明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズ第39作目『手裏剣戦隊ニンニンジャー』(2015)

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/4065095263

スーパー戦隊シリーズ第39作目『手裏剣戦隊ニンニンジャー』は前作「トッキュウジャー」の成功を受け、3度目の忍者戦隊として作られました。
キャッチコピーが「忍ぶどころか暴れるぜ!」であり、まあ要するに「カクレンジャー」「ハリケンジャー」と大差ないレベルの作品なわけです。
まあ前作「トッキュウジャー」が一見はっちゃけた能天気ギャグ路線と見せておいて、後半でとんでもない重量の球を放り投げてきましたからね。
だから同じ路線をやるわけにはいかないと、いわゆる「カーレンジャー」「ゴーオンジャー」みたいなギャグ・コメディ路線になったのでしょう。


2015年といえば、「妖怪ウォッチ」が一大ブームを巻き起こした年で、妖怪体操がやたらに流行った一世風靡の年だったと記憶しています。
また、悪いことでいえば、過激派組織イスラム国の台頭と日本人殺害のニュースがあまりにもショッキングであり、個人的には9.11以来のショッキングな事件でした。
そんな事件があったにもかかわらず、おちゃらけた能天気路線を行くあたりがいかにもスーパー戦隊シリーズっぽいのですが、とにかくいろいろ変化の多い年です。
ただ、個人的には本作の評価は「キョウリュウジャー」ほどではないですが、評価はとても低めかつとても好きにはなれませんでした


まず武部Pに下山健人脚本という時点で不安材料しかなかったのですが、蓋を開けてみたらものの見事に的中してしまい、もう1年間大事故を見てる感じです。
具体的にはこれから述べていきますが、どうしても最後の最後まで好感の持てる要素がなく、かといって「嫌い」と断じるほどでもありません。
まあ低評価ではあるんですが、「キョウリュウジャー」のような生理的嫌悪感みたいなものはなく、ただただ「つまらない」の一語に尽きます。
こういう作品の場合は淡々と評価すればいいので楽っちゃ楽なんですけど、相変わらずの酷評となってしまうことはご了承ください。

 

 


(1)コンセプトは「自分たちをシンケンジャーだと思い込んでるマジレンジャー」?


さて、本作を見た所感を述べるならば「自分たちをシンケンジャーだと思い込んでるマジレンジャー」ではないでしょうか。
まあこれは本作より4年後の「リュウソウジャー」で出てきた「自分たちをギンガマンだと思い込んでるニンニンジャー」という評価をもじったものですが、私は「ニンニンジャー」にもこの表現は使えると思います。
そう、やたらに和風なお屋敷のセットがあって、天晴を君主として立てながら物語が進行していくという主従関係はどこか「シンケンジャー」の殿と家臣を彷彿させるところがあるのです。
しかし、だからといって「シンケンジャー」みたいなガチガチの主従ではなく、どちらかといえば友達チックで、しかもメンバーのうち天晴の妹とかいますから、メンバー同士の関係はフランクとなっています。


そんな感じを基本構造に置きつつ、天晴が「ゴーオンジャー」以来の「バカレッド」であること、さらに「父親超え」から「祖父超え」にテーマが変わっているところからも物語の構造は「マジレンジャー」っぽいのです。
要するに本作は表向き「シンケンジャー」の設定や要素をある程度緩和して使いつつ、物語の軸に「家族」「肉親超え」を据えているところからマジレンジャー」の先を行こうとした物語であることが伺えます。
実際アオニンジャーの八雲が魔法使いであること、そして話の途中で実際にマジイエローの小津翼とのコラボレーション回があることなどを見ても、かなり意図的に狙ったものではないでしょうか。
そんなコミカルなライト路線で進んでいきつつ、終盤ではかなりシリアスな展開に発展していくあたりも実に「マジレンジャー」と似ていますが、ただ最終的に打ち出すメッセージはかなり違っていました。


それに関しては後述しますが、私は正直この世界観とストーリー、キャラクターに全く入り込むことができませんでした…まずニンニンジャーがプロフェッショナルかアマチュアかがわかりません。
原因としては天晴があまりにもバカ度が高すぎるのが大きいのですが、他のメンバーたちもプロ意識に欠ける部分があったり、そもそも戦いより就職どうこうといったりすることがあるからです。
シンケンジャー」はこの辺りすっぱりと世俗との関わりを断ち切って、1年間外道衆との戦いに専念する方針を打ち出しているので、最初からプロフェッショナル戦隊であることが打ち出されていました。
また「マジレンジャー」の小津家もプロフェッショナルではないにしても、戦いの中心にあったのが「家族の絆」であり、初期2クールはきちんと各メンバーを立てながら話を進めています。


本作の忍者たちはどうにもその辺のストーリーとキャラクターの設計が甘く、プロフェッショナルとして覚悟を持っていそうなのが天晴、八雲、霞くらいであとは全員ノリと雰囲気で戦っている気がするのです。
また、メンバー同士の繋がりに関してもガチガチの主従関係でないのはいいのですが、年間を通してやたらと天晴が持ち上げられすぎているのはとても気になりました。
まあメンバーたちから散々「バカ」と突っ込まれている上、天晴自身もそれを自覚した上で頭脳担当を他に任せることができている分完璧すぎて嫌なやつだったどこぞのキング様よりはマシですけどね。
ただ、それでも私はいわゆる「バカレッド」の系譜自体がそもそもあまり好きではないし、ましてや長男かつリーダーという立ち位置のやつがバカだと周りも全員バカっぽく見えるのが厳しいです。


敵組織の久右衛門らもデザインはいいですし、衣装や台詞回しなどはなかなかに凝っているのですが、それでもやはり血祭ドウコクや薄皮太夫、不破十臓の威厳や完成度にはまるで及びません
味方側がコミカルなやつなら敵もコミカルに描けばいいのに、本作では味方側がコミカルなのに敵がシリアスなものだから、その辺りも作風としてチグハグで一貫性を感じませんでしたね。
要するにギャグとして描きたいのかシリアスとして描きたいのか、どちらかに絞ればいいものを両方やろうとするから最終的に「二兎を思うもの一兎をも得ず」になってしまうのです。


(2)親子三世代というコンセプトを全く活かしきれてない構成


さて、本作の大きな特徴として「親超え」ならぬ「祖父超え」がテーマにあり、最終的にアカニンジャーが3人勢揃いしますが、これが上手くいったのかといえば完全に失敗です
当時はその親子三世代の物語というコンセプトから「ガンダムAGE」との類似が指摘されていましたが、あちらは未見なので比較こそしませんが、まあ旬なものなのでやりたかったのでしょうね。
ただ、親子三世代として描かれたとはいえ、まず父親の旋風があまりにもニートのダメ親父すぎて好きになれない上、忍タリティを取り戻したら普通に活躍していたのです。
ずっと修行を続けていた天晴たちの努力を明らかに愚弄する描写でしかないのですが、これだと結局「才能」が全てということになってしまわないでしょうか?


もうこの父親の旋風がきちんと描写できていない時点でダメなのですが、もっとダメな本作最大のガンが祖父である好天であり、好天に関してはマジで教祖としか思えない気持ち悪さを感じます。
散々自分の都合で天晴たちを引っ掻き回しておきながら、わざとらしくビデオメッセージを仕込んでおき、「ラストニンジャになるために頑張れ」みたいなことを言い出すのです。
おそらく作り手としては「すごく厳しい師匠だったけど、実はとても孫思いのいい師匠」という風に描いたつもりなのでしょうが、個人的には「ダイレンジャー」終盤の導師以来のクソキャラでした。
導師も導師で終盤は自分の都合でダイレンジャーを解散させ、オーラチェンジャーと天宝来来の珠を強制没収という司令官の風上にも置けないことをしてましたが、好天はそれ以上のクズです。


導師があんな真似をした理由はシャダムとの勝負に勝ってゴーマを内部から穏健派のいい組織にしようという狙いがありましたが、好天に関してはそういう最低限の行動目的すらありません
ひたすら自分の都合でラストニンジャになることを孫たちに強制し、挙げ句の果てには天晴たちが自分を超えていくようにビデオメッセージで仕向けているのです。
よく言えば「大局を見据えている」とも言えるのですが、本作の場合はストーリーからキャラから一貫性がないためにただその場しのぎのいいこと風を言って自分のダメさを糊塗しようとしているように見えます。
挙げ句の果てに天晴たちが自分たちのやり方でラストニンジャになることすら見抜いていたことになるので、最終的に「運命を変えたようで変えていない」ことになってしまうのです。


つまり天晴たちは最後の最後まで好天というダメ師匠を超えられなかったことになるのですが、それが作品としてのカタルシスに繋がっているのかというと全くそうではありません。
確かに祖父を超えるのは簡単ではないでしょうし、運命だって変えたつもりで変えられていないというのも「大人の世界のシビアさ」を教えたつもりなのでしょう。
しかし、そんなハードなテーマを描くなら描くでこんな陳腐なプロットや発想ではなく、それこそ「タイムレンジャー」レベルの大胆かつ緻密な世界観とストーリー設計が必要です。
あれでも結局竜也たちは大消滅こそ防いだけど、それは元々竜也たちが明日を変えられる側の人間だからでしたが、本作はそういうハードさを描いたものになっていません。
結果として、親子三世代という大河ドラマのようなコンセプトにストーリー、キャラクターの構成は全くと言っていいほど活かされないまま終わってしまいました。


(3)どうして終盤の展開はああなったのか?


さて、親子三世代の問題とも深く関わってくるのが終盤の展開ですが、これがもう私の中で頭を抱えるほどの大問題となってくるのです。
ラストニンジャになりたい野望があった久右衛門は好天を殺して卑怯くさいドーピングによるパワーアップをするのですが、これがまあなんともチープすぎるデザインでした。
こんなショボい物語を紡いだ上で、ニンニンジャーたちは忍タリティを取り戻して6人がかりで久右衛門をフルボッコにします。
もはや完全な弱いものいじめにか見えないのですが、そのあと天晴は変身を解いて歩み寄り、こんなことを言うのです。

 


「お前もラストニンジャになりたくて、爺ちゃんを超えたいと思っているなら、俺と同じじゃんか」


あまりにも頭の悪過ぎる展開に、さしもの私も目眩がしてしまったのですが、なんでラストニンジャに憧れていたという理由で久右衛門を許そうとするのでしょうか
個人的にはこの展開って「オーレンジャー」最終回のマルチーワの子を助けてくれと懇願するヒステリアを悪い意味で超えてみせた展開なのですが、まさかラストで孫悟空みたいなことを言うと思いませんでした。
孫悟空が悪人を許す理由は「強くなってもう一度戦いたい」という理由で、言ってみればそれは亀仙人の教えを守って戦いを「武道を通じたコミュニケーション」だからです。
しかも孫悟空はよほどのことがない限り人を殺そうとはしませんし、またドラゴンボールさえあれば死者蘇生が簡単にできる倫理観の軽い世界観だからあれが成り立ちます。


しかし、スーパー戦隊シリーズは決してそのような世界観ではありませんし、牙鬼軍団をニンニンジャーたちはなんの躊躇もなく殺してきたのですから、ここで久右衛門にだけ情けがかけられるのはおかしいでしょう。
好天を殺した張本人を許すなんて罷り間違ってもやってはならない展開ですし、よしんばそんな展開をやるならやるでその展開が通りやすいだけの下地を作っておく必要があります。
歴代戦隊の中には敵と和解した戦隊や救済が行われた作品はありますが、いずれもがそれを行っても違和感がないようにきちんと伏線が貼られており、物語の流れも自然でした。
本作ではその下地すらもボロボロであるため、このような悪人を許す孫悟空みたいな展開をやっても全然映えませんし、しかも久右衛門は幻月の踏み台にされてしまいます


もうこの辺りの流れは何がしたかったのかもサッパリなのですが、聞いたところによるとそもそもラスボスの正体やその内容すらまともに決めずラストになってようやく決めたそうです。
まあそんな行き当たりばったりでやったらそうなるわなと思うわけですが、これがジャンプ漫画ならともかくこれスーパー戦隊シリーズですからね。
ストーリーとキャラクターの設計をきちんとしていないだけならまだしも、その上でさらに変革を起こそうとして大失敗という、結局「ゴーバスターズ」と同じ過ちの繰り返しになりました。
「ゴーバスターズ」はそれでもまだエンターさんという文芸的に好きなキャラはいましたが、本作に関しては本当に誰も好きになれないまま終わってしまったのです。


(4)「家族」×「才能」という作劇の罠


こうして最終的なところでまとめると、本作が打ち出そうとしたのは最終的に「家族」×「才能」という、ジャンプ漫画にありがちな強さの秘訣だったのかもしれません。
ジャンプ漫画って大体「ドラゴンボール」「ONE PIECE」「NARUTO」のような代表作を中心に「家族の血筋」が強さの根拠になることが多いのです。
例えば孫悟空は元々戦闘民族・サイヤ人の下級戦士最強のバーダックの息子でしたし、ベジータ王子も優秀なエリートの血筋、ルフィも家系が海軍に革命家ですし、ナルトも父親は元四代目火影でした。
ただし、だからといって彼らは決して血筋や才能だけで強くなったわけじゃなく、仲間との出会いや修行、宿敵との戦いを通して力を磨き上げ、心を研ぎ澄ませて強くなっています。


しかし、本作では確かに家系の血筋と才能を強さの根拠にはしていますが、問題はそこから先のプラスαが説得力を持って描けていないことにありました。
天晴は稽古も真面目に取り込んでいますが、そもそもその師匠でる好天やニートダメ親父の旋風からして才能だけで生き残った風にしか見えないので、結局努力を愚弄しているのです。
その上で久右衛門が悪になったのは「家系の血筋」と「才能」に恵まれなかったからということになってしまい、こんな身も蓋もないメッセージを叩きつけて何になるのでしょうか?
仮にそんなシビアな現実()を謳うなら謳うで、上記したように安っぽい過去の人気作の設定を継ぎはぎするのではなく、それらを精査しつつより洗練した設定や世界観が必要となります。


本作はその意味で「家族」と「才能」を完全に悪用してしまったわけであり、下山氏および武部Pは本作をもってスーパー戦隊シリーズからはいなくなりますが、まあそれも納得です。
こんな凶悪に質の低い作品しか作れなようでは先は長くありませんし、まあそもそも下山氏にメインライターを張るだけの実力がないと露呈しただけマシではあるのですけどね。
この人はサブライターという二次ならともかく、オリジナルで作る一次は全然できない人なのだなあということが本作を通して教えられたことでした。
スーパー戦隊シリーズだから1年間できたものの、これがもうジャンプ漫画の世界だったら数話で打ち切りとなっていたのではないでしょうか。


(5)まとめ


本作はせっかく前作「トッキュウジャー」で持ち直したスーパー戦隊シリーズまたもやどん底へと突き落としてしまった作品となりました。
表向き東映まんがまつりなどの色も取り入れつつ、いわゆる過去の人気作のパッチワークをしつつ面白い作品に仕上げようとしたのでしょう。
しかし、過去の人気作のパッチワークこそ細心の注意を払って行わなければならないのであり、本作はその辺りのリスペクトが欠けていたのです。
その結果が終盤のシリアスぶった筋の通らない大河ドラマのあの無残な大ゴケとなってまたもや「失敗作」の烙印が押されてしまいます。
総合評価はF(駄作)、面白くなりそうな材料が揃っていたのに調理法をことごとくミスってしまった黒焦げ料理でした。

 

 

手裏剣戦隊ニンニンジャー

ストーリー

F

キャラクター

F

アクション

E

カニック

F

演出

F

音楽

D

総合評価

F

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

 

 

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