明日の伝説

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スーパー戦隊シリーズとは何か?〜その解釈、本当に正しいですか?〜

gingablack.hatenablog.com

 

こちらで私と戦隊シリーズの関わりに関しては語りましたので、ここからはいよいよスーパー戦隊シリーズについて本格的に語りますが、まず私の思うスーパー戦隊シリーズとは何か?」について、疑問や批判点などの懐疑的な視点を交えつつ語ります。
どんな作品やシリーズものを語るにしても、最初の段階では「定義付け」は必要です。軸足がきっちり定まらないまま語り始めてしまうと本質を見失いかねません。
そこで、今回の記事では「そもそもスーパー戦隊シリーズとは何か?」という定義付け、序論から入ります。あくまで私個人の解釈としてですが、よろしくお願いいたします。


(1)その公式の解釈、間違っているかも?


スーパー戦隊シリーズと聞いて、皆さんは何を思い浮かべますか?多くの人は恐らく以下のようなイメージを抱くでしょう。


・5人1組のチームワークで、強い怪人をやっつける勧善懲悪のストーリー
・戦う目的は地球の平和を守るためであり、メンバーの活動は治安維持にある
・赤=熱血、青=クール、黄色=カレー好きのデブ、ピンク=紅一点、緑=喧嘩っ早い最年少
・怪人をやっつけると、巨大化するので巨大ロボットでやっつける
仮面ライダーシリーズやウルトラシリーズと違いヒーローが5人もいる
ケイン・コスギ、照英、松坂桃李高梨臨、志尊淳、横浜流星などの大物俳優・女優を輩出している


最後は役者を目当てで見ているコアなファンでないとわかりませんが、ファンでない方でも大体5つ目までのイメージはあるでしょう。
しかし、あくまでもこれらは外から見る「イメージ」でしかなく、実態と本当に合致しているとは限りません。
中でも2つ目の解釈は「秘密戦隊ゴレンジャー」の打ち出したヒーロー像から生まれた誤解なので、きちんと「秘密戦隊ゴレンジャー」を全話見たファンでないと理解されないのが辛いです。
特に黄色=カレー好きのデブというイメージを「キレンジャーの錯誤」というのですが、実はシリーズ全体で見るとこのイメージに完璧に当てはまるイエローはキレンジャーしかいません。
それはこちらでも論じられている通りです。

 

togetter.com


また、1つ目の「5人1組のチームワークで、強い怪人をやっつける勧善懲悪のストーリー」や2つ目の「戦う目的は地球の平和を守るためであり、メンバーの活動は治安維持にある」も必ずしもそうではありません。
例えば1つ目に関してはレッドないしレッド以外のメンバーが単独で怪人を倒す回は沢山ありますし、2つ目の「地球の平和を守る」に関してもそれに当てはまらない戦隊はいくつかあるのです。
ジェットマン」なんてメンバーの半分以上が「地球の平和を守ること」より「好きな人と一緒にいること」を大事に考えていましたし、「カーレンジャー」も宇宙の平和より夢の車を作ることを生き甲斐としていました。
また「タイムレンジャー」のメンバーたちもやっていたことは「ご近所騒動を収める」というミクロな犯罪防止でしたし、「ボウケンジャー」「ゴーカージャー」、そして「ルパパト」のルパンレンジャーはお宝集めが目的のトレジャーハッピーであり、地球の平和なんて(少なくとも開始当初は)基本知ったこっちゃない連中の集まりです。
そして何より注目していただきたいのは「戦隊」という言葉を用いていないスーパー戦隊シリーズ作品もいくつかあるということです。具体的には「ジャッカー電撃隊」「バトルフィーバーJ」「超電子バイオマン」「超新星フラッシュマン」の4作は「戦隊」という冠名すらついていないのにスーパー戦隊シリーズとしてカウントされているのです。
一部の例だけを持って全体的にこうだと見なす、決めつける傾向はシリーズ物にはスーパー戦隊シリーズにおいて決してやってはならないことだとご理解いただけたのではないでしょうか。


(2)そもそも「戦隊」という言葉は軍事用語である


多くのスーパー戦隊シリーズファンが見逃しているのは「そもそも「戦隊とは何か?」」です。私も、こうしてスーパー戦隊シリーズと向き合うようにならなければ、考えることもなかったでしょう。
そもそも「戦隊」という言葉自体が軍事用語であり、辞書で調べて見ると現在商標として使われているところの「戦隊」とはもともと以下のような定義でした。

 

せん‐たい【戦隊】
〘名〙 軍隊の戦術単位。旧陸軍では、歩兵または空挺の数個中隊からなる、管理機能を備えた戦闘部隊。旧海軍では、軍艦二隻以上、あるいは、軍艦と駆逐隊または潜水隊などからなる部隊。航空隊の場合、二隊以上で編制される戦闘部隊。

 

引用元:https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%88%A6%E9%9A%8A/

 

このように元々「戦隊」という言葉は軍事用語であり、それが時代の流れとともにこのような字義通りの軍隊自体が日本からはなくなっていき、徐々にスーパー戦隊シリーズ固有の商標ないしイメージとしてのみ使われるようになりました。
現在ではむしろ「戦隊」という言葉を聞くと誰しもが「スーパー戦隊シリーズ」を思い浮かべるのではないでしょうか?言葉の定義は時代とともに変わっていくものですが、「戦隊」という言葉はまさに時代とともにその概念すら大きく変わったものだと言えるでしょう。
この定義に当てはめるならば、字義通りの「戦隊」は歴代で見ても「秘密戦隊ゴレンジャー」「太陽戦隊サンバルカン」「電撃戦隊チェンジマン」「鳥人戦隊ジェットマン」「超力戦隊オーレンジャー」の5つしか当てはまりません。本当の意味での「軍隊」としての戦隊は実は5作品だけなのです。
後の40作品は本来の字義通りの戦隊ではないということになってしまうのですが、そのような批判がなぜ今日に至るまでなされてこなかったのかというと、ファンも公式側もそもそも「戦隊」という言葉の意味を深くまで考えてこなかったことが原因だと言えます。


(3)公式側の見解が正しいとは限らない


こうして見ると、スーパー戦隊シリーズは実に定義が曖昧なシリーズですが、その大元の原因は公式側にもあります。公式側は大々的にこのような謳い文句を打ち出しています。

 

「スーパーせんたいヒーローはちきゅうのへいわをまもるせんしだ!くるしいときも、かなしいときも、ひとりじゃかなわないけど、なかまとちからをあわせて、わるいやつらをやっつけるんだ!」

 

引用元:スーパー戦隊百科 TOP


このように、スーパー戦隊シリーズは公式自らがファンに誤解させるような定義を打ち出しているのですが、(2)でも述べたようにこの定義が必ずしも当てはまるわけではありません。
地球の平和を守ることを目的としない作品もありますし、5人ではなく1人で怪人や幹部をやっつける戦隊もあるので、この公式側の見解は些か正確さを欠いていると言えます。
ただ、そのようなことを言い出すと、コアなファンはともかく戦隊シリーズを知らない人に不安や動揺を与えてしまうので、表向きにこのような謳い文句を出しているだけなのでしょう。
イメージに引っ張られないようにするためにも、本当にその作品を理解していくためには1つ1つの作品を試行錯誤しながら実際に見て検討していくしかないのです。
公式側の示す見解が本当に正しいのかどうか、常にファンも検証しながら丹念に見ていく姿勢を持つことは極めて重要であり、特にスーパー戦隊シリーズではそれが大きな意味を持ちます。


(4)スーパー戦隊シリーズの動機には「外的(=公的)動機」と「内的(=私的)動機」の2種類がある


それでは、歴代スーパー戦隊シリーズはどのように作られてきたのかというと、それは様々な要因が複合的に絡んできますが、中でも大事なのは「戦う動機」です。
スーパー戦隊シリーズを1つ1つ見ていくと、作品の中には「外的(=公的)動機」と「内的(=私的)動機」の2種類があることがわかります。
「外的(=公的)動機」とは簡単に述べると「今地球はピンチだからこう動こう」という、メンバー個人ではなく地球全体から俯瞰した動機です。
よく言えば「客観的な正しさに基づく正義」、悪く言えば「自分が動くしかないから仕方なく動く義務的な正義」ではないでしょうか。
これに対して「内的(=私的)動機」はこの真逆で、地球全体から俯瞰した視点ではなくメンバー個人の視点から始まる戦いの動機です。
これもよく言えば「自発的な決意に基づく正義」、悪く言えば「客観性を欠いた主観的で正当性のない正義」であると言えるでしょう。
70・80年代のスーパー戦隊は前者の外的動機が多く、90年代以降になるとシリーズの転換点である「ジェットマン」を境に内的動機が徐々に増えてきます。
それを実験的に「ガオレンジャー」まで検証してくださっているサイトがあるので、気になる方は是非確認してみてください。

 

hccweb.bai.ne.jp


(5)イメージに縛られないために


こう見ていくと、スーパー戦隊シリーズこそ、その本質を深く理解していくためには鋭い視点の観察眼が必要ではないでしょうか。
どうしても、仮面ライダーシリーズやウルトラシリーズに比べて、スーパー戦隊シリーズはワンランク下として軽んじられがちです。
しかし、世間で作られたイメージがいかに間違った、あるいは偏ったものであるかが上記してきた分だけでもご理解いただけたことでしょう。
一見誰にでも取っつきやすいようでいて、その実深いところまで研究しようと思えば、どこまでも際限のない視点の感想・意見が出るシリーズです。
私もそれにここ数年で気づいたからこそ、無謀とはわかりつつも少しずつスーパー戦隊シリーズへの理解を深めてこうと日夜格闘しています。
まずはスーパー戦隊シリーズにありがちな誤解をきちんと解いてフラットにした状態で、改めてシリーズ作品の魅力について触れていきたいです。


拙ブログの記事がそうした考えの一助になればと思います。