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スーパー戦隊シリーズ第34作目『天装戦隊ゴセイジャー』(2010)

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B075DYXN5D

スーパー戦隊シリーズ第34作目『天装戦隊ゴセイジャー』は前作「シンケンジャー」の高評価を受け、さらなるスーパー戦隊シリーズのニュータンダード像を目指した印象のある1作です。
それこそ本作は「ゲキレンジャー」以来2度目となる横手美智子氏メインライターの作品であり、またプロデューサーが日笠Pから若松Pに交代しています。
この若松Pはそれこそ「ギンガマン」時代にサブで高寺Pの弟子として補佐をやっており、本作の中盤では初のチーフプロデューサーに指名されました。
今でこそ笑いのネタになっていますが、リアルタイム当時はそれこそ「俺イック」などと言って高寺Pの如く主導権を握ってブイブイ言わせていたのだとか…。


まあリアルタイムで見てなかったのでなんとも言えないのですが、この話を聞く限りでは若松Pはどうやら高寺Pの真似てはいけない悪い部分ばかりを真似てしまったようで…。
そんな本作は「第二の「ギンガマン」と言われており、キャラクターや設定はもちろんのこと何よりも年間のストーリー構成があまりにも「ギンガマン」のそれと酷似していたことで話題となりました。
ましてや前作がその「ギンガマン」を手がけた張本人である小林女史だったこともありますし、同じ女流作家として幾許か対抗意識を持っていたのかもしれません。
ゲキレンジャー」での大失敗を踏まえた横手氏にとって、本作はそういう意味では作家生命を懸けた「リターンマッチ」と言える作品だったのではないでしょうか。


しかし、蓋を開けてみれば、残念ながらその目標は果たすことができず、本作は結局ガワを真似ただけのギンガマン」の足元にも及ばない劣化コピーで終わってしまいました。
玩具売上も視聴率も前作より下がってしまい、更にヒーローショーでは集客がうまくいかないから前作「シンケンジャー」のキャストまで呼ぶ羽目になってしまったのだとか…。
誰の目にも明らかな形で「失敗作」の烙印を押されてしまうことになった本作はそれこそ「アバレンジャー」「ゲキレンジャー」に続くFラン作品の記録を更新してしまったのです。
現在活躍している千葉雄大氏をはじめルイ14世などそれ相応のキャスト・スタッフを揃えたのに何故こうなってしまったのか、その理由をこれから細かく分析していきます。

 


(1)アマチュアなのかプロフェッショナルなのかわからない護星天使


まず本作は立ち上がりの時点で既に失敗してしまっていて、そもそも「見習い護星天使」という設定自体が「マチュア」なのか「プロフェッショナル」なのかがわかりません。
これに関しては若松Pは関係なく、そもそも立ち上がりの段階で設定を詰めきれていなかった横手氏をはじめとする作り手の明らかな失敗です。
「アマチュア」と称するにはアラタたち5人の妙に落ち着いた対応や戦い方の洗練され具合が気になりますし、「プロフェッショナル」と称するには態度や行動に重々しさが感じられません。
小林女史が手がけた「ギンガマン」ならびに「シンケンジャー」はパイロットの段階で明確に「戦いに備えて訓練してきたプロフェッショナル」という設定を打ち出していました。


だからこそ、最初からしっかり覚悟を完了して戦えることに違和感がありませんし、その行動や価値観にもしっかりとリアリティがあって重みのあるものとなったのです。
ところが、本作ではEpic2の段階で彼らの故郷である護星界に戻れなくなったという深刻な事態にもかかわらず、その現実に対してあまりにもお気楽すぎる対応をしています。
それどころか出会ったばかりの望少年の都合を考えもせずに5人まとめて天知研究所に居候しようなどという臑齧りの引きこもりニートみたいなことをしだすのです。
幾ら何でもこれはあり得ない話であり、これは本来望の方から「帰る場所がないなら手配しようか?」という提案があってこそ成り立つものではないでしょうか。


原典となる「ギンガマン」や後に香村氏がメインライターを務める「ジュウオウジャー」では少なくともこの点の問題をしっかりと解決していました。
青山親子はギンガの森の戦士に自分たちの家ではなく仮住まいとなるシルバースター乗馬倶楽部を居住環境として提供してましたし、大和先生が居候する家もあくまで親戚が許可してのことです。
それを本作ではゴセイジャーたちが勝手に決断しグイグイと勢い任せにやってしまうため、どうにも非常識な連中に見えてしまい全く好感が持てません。
仮にそういう非常識な連中であることを逆手に取るのであれば、それを面白く見せる工夫は必要であり、しかしそう見せられるだけの演技力も演出力もないのです。


しかも彼らの故郷である護星界という場所もしっかりと描かれていないせいで、一体どんな場所なのか全く伝わらず、5人が本当に故郷を大事に思っているのかが見えません。
一応ハイドの過去話でゴセイグリーンのエピソードは描かれますが、そこでもどんな暮らしをしていたのかは全く伝わらず情報が一面的にしか伝わらないのです。
挙げ句の果てに終盤では護星天使が「種族」ではなく「職業」とされてしまったせいで、余計にゴセイジャーがどんなアイデンティティなのかすらブレてしまっています。
こんな風に中心となる設定がブレブレのまんま「星を守るは天使の使命」ばかりを毎回美辞麗句として繰り返し言っているせいで、ゴセイジャーがものすごく没個性な連中に見えるのです。
いわゆるリョウマや竜也の発展形として作られたであろうアラタのキャラ自体はそこそこ悪くないだけに、どうしてもヒーロー側の設定の詰め不足が気になってしまいます。


まあそのほかにも「奇跡の乱発」などの問題はありますが、これに関しては「ガオレンジャー」の記事でも述べたことなので今更繰り返しません。気になる方は以下をご覧ください。

 

gingablack.hatenablog.com


(2)色分けされている割に差別化が全然できていない4つの組織


まずヒーロー側のゴセイジャーがブレブレな上、本作のさらなる問題点は1クールごとに入れ替わる4つの敵組織もまた輪郭が曖昧で使い分けもまた下手くそです。
本作ではウォースター、幽魔獣、マトリンティス、そして地球救星計画とゴセイジャーたちの敵組織が1クールごとに設定されていますが、具体的に何が目的なのかわかりません。
同じ組織内の違う軍団ならばまだしも、全く違う別の独立組織として個別に出てくるせいで「あっという間に滅んでしまう脆弱な組織」という印象にしかならないのです。
わざわざこんな構成にすることになんの意味があったのかすらも全くわからず、むしろ悪い部分ばかりが際立ってしまっていないかと思います。


複数の敵組織が出る作品と言えば93年の「ジャンパーソン」「マイトガイン」、それから戦隊シリーズでは「ボウケンジャー」のネガティブシンジケートが該当するでしょう。
しかし、これらの作品はあくまでも「テロ鎮圧」ないし「プレシャスの回収」という卑近な行動目的のもとで主人公たちが動いており、広範囲にものを守っているわけではありません。
また、そういう複数の敵組織は個人事業主か零細企業レベルの規模が小さい敵組織として描かれており、それによって整合性をうまく取っているのです。
ところが本作は何を思ったのか、それを「星を守る」という世界規模のレベルで描いてしまっているがために、完全にスケールとして破綻してしまっているではありませんか。


名前からもわかるように、本作の敵組織の名前は全て有名な洋画タイトルから取っていますが、問題は彼らの行動理念が全く見えないがためになんのために地球侵略しに来ているのかがわからない点にあります。
特にマトリンティスなどは元地球人がボスという、まるで「バイオマン」のドクターマンをはじめとする曽田戦隊の敵首領やそのリメイクである「メガレンジャー」のドクターヒネラーの設定です。
しかし、それらの作品群では決して「人殺し」になってしまわないようにうまくバランスを調整し、自爆ないしは機能停止といった形で戦士たちが殺さないように配慮されていました。
ところが本作ではそれを護星天使が「俺たちは地球人じゃなく天使」かつ「話が噛み合わない」というとんでもない理由で一方的に天罰を下して殺してしまうのです。


流石にこれは前代未聞の展開で、私自身身の毛もよだつ恐怖を感じてしまい、こんな排他的な護星天使に断罪されてしまう元地球人に流石に同情してしまいました。
確かに旧約聖書をはじめとして神話で描かれる「天使」とは中立ゆえに酷い存在ではありますが、それをそのままスーパー戦隊のヒーロー像として描いてしまってはいけません
まあアニメや漫画の世界ならそれでも通用するでしょうが、特撮は非現実であっても三次元の人間が演じるものであり、最低限のリアリティやロジックは必要です。
それをしっかり見せる努力すらも放棄してしまうのは幾ら何でもいただけない話であり、スーパー戦隊シリーズとかを抜きにヒーローものとして超えてはならない一線を超えてしまっています
このように、色分けをしているはずなのに、全然差別化を測ることができていない4つの敵組織というのも大きなマイナスポイントです。


(3)年間通して暗躍し続けるもキャラがブレまくりのブレドラン


そして(1)(2)で散々論った欠点の煽りを最も食らってしまったのが、悪い意味でファンからも散々ネタにされまくっているブレドランです。
各敵組織を渡り鳥のように歩いていきながら、そこで力を得て強くなっていく…のは別にいいし、最終的にその正体が元護星天使という「アンチゴセイジャー」なのも構いません。
しかし、問題は「そんな回りくどいことをしてまで何がしたいのか?」が全くわからないことであり、それが不明である以上終盤でのゴセイジャーたちとの対決も映えないのです。
一応「地球を浄化する」ことが真の目的なのですが、それをやったところでその先に何を成し遂げたいのか、またなぜそうしようと思ったのかが全くわかりません。


ブラジラ(ブレドラン)は言ってみれば後述するゴセイナイトの暗黒面を体現した存在であり、同じ「地球を救うこと」にその目的がありました。
言ってみれば、描き方は全然違えどやっていることは「Gガンダム」の東方不敗・マスターアジアあたりと同レベルのことをしているというわけです。
また、スーパー戦隊シリーズ全体で見ても、確かに今まで「地球を救う、ただしヒーロー側とはまるで真逆のスタンスで」という感じのラスボスはいませんでした。
だから、ブラジラによって本作はいわゆる「善悪の相対化」「ヒーロー側が本当に正しいのか?」ということをブラジラとゴセイジャーを対比させて描こうとしたのでしょう。


しかし、そんな遠大な目的を持った敵を描くなら描くで、もっと用意周到に「護星天使と地球人の関わり」「地球人という存在の醜さ」を描くべきです。
そのあたりの伏線をもっとしっかり貼っておけば、「地球人との関わりを信じるゴセイジャー」と「地球人との関わりを信じないブラジラ」の対比もできたでしょう。
ところが、本作ではそのような問題も普段から描かれていない上、そもそもスーパー戦隊シリーズで環境問題や人類の愚かさを描くことに無理があります。
メガレンジャー」の終盤の展開ですらも批判を食らってしまうレベルなのですから、ましてや本作のようにガワだけ過去作を真似ただけの出来の悪い劣化コピーでは尚更のことです。
各組織を暗躍しつつパワーアップする展開自体は悪くないだけに、もっとそこにいくまでの流れを丁寧に描写するべきだし、それならそれでしっかりとしたプロットを用意すべきでしょう。


(4)唯一の救いはゴセイナイト


まあそんな「ゴセイジャー」ですが唯一の救いと言えるのがゴセイナイトであり、これはもう本作で唯一の美点と言っても過言ではありません。
とは言っても、あくまで「相対的にマシ」というものであって、私の好みとは完全にずれてしまっているのですけれどもね。
最初から最後まで強キャラとして描かれたゴセイナイトは良くも悪くもキャラがブレずにしっかりと立っていました。
アクションも良かったですし、ゴセイジャーと同じ目的ながらもアプローチが違う地球代表の存在という点は良かったです。


ただし、それはあくまでも金太郎飴のような良さというか、表層的な「こういうのはウケがいい」という程度のことでしかありません。
少なくとも「物語の面白さ」でキャラが掘り下げられていくことで得られる深みのようなものがゴセイナイトには皆無です。
もちろんそれもそれでまた別の面白みがあるという向きもあるでしょうが、それならそれで「ゴーオンジャー」みたいに最初からお気楽な話にするべきでしょう。
本作は表向き金太郎飴のようなわかりやすい子供向けを装いながら、年間の構成が明らかにそうではない大河ドラマの体裁を取っているから中途半端なのです。


(5)まとめ


本作は前作「シンケンジャー」が打ち出した「アンチ00年代戦隊」の作風を受けて、「2010年代戦隊のニュースタンダード像」を描こうとした印象があります。
その点では確かに「第二のギンガマン」を目指そうとしたと言えるのでしょうが、蓋を開けてみればそうはなり得ず、それどころか過去作の劣化コピーにしかなりませんでした。
むしろ、変に過去作をリスペクトした作りにしてしまったせいで、かえって時代遅れのオンボロ遊園地になってしまったという意味では「第二のオーレンジャー」と言えるかもしれません。
総合評価はもちろんF(駄作)、本作をもって概念としての「00年代戦隊」は終了し次作「ゴーカイジャー」でスーパー戦隊シリーズはとうとう歴史の総括へと入っていきます。

 

 

天装戦隊ゴセイジャー

ストーリー

F

キャラクター

F

アクション

D

カニック

D

演出

F

音楽

F

総合評価

F

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

 

 

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