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スーパー戦隊シリーズ第2作目『ジャッカー電撃隊』(1977)

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出典元:https://www.amazon.co.jp/dp/4065137098

 

スーパー戦隊シリーズ第2作目『ジャッカー電撃隊』は45作続いている中で、唯一打ち切りを食らってしまった曰く付きの作品です。
これだけ息が長いシリーズだと、どんな作品においても賛否両論あるもので、特に異色作と呼ばれる後続の作品群はその特徴が現れています。
しかし、こと本作についていえば、誰の目にも明らかに「打ち切り」という形で「失敗作」の烙印を押されることになってしまいました。
どんな特撮ファン、スーパー戦隊シリーズファンであったとしても本作を高く評価する人は余程のマニアか特殊な感性の持ち主以外にはいないでしょう。


しかもその原因もはっきりしているので、わざわざ個別で項目を作って評価するのはまるで傷口に塩を擦り込むようで居た堪れなくもなります。
しかし、シリーズを続けていく上で多少なりの失敗は必要であり、本作は色々な不運が重なってこうなったのであり、決して作り手も狙って失敗作にしたのではないのです。
そのため、本作の評価は「ここが魅力!」というよりかは「何がいけなかったのか?」の徹底的なフィードバック、反省会という形になります。
前作「ゴレンジャー」の華々しさとは対照的に、どこまでも地味で暗く不遇な評価を永久に受け続ける宿命にある「ジャッカー」。
そんな本作の反面教師としての要因を具体的に整理して書き出してみることにしましょう。

 

 


(1)前作とは対照的に没個性な4人のサイボーグヒーロー


前作「ゴレンジャー」とは対照的に本作に出てくる4人のサイボーグヒーローがなんとも地味で華がない……いや、正確にいうと戦隊シリーズに似合わないキャスティングとキャラ付けでした。
まず導入から暗く、鯨井長官が「サイボーグにならんか?」という一方的なスカウトで、クライムに対抗しうる4人の若者を一方的にスカウトしサイボーグに改造…ここまではまあいいでしょう。
しかし、いざそれで出来上がったチームヒーローは何とも没個性で、全員辛気臭い表情と性格をしてる上に、誰がリーダーなのかすらも不明です。
便宜上はスペードエースの桜井がリーダーとなっていますが、率先して指揮するわけではありません。


また、4人の変身後の個性も薄く、設定上は「核」「重力」「磁力」「電気」がエネルギー源となっているのですが、それが変身後の能力としてどう活かされているのかもわかりません。
一応生身アクションと変身後のアクションは動けていますが、前作「ゴレンジャー」と違いキャラの個性を活かしたものにはなっていないので、どう凄いのかがわからないのです。
ハートクインのカレン水木も役者がJAC出身ということもあり、前作のペギー以上に動きバッタバッタと敵をなぎ倒すのですが、それがキャラの魅力に繋がるどころか余計に魅力を削いでいます。
なぜこうなったのかというと、前作「ゴレンジャー」とは正反対に「全員をアカレンジャー並に強くすればいいんじゃないか?」という考えや計算が作り手にあったのではないでしょうか。


前作「ゴレンジャー」で露呈したチームヒーローの欠点は「メンバー間の格差」であり、アカレンジャーを最強として次にアオレンジャー、ワンランク下がって残りの3人が続きます。
なぜこのような格差が生じるのかというと、演じる役者の性格や体格の差から生じるからであり、その格差を解消するために「サイボーグ」という設定を取り入れたのでしょう。
確かに体を機械にして「仮面ライダー」のような人造人間にしてしまえばメンバー同士の格差はなくなりますが、そんな設定にしたことがかえってチームとしての没個性を招いたのです。
しかも、作り手は「仮面ライダーストロンガー」までで歴代ライダーが全員揃って凶悪な敵に対して「みんなでGO」をやりましたが、同じ手法が戦隊シリーズで使えるのか?というと答えは「No」です。


確かに「ウルトラマン」も「仮面ライダー」もシリーズを重ねるごとに共闘や共演が見られるようになりましたが、それはあくまでも各ヒーローの個性がきちんと立っている状態で共闘するからです。
しかも、そんなにしょっちゅう共闘するわけではなく、あくまで各自が判断した結果たまたま利害が一致して一緒に戦っているに過ぎず、普段から一緒に戦っているわけではありません。
つまり仮面ライダーウルトラマンで行われる「みんなでGO」はあくまでも「スタンドプレーから生じるチームワーク」であって、5人1組ありきのチームプレーではないのです。
前作「ゴレンジャー」が成功したのはまさに各5人のキャラクターが役者の個性とマッチし、1人1人が違っているからこそ綺麗な五角形となって最高のチームができました。
その点本作はサイボーグに改造することで全員を「鯨井の指示通りに動く手駒」以上の個性を持つことを許されず、心理的な葛藤や自主的な判断をすることがありません。


確かにスーパー戦隊シリーズの「1人1人は小さいけれど1つになれば無敵」という理屈はいつもそうではありませんが、だからといってただ同じ強さを持ったメンバーを並べればいいわけじゃないのです。


(2)組織規模とやっている犯罪の実態が釣り合わないクライム


2つ目に、ヒーロー側だけではなく敵側のクライムに関しても設定がよく分からず、組織規模とやっている犯罪の内容が釣り合わないのです。
国際規模の犯罪組織でありながら、やっている内容は麻薬の密売や資金調達、スナイパーによる銃殺などこれまたショボい。
タイムレンジャー」のロンダーズファミリーや「デカレンジャー」のアリエナイザーと大差ない低レベルの犯罪ばかりで、その行動目的も不明です。
しかも後半に入ると、「利潤の追求」ではなく「世界征服」へとシフトしてしまうので、それが余計に組織としての一貫性を失わせています。


今必死に記憶を辿ってもアイアンクロー以外に印象に残っているクライムの怪人や幹部はおらず、誰一人記憶に残っていません。
そのアイアンクローですら最期は後半に登場する本作最大のガンであるビッグワンの必殺兵器「ビッグボンバー」で呆気なくやられます。
このように、ヒーロー側が「没個性」だとするなら、ヴィラン側は「整合性も一貫性もまるでない」のです。
私は基本的にヒーロー側にしか興味がないので、悪の組織はどこまで行こうと所詮ヒーローの引き立て役としか思っていません。
だから、クライムという組織について深掘りして書こうと思っても、これ以上の言葉が出てこないのです。


(3)少しも盛り上がらない桜井とカレンのラブロマンス


さて、そんなこんなで滑り出しから2クールの間着実に失敗作への道を歩んでいた、本作ですが後半〜終盤にかけて露骨なテコ入れが行われます。
その1つがスペードエース・桜井とハートクイン・カレンのラブロマンスであり、なぜだか最終回手前にしてこの2人が相思相愛となるのです。
スーパー戦隊シリーズ恋愛模様を大々的に描いた作品というと『光戦隊マスクマン』『鳥人戦隊ジェットマン』などがあります。
実は本作は結果論とはいえ戦隊メンバーのラブロマンスを先駆けて描いていたのですが、これがちっとも盛り上がりませんし絵にもなりません


なぜこの2人が絵にならないのかというと、それこそ(1)で述べたようにジャッカーが「サイボーグヒーロー」だからであり、第1話で人の心を捨てているからです。
主題歌の「燃える闘志と悲しみは冷たく硬いメカの中」という言葉通り、人並みの幸せを捨てたジャッカーには恋愛で幸せになる資格はありません。
まあ「資格がない」は言い過ぎとしても、悲壮な覚悟でクライムとの戦いに臨んだのに、それでなぜ最後に辿り着いたのが2人の恋模様なのでしょうか?
いくらご都合主義な展開が目立った70年代特撮とはいえ、これは全くもって説得力がなく、劇的な展開になり得ないのです。


なぜこんなロマンスが突然挟まれたのかはわかりませんが、一説には当時役者同士が付き合っていて、それをキャラに反映させたものなのだそうです。
別にそれ自体は構わないのですが、ラブロマンスで盛り上げるなら最初からそういう方向性でキャラをストーリーを設計するべきでしょう。
しかもこれだけで済めばいいのですが、次に述べる本作最大のガンとも呼べるあの男の存在によってこの2人のロマンスが露と消えてしまいます。


(4)作品の世界観を完全にスポイルしてしまったビッグワン


さあ来ました、本作最大のガンであるビッグワンこと番場壮吉…本作をバラバラの骨折死体にし、海の彼方に沈めてしまった元凶です。
演じるのは前作のアオレンジャーを演じた宮内洋なのですが、ただでさえ影の薄い4人のメンバーたちはこの男に存在感を食われてしまいます。
それも当然の話で、前作「ゴレンジャー」は1人1人が宮内洋に負けないスター性を持ち、お互いの魅力が拮抗して最高のチームとなったのです。
そんな奇跡的なキャスティングに比べて、本作は最初から地味で華がない役者たちを揃えたものだから、一気に宮内洋が出ただけで存在感が消え去ります。


しかも番場壮吉のキャラ付けも酷いもので、悲壮感など微塵もなく変身前も変身後も何でもこなしてしまう歴代屈指のチート戦士です。
そのせいで後半〜終盤の「ジャッカー」は「番場壮吉の無双劇場」となってしまい、集団ヒーローとしての体裁すら保てなくなりました。
それこそ巷で有名な「もう全部あいつ1人でいいんじゃないかな」ではないですが、番場壮吉=ビッグワンはネタ抜きでそれが成立してしまうキャラです。
(3)で述べた桜井とカレンのラブロマンスも、最終回では全部ビッグワンの活躍の前に霞んでしまい、今日に至るまで「失敗作」と評される元凶となりました。


あの最終回の酷さに異論があるファンはいないでしょう。


(5)まとめ


こうして分析してみると、改めて「ジャッカー」が反面教師として様々な教訓を示してくれました。
まずスーパー戦隊シリーズ仮面ライダーシリーズのような重い設定やドラマを作ろうとしても当時は不可能だったこと、初期設定や企画の段階で失敗してしまうと取り戻すのに2クール以上はかかることなど色々あります。
その中でも一番の教訓は「個性がきちんとバラけているからこそチームヒーローは成立する」ということではないでしょうか。この反省点が本作から得られた何よりの学びであると言えるでしょう。
皮肉ではありますが、前作と正反対の作風・路線を行こうとして大失敗したことによって、かえって前作「ゴレンジャー」がなぜ大ヒットを叩き出したのかが浮き彫りとなりました。
そして改めて「チームヒーローとは何なのか?」という本質的な問題を明らかにし、次作「バトルフィーバーJ」以降の大きな反省点として今日に至るまで活かされています。
誰がどう評価しようと、明確な形で「失敗作」であると示された本作の総合評価は間違いなくF(駄作)です。

 

 

ジャッカー電撃隊

ストーリー

F

キャラクター

F

アクション

F

カニック

F

演出

E

音楽

D

総合評価

F

 

評価基準=S(傑作)A(名作)B(良作)C(佳作)D(凡作)E(不作)F(駄作)

 

 

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