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スーパー戦隊シリーズ第33作目『侍戦隊シンケンジャー』(2009)

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B06X9JHTSH

スーパー戦隊シリーズ第33作目『侍戦隊シンケンジャー』は「タイムレンジャー」以来9年ぶりとなる小林靖子女史メインライターの作品です。
前作「ゴーオンジャー」で玩具売上が回復したことにより、再びスーパー戦隊シリーズはじっくりと余裕をもって物語を作れるようになりました。
本作よりチーフPに就任した宇都宮孝明プロデューサー、そして長年助監督を務め本作よりパイロット監督に就任することになった中澤祥次郎監督等々充実した新戦力が揃っています。
このように、シリーズが行き詰まっていた中でしっかり企画を詰めて物語を作ることができたのはそれこそ「マジレンジャー」以来ではないでしょうか。


キャストもまた豪華であり、今や国民的俳優・女優として活躍している松坂桃李氏や高梨臨氏はもちろん舞台育ちの相葉弘樹氏やアイドリングで大人気だった森田涼花氏などです。
そして何と言っても彼らの父親的存在にして「水戸黄門」で大活躍のベテラン俳優・伊吹吾郎氏の存在は本作の作品世界に重厚感と安定感を与えることに成功しました。
敵側で見ても「ダイレンジャー」のザイドス役として出演していた西凜太朗氏や声優として大人気だった朴璐美氏、さらに「仮面ライダー555」でも活躍していた唐橋充氏などヴィラン側も豪華です。
このような充実した戦力で溌剌とチャンバラ時代劇を作ることができた本作は環境の充実度でいえば、それこそ「ギンガマン」の時以来かもしれません。


さて、そんな本作ですが、最初に書いておくと個人的にはタイムレンジャー」よりはわかりやすいけど年間の完成度においては「ギンガマン」以下かなあといったところです。
その理由はこれから述べていきますが、一言で述べるならやはり「中盤の展開で雑な部分の目立つ戦隊だから」であり、しかもかなりややこしくひねってあることにあります。
後年、小林女史が高寺Pのラジオに出た時に述懐してましたが、「今や「ギンガマン」みたいな作品、あんなストレートな主人公たちは書けない」みたいなことを仰っていました。
本作でもやはりその辺は健在であり、歴代で見てもかなり本作は陰影の強いシリーズであり、万人受けという点は難しいのですが、その理由も含めて本作の魅力を分析していきましょう。

 

 


(1)「殿と家臣」という主従関係


まず本作の大きな特徴は何と言っても「殿と家臣」という主従関係にあり、歴代の中でもこのような封建制度を物語の核に据えて描いた戦隊は他にないのではないでしょうか。
レッドと他のメンバーに明確な格差がある作品は「オーレンジャー」「ボウケンジャー」がありますし、主従関係だけなら「カクレンジャー」の鶴姫や「ハリケンジャー」の御前様、「ニンニンジャー」の天晴もあります。
しかし、それらはいずれも関係性としては不徹底であり、「オーレンジャー」「ボウケンジャー」はあくまでも「仲のいい同僚」以上のものではなく、そこまで堅苦しいものではないのです。
また鶴姫とサスケたち4人や午前様とハリケンジャーたち、そして天晴と他の仲間たちとの主従関係はむしろ不徹底にしか描けておらず、決して本格的な時代劇を志向したものではありません


本作ではその「カクレンジャー」「ハリケンジャー」「ニンニンジャー」が不徹底にしか描けていない要素を真正面から1年かけて描くことを決め、そしてその意図通りにきっちりやり通したのです。
ただ、この主従関係というのは現代で描くには相当気を遣わなければ安い時代劇コントをやっているように見えてしまい、またシリアスに描きすぎるとそれはそれで取っつきにくいものとなってしまいます。
時代劇というと「水戸黄門」「遠山の金さん」などを筆頭にたくさんありますが、基本的にはこの辺りの痛快チャンバラ時代劇に仕立てつつ、大河ドラマのような年間を通した縦糸は必要となるのです。
その年間を通した縦糸こそが本作においてはシンケンレッド・志葉丈瑠とその家臣たちの織り成す主従関係であり、1人1人が「家臣」「忠義」といった役割ではなく、それぞれの覚悟と決意でシンケンジャーになっていきます。


それこそが同時に「ギンガマン」「タイムレンジャー」で小林女史が得意としていた「真のヒーローになる」までのプロセスを描くことにも繋がりますし、00年代戦隊の中身のなさを解消することにも繋がります。
設定面で見ると、本作は「ギンガマン」以来となる「小さい頃から外道衆との戦いに備えて訓練してきた戦士の子孫」という設定ですが、「ギンガマン」と違うのはいざ戦うまでは別々に稽古を積んでいたことです。
そのことが真面目に訓練を積んできた流ノ介、茉子、ことはとやや不真面目だった千明との格差にもなっていますし、また殿である丈瑠を全員が最初から好きなのではないという距離感の描写にも繋がっています。
つまり小さい頃から一緒に訓練してきたから元々チームワークや連携が抜群だったギンガマンに対して、シンケンジャーの5人は剣術のプロでありながら、使命感や戦いへの取り組み方には差があるのです。


こうした部分を徐々に1年かけて詰めていき、それが序盤1クールで一旦のまとまりを見せ、そこからは追加戦士として丈瑠の幼馴染である源太も加わっての戦いとなっていきます。
もちろん「家臣や忠義が時代遅れ」とか「流ノ介やことはは忠義心こそ強いけど天然でずれている」とかいうありがちなツッコミは劇中でもしっかり千明や茉子たちから突っ込ませているのです。
しかし、いざ戦いの時にはしっかり団結して事に当たり、各自が各自の役割を全うしていくという形にすることによって、ようやく00年代戦隊において「戦いのプロ」を描くことになります。
逆に言えば、これくらい徹底してキャラとストーリーを紡いでいかなければ、それこそ「カクレンジャー」「ハリケンジャー」のような普通の現代和風ファンタジーにしかなりません。
本作はそれこそ極端なくらいにストーリーとキャラクターのドラマを積み重ねていくことによって、年間のキャラクターの完成度ではそれこそ「ギンガマン」「タイムレンジャー」に匹敵するレベルになりました。


(2)個々のキャラ立ちはいいが、全体としては微妙な外道衆


さて、シンケンジャーはこんな風にして初期から1年かけてしっかりキャラクターを面白く紡いでいくのですが、その反面でやや雑な感じがしてしまったのが敵側の外道衆です。
外道衆の構成は御大将の血祭ドウコクにその愛人の薄皮太夫、そして知恵袋とコメディリリーフを兼任している骨のシタリを中心に構成されており、また途中からは第三勢力としてはぐれ外道の不破十臓が登場します。
この不破十臓の「はぐれ外道」という設定は「ターボレンジャー」の流れ暴魔を彷彿させる設定ですが、彼を最初からシンケンレッド・志葉丈瑠の因縁の相手として紐づけることで、殿に個人のドラマを持たせているのです。
デザインも非常によくできており、こんな風に直接的な恐怖を煽ってくる敵組織となると「ゴーゴーファイブ」の災魔一族まで遡らなければならず、その意味でもかなり久々の「怖い」と感じた敵組織でした。


そんな外道衆も「二つの命を持っている」「水切れを起こすと地上には出られない」といった設定で行動を制限し、また幹部クラスは後半のアクマロも含めて非常に面白いキャラクターです。
しかし、その一方でやられ役として出てくるアヤカシはどうにもバリエーションが不足しているというか、能力の見せ方といいバリエーションといいパンチ不足であまり印象に残りません
この点同じ小林女史の宇宙海賊バルバンやロンダーズファミリーは幹部クラスだけではなく、毎回出てくる魔人や犯罪者たちも個性があったので毎週その駆け引きが面白かったのですが。
また、外道衆の目的自体が「ゲキレンジャー」の臨獣殿と同じ「人を痛めつけて嘆きや悲しみの声を出させる」というショボい目的だったので、今ひとつ悪の美学や理念を感じませんでした。


しかもそのせいかどうかはわかりませんが、どうにもシンケンジャー側のドラマにあまり動きがない2クール目と3クール目は箸休めみたいな回が多く、ちょっと刺激不足ではあります。
詳しくは後述しますが、どうも本作は年間の完成度という点ではちょっと詰めが甘い部分があって、年間の段取りをしっかり大事にする小林女史らしくないなあと思ってしまうのです。
それから、本作では基本的にアヤカシを始め外道衆全体が純粋な闘争本能で戦うバトルマニアという側面を強調しているのか、知性派と言えるのが精々シタリとアクマロくらいなんですよね。
ドウコクに至っては単純に武力は強いけど知力は酒を飲み過ぎているせいか、あまりにも残念過ぎますし(そういや戦隊で酒が出てきたのも久々か)、もう少しバリエーションは欲しいところでした。
この点組織力という点ではまだインフェルシアの方が組織としてのまとまりはそれなりにあった方かなあと思いますし、バカ集団ですけどガイアークは組織力がなかなかありましたからね。


(3)壮絶な終盤の展開


さて、そんな本作ですが、何と言っても本作最大の見所は終盤のお家騒動、そう殿であるはずの志葉丈瑠が実は本物の当主ではなく影武者(偽者)だったという展開です。
これは当時相当な衝撃の展開となっており、私も初見では確かに驚いたというかニヤリとして「靖子さん、そう来たか」となったのですが、ただこの展開自体は想定の範囲内でした。
私は影武者という設定それ自体に驚いたのではなく、「ギンガマン」「タイムレンジャー」として用いられていた「代理人のレッド(2人のレッド)」をこういう形で使って来たかという驚きです。
ギンガマン」ではそれを導入部分で旧世代のレッドから新世代のレッドへという世代交代として用い、そして「タイムレンジャー」はそこから変化をつけて竜也、リュウヤ隊長、直人の3人として使っています。


本作はそれを終盤の物語の落ちとして使っており、それまで家臣たちが当主だと思い続けて人が実は志葉家とも侍とも関係のない赤の他人であり、傀儡に過ぎなかったという落とし方なのです。
これは小林女史が「ボウケンジャー」のTask32で描いた「チーフから冒険を取ったら何も残らない」を転用したものであり、丈瑠から剣術と志葉家当主という立場を取ってしまったら何も残りません
丈瑠は本物の当主である薫姫の登場とともに腑抜けとなって「ビックリするほど何もない」と源太を相手に囁くのですが、これは同時に00年代戦隊への意図的な当てつけもあるのではないでしょうか。

 

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ゴーオンジャー」の評価で00年代戦隊が「バカレッド」に代表されるような安易な作劇に逃げている、つまり「中身がない」ことを指摘しましたが、本作では丈瑠を通してついにそれを指摘したのです。
いかにも00年代戦隊を象徴するに相応しいセリフであり、チーフとはまた違った形で丈瑠も決してバカではないながらも「戦い以外に何もない」というヒーローの歪み、欠落を露呈させています。
そしてそんな丈瑠が行き着いた先は同じ剣術を取ったら何も残らない十臓との対決であり、ここで十臓が「アンチ志葉丈瑠」として立ちはだかることで、逆説的に「ヒーローとは何か?」を訴えているのです。
またそのことが本物の当主である志葉薫がなり得たかもしれない可能性を示唆しており、「ヒーローであることを軽く考えてはいけない」という小林女史と宇都宮Pなりのシリーズ全体への警鐘だったのかもしれません。


しかもそこで終わるのではなく、外道に落ちかけた丈瑠を家臣たちが1年かけて育んで来た絆で救い出し、さらには薫姫もまたそんな丈瑠たちを見て考えを改める描写があるのです。
この流れは一見すると「丈瑠かわいそう」という日本人お得意の御涙頂戴に見えますし、私も長くそう思っていたのですが、ここで丈瑠を切り捨ててしまえばそちらの方がよほど問題でしょう。
また、結局敵側ではなく味方の方が内輪揉めを起こすという展開や敵側が世界の危機を演出しないというのも、私はあまり好みではないものの、正統派ヒーローを作れる素地がなかったのかもしれません。
こう見ていくと本作はずっと00年代戦隊シリーズに蔓延していたある種のオプティミズム(楽観主義)への痛烈な批判を敢えて時代劇を通して突きつけているのではないでしょうか。
ゲキレンジャー」の失敗を踏まえつつ、しかし「ゴーオンジャー」のようなあまりにも安っぽい玩具販促に阿ることなく「ヒーローとは何か?」「戦隊とは何か?」をしっかり考えたのです。


そして改めて薫姫が封印に失敗してからの殿と姫の和解、真の当主として返り咲いた丈瑠、その丈瑠と共に家臣たちと絆を結び直してドウコクとの大決戦へ挑む様は良くできていました。
しかもその役目を降りた姫や憎まれ役だった丹波も最後には各自ができる役割を果たし、綺麗な大団円へと繋いでいったと思います…あまりにも高度過ぎてまたもや子供が置き去りな気はしますが。


(4)序盤と終盤は面白いが、中盤が微妙な作品


年間の大筋自体は良くできている「シンケンジャー」ですが、個人的には「ギンガマン」「タイムレンジャー」に比べると小林女史の年間の構成力が落ちたなという気がします。
シンケンジャーが一度まとまるまでを描いた1クール目、そしてドウコクが登場してから怒涛のお家騒動を描いた4クール目は凄い密度で描けていました。
始まりと終わりがいいと名作になる」というのは本当にその通りで、本作はその点始まりと終わりはしっかりとできていたのではないでしょうか。
しかし、その反面シンケンジャー側に大きな動きがない中盤の2クール目と3クール目は個人的にどうにも締まりがないというか、いまいち微妙でした。


まあ中盤でも面白い回はポツポツあるんですけど、源太がシンケンジャーに入る理由が「幼馴染」という理由で一点突破しちゃったのはかなり雑です。
それからその源太に関して言うと、中盤の山場で盛り上がるはずのインロウマルとスーパーシンケンジャーの登場、そしてサムライハオー誕生も残念でした。
インロウマルとスーパーシンケンジャーは2話もかけて描いた割には結局「源太が開発の天才だから」で突破しましたし、サムライハオー誕生も流ノ介の思いつきで初登場も微妙です。
結局流ノ介にしても源太にしてもコメディリリーフとして使いやすいというのもあったのでしょうが、山場を乗り切る便利キャラとして安っぽい使い方をしています。


また、ことはが魂抜かれて動けなくなるエピソードで、源太以外の丈瑠たちが全員外道に落ちる選択を安易にした挙句源太のぽっと出の解決で乗り切っちゃうのも嫌でした。
あれは当時かなり批判をくらいましたが、個人的にはまさかあの小林女史がこんな致命的なミスを犯してしまうとは思いもよらず、がっかりした思い出があります。
まあ最もこの辺に関して言えば、初メインの「ギンガマン」があまりにもそのあたりの年間の段取りや設定とストーリー、キャラクターのリンクが完璧すぎたせいかもしれません。詳しくは「ギンガマン」の評価をご覧下さい。

 

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それによくよく思い返してみると、00年代って結構パワーアップアイテムの登場に関しては雑な作品が多かったので、その辺を安易に真似たくなってしまったのもあるのでしょう。


そしてもう1つ、(2)でも説明しましたが、本作でドラマを作っているのは外道衆ではなくシンケンジャーであり、外道衆は今ひとつ面白くないんですよね。
本格的にドウコクが動く終盤や、丈瑠と十臓、茉子と太夫の因縁は面白いのですが、それ以外のアヤカシとの通常回が面白い時とそうでない時の落差が激しすぎます。
その辺りをもっとしっかり詰めておくことができれば、それこそ「ギンガマン」「タイムレンジャー」に匹敵するか、それ以上の大傑作になり得たかもしれません。


(5)「シンケンジャー」の好きな回TOP5


それでは最後にシンケンジャーの好きな回TOP5を選出いたします。一応中盤にも面白いエピソードはありましたので、そこもる組めて選出いたします。

 

  • 第5位…第十一幕「三巴大騒動」
  • 第4位…第三十七幕「接着大作戦」
  • 第3位…第七幕「舵木一本釣」
  • 第2位…第四十六幕「激突大勝負」
  • 第1位…第十二幕「史上初超侍合体」


まず5位は1クールの山場であるシンケンジャーのピンチ回であり、丈瑠と十臓とアヤカシの三つ巴のバトルはめちゃくちゃカッコよかったです。
次に4位は「ギンガマン」のハヤテと晴彦さんの焼き直しとなっていますが、流ノ介と千明の手つなぎアクションが非常に面白く箸休めの中で笑えました。
3位は流ノ介メイン回の中では一番好きな回であり、親とか家系とかではなく自分の意思でシンケンジャーになることを選択した流ノ介のカッコよさが光っています。
2位は丈瑠と十臓の一騎打ちですが、あの馬に乗っての一騎打ちは個人的に「ギンガマン」のリョウマと氷土笠の馬に乗っての一騎打ちに匹敵する迫力がありました。
そして堂々の1位はシンケンジャー5人が絆をしっかり結ぶエピソードであり、単品で見るとこの回こそ「シンケンジャー」を最も象徴している回だと思います。


こうして見ると、本作はやはり丈瑠、流ノ介、十臓が支えているのだなあと思うところであり、もちろん他のキャラも好きですが、やっぱり小林脚本は男性キャラがとても印象に残りますね。


(6)まとめ


前作「ゴーオンジャー」までの教訓を踏まえつつ、新体制で作られた本作はいわゆる「アンチ00年代戦隊」として作られた一作なのだと言えます。
歴代初の「侍」というモチーフとチャンバラ時代劇、そして終盤の展開に目を奪われがちですが、その真意は00年代戦隊の中身のなさへの痛烈な批判とそこからの脱却にあるのです。
本作以後しばらくは「バカレッド」が登場しなくなりますが、その転換点となったのは間違いなく本作であり、スーパー戦隊シリーズの流れを変えた作品だと言えます。
そのため本作はどちらかといえば「異色作」の部類にはなるのでしょうが、そこから目指せるヒーロー像をしっかり構築したのはまさに「お見事」です。
総合評価はA(名作)、これで中盤の中だるみがなく敵組織をもっとしっかり描き切れていれば完璧と言える一作でした。

 

 

侍戦隊シンケンジャー

ストーリー

A

キャラクター

A

アクション

S

カニック

B

演出

S

音楽

S

総合評価

A

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

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