明日の伝説

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なぜ越前リョーマは公式試合で負けないのか?

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B009PL84X0

今回の話題はジャンプ漫画『テニスの王子様』の主人公・越前リョーマの考察です。
テニスの王子様を考えるときにまずリョーマの存在なくして考えることはできません。
しかし、どうしても世間にはテニプリって誤解も生んでいる気がしてしまうのです。
テニスの王子様は決してイケメンがラケット振ってるだけで人気が出た作品じゃない!ということを今回テーマとしています。

 

 

 


(1)越前リョーマは流川と沢北のハイブリッドである


テニスの王子様』はアメリカ帰りの天才少年・越前リョーマ青春学園中等部のテニス部の仲間とともに全国制覇して行くまでの物語だ。
その根底には色濃く「ドラゴンボール」「スラムダンク」など、黄金のジャンプ漫画期の魂が継承されている。
主人公の越前リョーマは「スラムダンク」の流川楓と沢北栄治を足して二で割った性格であり、努力型の熱血主人公よりもライバルキャラに近い造形の主人公だ。
代わりにライバルキャラである遠山金太郎桜木花道を継承した赤毛の爽やかな熱血主人公タイプであり、このお約束破りは連載当時とても斬新だった。


(2)「テニスの王子様」は逆「スラムダンク」である


主役の越前リョーマは作中の公式試合では一回も負けたことがないのだが、これには大きな理由がある。
それはスラムダンク」の裏返しとして意図的に計算され作られたのが本作だからであり、だからこそ流川楓桜木花道の立ち位置を「テニスの王子様」では逆転させた。
スラムダンク」はジャンプ漫画黄金期の作品らしくヤンキー文化の残滓が濃く、不良だった人間がスポーツを通して一人前に成長していくという構図である。
こうして、「スラムダンク」は「強さのインフレ」ばかりが目立ちがちなスポーツ漫画において、「そのスポーツが好きだから」というシンプルな理由にした。
つまり、桜木花道は決して赤木晴子が好きだからバスケをするのではなく、バスケが好きだからバスケをする、強いバスケチームに勝つのが好きなのだ。
このとてもシンプルながらも、強さを極めていくものが見失いがちな「スポーツをする理由」をスポ根ブームが終焉した90年代において問い直したのがスラムダンクである。
だからこそ、単なるスポーツ漫画のくくりやバスケットブームに火をつけたという社会現象まで巻き起こし、日本を超え世界中にヒットした名作になったのだ。
しかし、「スラムダンク」も決して完璧な作品とは言えず、結局当初の目標であった全国制覇を果たすことはできず、また全国大会に向けて貼った数々の伏線も未消化に終わった。


(3)リョーマが悪人をテニスを通じて善化させていく物語


だからこそ「テニスの王子様」は「スラムダンク」の雪辱戦であると同時に、「強者の物語」として「スポーツが好きだからスポーツをする」というテーマを描いた作品である。
タイトルからもわかるように、本作は越前リョーマの成長物語であり、越前リョーマがテニスを通して多くのテニスプレイヤーの人生を変えていき、また自分も変わって行く物語だ。
越前リョーマが戦うことになる青学の桃城、海堂、乾、伊武、不二弟、亜久津、日吉、真田、田仁志、遠山、幸村は多かれ少なかれ越前リョーマの影響を受けて変わっていく
それを支えているのはリョーマの圧倒的な強さにあり、スポーツ漫画においては「勝ち負け」が全てであるから、勝者が敗者に何かを学ぶという例は極めて少ない。
この辺りは「ドラゴンボール」の孫悟空に近いと言ってもよく、「ドラゴンボール」も敵が孫悟空の圧倒的な強さを前にして善人になっていくという構造だ。
しかし、「ドラゴンボール」は最終的に孫悟空一強に陥ってしまい、主人公以上に強い奴の存在を出せないという問題点が結果として出てしまうことになった。
テニスの王子様」はその点決して越前リョーマ一強にならないよう、リョーマの影響外にいるキャラクターだって存在している。


(4)全てのキャラクターが越前の影響を受けているわけではない


そのリョーマの影響外にいるキャラクターは原作だと手塚国光不二周助、そして跡部景吾辺りが挙げられるだろう。
実力的にはリョーマより上であり、かついずれもが一度越前と戦いながらも決して彼から影響を受けることはない
実際、草試合とはいえリョーマは手塚に6-1で惨敗しているし、不二との練習試合でも負けかけ、更に跡部との公式戦でもギリギリの戦いだった。
これらの試合は逆にリョーマが影響を受ける場合が多く、その中でも手塚に6-1で負けたという事実はリョーマのその後を大きく変えることになる。
そう、実は越前リョーマと同じように圧倒的な実力をもって相手のテニス選手のプレースタイルを変えてしまう強者がいた。
それこそが手塚国光であり、手塚国光越前リョーマ以上のカリスマ性と実力を備え、プレイした相手の精神に大きな影響を与えている。
そして手塚と越前の間には「青学の柱」という強固な絆が存在しており、それが「テニプリ」の世界観を大きく支えているのだ。


(5)越前リョーマは生まれつきの強者であり勝者である


さて、ここでタイトルにある「越前リョーマはなぜ負けないのか?」という話題に戻るが、ここまで読んで頂いた方にはもうおわかりであろう。
越前リョーマには「足りない物」がほとんどなく、「勝つべくして勝つ」という強者のステージに立っているからだ。
よく「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉があるが、「テニプリ」でもこれに関してはよく表現されていると思う。
越前リョーマを相手する選手のほとんどは見た目やプレースタイルだけで越前を見下し、圧倒的な力で追い詰めたのに想定外の逆転を食らって負ける
これは結局敵に何かしら精神的な欠点や情報不足があるからであり、立海の真田も幸村も揃って決勝戦で越前に破れたのにはこれが関係していた。
真田戦では風林火山を同じ風林火山で破り、その上で打球の威力もどんどん上がり、最後にはCOOLドライブという隠し球まで持っている。
幸村戦でも、試合の中で無我の奥の扉である百錬自得、才気煥発を開いた上でどんどん応用技を思いつき、最後は天衣無縫の極みに到達してみせた。
このように、相手選手が思っていることの想定外を越前は次々と行い諦めないからこそ、そして何よりテニスが好きだからこそ負けないのだ。
リョーマが負けて大きな影響を受けたのは手塚国光との草試合だが、あそこで負けた意味は越前がまだ自分の実力を持て余し自惚れが強かったからである。


(6)越前リョーマには克服するべき弱点がない


そう、才能も技術も、テニスプレイヤーとしての心構えも全てを持っている越前に唯一足りないものは「向上心」であり、初期は覇気が感じられなかった。
それを変えたのが手塚国光であり、手塚との敗戦によって越前の唯一の欠点すらもなくなって、敗因となりうるべき要素がリョーマには存在しないのだ。
そのリョーマが最後に天衣無縫の極みに目覚め、立海の最強の象徴である幸村に勝つことによって「青学の柱」として完成し、旧テニプリは完結を迎える。
だが同時に、未消化に終わった要素も数多くあり、それを拾い直して再構築しているのが現在連載中の「新テニスの王子様」である。