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スーパー戦隊シリーズ第18作目『忍者戦隊カクレンジャー』(1994)

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B098NRYR16

スーパー戦隊シリーズ第18作目『忍者戦隊カクレンジャー』は前作「ダイレンジャー」からまた一転して「ファンタジー戦隊第3弾」として制作されました。
まずビジュアルや作風を見てもらえればわかると思いますが、前2作と比べて予算不足でスーツデザインといい衣装といいセットといい、明らかにチープなB級感が漂っています(笑)
これに関してはサスケ役を演じられた小川輝晃氏がそのように語っていますし、実際「ダイレンジャー」までと比べると絵面がなんかショボく見えちゃうのです。
対する妖怪軍団も特に序盤は全く迫力がなく、組織性がない感じだったのでだらしない感じに見えてしまいます。


ただ、これに関してはかなり狙ってやっている感じがあって、その理由の1つは本作から吉川Pや高寺P、また広瀬仁美氏など不思議コメディシリーズのスタッフが流入している影響です。
そのためか全体的にやや不思議コメディシリーズのテイストが漂っていて、後に「カーレンジャー」でより本格化していく土壌が既にここで出来上がっていたと言えます。
しかし、そんな締まりのない作風を繰り返していた影響で年間の視聴率や玩具売り上げは前作「ダイレンジャー」から落ちてしまい、作品としてもだんだん人気に陰りが出てきました。
ジェットマン」以降続けてきたスーパー戦隊シリーズ黄金期のブームがここで一旦の収束を迎えようとしていたのです。


そんな本作ですが、今日の視点で見直すとシリーズ物としては前作「ダイレンジャー」と変わらないぐらいに一貫性がなく、最終的にまとまり切らなかったことが伺えます。
そのように思う理由を含めて、本作の特徴や魅力、欠点について細かく分析していきましょう。

 

 


(1)「忍者VS妖怪」×股旅物という異色のコラボ


まず本作の特徴は「忍者VS妖怪」×股旅物という異色のコラボです。なぜこんなごった煮感溢れるものになったのかというと、元々は忍者ではなく「西遊記」で作ろうとしていました。
ところが西遊記だと前作「ダイレンジャー」と同じ中華ものや同年代の「ドラゴンボール」とかぶってしまいますし、このあたりから「パワーレンジャー」が動き出していたのです。
そのため、海外への受け狙いという意図を込めて「ジャパニーズ・ニンジャ」ものを作ってやろうという意図のもとで作ったのでしょうし、日系アメリカ人のケイン・コスギを起用したのもその一環でしょう。
また「忍者VS妖怪」という構図は過去に「仮面の忍者赤影」という例があったので、その辺りのことも多少なり影響しているのだと思われます。


そしてもう1つ、他の戦隊と比べても特徴的なのが股旅物、つまり猫丸でずっと日本中を旅しながら妖怪退治を続けるというロードムービー形式にしたことです。
サスケたちは猫丸を運転し、普段はクレープ屋を経営しながら旅を続ける形式にしたことで、自由闊達な空気を出すことに成功しています。
まあ「ジェットマン」「ジュウレンジャー」「ダイレンジャー」が基地を構えながら戦っていたので、本作はそこから自由にしようとしたのでしょう。
他の戦隊でこういう股旅物の特徴を持っていたのは他に「ゴーオンジャー」「トッキュウジャー」位でしょうか…この2作も町を転々としながらの戦いでしたね。


ただ、こういう股旅物の特徴として、基本的にサスケたちは金太郎飴というかどこで切り取っても変わらないように見えるので、実は成長らしい成長をしていません
それは後述する路線変更の部分で具体的に述べますが、本作のキャラクター造形は初期と比べて全く変わっていないのです。
サスケたちは基本緩いノリを保ったままなので、変化や成長といったものとは基本無縁であり、最後まで仲良しこよしの兄ちゃん姉ちゃんのままでした。


(2)歴代初の二部構成と路線変更


さて、本作では歴代初の二部構成であり、後半の忍びの巻を手に入れる試練あたりから「青春激闘編」と呼ばれるところに入っていきます。
いわゆるコミカル路線からシリアス路線へと変更して行くのですが、こういう形での路線変更はなかなか珍しいのではないでしょうか。
「ゴレンジャー」や次作「オーレンジャー」のようにシリアス路線からギャグ路線へと変更して行くことはありますが、逆はなかなかありません。
また、この二部構成という形式は戦隊シリーズでは見られないものの、後にジャンプ漫画の「NARUTO」「ONE PIECE」がこの形式を用いています。


で、この路線変更なんですが、ここから終盤にかけてサスケたちがややしっかりしたヒーローになってくためファンはこれを「成長」と言いますが、これは成長ではありません
単に路線変更でキャラを軌道修正した結果初期の頃とは全く違うものになってしまっただけであり、実際は迷走しただけです。
同じようなことは同時代の「ドラゴンボール」もそうであり、特に魔人ブウ編は「ベジータの成長物語」などと言いますが、そんなことはありません。
あれだって、鳥山明氏が早く連載をやめたくて、ストーリーを終わらせようとした結果ベジータがただそういう風に動いただけに過ぎないのです。


実際忍びの巻での試練を終えたサスケたちは成長したように見えますが、実際のところは仲間でくだらないわちゃわちゃを繰り返していたりします。
作風も完全にシリアスになったわけではなく基本はギャグ、時々シリアスみたいな感じなのでサスケたちのキャラもそこまで変化したわけではないのです。
ただ、サスケたちの場合初期がだらしないメンバーとして描かれていたので、そこからしっかりした人にキャラ変えすれば成長したように見えてしまうのでしょう。
それに、前作「ダイレンジャー」もそうですが、キャラを好きになってしまうとストーリーや設定の破綻なんてどうでもよく、脳内で都合よく保管してしまうんでしょうから。
この二部構成と路線変更は大成功とは言えず、結局のところギャグとシリアスを中途半端に行ったり来たりで路線が定まっていないだけです。


(3)歴代初の女性リーダーは鶴姫だが実質のリーダーはサスケ


本作初の試みとして、歴代発の女性リーダーである鶴姫が設定されていましたが、これも結局はうまくいかず途中でその役割をサスケに明け渡しています
というのもこれは年齢差を考えれば仕方のないことであり、後年役者たちがインタビューが語ったところ、やはり実質のまとめ役は最年長の小川輝晃氏=サスケだったとのことです。
とてもカリスマ性のある役者ですし、後に「ギンガマン」の黒騎士ヒュウガでも頼れる兄貴キャラでしたから、それだけ凄まじいカリスマ性があったのでしょう。
それに、序盤からそうですが、本作は仲間達がピンチに陥って妖怪に捕まり、それをサスケが助けるという展開がかなり多用されているのです。


その役割交代は第二部の忍びの巻の試練で行われており、サスケの試練がやたらにカッコよく、鶴姫の試練は逆に鶴姫の女らしさや弱さを強調していました。
そして後半では鶴姫は父親との因縁によって悲劇のヒロインの役目を背負わされ、リーダーとしての面影は完全に消えてなくなってしまいます。
なぜこうなったのかというと、鶴姫の中の人は当時中学生であり、背も低く統率力がないのでキャンキャン吠えて男たちを叱っているだけなのです。
要するに主導権を握れないのであり、だからその役目をサスケに明け渡すことで彼女は悲劇のヒロインとしてキャラを立てることになりました。


更に言えば、なぜ鶴姫がリーダーだったのかというと、序盤の過去の先祖たちで示されていますが、初期の構想として「主従関係」が盛り込まれていたのです。
つまり当初は鶴姫を当主とし、サスケたちはその命に従って動く家来たちという設定ですが、本作では上記の理由からそれが完全に失敗に終わりました。
この「当主と家来の主従関係」は後に小林靖子さんが手がける「シンケンジャー」で結実するのですが、本作はそれを試験的にやってみたのでしょう。
まあ最終的にはサスケがリーダー、鶴姫がヒロインで上手く収まったと思います。


(4)序盤と終盤での設定の矛盾と結末のおかしさ


そんな本作ですが、しかし細部のストーリーや設定をみていくとどうしてもごまかせない設定の矛盾と結末のおかしさが目についてしまいます。
その最たる例が妖怪大魔王関連の設定であり、過去の映像では鶴姫たちの先祖が封印したのはぬらりひょんであって妖怪大魔王ではありません
しかも封印の扉の設定もまた序盤と終盤で変わっており、序盤ではある島のところにある妖怪たちを封印するための扉という設定でした。
ところがこれが終盤になると、サスケたちの心の扉となっており、「現れよ!封印の扉」と叫べばなぜ現れてしまうのです。


しかも、妖怪を散々倒してきたというのに、ラストで大魔王を倒せない理由が「妖怪は人間の負の感情から生まれたものだから」という唐突な後付け設定が付け加えられました。
確かに妖怪は人間の負の心が生み出したものというのは間違いではありませんが、そんな設定を仕込むなら最初からきちんと伏線を張っておくべきでしょう。
また、そのこととぬらりひょんではなく妖怪大魔王が復活してしまったことの明確な理由も語られていないのです。
挙げ句の果てに父親である白面郎の過去とも矛盾してしまっているので、結局終盤でまたもや失速してしまっています。


例えばこれが妖怪大魔王が長い間封印されていた間に負の感情を溜め込んだ結果妖怪大魔王に変貌を遂げたという設定にしても良かったでしょう。
また、人間の負の感情が妖怪を生み出したのならば、もっとサスケたちの負の感情と向き合うような話があっても良かったはずです。
そのような要素がどこにも描かれていなかったせいで、結局は物語のまとめ方の段階で失敗してしまったという評価になります。
しかもそれが鶴姫と白面郎のドラマと密接に繋がっているわけでもないので、大して深いドラマが最終回に生まれません。


(5)カクレンジャーの好きな回TOP5


それでは最後にカクレンジャーの好きな回TOP5を選出いたします。かなり偏りがある感じですが、どうぞご覧ください。

 

  • 第5位…16話「赤猿の鬼退治」
  • 第4位…30話「再会 裏切りの父」
  • 第3位…26話「鶴姫家の超秘密」
  • 第2位…25話「新たなる出発(たびだち)!!」
  • 第1位…44話「傷だらけ大逆転」


5位は序盤の名作回にして、実質サスケがリーダーにジャンプアップする布石を描いた16話ですが、とにかく後半のサスケがめちゃくちゃかっこいいです。
4位はそんなサスケと鶴姫に匹敵するかっこよさを見せたジライヤの名作回である30話…ケイン・コスギの魅力が余すところなく描かれています。
3位はそんな鶴姫がリーダーとしての役割から降ろされた回であり、鶴姫の弱さと女らしさが光った大好きな回です。
2位はヒロインにスライドされた鶴姫と対照的に本格的なリーダーへとジャンプアップすることになるサスケの忍びの巻の試練であり、この回でサスケの方向性が完全に固まりました。
そして堂々の1位はそんなサスケのかっこよさとカクレンジャーのチームとしての集大成である44話…予告もさることながら本編が最高のかっこよさです。


こうしてみると、カクレンジャーはいい回がほとんどサスケと鶴姫、次にジライヤという感じになってしまいますね。哀れなり、サイゾウとセイカイ。


(6)まとめ

 

本作は前作「ダイレンジャー」ほどにぶっ飛んではおらず、程々にまとまっているものの、どうにもとりとめのない作品という中途半端な印象が拭えません。
サスケと鶴姫がしっかりキャラ立ちしているのですが、他がちょっとお留守になってしまっている気がしてしまいます。
路線変更なども含めてスーパー戦隊シリーズの作風や人気に陰りが出始めているのが手に取るようにわかる一作です。
総合評価はC(佳作)、結局杉村升先生が提唱したファンタジー三部作は最終的にどれも同じような評価に行き着くのだなあと。

 

 

忍者戦隊カクレンジャー

ストーリー

E

キャラクター

C

アクション

B

カニック

B

演出

C

音楽

A

総合評価

C

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

 

 

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