ここで悟飯は父・悟空が実の兄のラディッツに痛めつけられ、更に人質にまでされます。
そこで「お父さんをいじめるなー!!」でブチ切れてしまい、瞬間的に戦闘力1,000以上を発揮してラディッツをたじろがせてしまうのです。
すなわち「悟空以上の潜在能力を発揮し、キレると何をしでかすかわからない」が悟飯の専売特許にして個性らしい個性だと言えるでしょう。
しかし、この特性はその後セルゲームで1つのピークを迎えるまで度々使われる悟飯の爆発力ですが、あくまで一時的な劣勢回避としてしか機能しません。
ではなぜこれが悟飯の個性として機能するのかというと、悟飯は尖兵として駆り出された少年兵だからであり、本人の意思とは無関係に戦いに赴くことになります。
いきなり目の前で父親が死んでピッコロにサバイバル生活を強いられ、しかも修行を積んで戦いに出たのに目の前で仲間が次々と死んでいくのです。
これが「ドラゴンボール」の世界観・ストーリーでなかったとしたら悟飯はこの時点でPTSDかそれに類似した病気にかかってもおかしくないでしょう。
特にラディッツ戦での父親の死、そしてナッパ戦での恩師の死という形で悟飯は自分の無力さで大事な人を二度も失ってしまっているのです。
また、その間にヤムチャチャオズ天津飯も他界していますから、悟飯は何と4〜5歳の時に目の前で頼りになる大人たちを5人も失ったことになります。
これはそのまま悟飯の個性として今現在の「超」に至るまで尾を引くことになってしまうのです。


(3)親のエゴに振り回される可哀想な子供


そのトラウマを味わった後で、今度はクリリン、ブルマと共にナメック星に旅立つことになりますが、ここで悟飯は両親のエゴに振り回されます。
ベジータ戦で瀕死の重傷を負いった悟空は地球のドラゴンボールを復活させるためにナメック星へといたいのですが、そうは問屋が卸しません。
何とここで妻にして悟飯の母・チチが「行かせない、勉強が大事だ」と教育ママな態度を取るのですが、ここで悟飯は「うるさい」と怒ってしまうのです。
チチは「悟飯ちゃんが不良になっちまっただ」とショックを受けますが、正確には不良になったのではなく精神の糸が切れる寸前だったのでしょう。
灰汁の強い両親に振り回され、勉強するのが正しいのかナメック星に行くのが正しいのかわからず、しかも壮絶な戦いで大事な人を失った直後です。
悟飯の精神はとっくに限界を迎えており、しかしそれを受け止めて冷静に判断して立ち直れる程大人ではないのでああやって感情的にキレるしかありません。
あの「うるさい」のブチ切れはそんな悟飯の心の悲鳴であり、現実の家族ならこの時点で家庭崩壊してもおかしくないぐらいに危うい状況です。


(4)悟飯は戦いが嫌いな少年か?


こんな風に見て行くと、悟飯はとても悲劇的な運命を背負った暗い少年時代を過ごしていたと言えますが、では悟飯は戦いが嫌いな少年なのでしょうか?
確かに悟飯はセルゲームで「本当は戦いたくない、殺したくない」と口にしていて、ここだけを切り取ればいかにも仕方なく戦っているように見えます。
しかし、いざ激怒して超サイヤ人2に覚醒すると容赦なくセルジュニアを殺し、さらにセル完全体を痛めつけて「もっと苦しめ」みたいなことを言うのです。
完全にドSないじめっ子の発言ですが、ここまで見て行くと本当に悟飯は戦いが嫌いな少年なのかという疑問が湧いてきます。
ここに至る前に悟飯は一度フリーザ相手に「お前なんか死んじゃえ」とブチ切れて圧倒するシーンがありますが、これが悟飯の潜在意識でしょう。
そう、悟飯は正確には「戦いが嫌い」なのではなく、「求められれば戦うが、怒ると自分をコントロールできなくなるのが怖い」なのです。
実際、体を動かすことも武道も嫌いではありませんし(本当に嫌いならそもそも戦わない)、必要があれば悟飯は率先して戦います。
高校生になって誰にも求められていないのに正義感から首を突っ込んでやっていたグレートサイヤマンなどは自発的に動いているのです。
しかし、それはあくまで「サタンシティの平和を守るため」という治安維持のためであり、あくまで社会貢献の一環としての活動でした。
つまり、悟飯の場合は「大事な人を失いたくない」「平和を守る」といったごく一般的なヒーローの正義感をベースに戦っているのです。
実際ダーブラ戦もブウ戦も悟飯は地球の平和を守るために戦っており、戦うに十分な理由と状況があれば悟飯はいつでも戦うことができます。


(5)悟飯は本当に学者になりたかったのか?


さて、ここでもう1つの疑問は青年期以降の悟飯の特徴である「学者になりたい」ですが、これは悟飯自身が望んだことなのでしょうか?
というのも、原作・アニメを通した全ての媒体で悟飯が具体的に何の分野の学者で、何のために学者になるのかは掘り下げられていません。
また、その学者としての知識・知恵や頭の良さといったものを戦闘に活かした試しがなく、戦いは直感に任せた力押しのスタイルです。
学者というなら、例えばブルマやブリーフ博士、ドクター・ゲロに代表される「科学者」のように何の分野の学者か示されてもいいでしょう。
ところが、悟飯はその辺が全く描かれていないので説得力に欠け、しかもこの目標自体が幼少期からチチに刷り込まれた価値観に由来します。
ドラゴンボール」連載当時は高度経済成長の価値観を引きずっており、「勉強していい大学に入りいい会社に就職する」のがモットーでした。
それが主流の価値観であり、チチの異様なまでの教育ママとしての固執ぶりや悟飯の勤勉さも当時の世相を反映したものと言えます。
当然悟飯はチチの言うことが本当に正しいのかどうかを検証しないでしょうから、それを鵜呑みにしたまま大人しく勉強を続けるのです。
つまり、悟飯は戦いのみならず勉学においても結局「必要に迫られたから」であり、自主的にその道を選んだとは言えないでしょう。
原作やアニメも含めて悟飯が本当にやりたいことが学者であるというのをまともに掘り下げたエピソードはどこにも存在しません。
今後もおそらく掘り下げられることはないでしょうから、これ自体も物語の中で有効に機能しているとは言えないのです。


(6)個性をスポイルしてしまった青年期以降の悟飯


このように、あくまでも「孫悟空の息子」であること以上の個性を持たず、さして内面が深掘りされていなかった悟飯。
そんな彼のキャラがスポイルされてしまったのがハイスクール編〜魔人ブウ編にかけての話でした。
ここで悟飯は少年期に持っていた個性を全部喪失してしまい、ただ強いだけの普通の青年となってしまいました。
髪型もヤムチャっぽくなり、誰にも求められていないのに治安維持と称してグレートサイヤマンというダサいヒーロごっこを始めます。
もうこの時点で鳥山明先生の迷走が伺えますが、駄目押しの決定打となったのが魔人ブウ編以降で見せた展開でした。
ここで悟飯は「修行サボって弱体化し、超サイヤ人2の力を喪失した」為に老界王神の潜在能力開放(アルティメット)に頼ることになります。
しかし、このアルティメットこそ悟飯の没個性ぶりにトドメを刺した元凶であり、それは今日に至るまで負債となり続けているのです。


(7)ズルをして得た力では勝てない


通称「アルティメット」と呼ばれるこの形態ですが、いわゆる超サイヤ人に変身せずとも超サイヤ人3を超越するお手軽変身です。
しかも方法はとても簡単で、老界王神の変な儀式を座って見ているだけで簡単になれてしまうというものでした。
これだけ聞くと凄そうですが、努力と修行をモットーとするDBの世界観で安易な道に頼った者は痛い目に遭います
案の定、悟飯は最初こそ圧倒したものの、ゴテンクスを吸収したブウによって圧倒され、無残にも吸収されてしまいました。
結局ポタラ合体・ベジットのためのかませ犬だったのですが、なぜこうなったのかというとズルをかまして得た力だからです。
本来なら儀式によって得た力をまず己のものとして吸収し、実戦で通用するレベルに慣らすための修行・訓練が必要になります。
それすら行わないまま見切り発車で戦って勝てるほどブウは甘い相手ではなく、ここで悟飯は完全に戦士として失脚してしまいました。
その後結局悟空とベジータの2人が中心となって決着がつくのですが、DBという作品のツケを悟飯は背負わされた形となったのです。
そしてそれを修正できないまま、ずっとジリ貧の状況が続いているのが「GT」「超」以後の悟飯だといえるでしょう。


(8)主人公にはなれない器


こう見ていくと、悟飯は結局「主人公にしてしまったことで個性をスポイルしてしまったキャラ」と言えるでしょう。
悟飯の全盛期はセルゲームでの大活躍であり、ファンはここを「世代交代」と称する向きもあるようです。
しかし、実際には世代交代などでは断じてなく、単にその時セル完全体を倒せる可能性があるのが悟飯だったに過ぎません。
もしこの時に超サイヤ人3なりゴッドなり、悟空を強化する代替案があれば鳥山先生は迷わず悟空にセルを倒させたでしょう。
ただ、悟空の場合超サイヤ人覚醒でやってしまったブチ切れパワーアップをフリーザ戦で使ったので同じ手は使えません。
だからこそ、悟飯の持つブチ切れによる潜在能力覚醒に頼るしかなく、その時は確かにそれ以外の方法がなかったのです。
しかも悟飯はそのセルゲームまでに自ら物語を動かしたことはなく、ほとんどはベジータ親子とピッコロが動かしていました。
つまり悟空たちのお膳立てがあったから悟飯は活躍させてもらえたに過ぎず、あくまで脇役だからこそあの活躍が光ったのです。
悟飯は「物語に動かされるキャラ」であって「物語を動かすキャラ」ではないので、悟空やベジータのような推進力はありません。
まさに大人たちのエゴに振り回され、個性の確立に失敗してしまった悲劇の産物にして没個性の象徴、それが孫悟飯のキャラです。