明日の伝説

好きな特撮・アニメ・漫画などに関する思いを書き綴る場所。更新停止

スーパー戦隊シリーズ第4作目『電子戦隊デンジマン』(1980)

f:id:gingablack:20211115213113j:plain

出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/B098NRBV94

スーパー戦隊シリーズ第4作目『電子戦隊デンジマン』はスーパー戦隊シリーズの基礎基本を完成させたと言える一作であり、ある意味で上原正三メインライターの集大成でもあります。
ようやくスーパー戦隊シリーズが「戦隊」という呼称を正式に使いはじめ、スーツにも統一性を持たせるなど、前作「バトルフィーバー」の良き部分を継承しつつ「ゴレンジャー」の形式に戻しました。
今日ある「スーパー戦隊シリーズ」の概念、その基本文法が固まったのは本作でしょう…スーパー戦隊シリーズといえば「ゴレンジャー」以外で思い浮かべる作品でに挙がるのが本作です。

また、本作の特徴としては「3,000年前に行われたベーター一族と亡きデンジ星の戦いの続き」という宿命的な要素が加わるようになったことも大きいのではないでしょうか。
このスケール感溢れる設定によってスーパー戦隊シリーズが単なる子供向け特撮番組の領域を超えた重厚感や壮大さを醸し出しており、この要素は「バイオマン」などにも受け継がれていきます。
スペースオペラをモチーフにして紡がれる本作のストーリーや設定はまだ粗削りな感じこそあるものの、いま見直しても充分見応えのあるものです。
そんな本作の魅力を分解していきますが、果たしてスーパー戦隊シリーズの基礎を完成させた本作の魅力はどこにあるのでしょうか?

 

 


(1)歴代初の私設組織だが、その実態は?


まず歴代戦隊で本作は初の私設組織と言えるものになっており、前作「バトルフィーバー」までのようにどこかの国際軍事組織に所属しているわけではありません
レッドは空手道場、ブルーはサーカス、ピンクが水泳教室など各々の持ち味を生かして生計を立てているという、後の「ゴレンジャー」「タイムレンジャー」の前身とも言える設定です。
つまり5人は常に一緒に行動しているわけではなく、普段はバラバラに活動していて、ベーダー一族との戦いの時にだけ集まるという関係性なので、ストレスはかかりません。
しかし、そうは言ってもやはりそこは上原正三氏がメインライターを務める戦隊なので、どこかしら拘束力が発生するものです。


それは何かというと、中盤で明らかになりますがデンジマンに選ばれた5人は実は滅んだデンジ星の民族の子孫であり、ベーター一族との戦いは実は最初から仕組まれたものだと判明します。
すなわち、3000年前にデンジ犬アイシーと一緒に地球に移住してきた先祖が地球に来て地球の人たちと交流して血縁者を残していき、それが現代に受け継がれているのでしょう。
その中でもデンジマンに選ばれた5人はベーダー一族と戦うにふさわしい戦闘力やポテンシャルを兼ね備えているメンバーであると見込まれたためにこうなったのだと思われます。
つまるところ、個々のメンバーが普段何をやっているかとかそんな内的(=私的)動機はどうでもよく、ただベーダー一族との戦いで敵を倒しさえすればそれでいいのです。
表向きは私設組織を掲げながら、その実態は今までやって来た軍事戦隊と対して変わらず、やはり「お前今日から〇〇戦隊だから戦え」「イエスボス」の上意下達方式でした。


少なくともデンジ犬アイシーにとってはそうであり、あくまでもアイシーは3,000年前から続く因縁の戦いの続きをやっているに過ぎず、個々のメンバーの内情など知ったこっちゃありません。
一方でデンジマンの赤城たち5人のメンバーは個人個人の「地球を守るべきだ」という決断の元に戦っており、それがこれから述べる序盤と終盤で問題になってくるドラマの核心となるのです。


(2)宿命を拒否する戦士と終盤への流れ


驚きなのは歴代戦隊で初めて「宿命を拒否する戦士」が既に4作目にして出たということです。宿命を拒否する戦士というと「ジェットマン」「カーレンジャー」が近いと言えるでしょう。
しかし、実はその2作より遥か前の本作と「バイオマン」の序盤で既に「宿命を拒否する戦士」は実験的にやっているわけであり、スーパー戦隊の序盤で戦いを拒否する戦士は珍しくありません。
その原点をデンジピンク・桃井あきらを通して描いたわけですが、とはいえこれが年間を引っ張るほどの大きな問題になったのかというとそういうわけではないのです。
昭和戦隊らしく、そこはもう男性メンバーが説得したのと、自分が戦わなければ好きなテニスや水泳も続けられないことを思い知ったために戦うことになりました。
結果的に、こんなドラマを挟む必要があったのかどうかは不明ですが、少なくとも「全員が全員同じ心境で戦っているわけではない」ことを示したという意味はあるのでしょう。


そして、そんな桃井あきらの宿命の拒絶が物語最終盤の思わぬ伏線になっていると見れなくもないのです…というのも、最終回では司令官のアイシーとデンジマン5人の間で軋轢が発生します。
バンリキ魔王たちベーダーが本格的に攻め込み次々と被害を出すのですが、アイシーは「ベーダーを倒すためにはじっくりとチャンスを待ってから動いた方がいい」とたしなめます。
対してデンジマンの5人は無用な犠牲が出るのを見て見ぬ振りすることができず、最終的にはアイシーの制止すらも振り払って5人がそれぞれの決断で悲壮な決意とともに戦うのです。
大局を見据えながら「大きな勝利のために多少の犠牲はやむを得まい」とするアイシーと「目の前の命を少しでも救いたい」とするミクロな視点に立つデンジマンとの違いが明らかになりました。
歴代戦隊で初めて司令官とメンバーとが噛み合わない、実はお互いの思惑が違っていることが明らかになったのですが、最終的に合っていたのはどちらかといえばアイシーの方だったのです。


つまり、物語の序盤で描かれた宿命を拒否するあきらと終盤でアイシーの非情とも言える決断を振り払って自分たちの決断で動く地球人との温度差、断絶が描かれた瞬間でした。
前作「バトルフィーバー」までを踏まえて基礎文法を完成させるだけではなく、単に上の命令に従うだけではない5人の戦士たちの個性も描こうとしていたのです。
本作においてそれがうまく結実したとは言い難いのですが、しかし後々のシリーズで開花していく種はすでにこの時点でばら撒かれていたと言えるのではないでしょう。


(3)ヘドリアン女王とバンリキ魔王の確執


そして本作最大の見所になっているのが後半から終盤で見られるヘドリアン女王らベーダー一族とバンリキ魔王の確執であり、敵組織の内輪揉めが以後のシリーズでお約束となっていきます。
バンリキ魔王はおそらく前作「バトルフィーバー」に出て来たサロメの発展型と言えるのですが、いわゆる「幹部の一人」ではなく「第三勢力」という形で登場するのです。
つまり、基本的にはデンジマンを倒すためにベーダー一族と徒党を組んで活動しながらも、最終的に己の利益のためにベーダー一族すらも裏切ってしまいます。
その真の目的はベーダーの乗っ取りであり、要するに裏側でヘドリアン女王に対して下克上を試みていたのがバンリキ魔王だったのではないでしょうか。


この流れはいわゆる学生運動で見られた連合赤軍の「総括」に伴う同士討ちであり、古くは「仮面ライダー」終盤のゲルショッカー編で見られたような展開です。
つまり、終盤のドラマを敵側が作るようになっていったので、それでやっと正義の味方であるデンジマン側のドラマ成分の不足を補うことに成功しました。
そしてヘドリアン女王はかの曽我町子が演じていることもあってか、殺しにくくなり最終的にはデンジマンにバンリキ魔王を倒すためのヒントを教えて眠りにつきます。
皮肉なことに、デンジマンが最終的にバンリキ魔王に打ち勝つことができたのはヘドリアン女王デンジマンに方法を教えたからです。


逆に言いますと、デンジマンがベーダー一族とバンリキ魔王に勝利したのは完全な運だったわけであり、自分たちで攻略方法を思いついたわけではありません。
だから結果的にアイシーの言うことが正しかったわけであり、デンジマンが敵の情報を利用して勝てたあのラストを素直に賞賛していいものでしょうか?
そのように考えると一見盛り上がる展開のようでいて、その実全く盛り上がりにかける展開ばかりで、筋が通っていません
デンジマン側とベーダー側の双方で上層部と現場のものたちの軋轢が描かれたという点では面白みがありますが、深く掘り下げられたとは言えないでしょう。
そのあたりの悔いがどうしても残ってしまい、前作ほどではないにしてもラストはやや消化不良となりました。


(4)シリーズ初の「2枚目半」ブルー


さて、ここからは個人的な意見になるのですが、本作ならではの特徴は何と言っても「2枚目半」のデンジブルーこと青梅五郎がお気に入りでした。
前作のバトルケニアを担当した大葉健二氏を続投させたのは伊達ではなく、コメディーリリーフと同時にサブリーダーを兼任していました。
のちの「ギャバン」にも使われるのですが、アンパン大好きという設定はまさに「ゴレンジャー」のカレー大好き以来のお茶目な設定です。
かといってふざけてばかりではなく、要所要所では男らしくかっこいいところもまた見せてくれます。


硬軟併せ持つキャラクターというのは前作が緩かったからこそ、本作でもそのノリが許されたのでしょうが、大葉健二氏の人柄も大きく影響しています。
また、そんな青梅のキャラクターがチームにいい影響を与え、赤城たちも真面目でありながら時々一緒に遊んだり恋愛話に興じたりする様が面白いのです。
特にイエロー・黄山の恋愛話になると積極的に赤城と青梅が乗っかってくるなど、プライベートでも仲よさそうな感じを出しているのはいいところでしょう。
こういうのは「ゴレンジャー」「ジャッカー」では見受けられなかったところであり、後年の戦隊になるとより柔らかいものへとなっていきます。
そうした緩急を自在に操るデンジブルー・青梅の存在は本作を盛り上げるのに一役買ってくれました。


(5)「デンジマン」の好きな回TOP5


それでは最後にデンジマンの中から好きな回TOP5を選出いたします。


・第5位…7話「デンジ星の大悲劇」
・第4位…25話「虎の穴は逃走迷路」
第3位…2話「人喰いシャボン玉」
第2位…37話「蛮力バンリキ魔王」
第1位…46話「腹ペコ地獄X計画」


それぞれ軽く説明すると、まず7話はデンジ星の悲劇や主人公たちが戦う理由といった基本的な背景設定が説明されたという点で序盤の名作回です。
4位は朴訥なイエロー・黄山のメイン回ですが、単なる知性派の科学者というだけではなく、近所の娘さんとの交流など人間味が感じられる心温まるエピソードでした。
上位3つですが、まず3位は桃井あきらが宿命を拒否するも、改めてベーダーとの戦いの厳しさを描くという点でデンジマンが結成される段階をしっかり描いています。
2位はバンリキ魔王初登場回であり、終盤へ向けてテンションを上げつつ、デンジマンという作品自体も大きく終盤に向けて弾みをつけることができた名作回です。
そして1位は青梅大五郎がめちゃくちゃかっこいいところを見せてくれた傑作回であり、たとえ餓死寸前だろうと他者を思いやる青梅の男前ぶりが最高の逸品です。


(6)まとめ


シリーズ4作目となる本作はのちのスーパー戦隊シリーズの基礎基本を固めた上原戦隊の総決算とも言える一作になっています。
本作で培われた要素はその後のシリーズで様々な形で継承されていき、されに洗練された形で開花していくのです。
宿命で戦う戦士というスペースオペラの要素を加えつつ、戦隊シリーズを重厚なものへと教え上げた本作の功績は今もなお評価されるべきでしょう。
終盤のまとめ方は納得いかない部分こそあるものの、非常に手堅く抑えるべき要素を抑えたという点では見直してみても良くできています。
総合評価はB(良作)となるでしょうか。

 

電子戦隊デンジマン

ストーリー

C

キャラクター

A

アクション

B

カニック

B

演出

B

音楽

B

総合評価

B

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

 

 

にほんブログ村 テレビブログ スーパー戦隊へ
にほんブログ村